(大多喜町生け花クラブ作品)
福音の力を体験せよ 25
2 あなたの家庭を愛とゆるしの天国にするには?
私たちは家で暮らすとき、どうすれば勝利できるかを知るべきです。さらに、どうすれば神の愛を生活に生かすことができるかを知るべきです。ここでは、この問題について重点的に話したいと思います。なぜなら、まさに、これがラオデキヤの教会に送る便りだからです。
“わたしはあなたのわざを知っている。あなたは冷たくもなく、熱くもない。むしろ、冷たいか熱いかであってほしい。このように、熱くもなく、冷たくもなく、なまぬるいので、あなたを口から吐き出そう。あなたは、自分は富んでいる。豊かになった、なんの不自由もないと言っているが、実は、あなた自身がみじめな者、あわれむべき者、貧しい者、目の見えない者、裸な者であることに気がついていない。”(黙示録3:15-17)
ラオデキヤ教会の人たちは、彼らの心にイエス・キリストが内在していると思っています。彼らは、教会内の善良な人たちです。にもかかわらず、彼らは生ぬるいのです。心の中にキリストがおられると思っていますが、実はイエス様が心の戸の外に立っておられるのを知らないのです。彼らは世から離れ、世の罪悪から離れたかも知れません。そして、彼らは生活を改革して、イエス様が間もなく来られると信じて過ごしています。その上、自分たちは再臨の準備が整っていると錯覚しています。
新生への道 11 祈りの特権 ⑬
どんな望み、喜び、悲しみ、わずらい、恐れもみな神の前に置きましょう。何を持ってきても重すぎたり、神を疲れさせたりすることはありません。頭の髪の毛でさえ数えられる神は、子どもたちの必要に無関心ではありません。「主がいかに慈愛とあわれみとに富んだかたであるかが、わかるはずである」(ヤコブ5:11)とあります。愛に満ちた神は、私たちが悲しみを口にするだけでも心をいためられます。心をわずらわせるようなことは、何でも神に告げましょう。神は諸世界を支え、全宇宙のすべてを支配しておられるのですから、神にとって大き過ぎて支えきれないというものはありません。私たちの平和に関わることならどんなことでも、小さ過ぎてお気づきにならないということはないのです。私たちのどんなに暗い経験も、暗過ぎてお読みになれないということはありません。また、どんな難問題でも、神には解釈できないということはありません。神のごく小さい者にふりかかる災いも、心を悩ます不安も、喜びの声も、くちびるからほとばしる真剣な祈りも、天の父はことごとく注意し、深い関心を払っておられるのです。「主は心の打ち砕かれた者をいやし、その傷を包まれる」(詩篇147:3)。神と人々の魂との関係は、あたかも神が、ただその一人のために愛するみ子を与えられたように、はっきりとした完全なものです。