ひまわりさんより(8月20日)
8月16日に書いたように、私は今、新しい働きをしようとしていますが、それは私にとっては、
いわば、アマゾン伝道に出かけるようなものでした。
でも、そう思った時、心のわずらいは消えていきました。
ところがそれは、理由を見つけて、自分を納得させようとしていることで、まだ、全く自己をむなしくして、
「何になってもいいし、ならなくてもいい、という、アブラハムのような信仰の姿勢とは違いました。
そのために、何かあると心が消極的になってしまいます。
アブラハムが、行先も、理由もわからないまま、ただ神様が「行け」と言われたので、
その言葉に従って旅立っていったような信仰とはずいぶん違っています。神様に従うとは、理由があるからとか
、意味があるから、ではなく、神様が行けと言われたら、自分を捨てて、すぐに従うことだということを学びました。
聖霊の力(デビット・カン講演26)
『聖書』と『証の書』は、単純にこのように言っています。
父なる神は、み子と、聖霊の神を無限に与えて下さいます。
イエス様は、聖霊のバプテスマを受けられました。私たちは、そのように聖霊を受ける必要があります。
聖霊のバプテスマを受けるならば、聖霊の力を備える者となっていくわけです。
バビロンの諸教会に、癒しの力を持った人がいて、奇跡的に目の見えない人を癒したりしているのを見たことありますか。
あれ、偽物ですよ。あれは、悪霊によるものです。
しかし、私たちが後の雨を受けたときに、福音を宣布する力を帯びるようになります。
人々を説得する力を帯びるようになります。
昔、エルサレムの門でペテロが立った時、彼の言葉は、その発する言葉は、率直で力がありました。
1日に3000人が改心しました。これが聖霊の力です。彼らは、死人を甦らせることもしました。
兄弟姉妹の皆様、私たちも死人を甦らせるようになります。
どうしてですか? 私たちの説いていることが、天から来た真理であるという事を人々に知らせるためです。
奇跡というのは、神の力の証拠です。