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ひまわりさんの日々の信仰日記と再臨信仰のエッセンスについてご紹介しています

赦し忘れてくださる神様 ソン・ケムン 第15回

2018年01月16日 | 日記

天国には、地球上に住んでいたすべての人の身上調査書があります。市役所に行っても皆さんの記録がありますね。天の身上書を他の言葉で何と言いますか? 記録の書ですね。私の身上書の最初のページにはこう記録されているでしょう。「ソン・ケムン。誕生00年2月25日(2月25日は記憶しなくてもいいです)。髪の毛112,130個、体重…。身長…"二番目のページには十戒が記録されているでしょう。その次のページからは、私が十戒を犯すたびに記録されるところがあります。「ソン・ケムンは第1の戒めを13,250回犯し、第2の戒めを3,980回犯し、第3戒は…、第4戒名は…ゆえにソン・ケムンは永遠の滅亡に処せられなければならない」。これはどれだけ正しい審判でしょうか!

 

罪の支払う報酬は死です。ところで私は神様と共に死んだので、神様は私の記録の書を取り出し、大きなハンコに自分の血をたっぷりつけた後、各ページごとに「赦された」としっかりハンコを押されるのです。そしてそれを外に持って行かれます。なぜなら神様はそんなゴミを天国に一刻も置いておくことを望まれないからです。それでその後、誰もそれを見ることができなくなりました。もし、ある人がソン・ケムンの記録を見たいなら、イエス様の十字架を越えなければなりません。

誰かが身上書保管所に来て「ソン・ケムンの身上書をください」と言ったとすれば、「もうない」と言ってくださるのです。「あの人に不利な記録は一つもないのだ」と手ぶらで帰るのです。

しかし、問題があります。

イエス様が私の調査書をなくして捨てる前に、サタンは私たちを騙すため、それらを一つ残らずコピーしておきました。もちろんそれはコピーであるため、法的拘束力はありません。しかし、サタンは私たちを騙すため、それを使って責めます。そんな時に落胆しないでください。「驚くべき神様の大きな恵みだ。私たちの罪を贖うため、カルバリの十字架で小羊が血を流された。主の恵みによって私たちの罪は洗われた。主の恵みが私たちの罪を洗った」。


赦し忘れてくださる神様 ソン・ケムン 第14回 

2018年01月15日 | 日記

子供は本当に午後のことを忘れてしまったのでしょうか。そうではありませんね。父親に対する愛のために、そのことを忘れる決心をしたのです。私はその日、子供の姿を通して多くのことを悟りました。

神様は全能の方です。天地創造の時からから現在まで、アダムの時から人類最後の人間まで、彼らの人生のすべてを細かい部分まで憶えて全部見ておられる神様です。そのような神様が何かを忘れてしまうことが可能でしょうか? はい、私は可能だと思います。可能です! 神様は全能の方ですから、忘れることに決心したらその方の記憶から消されるのです。それをずっと残しているとしたらそれは偽善です。神様が罪人を赦されるとき、その罪人の罪を赦すと共に忘れてくださるのです。赦してくださった後も、「あなた、この前こんなことしたよね」と言われるような神様ではありません。私たちが誰かを赦すとき、その人がどんな過ちをしたのか全く覚えていないなら、私たちの赦しはどれだけ簡単で、赦されるその人はどれほど平安になるでしょうか!

神様は私たちを赦した後、全くその罪を犯していなかったように思ってくださるのです。ただいやしてくださるだけでなく「ケムン、君が何の罪を犯したのか? 私はまったく思い出さない」。そのように言ってくださる方が神様です。イザヤ44:22を再び見ます。

「 わたしはあなたのとがを雲のように吹き払い、あなたの罪を霧のように消した。わたしに立ち返れ、わたしはあなたをあがなったから。 天よ、歌え、主がこの事をなされたから。地の深き所よ、呼ばわれ。もろもろの山よ、林およびその中のもろもろの木よ、声を放って歌え。主はヤコブをあがない、イスラエルのうちに栄光をあらわされたから」(イザヤ44:22、23)。

これはどれほど嬉しい賛美歌でしょうか! 神様がこのことを行なわれたから天よ、歌え、地よ、もろもろの山よ、林およびその中のもろもろの木よ、声を放って歌え。なぜですか? どういうことが起きましたか? 何を行われたので天、地、山、木々が歌いますか? 私たちのとがを雲のように吹き払い、あなたの罪を霧のように消されたのです! だから、その喜びを天、地、山、木が歌うのです。


赦し忘れてくださる神様 ソン・ケムン 第13回 

2018年01月14日 | 日記

何年か前のことですが、私たちの事務所屋上の防水工事を自分たちでしました。ちょうど職員があまりいなかった時です。その日、雨漏りがしたので防水工事をする2人が、朝から必要な材料を買ってきて作業を開始しました。午前が過ぎて午後になり、だんだん暗くなろうとするのに、まだ終わりません。それで心があせってきました。私の子供のイヒョンが手伝おうとしてペンキの刷毛を取ってあちこち塗っていました。その日のうちに作業を終えたくて気が焦っているときに、小さい子供が手伝おうとしてウロウロしているので、皆さんもこの気持ち分かるのでしょう、だんだんイライラする気持ちが強くなってきました。早く終わらせたくて焦っていました。その時、防水ペンキを完全に塗ったところを子供がグシャッと踏んでしまったのです。その瞬間にこう言ってしまいました。「踏んだらどうなるか知っているだろう? やめてあっちへ行きなさい!」。感情的な言葉を出してしまって、自分の心が苦しくなりました。「ああ神様、私が倒れてしまいました」。

その時から体が疲れていることよりも、子供に申し訳ない気持ちでどうしようもなくなりました。子供は屋上の端っこの方に行ってしまいました。それで私が子供に、「イヒョン、お父さんを手伝ってくれますか?」と言ってみましたが、すでに機会は去ってしまっていました。心に傷を受けた子供は気落ちしたまま「いいえ、やめます」と言って、屋上の片隅で一人で遊んでいました。洗濯紐をくるくる回したりして・・・。それから、静かに下へ降りていきました。

どれほどすまない気持ちになったか知れません! 夜寝床に入るまで心がとても痛みました。それで、寝ようとして横になっている子供の隣に一緒に横になって「イヒョン、お父さんは今日間違ったことをしたので赦して下さい」と話しました。すると、子どもは私の両頬をなでながら、まるで赤ちゃんのような声で「ううん、そんなことないよ。お父さん今日ご苦労様でした。顔が小さくなったみたいです。大変でしたよね」。

 

子供が9歳の時でした。普段はきちんと発音しますが、あらゆる愛情と心を込めて父に声をかけてくれたのです。「お父さんは、イエス様です。お母さんは天使、力の強い天使」。子供が力強い天使というのは理由があります。


赦し忘れてくださる神様 ソン・ケムン 第12回 

2018年01月13日 | 日記

はい、もちろん私たちは、バプテスマのヨハネのメッセージを伝える人たちです。罪を罪と断言しなければならない者たちです。しかし、そうするすべての目的は何ですか? 人びとを責め絶望させするためですか? そうではなく罪人を神様と和解させるためです。

私たちの心をサタンが支配することを許さないでください。皆さんはすごく立派なクリスチャンです。私たちは他の人をよく赦します。どんなに人が傷をつけたり、損害を与えてもその人も赦すのです。ところがいざ自分のことになるととてもケチ臭いです。自分はイエス様を何度も失望させ、こんな私の罪の重荷を代わりに負ってくださいと何十回もイエス様に差しだしたのに、再び奪って自分が背負っているのです。あげては奪って、あげては奪って・・・そんなことを繰り返しているなら、どんな結論に達することになりますか? 「私はどうしてもだめだ。私がこんなに何度も神様の心をいためるなんて・・・。神様私は資格がない人です。こんな私を生かしておかれるより、むしろ私をこのまま殺してください」。このような嘆願をするようになるでしょう。イエス様は殺人者でしょうか? そんなに殺してほしいという人を全部殺したら、連続殺人犯になってしまいます。皆さん、そんなことしないで頭を上げて、自分と自分の罪に目をむけないで、高く上げられたた救い主を見てください!毒ヘビにかまれたところを見ないで、世の罪を取り除く神の小羊を見てください!


赦し忘れてくださる神様 ソン・ケムン 第11回

2018年01月12日 | 日記

多くのクリスチャンがこの牧師と同じような境遇に置かれています。私たちが兄弟を赦さなければ神様の赦しを経験することはできません。多分私たちはこの兄弟という言葉を自分にではなく他の人のことだと考えるでしょう。しかし、もし皆さんが、信仰の兄弟姉妹を赦さなければならないのなら、自分にもそれを適用しなければならないのではないでしょうか。

神様は敵を愛しなさいと言われました。皆さんにとって一番難しい敵は、自分自身であるかもしれません。敵が自分自身であるなら、その敵も赦し、愛さなければならない存在ではありませんか? 自分を赦す必要があります。自分自身に対する怒りや恨みを持ち続け、自分を赦さないでいることは、私たちが他の人を傷つけることが悪いことであるように、自分自身にも傷を与えるのです。

 私は今、姦淫してもいいという話をしているのではありません。私たちはマグダラのマリヤは赦されても、自分は赦されないと考えていないでしょうか。十字架の強盗は赦されても自分は赦されないと考えたりします。罪悪感に責められないで、神様の赦しをあえて主張しましょう。罪のない方が私と立場を変わってくださいました。イエス様が十字架に持って行ってくださった荷物を、なぜ私たちは自分で背負おうとするのでしょうか。それも捧げてしまいましょう。なぜ重荷を背負ったままでいるのでしょうか? 主に差し出しましょう。イエス様のもとへ行くなら、あの中風患者に言われた言葉を受けることができます。それは何という言葉でしょうか? 「あなたの 罪はゆるされた」。