ひまわりさんより(8月4日)
今日はある教会の礼拝に参加しました。とても霊的な韓国の先生ということでしたので、
お話を伺ってみたいと思いました。
今日の礼拝のテーマは、マグダラのマリヤを受け入れてくださる神様の聖なる愛についてでしたが、
以前私は、マグダラのマリヤの話を聞くと、ああ私たちは、このような人にも偏見の心を捨てて、
伝道していかなければならないんだなあと思っていたのでした。
今は、マグダラのマリヤの罪の姿は、自分自身の姿だなあと思い、
このような自分を救って下さった神様に感謝している自分の姿に気づき、また感謝を捧げることができました。
神から生まれたものは罪を犯さない(デビット・カン講演10)
聖書に書かれているように、神の種が私たちのうちにとどまるならば、神から生れた者となるならば、
罪を犯すことができなくなる、という事です。
そのように書いてありますね。神の言葉は、力なのです。
見かけは、小説とか、科学書などと同じです。紙に字が書いてあります。同じ本です。
しかし、違っているんです。もし、信じて受け入れるならば、神の生きた力となります。
神の約束を信じるならば、それを食べて咀嚼するならば、それが、皆さんの生活の中の生きた力となります。
それが、神の言葉なのです。