ひまわりさんより(8月14日)
今日も日課の言葉をご紹介します。「誤謬の中にいる人々が矛盾していることは、真理に語らせなさい。
人が心に抱いてきた誤謬より、真理の優れた点をすぐに認めるだろうと期待することはできない。
誤謬の欺瞞をあらわにする最善の方法は、真理の証拠を提示することである。
これは誤謬に対して与えることのできる最高の譴責である。
義の太陽の明るい光線を反射することによって、思いにかかった闇を消散させなさい」。
私の家系はどうしても人を教えたがる性質が強くて、「あなたのそれは間違っている、
こうしなければだめだ」などと、差し出がましく言ってしまう傾向があるのです。そうではなくて、
「こうすることが大切ですよ」と肯定的に真理を提示することが必要なのだということを教えられました。
悪人の復活(デビット・カン講演20)
1844年に、天の至聖所で調査審判が始まりました。まず、すでに死んだ人たちの審判が始まりました。
彼らの運命はもう決まっています。彼らが救われるか、滅びるかはもう決まっているんです。
彼らが死んで、なぜ1844年から、記録の書の調査が開始されたのでしょうか。
過去の人たちが死んで、長い時間がたってから、1844年にこの書が開かれたのは、
神様の裁きについて、天使たちが知るためです。
第2の復活において、なぜ神様は、悪人たちをもう一度甦らされるのでしょうか。
もうすでに、死んでいますよ。なぜ、あえて甦らせるのでしょうか。そしてまた、火によって焼きつくされて死ぬわけですよね。
残酷ではないでしょうか。死んでいなくなっているのに、なぜ悪人たちを再び甦らされなければならないのでしょうか。
それは、全宇宙に質問を投げかけるためです。千年期ののちに、神様は悪人たちを甦らされます。
新エルサレムがあって、その中に義人たちがいます。悪人たちはエルサレムの外にいます。
そのとき、その同じ場所に、地上歴史始まって以来生存したすべての人が、義人であれ、悪人であれ、その場にいることになります。
私たちの家族の幾人かや、教会の幾人かは、外にいることでしょう。
そして彼らを、外に見ることができます。それはひどい、悲しいことですね。