ひまわりさんより(デビット・カン講演22)
ここ数日、気が重かったのは、新しいことを始めなければならなかったからです。
それは、昨日も書きましたように、現在の生活をかなり縮小し、
今まで築いてきた立場や役割を捨てなければならないものでした。
それで何となく気が進まなかったのです。
でも、昨日の夜、夫が、「これからやることは、新しい伝道地に行くようなことだよ」と言ってくれた時、
ハッとしました。
実は、私が小さい時、家に、南米に宣教師として出かけた人たちが、
全員そこの人たちによって殺されてしまったという本がありました。
その本の中にあった写真は、衝撃的なものでした。
それは、一人の宣教師が殺されて川の中に浮かんでおり、その体には長い槍が突き刺さっているというものでした。
私は、小さいながらも、伝道するって大変なことだな、自分はとてもこんなことはできない、
でもしなければならないのだろうか、とすごく不安になったことを覚えています。
未開の地へ伝道に行くためには、現在の便利な生活や文化を捨てなければなりません。
命さえも捧げる決意がなければできないものです。
私のこれからの計画など、それに比べたら、取るに足りないものでした。
私は、南米やアフリカへいくのではありません。ほんの少しの不便さを受け入れればいいのでした。
そう考えたら、気持ちがすっきりして、わだかまりが消え、疲れが飛んで行ってしまいました。
反逆者の滅亡(デビット・カン講演22)
そういった光景を目撃するのは、非常に困難なものです。
そのとき、全宇宙に対して、私たちに対して、イエス様が質問されます。
「この人たちをどうしましょうか。彼らをどうしてほしいですか」と。義人たちは言うでしょう。
「愛の神様、彼らを死なせてください。あの状態で、彼らが永遠に生きるとすれば、それこそ地獄です。
彼らに憐れみを注いでください。彼らを滅ぼしてください。彼らの反逆を、これ以上見るに耐えません」。
それで、神様は命じられて、天から火を降らせられるわけです。
その火の炎は、彼らを焼きつくします。
彼らが焼きつくされるとき、イエス様は泣かれます。
サタンは、かつては、聖なる天使ルシファーでした。悪天使たちも、かつては聖天使でした。
そういった、サタン、悪天使、私たちの親戚や、教会員だった人たちをそこに見ることになるでしょう。
そのとき私たちも、イエス様と一緒に、彼らのために泣きます。