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ひまわりさんの日々の信仰日記と再臨信仰のエッセンスについてご紹介しています

後の雨に備えて デビット・カン講演15

2012年08月09日 | 日記




   ひまわりさんより(8月9日)

今日は、少し早めに仕事場に着いたので、ぼんやりと考え事をしていたら、急に昨日のことが思い出され、
「人が住んでいるのに、その家を買おうとするなんて、ひどい人たちだなー」という思いが起きてきて、
いやな感情がむくむくと起きてきました。それで、すぐにこの感情を消さなければと思って、
考えを変えようとしましたが、なかなか悪い感情が消えませんでした。
そこで、どうしてこんな感情が起きたのだろうと考えてみました。そうすると、
相手のひどさを許せない心があることに気づきました。結局人間は、自己愛の霊に支配されていて
、人のために自分を犠牲にすることなどしないものだから、自分も同じなのだと思いました。
問題は、人を許せないという気持ちで、これが人の心を蝕むのです。「真理は人を自由にする」、
とイエス様は教えられましたが、本当にそうだなと思いました。真理はどんな人も自分を義とさせないのです。
自分が一番ひどい、自分に比べれば人はもっといいところがある、そう考えると、
どんなことをされても許せるようになるのだと思いました。
そのことに気づいたとき、わだかまりが消えていきました。


    後の雨の目的(デビット・カン講演15)

では終末において、後の雨の目的とは何でしょう。
神の民は、しばらくの間、日曜休業令の試験を受けることになります。
激しく試みられます。そして、どのような犠牲を払ってでも、神様を愛するか否かがテストされます。
そのとき、私たちの真の動機が明るみに出されます。なぜ神様に従っているのかということ、それが明らかにされます。
そして、私たちがテストを受けたとき、印を押されます。生ける神の印を受けます。
それから後の雨が降り注がれます。私たちが印されたとき、もはや動かされることはなくなるわけですね。
それによって、私たちは、最後の7つの災害を、武具をまとって、傷をうけることなく、通過することができるようになるのです。
それは、私たちが、最後の試練の時を通過するための防具となってくれるのです。
そして、後の雨が注がれたとき、驚くべき力をもって、大いなる叫びを発することができるようになります(黙示録18章)。
これが後の雨の経験です。