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ひまわりさんの日々の信仰日記と再臨信仰のエッセンスについてご紹介しています

14万4千人  第22回

2014年07月26日 | 日記

  

    14万4千人  第22回

   死からの生還

最後に個人的な経験をお話ししたいと思います。昨年の1月1日に、私は心臓の大手術を受けました。これは本当に興味深い経験でした。それ以前に、私は心臓の問題が起きたことは一度もありませんでした。私の家系にも、心臓疾患を抱えている人はいませんでした。しかしある日、サタンの攻撃を受けました。特定の人たちを通じて・・・。苦い敵でした。私たちのこのミニストリ-、伝道の働き、そして私を破壊しようと彼らは試みたのです。

しかし、皆さんご存知だと思うんですけど、これまで中国、韓国、アメリカにおいて、私たちのミニストリーの働きを通して、神様は素晴らしいみ業を行って下さいました。神様がどれだけのことをして下さったかというのは、本当にもう想像に絶するものがあります。

そのサタンの攻撃を受けたその日、私は深―い、暗―いトンネルに投げ込まれたような感覚でした。その日、私の魂は大いなる闇に囲まれた感じでした。息が出来ませんでした。口から出た唾に血が混じっていました。血液がありました。そして息がどんどん苦しくなって行って、苦しい発作に襲われたのです。最初は、これは肺炎か何かかな、と思いました。私は健康保険に入っていなかったので、最初、病院には行かないと言っていました。信仰によって生きていましたから、家内に病院には行きたくないと言いました。病院に行ったら逆に殺されるかもしれないから・・・。

 

 主の日は盗人のように 第19回 

  日曜休業令の時では遅すぎる! 

皆さんは、国家的な日曜休業令について聞いたことがありますか?このような知識を、皆さん持っていますか。最近の教会では、こういったことをあまり教えないのですね。日曜休業令とは、法王を拝むために、日曜日には必ず教会に行って礼拝すべきだということを、法令で定めることですね。今はそういった法令が出ることを、想像できないかもしれませんが、その法令が出た時は、皆さん目が覚めるでしょう。その声でびっくりして目を覚まします。皆さん全員目を覚ましました。日曜休業令では、獣の刻印を受けなければ、私たちはみんな、法に従わないという理由で捕らえられてしまう状況になり、そのことによってみんな目を覚ましますが、しかし油がありません。聖霊の働きがありません。そこで人々は、当惑して油を買いに行きます。それは聖霊の働きを買いに行くことです。どこに行くのでしょう?

最近、洪水のように押し寄せてくる、奇跡や異言や、いろいろな目に見える印があります。「見て、この人幻を見ている。これこそが聖霊の働きだよ。イエス様が語ることを聞いたんだって」。しかし、すでに戸は閉められています。「ご主人様、ご主人様、私を知りませんか?」。「はっきり言うが、わたしはあなたがたを知らない」。この話こそ、盗人のように人の子が来ると言う意味です。

 


14万4千人  第21回

2014年07月25日 | 日記

  

  14万4千人  第21回

信仰なしに神様を喜ばせることはできない、と聖書にありますね。では、信仰とは何でしょう。聖書には二つのことが教えられています。とても単純なことです、第1には、神様は実在なさる方であると言うことを信じなくてはいけません。単純なことではないですか?神様が実在するお方であると言うことを心の底から信じるなら、私たちの生き方は変わってきますよ。神様のご臨在、神様の実在を心の底から信じるならば、今までとは違った生き方をするはずです。心底信じるならば・・・。

では、信仰の第2の要素は何でしょう。神様は、信じる者にかならず報いて下さることを信じることです。私たちの生き方、生涯に従って神様は報いをお与えになります。この単純な信仰を持っているなら、皆さんの生き方は完全に異なってくるでしょう。しかしながら、多くのクリスチャンがいろんなゴミを頭の中に持っているために、単純な信仰が持てなくなってしまっています。しかし、自分の力でどんなに真理を見出そうと思っても、見出すことはできません。神様の救いが目の前にあるのに、多くの人たちが神様を見出すことが出来ずに、無駄に時間を過ごしています。

    主の日は盗人のように  第18回

イエス様の再臨そのものは、盗人のように来るのではありません。マタイ25章を見ると、夜中に音がします。声がします。それは何でしたか。「花婿だ、迎えに出なさい!」。居眠りをしていたおとめたちは、全員目を覚まします。最後の準備をしようとしますが、見てみると油がありません。油を買いに行く間に、恵みの戸が閉められてしまいました。これは、この時代を生きている私たちに向けられたたとえです。

「花婿だ!」というこの叫びは、この時代に対して向けられたものです。居眠りをしている人々が、みんな目を覚ます「花婿だ!」という叫びは、実際にはどんなことにあらわれるのでしょうか?それは全世界的な日曜休業令ですね。


14万4千人 第20回

2014年07月24日 | 日記

  

  14万4千人 第20回

私たちは教える者、教師ではなくて、私たちは聞く者、学ぶ者であるべきです。神様は、私だけがあなたを救うことが出来るとおっしゃいました。そしてその書かれている通りにみ言葉を受け止めて神様のみ名を讃える者となりましょう。

皆さん、真理は自分で見つけようと思っても、何千年かかっても自分の力では見つけることが出来ません。自分の力で真理を見出すことは出来ないんです。聖書の啓示を通してのみ、私たちは神様を見出すことが出来るようになるのです。宇宙を見ると、神様のご臨在を、存在を証拠立てるものがいくつもあります。いくらでもあります。

  主の日は盗人のように  第17回 

ある人にとって、その恵みの期間が、突然の交通事故で終わるかもしれません。死によって恵みの戸が閉められてしまう人もいます。ところが、死んでもいないのに、恵みの時が閉ざされてしまう人がいます。いくら聖霊が皆さんに訴えても、聖霊の感化が皆さんを変化させることが出来なくなってしまう時が来るのです。もうこれ以上、悔い改める心が起きなくなり、罪を犯しているにもかかわらず、罪悪感を持たなくなる時、良心に焼印が押されてしまって、もう罪意識を感じなくなってしまいます。これはとても深刻な話です。この個人の恵みの戸が閉ざされるのが、いつになるか分かりません。だからこそ、盗人のように来るから備えなさい、と言われているのです。

 


14万4千人  第19回

2014年07月23日 | 日記

   

  14万4千人  第19回

神様の単純な言葉を聞いた時、神様が私たちに本当に何を言おうとしておられるかということを、どのように私たちは受け取るのでしょうか。神様は愛の方、創造主であられる、そういった単純なことを、いろんな神学用語で説明しようとして、かえって分かりにくくしています。

私たちが太陽を見る時に、どのように描写するでしょうか、多くの人は太陽があのような状態になるのに、何億年、何十億年もかかって進化してあのようになったと説明します。私たちは、間違った教育法で歪められてしまっています。

神様の単純な声を聞く時に、このように感じる人がいました。「神様が天と地を作られて私をお創りになったのだ、だから私には命がある。彼は私の神様だ、私は常に神様のみ前にいる者である。神様なくしては、私は無に等しい、私の持っている全ては神様から頂いたものである。だから私は神様の契約に従おう、それが永遠の命の唯一の条件である」。単純な信仰で単純な受け止め方をするのです。

    主の日は盗人のように 第16回

マタイ25章10節から12節を読みます。「彼らが買いに出ているうちに、花婿がついた。そこで、用意のできていた女たちは、花婿と一緒に婚宴の部屋に入り、そして戸がしめられた。そのあとでほかのおとめたちも来て『ご主人様、ご主人様どうぞ開けてください』と言った。しかし彼は答えて、『はっきり言うが、私はあなたがたを知らない』と言った」。

皆さん、油は今こそ用意するべきです。聖霊の恵みによって生まれ変わり、本当に私たちが新たに備えられることは、今しかできないことです。戸が閉められて、「はっきり言うが、あなた方を知らない」と言う声を聞いてからでは、遅いのです。

盗人のように来るとは何を指していますか。人の子が盗賊のように来られるという意味は、イエス様の再臨ではなくて、イエス様が再臨なさる前に、各個人、または国、教会の恵みの期間が終わることを示しています。その人は、もう恵みの戸が閉められて、救い、福音の働きが心に届かなくなってしまうのです。その人に対して、恵みの期間が閉ざされたということは、救いの働きが終了して、運命が決められてしまったことですね。


14万4千人 第 18回

2014年07月22日 | 日記

   

 14万4千人 第 18回

信仰とは?

多くの人は聖書を読んでも、今までの先入観を捨てきれずに色眼鏡で読んでしまいます。彼らは、幼子のような心で聖書を読むことが出来なくなっています。様々な神学の教え、歪められた先入観、そのようなもので汚染されているのですね。聖書の単純な聖句を読んでも、そこから神様を人間的に分析して、色んな理由付けをしようとします。私たちは神様の声をどのように聞くかということを学ばなくてはいけません。

聖書にこのように書かれていますね。「はじめに神は天と地とを創造された」と。聖書に「私は神である、私のほかに神はない」とあります。「私は昨日も今日もいつまでも変わることはない」と言われます。「あなたを生かしているのは私である」と神様は言われます。日々、「私はあなたを愛している」と神様は言われます。こういった単純な神様の言葉を読む時に、その神様の言葉を素直に受け入れる必要があります。私たちは色んな神学者、教育者、牧師の手で、余計な教育を受けてしまって、いろんなゴミがまだ私たちの頭の中に残っているのです。その結果、多くの人たちがイエス様に対して単純な信仰を失った状態にあります。

  主の日は盗人のように  第15回

しかし、思いもかけない時、盗人のように来られる、だから皆さん目を覚まして備えていなさい、と勧められています。それでは、盗人のように来るとは何を指して言っているのでしょうか。マタイ24章では、思いもかけない時に来られるとありましたが、25章の十人のおとめの箇所を読んでみると、その意味が分かります。マタイ25章の1節から7節ですけれども、皆さんはこのたとえをよく知っていますよね。「さあ、花婿だ、迎えに出よう」と言って迎えますね。しかし思慮の浅い者たちは何を持っていませんでしたか?彼女たちは、油を持っていませんでした。思慮の浅い者たちは、油を分けて下さいと願ったのですが、その油は、分けてあげられるものではありませんでした。その油は何を指していますか?これは聖霊を象徴していました。聖書の中で、み業を起こしてくださるみ霊です。この聖霊がみ言葉をもって私たちの心に燃え上がるならば、私たちの行いにどのように現れますか?何よりも、私たちの品性の変化をもたらします。この聖霊の働きは人に貸すことはできないのです。これをどうやって人に貸すことが出来るでしょう。これは個人の経験です。夫が妻に、また親が子供たちに分けることができないものです。他人に分けてあげることのできない、本当に個人的な経験です。主が私に臨まれ、私を悟らせ、導いて、すべてのことを主が成し遂げて下さる、その私個人に与えて下さった主の働きを、どのように他人に分けてあげることができるでしょうか。