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ひまわりさんの日々の信仰日記と再臨信仰のエッセンスについてご紹介しています

後の雨に備えて デビット・カン講演16

2012年08月10日 | 日記



ひまわりさんより(8月10日)

今日は、夫が今朝見たという夢の話をご紹介します。
朝夫が起きて来たら、「すごく怖い夢を見た」と言って話してくれました。
その夢というのは、何かの集会で夫が話をしていて、「私たちは、聖書と証の書に基づいて生きていかなければならないのです」と言ったら、
知り合いの奥さんの顔がみるみるものすごい悪魔の形相に変わり、殺してやりたいというような顔つきになったのだそうです。
そして、その人のご主人は、近くにあった出刃包丁を手にして、夫を殺そうとしたのです。
夫はこの夢を見た時、聖書にある、ステパノの殉教の場面を思い出したそうです。
真理が聖霊の力を伴って語られると、悪魔が騒ぎ出すのです。ステパノが聖霊に満たされて語っていると、
人々は、もうこれ以上聞いておれないと言って、耳をふさぎ、真理を封じ込めようといて、ステパノを殺害したのです。
私たちはサタンが恐れる真理、サタンが聞きたくない真理、サタンが怒り出す真理を、本当は語り、聞かなければならないのだと思いました。
そして、そのようなメッセージが、カン先生のメッセージなのだと思います。

 罪の除去の経験(デビット・カン講演16)

このように、罪の勝利の経験、品性完成の経験は、前の雨のもとで経験されなければなりません。
使徒行伝3章19節、20節に、「だから、自分の罪をぬぐい去っていただくために、悔い改めて本心に立ちかえりなさい。
それは、主のみ前から慰めのときがきて、あなたがたのためにあらかじめ定めてあったキリストなるイエスを、
神がつかわして下さるためである」とあります。
「悔い改めなさい」という言葉がありますが、これは回心の経験ですね。「本心に立ちかえりなさい」、これは聖化のことです。
「罪をぬぐい去っていただく」、これは、罪の除去の経験です。
旧約聖書にある聖所の働きは、キリストの贖いの働きを予表していたものでした。
それは,外庭における罪のゆるし、聖所の第一の部屋における聖化、そして、至聖所における罪の除去の経験です。
至聖所の経験において、私たちの罪の記録が、「天の記録の書」から消去される必要があります。
私たちが、罪のこの世にあって、まだ罪を犯し続けている間は、この記録の書から、私たちの罪の記録を消去することはできません。
どうしてでしょうか。私たちが、罪を犯し続けるとき、天使たちは、たえず罪の記録を取らなくてはなりません。
天使たちは、人が罪を犯すと、罪の記録を書きしるし、そして罪を告白して悔い改めるとき、そこにゆるしを書き入れます。
書いてはゆるし、また書いてはゆるし、絶えずそれを行っているとすれば、
神様は、私たちの罪の記録を最終的にいつ消せばよいのでしょうか。