福音の力を体験せよ ⑮ (庭のサフラン)
皆さん、ニコデモを思い出して下さい。「パリサイ人のひとりで、その名をニコデモというユダヤ人の指導者があった。この人が夜イエスのもとにきて言った、『先生、わたしたちはあなたが神からこられた教師であることを知っています。神がご一緒でないなら、あなたがなさっておられるようなしるしは、だれにもできはしません』。」(ヨハネ3:1、2)。
“このあいさつをみとめないで、イエスは、相手の心の奥底を読んでおられるかのように、語り手にじっと目をそそがれた。”(DA168)
それから厳粛に、しかし優しく言われました。「よくよくあなたに言っておく。だれでも新しく生まれなければ神の国を見ることはできない」(ヨハネ3:3)と。
ニコデモは、ひじょうに厳格なパリサイ人でした。そして、彼は多くの善を行っていました。それで彼は、神様から好意を得ていると、確信していました。ところが、自分の現在の姿では、とうてい見ることができないほど、天国は純潔で清いものであることを示され、驚いたのでした。
新生への道 11 祈りの特権 ③
私たちの天の父は、あふれるばかりの祝福を私たちに与えたいと待っておられます。限りない愛の泉から、命の水を豊かに飲むことは私たちの特権です。それなのに私たちがほんの少ししか祈らないのは、なんと不思議なことでしょう。神は、その子らのどんなにみじめな者であっても、心からの祈りには喜んで耳を傾けようとしておられます。それなのに、私たちの方で、私たちの願いをなかなか神にお知らせしようとしないのです。神は、限りない愛をもって人類をみ心にかけ、いつでも私たちが求めたり、思ったりする以上に与えようとしておられるのに、誘惑に負けやすい、哀れな力のない人間が、ほんの少ししか祈らず、小さな信仰しか表さない様子を見て、天使たちはいったいどう思うことでしょう。天使は神のみ前にひざまずき、神のそば近くにいることを喜び、神と交わることを最高の喜びとしています。それなのに、神のほか与えることのできない助けを最も必要としている地上の子らが、聖霊の光を受けることも、神との生きた交わりもなく、満足して日を送っているように思われるのです。