ひまわりさんより(8月9日)
今日は、少し早めに仕事場に着いたので、ぼんやりと考え事をしていたら、急に昨日のことが思い出され、
「人が住んでいるのに、その家を買おうとするなんて、ひどい人たちだなー」という思いが起きてきて、
いやな感情がむくむくと起きてきました。それで、すぐにこの感情を消さなければと思って、
考えを変えようとしましたが、なかなか悪い感情が消えませんでした。
そこで、どうしてこんな感情が起きたのだろうと考えてみました。そうすると、
相手のひどさを許せない心があることに気づきました。結局人間は、自己愛の霊に支配されていて
、人のために自分を犠牲にすることなどしないものだから、自分も同じなのだと思いました。
問題は、人を許せないという気持ちで、これが人の心を蝕むのです。「真理は人を自由にする」、
とイエス様は教えられましたが、本当にそうだなと思いました。真理はどんな人も自分を義とさせないのです。
自分が一番ひどい、自分に比べれば人はもっといいところがある、そう考えると、
どんなことをされても許せるようになるのだと思いました。
そのことに気づいたとき、わだかまりが消えていきました。
後の雨の目的(デビット・カン講演15)
では終末において、後の雨の目的とは何でしょう。
神の民は、しばらくの間、日曜休業令の試験を受けることになります。
激しく試みられます。そして、どのような犠牲を払ってでも、神様を愛するか否かがテストされます。
そのとき、私たちの真の動機が明るみに出されます。なぜ神様に従っているのかということ、それが明らかにされます。
そして、私たちがテストを受けたとき、印を押されます。生ける神の印を受けます。
それから後の雨が降り注がれます。私たちが印されたとき、もはや動かされることはなくなるわけですね。
それによって、私たちは、最後の7つの災害を、武具をまとって、傷をうけることなく、通過することができるようになるのです。
それは、私たちが、最後の試練の時を通過するための防具となってくれるのです。
そして、後の雨が注がれたとき、驚くべき力をもって、大いなる叫びを発することができるようになります(黙示録18章)。
これが後の雨の経験です。