生命哲学/生物哲学/生活哲学ブログ

《生命/生物、生活》を、システム的かつ体系的に、分析し総合し統合する。射程域:哲学、美術音楽詩、政治経済社会、秘教

鯉杉光敏 詩集『神々の戯れ』-3 哀愁の王制共和国

2017年11月11日 21時45分23秒 | 詩 poetry
2017年11月11日-1
鯉杉光敏 詩集『神々の戯れ』-3 哀愁の王制共和国


哀愁の王制共和国



なるほど、人員削減ですか。
簡単です
ロボットを買い入れなさい
窓口で悪態をつくことはないし
最近のは格段と愛想がよくなりましてね
お望みなら反抗させることもできます
ランダムに、予測不可能的に
あるいは、ステレオタイプ的に
あるいはそれらのミックスでも御希望通り

そのうち人は要らなくなりましょう
すると浮浪者ばかりになりますが
御安心下さい
これもロボットが処理してくれます

エ? ロボットを削減するんでしたか。
簡単です
全能ロボットを買い入れなさい
いちいち分業させるなんて時代遅れです
ただし制御用プログラムをつくるコンピュータが
 要りますね
ほとんど自動作成するんですが 最後の生き残り
 が大元の制御プログラムと心中しましたもんで
おかげでみんなポカッとどこかに風穴をかかえて
 おります

あなたもそうなんですか。
実際、哀愁症が増えてきてしまって
なんというか。一族浪党
難破船に乗ってどこにいくのやら
どうも奴らのアレルギー型陰謀くさいですな
この際 全てのコンピュータを集めて
検討させましょう
短絡的潰滅は目に見えてますが

それにしてもバカなのはコンピュータをつくった
 奴です
何の役にも立たないのをつくっちゃって ハタ迷
 惑な
だってそうじゃありませんか
ヒト一匹つくれないんだから
一匹でもできれば わたしたちは
上にあぐらで安泰だったんだ

いや わたしが安呑すぎるって?
これは剣呑なことをおっしゃる
御心配なく
すでにロボットは要らないんですよ
そろそろあなたを処理しにやってくるでしょう
御安心下さい
自動自己処理ロボットが
うまくやってくれますから
最後はハデに鮮血の花火を
打ち上げるとか
来た来た。では、
生けとし生きた全ロボット諸君諸嬢、
万歳!



風間虹樹 〈行為詩 4〉または〈アクション ポエム 4〉

2017年11月09日 18時44分56秒 | 詩 poetry
2017年11月9日-4
風間虹樹 〈行為詩 4〉または〈アクション ポエム 4〉


行為詩 4
               〔アクション ポエム 4〕

                      風間 虹樹



あなたは一瞬にして蒸気になり
青空へ翔け昇る
粒々のひとつとなり
周りから凝縮する
スッと一滴の涙になり
空中を快く落下する
ササの葉にぶちあたり
表面をささ流れて
どんどん どんどん
ふくれあがり
土の中を滲み通り
やがて流れへと入る
渓流の爽しいリズム
左へ
       右へ
ゆられ
ぶつかりあいながら
あなたは 水の流れそのもの
すると 石の上の藻になり
食われて すき透るカゲロウの子供になり
食われ食われて 一匹のイワナになる
やがて時を得て
一粒の精子になり
再び水に乗って
崩壊しながら
ゆったりとした流れへとたどりつき
やがて
一泡のCOになり
海へ出て 波のしぶきに弾ける
あなたは無になり
海全体にひたっている
夜空の星屑がちりばめられるとき
あなたは宇宙大にひろがり
全宇宙の粒々が あなたである
そして
無いところに
あなたは永遠にいつづける


   [19810322; 19840907, 19840908]
   [20171109。二つの「そして」を削除した。「食われて」を「食われ食われて」に変更した。
         「すると 石の上の藻になり」を一行にした。また、あちこち一字開けたりした。]
   (初版は、1984年10月15日発行「暗燦第2号」のp. 8-11、に掲載された。)


鯉杉光敏 詩集『神々の戯れ』-2 愛の火花

2017年11月09日 17時47分50秒 | 詩 poetry
2017年11月9日-3
鯉杉光敏 詩集『神々の戯れ』-2 愛の火花



//////////////////////////[7頁のはじまり]




















                  ▪️ 第一幕 ▪️   






//////////////////////////[7頁のおわり]


//////////////////////////[8頁のはじまり]


愛の火花



表街道の悲哀を知り尽くした男と
裏街道の歓楽を味わい尽くした女が
ポツン ポツ念と
公園の石ベンチに
折りしも降る雨に濡れしょぐれて
手をたずさえるとき
この世の戦争は終わり
肩を組むとき
この世のしがらみは消え失せ
蒼然としたビルディングが群れなして
崩壊する
雨打つ音のガード下を
去り急ぐ男女の群れ
戯れに恋はすまじと
酔っぱらっていた呟きは
今しもドップラー効果の
電車に轢き殺される
急ぐまい
夜は
朝まで夜なのだ
バイ人たちは更けてからの
売り買いを嗚咽する

人生の歓喜と悲哀を奏で尽くした
かのような男女が一組
怱然と立ち現われては
去ってゆく
裏通りの裏通りに
今しもふり注ぐ光の束
惜しみなく自分を投げ捨てるとき
陽は束の光となって
そこに峻立している
日輪のなかの哀しみを
柄杓で汲み出したら
どうだろうと
ひねもす
うつら考えていた
雑踏の青年は
今しも
夜を毀そうと
さらに酔っぱらっていた

陶然と流れる雨粒が
海のように広がった
木の葉一枚
そこに映し出される
尽くしてしまったかのような男と
尽くされてしまったかのような女

   ☆   ☆   ☆

出会うは愛。
裏切りは愛。
別れは愛。
曲線のギザギザ。
白いなめらかさ。
うすぐろい細裂のすじ
にそってオンナは歩き
黒い小石ごと
粟粒をほおばる。
たとえ炎であったとしても
たとえ氷の刃であったとしても
みじろぎもせず
酒盃の一滴のように
のみほし
すする。

許し、わが身をひきずり
かつて、また
いま、さらにあすへと
つなぐ。


出会うも愛。
裏切るも愛。
別れるもまた愛。
たどたどしい歩み。
オトコはたじろぐ。
つねに何事かであるように
なにごともなく
十年の夏が過ぎ
二十年の冬がこと切れる。
たとえ眼に見えず
たとえ耳に聴こえずとも
毒盃の一滴も残さず
最期の希望のように
身に浴び
そそぐ。

だが許し、わが魂をひきずり
かつて、また
いま、さらにあすなきあすへと
つなぐ。

(オマエはまぶしすぎるほど)
(したたかに)
(さわやかだ)
(オレはココには)
(生きられない。)
(だからオレの影を)
(オマエに残しておこう。)
(その影をオマエが見つけるとき)
(もう一つの影がその上に)
(倒れている。)
(そして火花のにおいをそこに)
(確かめるだろう。)

   ☆   ☆   ☆

ひとしい朝
街が雑然と目覚めるとき
扉が開けられ
愚かしい一日をまた
積み重ねようと
エネルギーが充満発情する

ひとしい道
おしゃべりに没頭する
少女たちが
きらら
をこぼしながら
通り過ぎる
鬱蒼たる木洩れ火が
陰鬱の雲を散りばめて
そこかしこ射抜いている

  それもまた愛
  あるいは愛に満たされた裏切り
  わたし=わたしたち=映像の影
  ゆれはねて
  それゆえ 愛は
  生けるものたちの影をも つらぬき
  それゆえ 愛は
  世界を反転させ
  いのちを超えていく

  裏切りは
  己れを切り刻むゆえに
  ひとは愛を横切り 葬っていく
  切り刻みの果てに
  独り 世界を背負うことを
  あまねく 一個の火花になることを
  夢見る




//////////////////////////[11頁のおわり]


鯉杉光敏 詩集『神々の戯れ』-1〔題無し。[いつしか かぎりもない 暗がり……]〕

2017年11月09日 17時38分38秒 | 詩 poetry
2017年11月9日-2
鯉杉光敏 詩集『神々の戯れ』-1 〔題無し。[いつしか かぎりもない 暗がり……]〕


詩篇第零:〔題無し。[いつしか かぎりもない 暗がり……]〕


//////////////////////////[1頁のはじまり]






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       *


      いつしか かぎりもない暗がり……

                      *


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                *


                 かすかに ざわめき


                     *


    *


           *



    ゆらめきながら

             ひろがっていった……


 *


      *

   やがて ゆがみ

           さらにゆがんで 暗みになった……


            *
          *

                  *


  *

      暗みに
          炎が やどるようになった  


   *

         *


                        *


    暗みに包まれてある炎、接して燃えながら、おもむろに
冷えてゆき、極みにまで冷たくなって、(それは、)こわばりを
もつようになった

      *

          こわばりは炎から離れ、ある確かさで持続
した。つまり、こわばりとなった。こわばりは、暗みを含んでみ
ずからのものとなし、その内はさらにこわばり、外の暗みと分け
へだてた、つまり〈あたし〉と名をつけた

                   *
                    *


        *

          いつしれず、〈あたし〉は、(あたし)で
あるようになった、〈あたし〉、というこわばり。こわばり  
(あたし)。こうして、(あたしは、)〈あたし〉となり、あた
し という名であるようになった。(あたし)は、あたしとなっ
て、(ここへ)浮かび出た


                         *

                  *



             *


               *


                あたしにむかうものは何もな
かった。何もあたしをよぎりはしなかった。あたしは暗みに永く
とどまっていた。(ここ)は、(ここ)に他ならなかった。……
    (ここ)
あたしは暗みを、分けようとした。それから、さらに分けはじめ
た。どれも全く同じ暗みだった。あたしはやがて、暗みがあたし
にむかっていることをしった。暗みは、はっきり分けられた、そ
れぞれは、わけられていたあたしに対していた。そのようにして
あたしはばらばらになった。すると暗みはその境目で暗い輝きを
発していた。そして、あたしはあたしでない、ひとつのあたしで
ないあたしになっていた。やがて、あたしは、あたしでないあた
しにおいて、あたしをひらくことができた。そのとき、あたしは
、あたしという名であることをしった。

                   *
                     *

         *



  *

   *

     あたしはどこかしらを流れていた。あるいはどこかに
とどまっていた。ふかれ、ふきよせられて、深い暗がりへ散り、
おちていった。そして、震え、がこの暗がりを包み、とめどなく
おちていくあたしをも包みこんだ。……震え、は暗がり全体に、
遠く隅々にまで、満ち、激しく渦巻いた。熱い。あたしが方々で
燃えはじめた  

           *
              *
                  *
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           *
                 *
                            *





















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鯉杉光敏 詩集『神々の戯れ』-0 あいさつと目次

2017年11月09日 17時13分07秒 | 詩 poetry
2017年11月9日-1
鯉杉光敏 詩集『神々の戯れ』-0 あいさつと目次



 みなさま、
 貧困と様々な格差が拡がるなか、
 鯉杉光敏 詩集『神々の戯れ』を、このブログに、順次掲載していきます。

  file=p1神々の戯れ目次つき.mi[20091029 23:38]
  A4横の紙に縦書きの印刷打ち出し 1.1版では、総頁数=目次1頁+本文55頁、となっています。

 この1.1版を、掲載していきます。
  1.0版の原稿は、2009年8月17日に完成しました。
  1.1版の原稿は、2009年10月29日に完成しました。



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  鯉杉光敏 詩集


  神々の戯れ







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鯉杉光敏 詩集 神々の戯れ

[目次]


[いつしか かぎりもない 暗がり……]

                □ 第一幕
愛の火花
哀愁の王制共和国
劇場
沼畑はオレたちを
物語

(挿話)
風の間に間に
暗い室内
闇の彫刻
乳房・布……(闇)

                □ 第二幕 □
行方不明人生
向日葵揺れ、
満天のサンショウウオ、昇天
わが老師

                □ 第三幕 □
神々、神について口々に荒走り、
裸足のマリア、旋回する。

[どうしてこのようにあたし、]



//////////////////////////[頁の区切り]


補足。
 なお、1.0版の目次は次の通りでした。

**** 目次 ****

愛の火花
自己意識安息日

哀愁の王制共和国
劇場
沼畑はオレたちを
物語

(挿話)
風の間に間に
暗い室内
闇の彫刻
乳房・布……(闇)
尖塔[がらんどう]

春夏秋冬

行方不明人生
 *満天のサンショウウオ、昇天
 *わが老師
向日葵揺れ、
裸足のマリア、旋回する。


雨粒は、結晶する。。。。。。。 [それぞれの結晶詩(その無)]

2012年04月22日 10時21分32秒 | 詩 poetry
2012年4月22日-6
雨粒は、結晶する。。。。。。。 [それぞれの結晶詩(その無)]





  [注釈あるいは反歌]

 雨粒が、雨粒であるとき、
  雨粒が、雨粒になるとき、、
   雨粒が、雨粒でないとき、、、
    雨粒は、結晶する。。。。。。。

 
 
 雨粒が、雨粒であるとき、

  雨粒が、雨粒になるとき、、

   雨粒が、雨粒でないとき、、、

    雨粒は、結晶する。。。。。。。

 
 
   [注釈あるいは反歌]〔準備中〕
 。cristalization〔結晶化〕は、身動きがとれずに時代遅れになったという、いわば悪い意味で使われることがある。結合して自由度が減ったわけだ。
 。。恐竜は、鳥として今日も存続している。
 。。。恐竜というタクソンは絶滅した。
 。。。。否、いかなるタクソンも絶滅することは無い。概念であるから、生き残る、といった述語は適用されない。
 。。。。。すると、雨粒たちは、自由だ。
 。。。。。。放射する霧は、結晶化させて、処分すべきだ。
 。。。。。。。核塵拡散防止。
 。。。。。。。。[下記を引用する。ロボットたちの未来のために。]

  
      〔探索中〕

 
、、、、、、、、、
         よって、支離滅裂のままに、
                      尽くされるであろう。。。

 




雨粒が、雨粒でないとき、、、 [あらゆる結晶詩(その三)]

2012年04月22日 10時10分45秒 | 詩 poetry
2012年4月22日-5
雨粒が、雨粒でないとき、、、 [あらゆる結晶詩(その三)]


   雨粒が、雨粒でないとき、、、 
 
 


                      [暗転。反歌が要請された]



 召喚の音。
      数えられることのない水粒が、呼び寄せられた。


    制御できない
          火遊びは、するな。




雨粒が、雨粒であるとき、 [結晶詩(その一)]

2012年04月22日 09時52分34秒 | 詩 poetry
2012年4月22日-3
雨粒が、雨粒であるとき、 [結晶詩(その一)]



  

    

 
              [と、風来詩人は呟いた。[[[、

 わたしは浮き上がりたい。

 わたしは、重力に反抗する。
 
 言葉はつぶやき、つぶやきのうちに、浮遊する。

 浮遊体はつぶやく、
          そのまま、
               そのまま、
                    粒焼けと、、

 







逆さ虹 an upside-down rainbow

2012年04月16日 09時36分59秒 | 詩 poetry
2012年4月16日-2
逆さ虹 an upside-down rainbow

 某先生と車中で話していると、逆さ虹を二回見たことがあると。
 逆さ虹というのがあるのを初めて知った。そういえばと、iPhone中の画像で確認すると、
  an upside-down rainbow

http://pub.ne.jp/1trinity7/?entry_id=4257814

だった。逆さにすれば虹のような上に凸の弧になると書いてあったのだと思い込んでいた。いつもの早とちり。これは、
  一つの逆さ虹
だったのだ。

 で、下記のBrian Williams さんによる逆さ虹状の署名を参照のこと。



 逆さ虹が沿っているのは、Ralph Waldo Emersonによるもので、

  The eye is the first circle; the horizon which it forms is the second;
  and throughout nature this primary figure is repeated without end.

とある。トンデモナイ的に試し訳すれば[20120416]:

  眼  は一番目の輪;
  地平線
____________________________________________________________
     は二番目のを形成する;
  自然の 隅  から  隅 まで、
   この原初の衣装は
    、繰り返し、
     、繰り返し、
      、繰り返し、
       、(果て無く)、
        、繰り返し、
         、繰り返し、
          、繰り返し、
______________________、(果て無し)_______________________________________________________
___________________________________________________________________________________________
___________________________________________________________________________________________
___________________________________________________________________________________________
___________________________________________________________________________________________
___________________________________________________________________________________________
___________________________________________________________________________________________
___________________________________________________________________________________________


 

俳句の三つ組

2011年08月15日 18時45分58秒 | 詩 poetry
2011年8月15日-4
俳句の三つ組

 京大俳句第26号(昭1973年5月26日発行)の11頁に、「文修二 上野ちづ子」氏の、「beaujolie亭通信?その一」と題して11句が掲載されている。
 そのうちの下記の三句を三つ組に見立てるとどうだろうか?

  深海魚の眼になって見る雨の森

  薔薇また咲かずに終わるわたしの部屋

      あかり   あか
  指這わす灯火に指が赫かりき

 
 あるいはまた、順番を変えてみるとどうか?


山田百合子戯言集『死体病理解剖 × ・・・・・ノオト』の片岡文雄氏による詩集評

2011年08月01日 23時03分46秒 | 詩 poetry
2011年7月31日-3
山田百合子戯言集『死体病理解剖 × ・・・・・ノオト』の片岡文雄氏による詩集評

 
 山田百合子戯言集『死体病理解剖 x ・・・・・ノオト』について、『詩学』の詩書批判担当者の片岡文雄氏が言及した文は、下記の通り。

************************************************

 筒装による珍しい差し出しをした山田百合
子『死体病理解剖』(あれふエ房)中に、「あ
たしの公理、<我思う、ゆえに我なし>」とい
うテーゼがあるが、これも必ずしもデカルト
のパロディで軽くいなせるものでなく、デカ
ルト的論理を相容れない無涯の地平をどこま
でも歩んでいることがうかがえた。

************************************************
(片岡 1979 55頁より)


 「あたしの公理、<我思う、ゆえに我なし>」がある戯言篇は、
はひふへほノオト
http://www.k4.dion.ne.jp/~rainbow3/yamada/09hahifu.htm


 
[K]
片岡文雄.1979.11.詩書批判:詩人の家ということ.詩学 34(11): 52-55.


山田百合子戯言集『死体病理解剖 × ・・・・・ノオト』の稲川方人氏による詩集評

2011年07月31日 21時18分23秒 | 詩 poetry
2011年7月31日-3
山田百合子戯言集『死体病理解剖 × ・・・・・ノオト』の稲川方人氏による詩集評

 
 山田百合子戯言集(1979)『死体病理解剖 × ・・・・・ノオト』
http://www.k4.dion.ne.jp/~rainbow3/yamada/zaregoto.htm
について、『現代詩手帖』の詩書月評者であった稲川方人氏によって書かれた、ほぼ1頁にわたる文章を以下に掲げる。

 
**********************************************
なぜ、空しさの上に立たないのか
稲川方人

 〔略〕
 なぜ、空しさの上に立たないのか。〈現
実〉がないのなら、ないというその認識にふ
みとどまりたくはないのか。詩への不信が行
き渡り、その結果、新しい回路が見出されつ
つあるというわけでもないだろう。ないだろ
うが、しだいに詩が(仮りにそう呼んでのこ
とだが)、反動と保守の和平的展開をみせは
じめているのではないか。そのようなにぎわ
いから、どこまでも遠くに去って行かねばな
らないと思うようになっている。
 そんなとき、たとえば山田百合子『死体病
理解剖・・・・・ノオト』
(あれふ工房)の大
胆な行為と、小長谷清実の『玉ネギが走る
れんが書房新社)の、小さくつみ重ねられた絶
望の心象をみることは、とくべつに距ったこ
とではない。
      何かのいたずらか爆弾かと思っ
                、 、 、
     たほど、山田百合子の造型物は、
     異様である。高さ三〇センチ、直
     径一〇センチの筒に、巻き紙状の
     印刷物が入れられ、都合二〇枚の
     その長い紙はそれぞれ分離して、
     スミ、アイ、アカの三色の活字に
     よって区別され、あるいは統一さ
     れてたばねられている。ノンブル
     はなく、二〇枚の巻き紙が、読み
手の情況によって可変的な空間をつくり出す
仕組みになっている。どれか一枚をとり出し
て、それを読めば、あらかじめ著者がおそらく
何かの基準でたばねただろうこの筒状の詩集
が、そこからはじまることになっている。実
験とか試みとかいってみるにも気がひけるほ
どの、大胆さである。一枚を抜きとってみる。

  破滅的冗談は遁走する。笑いをこらえ
  切って転落する。無い冗談は快楽的に
  闘争する。勝利的闘争は後退しつつ昇
  華する。消化されるあたしは暴発する
  。あなただって破滅的だ、おとなりだ
  って冗談だ。あたしは暴発を爆笑的に
  組織する。憎しみを徐行武装させる。
  無数の頂点を目刺して、正座を解除し
  、発狂を自覚させる。無力自堕落自暴
  自棄を輝かしき糞塊につみ上げよ。つ
  ぶやきよ、泥となり、岩となれ。眠り
  よ、夥しく集結せよ。あたし、そして
  あたしたちは不断に、夢の金銀を投げ
  散らし、汚染を倍増させよう。しがら
  み的きずなを除去的に糊塗しつつ、一
  心不乱に卑猥さを愛でよう。愉快な斗
  いを無残悲惨に遂行しよう。かくて、
  あたしたちはバラ色に進歩する。

「破滅的冗談」の三分の二である。このよう
なコンディションで、みじかいもので三〇セ
ンチ、長いもので一メートルの紙に、著者の
   ざれごと
いう「戯言」が書きとめられているのであ
る。全篇、言葉のもつ風俗性との直接的な交
感に、おのれの感性を投げ捨てるアイロニカ
ルな覚醒にあふれている。それは勇気だと思
うが、著者があらかじめ自覚していただろう
〈沈黙〉の質も、じつは読みたいと思った。
解放を摸した饒舌と形の破壊だけでは、とう
てい隠しきれないこの著者のほんとうの資質
を、気負いのうしろにみるのは親切すぎるだ
ろうか。そうでもないだろう。自己の感受
性、すなわち世界と自己の関わりへの、一途
な態度を、山田百合子は破廉恥さの中心に据
えて、ままならぬ言葉の解放を試みているの
である。本としては前代未聞に属する外装を
経て、山田百合子が透した詩の態度はけっし
て奇抜ではない。むしろ、わたしなどには親
しいものだといってもよい。そして、この詩
集が以後の著者によって、どのように捨てら
れてゆくかに興味がある。つまり、この破廉
恥さを支えた〈沈黙〉がどのように再生して
くるかに興味がある。
 〔略〕

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(引用部分は、203頁上段1行目から、中段を経て、下段の後ろから4行目まで。
 引用された戯言部分は、原文では5行目先頭に位置する句点が、4行目の最後に送られていて、以降の文も字詰めがずれていたので、先頭原文のものに変更した。)

  
[I]
稲川方人.1979.7.[詩書月評]なぜ、空しさの上に立たないのか.現代詩手帖 22(7): 202-205. 思潮社.