生命哲学/生物哲学/生活哲学ブログ

《生命/生物、生活》を、システム的かつ体系的に、分析し総合し統合する。射程域:哲学、美術音楽詩、政治経済社会、秘教

生命力 vital force

2019年06月06日 00時11分11秒 | 生気論
A Treatise on White Magic
白魔術に関する論文

p.283[p.131/netPDF]→

2. Vital forces. These are often regarded by the materialists as intangible and therefore not material at all. But the occultist regards the etheric medium as a form or aspect of matter and as relatively tangible as the outer objective form. To him the ether of space, which term necessarily includes the etheric form of all bodies, the

2. 生命力。これらは、触れることのできず、したがってちっとも物質的ではないと、しばしば唯物論者〔物質主義者〕たちはみなす。しかし隠秘学徒はは、エーテル的媒体を一つの形体または様相の質料 matter と、そして外的客観的な形体として相対的に触れることができるものと見做す。隠秘学徒にとっては、空間のエーテル(それはすべての体のエーテル形体を必然的に含む用語である)、アストニラまたは情緒的感覚体、そして心的体は、

p.284→
astral or emotional sentient body and the mental body, constituted of mind-stuff, are all of them material and are the substance of the form side of life. As the basis of correct understanding, it should be noted that the cell life to which we have above referred is coordinated, influenced and vitalised by the blood stream, that intricate system which interpenetrates every part of the body, is responsible for its welfare and demonstrates in a manner not yet truly comprehended the fact that the "blood is the life". The blood is an aspect of energy, as is the sap in the vegetable kingdom.
The sympathetic nervous system, that marvellous apparatus of sensation, is closely related to the emotional or astral body. The contact is made via the solar plexus, just as the vitality, governing the quality of the blood stream, makes its contact via the heart. In the heart is the centre of physical plane

existence. The cerebrospinal system works in close relation to the chitta or mind stuff. Therefore we have the following to consider:
1. Cell life--------------Blood stream----------------------- Heart centre -----------Thymus gland. 2. Sensory life---------Sympathetic nervous system----- Solar plexus centre ---Pancreas.
3. Mental life ----------Cerebro-spinal system ------------ Ajna centre ------------Pituitary body. 4. Vital life-------------Seven centres ---------------------- --------------------------Spleen.
This, as you see, governs the manifestations of the quaternary, but there are other aspects of humanity which manifest through the objective form and which complete the entire man and make the seven of his manifold objective existence.
5. Self-conscious ------upper brain ------------ Head centre ------------------------- Pineal gland.
6. Self-expression -----lower brain ------------ Throat centre ----------------------- Thyroid.
7. Self-perpetuation---sex organs ------------- Sacral centre------------------------Reproductive organs. 8. Self-assertion -------entire man ------------- Centre at base of spine ------------ Adrenals.

【p.285→】
You will notice that eight factors are here enumerated, and it is here that many of the schools go astray. The heading 'vital life' is a comprehensive one, but it must be remembered that it relates entirely to the physical vitalisation of man through the lowest aspect of the centres. This vital life of the universe of matter enters into the human organism through the spleen.

人の死の過程

2016年08月15日 00時41分30秒 | 生気論
2016年8月15日-1
人の死の過程

1. 人の死の過程

 鍵語:濃密物質体、エーテル体、生命の糸、意識の糸、意識の三状態(覚醒、レム(夢見)睡眠、深い睡眠)、

1.1. 人は日々死んでいる:意識の焦点と睡眠

 人は、〈わたしは、わたし(というなんらかの存在者の、なんらかの種類と程度での存在性)を意識している〉という、自己意識を持っている(錯覚であるにしろ、そう思っている、と思っている)。この自己意識の同一性の仮定のもとに、意識の三状態が観測される。すなわち、(物質的な)日常世界に暮らしていると意識している覚醒状態と、急速眼球運動 rapid eye movement が見られて覚醒させると夢を見ていたと言うことの多いレム睡眠(REM sleep、逆説睡眠)状態と、脳が活動していないように見えるノンレム的な深い睡眠状態である。
 脳が活動していないときは、自己意識は「死んでいる」と言いなすことができよう。意識の同一性から言えば、日々の眠りのなかの深い睡眠状態では、「死んでいる」わけで、わたしたちは日々「死んでいる」状態で眠っている状態を繰り返しているのである。
 Alice A. Bailey (1934)の『A Treatise on White Magic 白魔術に関する論文』からの、死と意識との関係を述べた箇所は次の通りである。

  「死は、本質的に意識の問題である。われわれは、或る時には物質界で意識し、後の或る時には別の界へと引き揚げて〔撤退して〕そこで活発に意識している。われわれの意識が形態的側面〔様相〕と同一視される限りは、死はわれわれにその古代からの恐怖を抱かせるであろう。
 人々は、毎夜、睡眠時に、物質界に対して死に、どこか他のところで生きていて機能していることを忘れがちである。彼らは、物質体から離れる才をすでに達成したことを忘れている。なぜなら、物質脳の意識のなかへ、意識を失ったことについてとそのすぐ後の活動的な生活の間隔についての記憶を引き戻すことが未だにできないからであり、死と睡眠を関係づけられないのである。死は結局、生命が物質界で働く〔機能する〕なかでの、より長い休止期間にすぎない。 人は、より長い間『外国に行ってしまった』だけである。しかし、毎日の睡眠の過程と時折り死ぬことの過程は同じであるが、一つ違いがある。睡眠では、エネルギーの磁気的糸または流れ(それに沿って生命力 life forceは流れる)は、もとのままに保護されるのである。死においては、生命の糸は破壊されるか折られる。これが起きると、意識的存在者は濃密物質体に復帰することはできず、その身体 body は凝集原理を欠くので、その後に崩壊する。
 魂の目的と意志は、つまり霊的な存在と行ないの決定は、糸の魂 the thread soul、ストラートマ the sutratma,、生命の流れ the life current を、形態におけるそれの表現手段として用いる。この生命の流れは、身体に到達すると二つの流れまたは二つの糸へと分化し、その身体の二つの位置に『錨を降ろす』(このように表現してもよいだろう)。これは、アートマつまり霊の、その二つの反映である魂と身体への分化の象徴である。人を理性的で思考する存在者とする魂つまり意識様相〔側面〕は、この糸の魂の一様相〔側面〕によって脳のなかの『座席』に『錨が降ろされる』。身体のあらゆる原子を活気づけて凝集または統合の原理を設置する生命の他の様相は、心臓に辿り着き〔道を探り〕、そこに焦点が合わせられる、または『錨が降ろされる』。これら二つの点から、霊的人間は装置〔機構 mechanism〕を制御しようと努める。こうして、物質界で機能することが可能になる。そして客観的存在は一時的な表現様態になる。脳に座った魂は、人を自己意識的で自己を指揮する知的な理性的な存在者とする。彼は、自分の生きる世界を様々な程度に知っているが、その程度は、進化地点と結果として装置〔機構〕の発展に依存する。その機構〔装置〕は三重の表現である。まず、ナーディがあり七つの力中心がある。それからそれの3つの区分における神経系がある。すなわち、脳脊髄〔中枢〕神経系、交感神経系、そして末梢神経系である。それから内分泌系があり、それは他の二つの最も濃密な様相または外在化とみなされよう。」
(Alice A. Bailey 1934. A Treatise on White Magic, pp. 494-495)[零試訳20160814]


1.2. 人の死の過程

  「
〔人の〕死の過程は、オカルト的〔隠秘的〕に次の通りである。
 a. 第一段階は、エーテル的乗り物における生命力の、濃密物質体からの退出〔撤退〕と、その結果としての《腐敗への落ち込み》と、そして《その要素たちへ分散される》ことになることである。客観人は次第に消え去り、もはや肉眼によっては見られない。しかし、自分のエーテル体のなかに留まっている。エーテル視力が発達するとき、死についての考えは、大変異なったものに取られるだろう。人がエーテル的物質体のなかで機能していることを、その種族の大部分によって見ることができるとき、濃密体の落下はたんなる《解放》だと考えられるだろう。
 b. 次の段階は、エーテル体または渦巻きからの生命力の退出と、エーテル体の非活性化である。エーテル的渦巻きは、ステラートマまたは織り糸 thread の一面の延長にすぎず、この織り糸は、蜘蛛が織り糸を紡ぐように、原因体 causal body 内のエゴによって紡がれる。その織り糸は、意のままに短くされたり伸ばされたりできる。そしてプララヤ〔非活動〕の時期が決定されたときには、この光の、または太陽の火の(《太陽の》という言葉に注意しなさい)、織り糸は引っ込められ、原子亜界へと戻って集められる。その亜界では、縫い糸は永久原子を活性化して、原因体内に縫い糸を結びつけられた状態を保つだろう。生命衝撃はそれから、物質界に関する限り、原子球内部に集中される。
 c.


( Alice A. Bailey 1934. A Treatice on White Magic, pp. 735-737.)[零試訳20160814]

人の誕生、または魂の肉体への統御過程(1)

2016年06月21日 23時42分52秒 | 生気論
2016年6月21日-1
人の誕生、または魂の肉体への統御過程(1)
[2016年7月23日、permanetを究極→永続的〔永久〕と変更した。]

 Share Internationalの第13巻10号(1994年12月発行)のp.23に人のDNAについての質問が出て、Benjamin Creme氏が回答している。下記の通りである。

  「問い。或る人物のDNAは、魂の諸性質を運びますか?。
 答え。いいえ。DNAは、最後の〔輪廻の〕前生での個人の身体の振動を運びます。或る人物が死ぬとき、物質的身体は分解 disintegrate しますが、一つの永続的〔永久的〕物質的原子〔物質的永続原子〕 permanent physical atom、一つの究極的アストラル的または情緒的原子、そして一つ永続的心的原子〔メンタル的永久原子〕が残されます。これらの究極原子たちの周りに、これらの3つの永続原子の振動率を、創造される身体の振動率のための鍵〔手がかり〕として、魂は新しい一つの身体を形成します。魂は、魔術的にこの新しい体を形成しますが、なによりも最初に、エーテル物質的水準で形成し、それからその下位の濃密物質的水準へと凝結されます。あなたは、次の転生では、前生で死んだときに到達したちょうどその地点から出発します。それは、究極原子たちによって運ばれ、こんにちDNAと呼ばれるものを形成します。
 神経系は、交感神経と副交感神経がありますが、魂(魂の水準で)と人格〔人の個格〕 human personalityとの間の接触のための鍵〔key 手段〕です。神経系を、神経気体が流れます。それは、今日の科学には知られていませんが、魂のエネルギーと生命原理を運びます。心臓に結びつけられた一つの生命の糸と、脳の中枢に結びつけられた一つの生命の糸があります。これらの二つの「糸」を通して、魂は転生中の個人 person を刺激し、養います。個人が死ぬとき、それは魂が生命の糸を切るからなのです。生命の糸を切る前、意識の糸を切ることがあります。すると、個人は生きている植物人間といった類いのものになります。その場合でも、生命の糸が切られると個人は死にます。」[20160621試訳]
(Creme, Benjamin. 1994/12. Questions and Answers. Share International 13(10): 23. )

 なお、魂は新らしい肉体に徐々にやどり、妊娠4週間目に(かなり?)「把握する」という(クレーム,ベンジャミン.2005/9.シェア・インターナショナル 2005(9): 52頁)。

 人類の個々人の魂は、大昔に個体化した魂となった。人類とは、個体化した魂を束ねる超魂 oversoul である。シャム双生児の場合、肉体は一部融合して共有して、一方のホルモンが他方に血流で分泌されて互いに影響を及ぼしても、その連続的1身体に宿るまたは統御するまたは意識の糸を降ろしている魂は2個である。動物王国では、群魂 group soul として、各種類は存在する。個体性が明瞭な種類に属する各動物個体は、空間的の独立しているゆえの独立した統御を行なっていることになろう。植物や粘菌や群体生物など、個体性の不明瞭に生物は少なくない。
 ところで、おなじくクレーム氏によれば、旧ソ連では人の脳を培養していたとのことである(要文献)。脳として生きていたのならば、なんらかの一つのデーヴァ生命が宿って統御していたことになるのか?。

□ 文献 □
Creme, Benjamin. 1994/12. Questions and Answers. Share International 13(10): 23.
クレーム,ベンジャミン.2005/9.シェア・インターナショナル 2005(9): 52頁.[原文不明。日本版にだけ掲載されたのか?。]


生命とは、何だろうか?、生命原理

2016年06月20日 12時57分48秒 | 生気論
2016年6月20日-1
生命とは、何だろうか?、生命原理

 生命とは、なんだろうか?。
  「生命を捕える〔take→手に取る〕ことはできるであろうか。できないと私は思う。生命はただ_ある_のだ〔Life IS〕。天、もしくは、地にある何ものもそれに触れたり、影響を与えたりはできない。〔略〕霊的な意味において、_生命を捕えることはできない_。〔略〕それは捕えられることも破壊されることもなく、形態から形態へと、経験から経験へと〝通り過ぎ〟、生命を通して神の完全な意志が表現される。」
(アリス・A・ベイリー(土方三羊 訳 、1989/5/10)『トランス・ヒマラヤ密教入門 第一巻』: 44頁。The Rays and the Initiation、p.125、pdfではp.66)。

  「生命を奪うことはできるであろうか。できないと私は思う。生命はただ「ある」〔Life IS〕。天や地にある何ものもそれに触れたり、影響を及ぼしたりはできない。〔略〕 霊的な意味において、生命を奪うことはできない。〔略〕生命〔略〕は動じない〔impregnable 揺るぎない;難攻不落である〕〔略〕奪われることも破壊されることもなく、神の完全な意志が生命を通して表現されるまで、形態から形態へと、経験から経験へと「通り過ぎる」〔"passes on" 〕〔略〕。」
(アリス・ベイリー(AABライブラリー 訳 、2013/6/25)『光線とイニシエーション(上)』: 165、167頁。The Rays and the Initiation、pp.125-126、pdfではp.66)。


 秘教では、すべて存在するものとは、エネルギーであり、エネルギーだけが存在するという、エネルギー一元論である(要文献→)。
  「科学者がエネルギーと呼び、宗教的な人々が神と呼ぶもの、これらは同一のものであり、偉大なる太陽系外のアィデンティティーの目的が物質質料をまとって顕現したものにすぎない。自然はロゴスの肉体の外観であり、自然法則はその身体の自然な過程を統合する法則である。神の生命、神のエネルギーと活力は、顕現しているすべての言のなかに見られる。神のエッセンス〔本質〕はすべての形態に宿っている。これを私たちは霊と呼んでいる。」
(アリス・A・ベイリー(土方三羊 訳 、2002/2/28)『トランス・ヒマラヤ密教入門 第1巻[人間の本質]』)

 おそらく一つなるエネルギー(大宇宙または唯一神とも言い換えられる)が、分化するのであろう。すると問題は、いかにしてそのように様々な種類のエネルギーに(たとえば現行の物理学が把握している電気エネルギーに)分化したのか、その機構の解明である。
 生命とは運動であり、すちわちエネルギーである、というのが、秘教体系での公理または大前提のようである(要文献)。
 『秘密教義』では、巻き込み〔逆進化〕involution と開展〔進化〕evolution の過程として語られている。
 プラーナまたはプラナは、生命原理だという。エーテル体 ethric body または活力体 vital body とは、どのような関係なのだろうか?。

 『Teaching of the Temple』の第一巻の最後の方に用語集 Glossaryがある。そのp.686に、
  「PRANA – The Life Principle. The Breath of Life.」
とある。訳すと、
  「プラーナ〔プラナ〕:生命原理。生命の息。」
である。
 『単語でわかる神智学』(竜王文庫)の65頁には、
  「プラーナ(Prana、梵)
    生命本質、生命の息、すなわちネフェンをいう。」
とある。
 日本語版ウィキペディアでは、プラーナは、
 「プラーナまたはプラナ (サンスクリット語: प्राण (prāṇa, praaNa); 英語: prana) は本来、サンスクリットで呼吸、息吹などを意味する言葉である。日本語では気息と訳されることが多い。
 インド哲学では、同時に人間存在の構成要素の1つである風の元素をも意味している。そして生き物 (すなわち息物) の生命力そのものとされ、やがてその存在はアートマンの根拠にまで高められた。」
(https://ja.wikipedia.org/wiki/プラーナ[受信:2016年6月20日。])
と解説されている(アートマンの「根拠」って、なんだろう?)。
 なるほど、生きものとは息をするもの(息物)、つまり呼吸するものである。呼気と吸気は、梵の昼と夜という、活動の周期性に対応するのだろう。活動とその休止である。
 人体では、脾臓でプラーナを受け取るという。濃密物体の脾臓を摘出しても、エーテル体脾臓は存在し、エネルギー流入や分配の機能には影響が無い(ベンジャミン クレーム 要文献)。


 ヒラリオン大師が伝えた『寺院の教え』の第一課(質料—物質の顕現)と第七課(エーテル的宇宙 Etheric Universe)が関係深いと思う。

 MANIFESTATION OF SUBSTANCE-MATTER
            —
          LESSON 1

 第一課 質料—物質の顕現

  The Instruction I am about to give you is of infinite importance, and I shall endeavor to render it as simple as possible, in the hope that it will be understood by those students whose opportunities for the acquisition of knowledge have been limited. Upon a complete understanding of this subject depends the full comprehension of many previous Instructions, as well as others that will follow.
 〔訳出は略〕
             ———

  The visible Universe as a whole, as well as each constituent or organic part of the same, whether it be sun, planet, man, or molecule, is primarily brought into manifestation on the physical plane, as Substance or Matter, from the inner or Spiritual plane of Life, by the energizing, through will (Fohatic) power, of the potential forces contained or confined in certain colors manifesting through a great age or Kalpa in the sphere of Mind.
 各構成要素または有機的部分(太陽、惑星、人、または分子のいずれであろうと)はもちろん、一全体としての視ることのできる宇宙も、大生命の内的または霊的な界から、心〔精神〕の領域における一つの広大な時代またはカルパの間に顕現している一定の諸色に含まれたまたは限られた潜在的諸力が、質料または物質として、意志的(フォーハット的)力によって、顕現したものである。

These colors are of a much higher order than their reflections, the colors of the physical plane.
これらの色たちは、それらの反映物である、物質界の色たちよりも、はるかに高い位階のものである。

When a new life cycle of manifestation begins, for any separated or individualized portion of the Universal Whole, it first appears as a rapidly vibrating mass of scintillating colors, which, from a definite point in Etheric Space, spread outward into physical space (so termed), by means of a circular mode of motion, in a spiral.
新しい一つの生命周期の顕現が始まるとき、宇宙的全体のどの分離されたまたは個体化された部分でも、それはきらめく色たちが急速に振動する一塊として現われる。そして、きらめく色たちは、エーテル空間のなかのはっきりと限定された点から、物質空間(と名付けられている)のなかへと、円様式の運動によって、渦巻きとなって、外側に拡がる。

The diameter of the last outward sweep of the spiral would be determined by the amount of expansive energy imparted to the mass by the initial impulse.
渦巻き〔螺旋〕の最後の外側への吹き出しの直径は、初めの衝動によってその塊へ分け与えられた膨張的エネルギーの量によって決定されるだろう。

When this energy reaches its extremity of power in the last spiral sweep, a neutral centre is in process of creation by means of the contact and interaction of the negative forces of contraction peculiar to the physical plane, with those induced by the action of Spiritual, or Positive energy, before mentioned.

This neutral centre, which, in the creation of a world, becomes the equatorial belt, manifests in the human and animal kingdoms as the Solar Plexus.
  From the centre, the spiral of color decreases in exact ratio to another point, resulting in the formation of a rapidly revolving globe of color, partially flattened at each Pole, and hollow so far as physical substance is concerned ; but in reality containing all the potencies, as well as the Skandas – the stored up good and evil tendencies of preceding manifestations of the incarnating Ego, or entity-and the latent [2] forces which will bring effects into action as causes of subsequent effects, at the right time and in the right place, as determined by the Law of Karma.

In this globe also resides the alchemical power transmuting physical substance into Spiritual energy, and "vice versa", as food is transmuted by the powers of digestion and assimilation ; into flesh and blood, and finally into physical energy.

If this spiral globe of color could be seen by physical eyes at the beginning of an era of manifestation, it would seem to enclose a certain portion of clear space.

On the highest Spiritual plane all lines of demarcation would disappear, and it would be indistinguishable, as far as form is concerned, from all the great ocean of Ether, the store-house of all energies and potencies ; but on the higher astral, the plane of soul, it would be visible to Spiritual eyes as an individualized Entity-call it Angel, Or Deva-God, whichever you like-so far transcending in beauty, glory and power any description ever given by human tongue or pen, that it is useless to attempt to convey any impression of it to the human mind ; it must be seen and recognized to be understood. It belongs to the army of archangels which surround the Throne of God, situated in the hearts of every one of that vast throng, and which exists potentially in the heart of every human being. For illustration, take a piece of paper ; consider one side of it as the Spiritual, the other' side as the physical plane. Separate one single point, among many others, of white light on the Spiritual plane (or side) of the paper ; then imagine a flash of Light, or Creative Energy, darting from some other point and impinging upon, thus imparting a more rapid vibration, or another mode of motion to, the point under consideration. This mode of motion (Fohatic energy) imparting a forward movement, would drive the substance contained in the point, through the piece of paper (the fibre of which would correspond to the astral, or middle plane) to the other side (the physical plane) and then proceed to form, by the process of spiral movement, above referred to, a complete globe of color from the point of its appearance on the physical plane as represented on the paper. There are always forty-eight spiral rings on either side of the middle, or equatorial line, the latter being the forty-ninth from either end. This spiral sheath of color encloses the substance on the plane of action in
and through which the energy which passes into it from the first point of manifestation will work in conjunction with the forces of color, for the creation of an individualized life, whether it be a cell, man or world. The auric correspondence to this hollow globe obtains throughout a whole era of individualized manifestation, however long or short that may be, as its particular [3] sphere of creative energy, as does also the globe of color which constitutes the aura of each cell, man, or world. In the materialization of a world there gradually forms, just within the globe of color (as the result of interaction of interior and exterior forces), first, a rapidly revolving sphere of heat and subsequently, moisture. In the creation of a world the power of attraction which the combined energy and force hold within its mass, draws to this moisture the Cosmic dust which is floating in space. For long ages of time, great quantities of dust and falling masses from other worlds, in the form of meteors, etc., intercepted by or attracted to it, gradually transform this (so to speak) lining of the color globe into the crust of such a world as the one you are now living upon. But innumerable Kalpas before this occurred, the substance, with which the Spiritual energy manifesting in the point was clothed, had passed through many phases of existence from a molecule to a God. And the Spiritual Entity, or World-builder, visibly represented by that point of Light, has voluntarily and intelligently assumed the labor, responsibility and sacrifice of creating from its own substance, a world, in which other manifesting entities of lower orders may gain the necessary physical experience to fit them also in time for Spiritual existence as Angels or Gods. A corresponding process to the one outlined above occurs in the birth of every child or animal on the physical plane. The creative emanation of the male contains a definite portion of the substance generated on the Spiritual plane by the interaction of masculine and feminine forces as previously explained between the two points of light, or the creative fires ; and the product, by contact and interaction with the ovum or egg budded from the ovaries of the female sex, results in impregnation. A certain residue is used by Nature in the formation of a state of matter comparable to the inner lining of the spiral globe of color, within which gestation is accomplished. The Uterus, or outer covering, corresponds to the color globe, but is not the globe ; for the Uterus, as well as every other organic structure, has its own peculiar spiral globe of color, or aura.
  Despite innumerable explanations and descriptions of the planes of manifestation, students are continually misinterpreting terms and location. The diagram shown below will aid in many ways. First of all, however, you must charge your mind with the fact that there is in reality no high nor low, no hard nor fast lines ; that all manifestation is from within outward ; that all planes penetrate and interpenetrate each other. [4]
The dot on the top indicates the Unmanifested, the Absolute, the positive potencies. The one at the bottom indicates the negative of the above – the reservoir in which had been generated and from which had been projected into space, all potential energies belonging to the physical plane, and into which would be cast all manifested matte that had fulfilled its mission ; as well as all of nature's abortions an seeming abnormal conditions, to be in some future age energized again by the positive forces of life, and so given another opportunity. It is also known as Chaos.
Each horizontal line in the diagram indicates the positive and negative aspects of some plane or sphere of consciousness ; that part of each line to the right of the centre representing the positive pole, that to the left the negative. The line through the centre indicates interaction of Spirit and Matter.
This diagram must not be confounded with others which illustrate the same truths, or the different planes or forces. In a certain sense this stands alone. ———


文献
ヒラリオン.(クラーク,ジェフ・コジマ,マサナリ 訳 改訂版 2000/6).寺院の教え I 〔第1〜60課〕.コピー本.222pp.竜王文庫.[B20020327、2500円][昭和51年10月〜昭和57年4月の『至上我の光』に連載されたものを編集したもの。掲載時の誤植と誤訳を一部訂正。]

ベイリー,アリス.1960(AABライブラリー 訳 2013/6/25).光線とイニシエーション(上).541pp.AABライブラリー.[定価3100円+税(税込価格3255円)][B20130905、3,100円]

ベイリー,アリス.1960(AABライブラリー 訳 2013/6/25).光線とイニシエーション(下).510pp.AABライブラリー.[定価2900円+税(税込価格3045円)][B20130905、2,900円]

ユリアーンス,アート(編)[アリス・A・ベイリー(著)].(坊洋 訳 、1989/5/10).トランス・ヒマラヤ密教入門 第一巻 人間の進化.342pp.たま出版.[定価2900円(本体2816円)][B19900213][Rh19910115]

ユリアーンス,アート(編)[アリス・A・ベイリー(著)].(土方三羊 訳 、2002/2/28).トランス・ヒマラヤ密教入門 第1巻[人間の本質].236pp.アルテ発行/星雲社発売.[定価(本体2500円+税)][B20020911]

〔竜王文庫〕.1998/7〔日は記載無し〕.単語でわかる神智学.103+51pp.竜王文庫.[B20020403、1,800円]

〔The Master〕Hiralion. Teaching of the Temple. The Book I. [pdfは、http://www.templeofthepeople.org/wp-content/uploads/2012/04/teachings_temple_1.pdfから入手できる[受信:2016年6月20日。]]

A Student Who Has Imposes his own Punctuation on the Original Text [=Jurriaanse, Aart]. 1971 (9th printing 1996). Ponder on This. From the Writings of Alice A. Bailey and the Tibetan Master, Djwhal Khul. 14+431pp. [B20000901、$14.00+$39.00/20[shipping]]


生命の定義集

2016年06月04日 14時22分57秒 | 生気論
2016年6月4日-2
生命の定義集

 生命の定義のいくつかを掲げることにする。


1 =======
Bunge, Mario. 1999: 160 (たぶん=2003:163).

  「
life 生命 (p.163)
 諸生命科学の中心的概念。生きものまたは有機体の本性〔=本質的性質〕に関して四つの主要な見解がある。つまり、生気論、機械論〔mechanism〕(または物理化学主義)、マシン〔機械〕主義〔machinism〕、そして有機体論(または生物システム主義)である。↑【生気論】は、『生命』を、たとえば『生命衝動』といった、何らかの非物質的な存在者と目標へと努力する傾向なるものによって定義する。↑【機械論】は、『生きている』という述語は物理化学の用語によって定義可能であると主張する。つまり、有機体は大変複雑な物理化学的システムにすぎない。↑【マシン主義】は、有機体を機械に似たもの、つまり設計され、プログラムされ、そして目標指向的〔goal-directed〕なものとして考える。有機体論(または生物システム主義)は、生命を何らかの極度に複雑なシステムの創発的性質とみなす。このシステムの遠い先祖は、約40億年前には生命のない〔abiotic〕ものであった。生気論は、まったく信用されなくなった。不毛であり、非物質的なエンテレキーなるものは、観察と計算をしようにも不可能だからである。機械論はいまだに流布しており、分子生物学の誕生以来は特にそうであるが、生きものの特有性のいくつかを説明することには失敗している。とりわけ、それは、なぜ有機体における代謝過程が、概して、中性的または自己に仕えるのではなく、有機体に『仕える』のかを、説明しない。機械論はまた、自己洗浄と自己修復のメカニズムの創発も、説明しない。つまり、生きていない化学系は、ついには反応のいくつか、あるいはすべてさえも停止させるような、反応を抑制する化学物質を蓄積するかもしれない。機械論は、デカルトによって創始され、それ以来広まったが、今日ではコンピュータ科学の連中に人気がある。その連中は、生命プロセスの特定の特徴をコンピュータシミュレーションしたものを、↑【人工生命】と呼んでいる。皮肉にも、マシン主義は、設計と計算という概念に含まれる目的論を、生気論と共有している。生物システム主義だけが、化学的前躯体からの生命システムの自己集成についての分子生物学的説明と、遺伝子変化と自然淘汰による進化の理論を認めるだけでなく、生命を化学レベルに根をおろした一つの創発レベルとして認めもする。↑【創発】、↑【創発主義的唯物論】、↑【システム主義】。


2 =======
マーナ,マルティーン/ブーンゲ,マリオ.(小野山敬一 訳 2008: )

エネルギー、生命、霊、物質

2016年03月27日 16時04分58秒 | 生気論
20160327-1
エネルギー、生命、霊、物質


 「質料 substance に内在して、それに対応する永続的なものが生命であり、止むことのない生命である。生命と質料は同一である。一つであって永遠に不可分であるが、唯一の実在のしかし、異なる様相である。生命は正の電気性なのであり、質料は負の電気性である。生命は動的であり、質料は静的である。生命は活動または霊であり、質料は形態または物質である。生命は父であり原因であり、質料は母であり孕むものである。
生命と質料のこれら二様相に加えて、さらに三番目の様相がある。生命は理論的また潜在的な活動であり、行動 operation する場が必要である。質料はこれを供給し furnish、生命と質料が一つになることで、第四の活動的エネルギーが燃えあがる。
こうして、単一の実在、普遍的質料がある。しかし同時に共存する双対性〔二元性〕 duality、つまり生命と質料があり、また同時に共存する三位一体 trinity すなわち、生命、質料、そして結果として生じる相互作用である。最後のものをわれわれは、意識または魂と呼んでいる。
顕現した世界全体は、エネルギー(そして共同要因である質料と意識)から生じた。最小の粒の砂から最も広大な星空まで、一人のアフリカ未開人から一人の仏陀またはキリストまで、見られるすべてのものは、エネルギーが伸び出たものである。物質とはエネルギーの最も濃密なまたは最も下位の形態にあるものである。霊とはこの同じエネルギーが最高位のまたは最も精妙な形態にあるものである。それゆえ、物質は降下しつつある品位の落ちた霊であり、霊は逆に上昇している耀かされた物質である。」
(Bailey 1930: 57)[試訳20160327]。


文献
Bailey, Alice A. 1930. The Soul and its Mechanism. viii+9-165pp. Lucis Publishing Company.

エーテル体の存在事実

2016年03月25日 21時04分40秒 | 生気論
20160325-1
エーテル体の存在事実

ベンジャミン クレーム(要文献)は、
  暗黒物質=エーテル体
と、主張している。
神智学では、物質階層の上位の4亜階層がエーテル体であり、下位の三つの階層は濃密物質階層で、気体、液体、そして固体である(要文献)。

「東洋的または生気的捉え方と、西洋的または機械論的捉え方を統一し、そうして両者の間の隔たりを橋渡しするには、エーテル体が存在するという事実を確立する必要がある。」
(Bailey 1930: 55)[試訳20160325]

文献
Bailey, Alice A. 1930. The Soul and its Mechanism. viii+9-165pp. Lucis Publishing Company.

Creme, Benjamin.



ヴィルヘルム ライヒ、オルゴン エネルギー

2016年01月01日 00時40分03秒 | 生気論
2016年1月1日-1
ヴィルヘルム ライヒ、オルゴン エネルギー

クリフォード ビショップ『性と聖』の206頁からの3頁分は、ヴィルヘルム ライヒの項となっている。

「ライヒは〔略〕、オルガスムのさなかに骨盤から放出される未知のエネルギーを計測したと主張した。そして、これをオルゴン・エネルギーまたはオルゴン放射線と名付け、それは螺旋を描いて移動し、青色をしていると述べた。それは基本的な生命物質(あらゆる存在の神経系に浸透し、活力を与えている宇宙エネルギー)であり、 〔略〕二本のオルゴン放射線が交わると、生物界と6生物界との中間に存在する素材バイオンが形成され、さらにこのバイオンが集まって一団となることで原生動物が形成される、とライヒは説いた。
宇宙に遍在するこのオルガスムのエネルギーを蓄えるために、なライヒはオルゴン集積箱を作った。〔略〕オルゴン・エネルギーは放射能による病気を癒すとともに、原子爆弾の威力を無くすとも考えた。」
(ビショップ 2000/4: 207頁)。

「ライヒが生涯のある時点から狂った無益な考えに取り憑かれるようになったことには、ほとんど異論はないであろう。」
(ビショップ 2000/4: 207-208頁)。

と、書いているが、ベンジャミン クレーム(要文献)は、ライヒは実験で証明する用意があったと言う。

キルリアン写真は、高周波の元での人為的なもののようで、エーテル体を示したものではないようである。井村宏次(要文献)と?(要文献)を見よ。

「ライヒの主張によれば、オルゴン・エネルギーは顕微鏡で見ることができ、ガイガー・カウンターや温度計によって検出可能だという。ただし、それは電磁気エネルギーや放射線や熱とはまったく異なっていると言う。」
(ビショップ 2000/4: 208頁)。


井村宏次.

クレーム,ベンジャミン.

ビショップ,クリフォード.1996(田中雅志 訳 2000/4/20).性と聖――性の精神文化史.図版8pp+341pp.[本体3,000円+税][B20009516]

?.オーラ写真?.



matter 質料 とは? G. de Purucker, Occult Glossaryの訳

2015年12月31日 23時45分36秒 | 生気論
2015年12月31日-3
matter 質料 とは? G. de Purucker, Occult Glossaryの訳

質料
人々がmatterまたはsubstanceと呼ぶものは、宇宙 universe(それは、意識-生命-物質 substanceである)の基礎的な本質を取り囲む蔽いの、存在するが錯覚的な、総計〔aggregate 集合体〕である。別の観点からは、質料または物質は、或る意味で、いかなる特定の階層においても、_顕現した_霊の最も進化した形体 form の表現である。これはしかし、別の言い方では、質料は、宇宙的諸存在 kosmic beings の本来備わる諸エネルギーまたは諸力または諸能力が、広げほどけ、展開し〔roked out 巻きひろげ〕、そして自己表現したものである。
〔続く〕

de Purucker, G. 1933 (1972 reprinted). Occult Glossary: a Compendium of Oriental and Theosophical Terms. (9)+193pp. Theosophical University Press. [$3.50] [B=undescribed]


物質とは何か、物活論とは何か:引用

2015年12月17日 00時29分59秒 | 生気論
2015年12月17日-1
物質とは何か、物活論とは何か:引用

鍵語句文:物質、質量、質料、物活論、アニミズム animism、汎神論、汎心論。

1. 物質とは何か

引用1.
  「質量は錯覚だ.
〔略〕
 なぜ光が質量を持つと考えるのが正しくないのだろうか。

 ニュートン力学では重力の原因は質量だけにあるとしている。  しかし一方、相対論では、重力の源は「エネルギーと運動量」であって、 これらが時空を歪める現象を重力と言っているに過ぎないのだと説明する。  一般相対性理論にとって重力は錯覚に過ぎないのである。
〔略〕
 光が重力に影響を与えるからといって、 これをわざわざ質量などという古い概念に換算してニュートン力学の考え方を適用しようとすると、いずれ考えが破綻してしまうのである。 質量は本質ではないのだ。

 では一般相対性理論でいうところの質量とは何かといえば、 単に物体が静止しているときのエネルギーを表すだけの数値に過ぎないことになる。 つまり、質量でさえただの錯覚に過ぎないのだ。」()
http://homepage2.nifty.com/eman/relativity/illusion.html[受信:2015年12月16日。]



引用2.
  「物質とは此空間をみたし、世界を形成して居る物の實質をいふ。民族によって其物質観は同一でなく、又時代によって變遷はあるけれども上の意味は常に變りはないのである。
〔略〕
物質論に於て論ずべき問題中主要なのは凡そ次の如くである。〔註。以降では、漢字とひらがなは、現代的表記に変換した。〕
 第一に、日常普通の物質の性質である。例えば通俗な意に於ける重さ、硬さ、表面の粗密、色合い、艶等からさらに科学的な所謂物理的、化学的性質に関することである。
 第二に、此等の諸種の性質が夫々の物によって種々様々に異なって居るが、それは何によるのであるか。更に、斯様に多種多様の物は如何なる構造を有って居るか。結局物質の基本的な物及び其構造の如何という問題である。
 第三に、生物の身体も物質から出来て居る、生物が死ぬときは其身体は普通の無生物に分れ、また無生物を摂って生物が生長し、生殖する。生物に於て特有と思われて居る生命の現象は根本に於ても無生物の現象と全く異るものか、或はつまりは程度の差に過ぎないのか。生命と物質との関係、又心理的現象と物理的、化学的現象との関係は何であるか。
 第四に、物質は如何なる状態、分布をなして此宇宙を構成して居るか。宇宙の将来は如何であるか。
 第五に、物質の存在を如何にして認めるを得るのであるか、又物質の存在する時間、空間になるものの本質は何であるか。
〔略〕
 〔ここでは〕物質論の中心から第二の問題、即ち物質の基本的な物は何かという事を主として述べることとしよう。」
(阿部良夫 1932/9: 3-4)。


文献[物質とは何か]
阿部良夫 1932/9/20.物質論[岩波講座 哲学〔体系的研究―自然の問題―〕].39pp.岩波書店.[P19850611]

梯明秀.1958/10/15[=1948年の再刊本。1970/3/1 七版].物質の哲学的基礎.306pp.青木書店.[定価900円][P19840904]


2. 物活論とは何か

引用3.物活論についての辞書や事典
  「ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説
物活論 ぶっかつろん hylozoism
 すべての物質 hylēは生きている zōionとする哲学説。言葉自体は 17世紀イギリスの哲学者 R.カドワースに始るが,古代ではタレスを代表とするイオニア学派,ルネサンスのパラケルススやブルーノらが代表者であり,20世紀初頭の E.ヘッケルも物活論者とみられる。

デジタル大辞泉の解説
ぶっかつ‐ろん〔ブツクワツ‐〕【物活論】《hylozoism》
 物質はそれ自体のうちに生命をもつとする説。タレスなど古代ギリシャ哲学での自然観。」
https://kotobank.jp/word/物活論-125078[受信:2015年12月16日。]

  「三省堂 大辞林
ぶっかつ ろん ぶつくわつ- [4] 【物活論】 〔hylozoism〕
 物質を無機的なものと考えず,それ自体に生命力や霊魂をもつものとする有機的生命的自然観。

世界宗教用語大事典
ぶっかつろん 【物活論】(hylozoism英)
 物質が本質的に活力・生命力をもつと見、それらの根源を魂と見ていく世界観の一つ。原始宗教のアニミズムも、この一種。一七世紀にカドワース(英プラトン学派)が初めてこの語を使用した。カントはこれを自然哲学の理に矛盾すると批判した。物質それ自体生命をもつとする立場(イオニア哲学)と、世界精神の有機的部分と考える立場(ストア派)とがある。」
http://www.weblio.jp/content/物活論[受信:2015年12月16日。]


ウイキベディア内で「物活論」検索すると、その項目は無かった。
  「このウィキでページ「物活論」を新規作成しましょう。検索で見つかった他のページも参照してください。
ミレトス学派
ミレトス学派の哲学者たちは、宇宙を形成し、あらゆる生命の源である万物の根源、つまりアルケー(ギリシャ語:ἀρχή arkhē)で自然を定義しようとした。それらは、物活論(ヒュロゾイズム)と呼ばれる思考である。たとえば、タレスは万物の根源は「水」だと考えた。しかし、それでは「火」など説明のつかないものがあったので、
4キロバイト (868 語) - 2015年1月31日 (土) 10:01

ルネ・デカルト
神によって保持される)法則によって粒子の運動が確定されるとした。この考えは、精神に物体的な風や光を、宇宙に生命を見たルネサンス期の哲学者の感覚的・物活論的世界観とは全く違っており、力学的な法則の支配する客観的世界観を見出した点で重要である。 更にデカルトは、見出した物理法則を『世界論』(宇宙論)に
40キロバイト (8,811 語) - 2015年11月13日 (金) 03:46

世界観
全ての存在に心を認める立場。物質原理と精神的実体を統合したライプニッツのモナド論なども必然的にこれに含まれる。ホワイトヘッドの世界神化説もその一つの例として認めることが出来る。物活論。 運命論 (fatalism) ⇔決定論 (determinism) 懐疑論 (skepticism) ⇔不可知論 (agnosticism)
38キロバイト (8,284 語) - 2015年11月23日 (月) 06:08

生命
が、古代に限らず、またその地域に限らず、広く、ひとつの基本的な哲学的見方としてこの考え方は、現代にいたるまで存在しているのである。こうした考え方を物活論(英語版) hylozoism と言う。 ヨーロッパでは中世、キリスト教が広がり、旧約聖書の創世記の記述に従い、神が自然も人間も、動物・植物も、その他
44キロバイト (10,900 語) - 2015年11月21日 (土) 09:03

コナトゥス
念が存在する。ジャンバッティスタ・ヴィーコ(1668年 - 1744年)は「コナトゥス」を人間社会の活動の本質と定義した。さらに、より伝統的には、物活論的な意味で、自然全体に充満する運動を作り出す力と定義した近代科学が始まってから百年近く後に、ヴィーコはネオプラトニズムに触発されて、慣性の原理や新
58キロバイト (10,582 語) - 2015年1月7日 (水) 06:31

https://ja.wikipedia.org/w/index.php?search=物活論&title=特別%3A検索&go=表示[受信:2015年12月16日。]

英語版Wikipediaには、Hylozoismの項目がある。
  「Hylozoism
Hylozoism is the philosophical point of view that matter is in some sense alive. The concept dates back at least as far as the Milesian school of pre-Socratic philosophers. The term was introduced to English by Ralph Cudworth in 1678.

Contents
1 Distinction from similar theories
2 Ancient hylozoism
3 Hylozoism in Renaissance and early Modernity
4 Contemporary hylozoism
5 Hylozoism in popular culture
6 See also
7 References
8 External links
〔略〕

https://en.wikipedia.org/wiki/Hylozoism

  「」
マーナ・ブーンゲ『生物哲学の基礎』

文献
  Mahner, M. & Bunge, M.[マーナ,マルティーン・ブーンゲ,マリオ]1997, 2000(小野山敬一 訳 2008/7/26).生物哲学の基礎.xxi+556pp.シュプリンガー・ジャパン.[本体13,000円+税][ISBN9784431100256][R20080720][既知の半分ほどの訂正が行なわれた本(第2刷)が、版権が移行された丸善出版から、2012/9/30にシュプリンガー・ジャパン株式会社の編集として、発行された。 ISBN9784621063552。本体13,000円+税。]

生気論(と機械論)

2015年09月04日 01時03分24秒 | 生気論
2015年9月4日-1
生気論(と機械論)

1. Woodger, J.H. 1967(revised with a new introduction; Reprinted 2000; 1st edition 1929). Biological Principles: A Critical Study. xix+496pp. Routledge. [B20031211、15,262+763=16,025円]


 J.H. ウッジャーの『生物学的諸原理 或る批判的研究』の第V章は、「The antithesis between vitalism and mechanism 生気論と機械論との間の対立〔反定立〕」である。
 第V章の目次は、
  1. 序。「機械論」と「生気論」の様々な意味 meanings。存在論的および方法論的機械論。数学と自然科学 ...229
  2. 機械的説明 ......236
  3. Max Verworn の諸見解 ......238
  4. F.H.A. Marshall 教授の諸見解とJ.S. Hallden 博士の諸見解 ......240
  5. J. W. Jenkinson の諸見解 ......249
  6. E.B. Wilson 教授の諸見解。de Beer 氏の「機械的」という用語の使用 ......256
  7. 生物学者たちによって使われる機械的という用語の四つの主要な意味 senses の要約。厳密な物理的意味での機械的説明についてのBroad 博士の分析 ....259
  8. 「物理化学的」意味での「機械的」 ..262
  9. 「マシン〔機械〕理論 Machine Theory」 .......264
  10. 生気論的諸理論 .........266
  11. 要約。この対立を招いた諸要因 ..268






□ 文献 □
Woodger, J.H. 1967(revised with a new introduction; reprinted 2000; 1st edition 1929). Biological Principles: A Critical Study. xix+496pp. Routledge. [B20031211、15,262+763=16,025円]

白上謙一.





力についての覚書

2015年08月20日 15時33分47秒 | 生気論
2015年8月20日-1
力についての覚書

  "One of the principal forces that drives this succession is the change in soil conditions caused by the early colonisits." (Begon et al. 1996: 697). [2003-3-29のメモ]
 上記のベゴンらが書いた生態学の教科書では、生態遷移を駆動する主要な諸力の一つは、初期に入植者たちによって引き起こされた土壌諸条件における変化である、としている。つまり、各種生物体にとっての環境の(うちの土壌という)諸条件が変化することが、生態遷移を引き起こす力、または方向づける力とみなしている。
 力学的または機構学的に見れば(システム的接近からの分析の一つから言えば)、力を発揮したのは、その場所へのいくつかの種に属する初期入植者たちである。それらが土壌諸条件を前の状態から、アレロパシーといっは化学的物質を体内から放出したり、またたとえば根っこを出して物理的に土壌構造を改変した。アレロパシー物体は、次にやって来る生物体たちに悪条件を配置するといった形で間接的に作用する。環境を介した作用は、間接的である。力とは、土壌諸条件における変化ではなく、変化を引き起こした植物体や動物体たちである。
 もとより、遷移系列が観測されるのは、各種生物体たちの継時的な相互作用による。
 
  successionにおけるaがs1に作用する。環境形成作用、土壌条件の改変。
  time           1  2  3
  state of community    a  b  c
               ⇅  ⇅  ⇅
  soil conditions      s1  s2  s3
                         [2003-3-29のメモ]

 或る状態が異なる状態へと変化させるのが、作用者(力を振るう者)である。力は、〈ものごとの変化と関連している〉ものであって、変化そのものではない。変化とは、過程として表現される。進化生物学の一部の研究者は、過程 process プロセスをまるで力と見なしている場合がある。それは、混乱のもとである。


Mario Bunge (1999) によるforce 力の定義 [20030315のメモ]
  Force a. Physics Whatever may or does change the state of motion of a material thing.
   b. Metaphysically Anything assumed to accout for change.
   Example 1: Natural selection is often called a force, while actually it is an evolutionary mechanism.
   →systems, mechanism of cahnge.

  Mechanism (p. 173)
    a. 複雑なものごとが働くようにするプロセスならどんなものでも〔メカニズム〔機構〕と呼ぶ〕。

  Process (p. 226)
    A sequence of states of a concrete (material) thing. 〔must be observable?〕

  Observation (p. 199)

 自然淘汰は過程か、力か、機構か。Bunge (1999) は、機構を過程として定義しているが、機構とは諸エネルギーと諸力(とその働き方の法則)を方向づけて制御または統御する諸存在者(下位システム)を構造(=関係)づけたものである。なんらかの程度に固定またはシステムとして同一性を維持できるようにしたものである[20150820]。


HPB〔Helena Petrovna Blavatsky ヘレナ P. ブラヴァツキー〕 Vol.4に「電気は物質か力か」





マリオ ブーンゲのシステム主義(2)

2015年07月31日 14時53分08秒 | 生気論
2015年7月31日-2
マリオ ブーンゲのシステム主義(2)


  「  「最初の五つの教義は、論理的に正しくない。全体論と個体主義は、全体と部分の概念がお互いを定義しているゆえに、すなわち片方は他方無しには存在できないゆえに、間違っている。環境主義は、あらゆる具体物は活動的があるがゆえに、すなわち或るものは確かにその環境によって影響されるけれども、環境だけによって全的に生成されるわけではないゆえに、偽りである。構造主義は、定義によって、節点(個体)無しに網状組織は無いから、偽りである。最後に、過程主義もまた、誤りである。なぜなら、あらゆる過程(たとえば成長)は、なんらかの具体物の一連の諸状態であって、つまり物無しの諸過程でも不変の諸物でもないからである。
 結論すると、上に列挙した六つのすべての構造的存在論のうちで、システム主義だけが残る。(なお、三つの可能な実体存在論 substance ontologies がある。すなわち、唯物論 materialism、唯心論 spiritualism〔唯霊論〕、二元論 dualism である。)このシステム主義という存在論は、ポール-アンリ ティリ〔、〕ドルバック男爵 Paul-Henri Thirty, Baron d'Holback によって啓蒙運動の中期にはじめて提唱されたが、あらゆる真に(物質的に)

(Bunge 2013: 14-15)。



引用文献
  Bunge, Mario. 2013[/5/30]. Medical Philosophy: Conceptual Issues in Medicine. Paperback. World Scientific Publishing. [B20150717?, 6016円+0=6016円amz]

生命システム:仏典での見解 続篇

2015年07月31日 14時46分23秒 | 生気論
2015年7月31日-1
生命システム:仏典での見解 続篇


 中村元 2005/9『〈生命〉の倫理』を引き合いにした、生命またはシステムについての続篇である。(→秘教的仏教 Esoteric Buddism の主張を調べよ。)

 生物科学は、「細胞の内部に遺伝子やDNAのはたらきまでも明らかに」した。
  「しかしそれは生命のはたらきの見られる物質の構造がますます詳しくなるというだけであって、次の二つの問題に対しては答えが与えられていない。
 (1)生命とは何であるか? つまり生命現象の見られる物質を構成している諸元素とは異なった原理としての生命とは何であるか? 諸元素の結合のありかたの一種にほかならないのか? あるいは諸元素とは異なった独立の存在なのであるか?
 この二種の見解はすでに古代哲学において対立していたが、最近代の科学をもってしてもまだ解決が与えられていない。
 (2)第二に、生命は何のためにあるのであるか? これに対して科学は答えてくれない。これは、恐らく自然科学の領域外の問題であって、あるいはこういう目的論的な設問自体が無意味なのであろう。」
(中村元 2005/9: 94-95頁)。

  「それ〔生命? あるいは目的による説明か?〕を説明するためには、
  (小前提)生命はAである。
  (大前提)Aは……のためである。
  (結論)生命は……のためである。
という推論形式をとらざるを得ない。ところが、生命を問題とする限りにおいては、生命よりもより広範囲な外延をもっているAという概念が存在しないからである。
  「生命ははたらきである」
と言えるかもしれないが、「はたらき」という概念が〈生命〉を含意しているので、この命題は tautology(同語反復)にほかならないことになる。生命に関して物理的、数学的、あるいは論理学的な概念をもって述語することは理論学的には可能であるかもしれないが、生命を生命たらしめる本質的なものはその概念規定の立場から逸脱してしまうからである。」
(中村元 2005/9: 95頁)。

 〈「はたらき」という概念が〈生命〉を含意している」〉とは言えない。生命体ではないと思われるロボットは、はたらかない(働かない)のであろうか?
 〈生命を問題とする限りにおいては、生命よりもより広範囲な外延をもっているAという概念が存在しないからである。〉と、〈生命を問題とする限り〉という枠または枠組みに限定している。生命体の振る舞いや諸性質を、(既知とした)非生命体の振る舞いや諸性質から説明するのであるから、説明は当然ながら生命という枠の外からのものとなる。

 なんであれ、説明とは、
  1. 或る存在者を(或る人がその意識の上での)対象とする。
  2. その対象を下位システムまたは上位システムによって、エネルギーの種類と程度(=数量)によって、新たな統一的システムとして成立させるような機構を提示する(機構的説明 mechani_s_mic explanation[機械的 mechanisticではなく、機構的mechanismic]
ことである。なお、Mario Bunge (2013: 244) は、Philosophical Glossary 部で
  「Explanation 説明
   Description of a mechanism 機構の記述」
としている。説明として、機構的説明だけを認めているようである。
 →Bunge哲学辞典(Bunge 1999: 93-94)の【説明】という項目を見よ。


 「 そこで言えることは、「われわれが生きている」すなわち「われわれは生命を与えられている」というのは、われわれにとって原初的な事実である。それに対してわれわれは異なった道をとることはできない。」
(中村元 2005/9: 95頁)。

 「そこで」とは何をどう受けてのことかわからない。先に引用した部分とともに、根拠立てと論理展開がよくわからない文章である。
 さて、「われわれが生きている」は原初的な事実であろう。しかし、そのことは、「われわれは生命を与えられている」こととは異なる。わたしが生命体である、つまり現在生きているシステムである、ということは、誰かに生命(という種類のエネルギー? またはいくつかの種類の組み合わせのエネルギー?)を与えられているということを内含しない(含意 implication と 内含 entailmentを区別しよう)。
 概念〈働き〉が概念〈生命〉を含意するという主張は、認めることはできない。概念〈生命〉が概念〈働き〉を含意するまたは内含することは、認められる。両者は同値または同義反復ではない。

 それもさておき、
  a. わたしは生きている。これは事実である。
  b. この原初的事実を見つめて、何よりも尊いものとして大切に生きていく。
という論理?展開は、説得的である。
 それはなぜだろうか? それは、(知的 intelligent)理解ではなく、感性的説得性または直感的 sixth sense's ないし直観的 intuitive 説得性ではなかろうか? つまり、自分は生きているという自覚または意識したとき、人によっては生かされているということに有り難い、感謝の念を覚えるかもしれない。人は他養生物体であり、エネルギーと物体の取り込みを他者に依存している。ありがたいことである【→相互依存性】。

 〈或るシステムが生きている〉ことは、生きているという状態を維持する機構によって、説明される。もし、或る諸システムから創発した、つまり、生命を持たないシステムが組み合わされて、既にある機構とエネルギー(の種類と数量の)配分と転換によって、新しい性質が出現するとしたら、その機構を持つシステムが作動し続けることである。


引用文献
  Bunge, Mario. 1999. Dictionary of Philosophy. 316pp Protheus Books. [B19991213, $41.97+48.65/7]

  Bunge, Mario. 2013[/5/30]. Medical Philosophy: Conceptual Issues in Medicine. Paperback. World Scientific Publishing. [B20150717?, 6016円+0=6016円amz]

  Mahner, M. & Bunge, M.[マーナ,マルティーン・ブーンゲ,マリオ]1997, 2000(小野山敬一 訳 2008/7/26).生物哲学の基礎.xxi+556pp.シュプリンガー・ジャパン.[本体13,000円+税][ISBN9784431100256][R20080720][既知の半分ほどの訂正が行なわれた本(第2刷)が、版権が移行された丸善出版から、2012/9/30にシュプリンガー・ジャパン株式会社の編集として、発行された。 ISBN9784621063552。本体13,000円+税。]

  中村元〔/東方研究会(編)〕.2005/9/20.〈生命〉の倫理.234pp.春秋社.[本体2,500円+税][b181.6]



生命システム:仏典での見解

2015年07月30日 14時57分47秒 | 生気論
2015年7月30日-2
生命システム:仏典での見解

中村元〔/東方研究会(編)〕.2005/9/20.〈生命〉の倫理.234pp.春秋社.[本体2,500円+税][b181.6]


生命システムの定義
  「現代多くの生物学者に採用されている見解は、生命ある体系とは「外界との間に明確な境界をもち、その構成物質の一部は絶えず外界との間で交換されているにもかかわらず、少なくともある期間についてみるならば、その全体としての性質は変化せずに保たれているものである」(4〔=『ブリタニカ国際大百科事典』11巻、260頁〕)というのである。」
(中村元 2005/9: 8頁)。


任意的運動の場合: [動力因、機会因]→結果、
不任意的運動の場合:[動力因、機会因、目的因(動機)]→結果
  「動物の有機的運動は、任意的なものもあり、また不任意的なものもある〔略〕因果関係の連結関係に〔、〕〔24頁/25頁〕ある種の相違が存する。〔略〕
 〈因果関係〉に翻訳すると、不任意的の生命現象の場合には、動力因、機会因と結果との関係になるが、任意の生命現象の場合には、その上に目的因〈動機〉と結果との関係が一つ加わっている。
 いずれにしても、われわれの生存の根底に存する力が、それを発現させているのである。その力は単に物理的な力としては尽くせないものがあり、それを生理学では生命力(Lebenskraft)とよび、それが意識をともなっている場合には、哲学者は心理的な呼称を用いて、魂(Seele, soul)と呼んでいた。
 ただ生命力、あるいはさらに魂が、いかなるものであるかということになると、不可知であると言わざるを得ない。〔略〕その本質を概念によって規定することはできない。」
(中村元 2005/9: 24-25頁)。

 生命力のドイツ語のLebenskraftは、そのままの英語では、life forceになるが、vital forceがよく使われる。vitalの語源は、ラテン語 vita(命の意)からである。
 さて、意識とは何だろうか?。「物理的」および「力」とは何だろうか?。
 ショーペンハウアーやドイセンの意志 der Wとはille、また無意識的意志 der unbewuste Wille とは何だろうか?

  「われわれには、思慮分別をともなわない盲目的な衝動としてはたらくものがあり、刺激によって規定され、わが有機体のうつにおけるあらゆる不任意の動きを遂行し、消化・血液循環・呼吸・分泌などの作用により、身体を養い、その発育を促すところの内面的な衝動原理があるといえよう。それが生命なのである。
 人知の進歩とともに生命の本質に関する哲学的思索も明確化したが、大別すると、生命の構造については、
 一、生命を非物質的な特別の力の作用と見る生気論と、
 二、生命を単に力学的な機械装置とみなす機械論と、
二種の見解がある、と言えよう。」
(中村元 2005/9: 26頁)。

  「仏教の哲学大系では「生命原理」を意味する言葉として「命根 みょうこん」(jivitendriya)というものを考えるようになった。生命の力をもっている原理を命根と呼ぶ。〔略〕「生命原理」は物質的なものでもない、そうかといって純精神的な原理でもない、そのどちらでもない、と規定されている。
 その原理は、人がこの世に生をうけてから死にいたるまでのあいだ持続し、体温(なん usna)と意識(識 vijnana)とを維持するものである。」
(中村元 2005/9: 66頁)。

  「説一切有部という学派〔略〕は、寿命と体温と識別作用(認識作用)がそれぞれ独立の実体的な原理であると考えた〔略〕。そうして、生命(寿)は体温(【なん】)と意識(識)を維持し、また体温と意識とはまた生命を維持して、両者は相互依存の関係にあり、死にのぞんでは、生命と体温と意識とが肉体から去ると考えていた。この生命、または生命原理は、他のもろもろの実体とは異なった一つの別の実体(dravyantara)として存在すると考えていた。そうしてその生命という実体が去ると、人は精神作用をも失ってしまう。」
(中村元 2005/9: 67-68頁)。