2014年8月15日-3
仏陀曰く「権威にもとづいて物事を信じてはならない」
なんらかの権威によることなく、自らの意識(知性または直観=直知識)によって、ものごとを判断すること。
これは、H.P. ブラヴァツキーによれば、(地球でのゴータマ王子を通じて地上に顕現した第四代)仏陀の言葉だと言われる。
(将来に第五代の仏陀職[仏陀エネルギーを体現する階層の地位]につくのは、現在キリスト職[つまり地球的キリスト意識またはエネルギーを体現する弥勒如来だという]。)
「Our Lord Buddha has said that we must not believe in a thing said merely because it is said; nor traditions because they have been handed down from antiquity; nor rumours, as such; nor writings by sages, because sages wrote them; nor fancies that we may suspect to have been inspired in us by a Deva (that is, in presumed spiritual inspiration); nor from inferences drawn from some haphazard assumption we may have made; nor because of what seems an analogical necessity; nor on the mere authority of our teachers of masters. But we are to believe when the writing, doctrine, or saying is corroborated by our own reason and consciousness. “For this,” says he in concluding, “ I taught you not to believe merely because you have heard, but when you believed of your consciousness, then to act accordingly and abundantly.”」
(The Secret Doctrine Volume III: 401)
[http://www.theosophical.ca/books/SecretDoctrine,The_HPBlavatsky.pdf[受信:2014年8月12日]ではpp.317-318]
「〔われらの主〕仏陀は言われた。
「ただ言われていることだからといって、それだけで物事を信じてはならない。昔から伝えられてきたからといってそれだけで、伝統を信じてはならない。また噂がそうだからといってそれを信じてはならない。 聖者が書いたからっていってその著作を信じてはならない。天[デーヴァ〔神々または天使たち〕]に霊感を与えられたと思い込んで(つまり霊的インスピレーションだと思い込んで)空想の類を信じてはならない。自分が勝手につくったいい加減な仮定から結論を引き出してもならない。また、相似の法則から見て必然だからといってそれを信じてはならない。自分の教師や師匠の権威に基づいて物事を信じてもならない。自分自身の理性と意識とによって確証されて初めて、著作や教義や言葉を信じるべきである。」
「 従って」仏陀は結論を言われた。「私が教えたのは、ただ聞いただけで信じてはならないこと、そして自分の心から〔?→意識で〕信じられたなら、その信念に従って一生懸命に行動せよ、ということである。」
(『シークレット・ドクトリン』第三巻、401ページ)
」(仲里誠桔・小島露観 共訳 1986/9: 10頁)。
個人の自由意志に任せること、しかし開かれた心で聞くように求めるのは、秘教の教師たちの態度である。
「チベット人の言葉からの抜粋 1934年8月〔に発表された〕
〔略〕
わたしが書いた本たちは、受諾を求めることなく世に送り出される。それらは正しく真実で役立つものかもしれないし、そうではないかもしれない。それらの真実性を、正しい実践によって、また直観の行使によって確信するのは、あなたたちである。〔略〕
もしそれらの本が真理を、世界中の教えのなかですでに提供されている真理に続くようにして差し出しているならば、もし与えられた情報が熱誠とそして奉仕する意志を、感情界〔the plane of emotions〕から知性界(この界で大師〔覚者 Masters〕たちは見つけることが_可能_である)へと引き上げるならば、それらの本の目的を果たしたことになる。
伝えられる教えが、世界の働き手の照らされた〔啓発された illumined〕心から反応を呼び起こし、そして働き手の直観の閃きをもたらすならば、その場合、その教えは受け入れられよう。そうでなければ、受け入れさせられることは無い。言明たちが、最終的に確証され〔with eventual corroboration〕、 あるいは照応の法則 the Law of Correspondences による試験のもとに真であると判断されるならば、その場合、それは結構なことである。しかし、そうではないならば、学徒は言われることを受け入れてはならない。」
(仲里誠桔・小島露観 共訳 1986/9: 10頁、を参照した)。
(ベイリー 1922(AABライブラリー 訳,2001/12: 、を参照した)。
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参考:
「Blind Faith Not Expected - (Page 401)
〔略〕
Are there any dogmas in Buddhism which we are required to accept on faith?
A. No. We are earnestly enjoined to accept nothing whatsoever on faith, whether it be written in books, handed down from our ancestors, or taught by sages.
Our Lord Buddha has said that we must not believe in a thing said merely because it is said; nor traditions because they have been handed down from antiquity; nor rumours, as such; nor writings by sages, because sages wrote them; nor fancies that we may suspect to have been inspired in us by a Deva (that is, in presumed spiritual inspiration); nor from inferences drawn from some haphazard assumption we may have made; nor because of what seems an analogical necessity; nor on the mere authority of our teachers of masters. But we are to believe when the writing, doctrine, or saying is corroborated by our own reason and consciousness. “For this,” says he in concluding, “ I taught you not to believe merely because you have heard, but when you believed of your consciousness, then to act accordingly and abundantly.” [See the Kalama Sutta of the Anguttaranikayo, as quoted in A Buddhist Catechism by H. S. Olcott, President of the Theosophical Society. pp. 55.56.]」
(http://www.theosophical.ca/books/SecretDoctrine,The_HPBlavatsky.pdf[受信:2014年8月12日] 〔The Secret Doctrine Volume 3〕pp.317-318〔p.401〕])。
□ 文献 □
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ベイリー, アリス・A.1922(1951)(仲里誠桔・小島露観 共訳 1986/9/25).イニシエーション 進化の原点・神智学の秘伝.283pp.たま出版.[定価2,400円][B19861020]
ベイリー,アリス.1922(AABライブラリー(土方三羊・李敬烈)訳,2001/12/10).秘教瞑想に関する手紙.430pp.AABライブラリー.[定価2,400円+税][B20011217]