生命哲学/生物哲学/生活哲学ブログ

《生命/生物、生活》を、システム的かつ体系的に、分析し総合し統合する。射程域:哲学、美術音楽詩、政治経済社会、秘教

Bunge哲学辞典訳出20160602

2016年06月02日 16時50分28秒 | Mario Bunge哲学辞典
2016年6月2日-1
Bunge哲学辞典訳出20160602

 アリス A. ベイリーによれば、東洋哲学は生気論の立場である。
 では、生気論とはなんだろうか?
 マリオ ブーンゲ Mario Bunge 氏の『増補版 哲学辞典 Philosophical Dictionary Enlarge Edition』(2003)から関連する用語を下記に訳出する。


animism アニミズム [BungeDic2: 30 一部改訳20160602][=BungeDic1: 18]
 すべての物は、あるいは或る種類のすべての物は、生き物のように動かされている〔animated〕という教義。つまり、非物質的な↑【霊たち 〔spirits〕】によって宿られており、霊たちは物どもを支配〔rule〕している。例:魂は身体を統治〔govern〕するという見解〔考え方 view〕。同義語:↑汎心論〔panpsychism〕。


美 beauty [BungeDic2: 30][試訳20160602]
 あらゆる人が求め楽しむが、だれも知らないらしいもの。価値論的絶対主義者は、美を客観的で文化横断的だと見なす。ところが、主観主義者は、美は見る人の眼にある、よって主観と文化に相対的なのだと宣言する。どうやら、この問いは人類学と実験的↑【感性学〔美学〕 aesthetics】によってのみ解決されるようだ。


生成 becoming [BungeDic2: 30][試訳20160602]
 変化、過程。この過程的存在論における中心的概念は、存在という概念と同じく、いかなる静態的〔静的〕存在論にも要となっている。↑【過程主義 processualism】。しかしながら、生成と存在は相互に排他的なのではない。というのは、↑【物質 material】であることは、変化し得ることだからである。


霊 spirit [BungeDic2: 275][試訳20160602]
 物質的なもの material thingsに作用できる、個々のまたは集合的な、非物質的な存在。↑【アニミズム animism】、↑【観念論 idealism】、そして↑【心霊主義 spiritualism】の中心的概念。


心霊主義 spiritualism [BungeDic2: 275][試訳20160602]
 過去では、↑【観念論 idealism】と同一であった。今日では、周囲に漂い、超常的能力を授けられた稀な個人に取りつくことができる霊または魂を信じることである。



Bunge哲学辞典訳出20150906a

2015年09月06日 22時51分52秒 | Mario Bunge哲学辞典
2015年9月6日-1
Bunge哲学辞典訳出20150906a

<凡例>
  ↑:その直後の語を『参照せよ』を指示する。
 【】:【 】に囲まれた文字が、ゴシック体であることを示す。
 _ _:_ _に挟まれた文字が、斜体であること(強調)を示す。
 「」:標徴〔sign〕、記号〔symbol〕、語、そして文であること(表記)を示す。原文では単一引用符(‘’)で括られている。
 『』:概念または命題であることを示す。原文では二重引用符(“”)で括られている。
 〔〕:訳者の注記であり、原語または代替訳を示すことが多い。*がある直前のものは訳の検討が必要であることを示す。

20150906。「,」を「、」に、と「.」を「。」に変換した。[「、」や「。」の方が見やすいから。]



Bunge哲学辞典項目
******************

〔action 作用 [BungeDic1, p.9][未訳]〕
〔aethetics 感性学〔美学〕 [BungeDic1, p.11][未訳]〕
〔agent/patient 作用者〔動作主、作動者〕〕/受動者〔被動者〕 [BungeDic1, p.11-12][未訳]〕
〔agency 作用* [BungeDic1, p.11][未訳]〕
〔aggregate、は項目として無し。〕
all is one [BungeDic2, p.14][20150906試訳]
animism アニミズム [BungeDic1, p.18][初版の訳→増補改訂版の訳にすべし]
argument 論証 [BungeDic1, p.23]
art 芸術 [BungeDic1?2?: **]
bond or link 結合または連結 [BungeDic1, p.32。2012年8月25日-13]
burden of proof 立証責任〔挙証責任〕 [BungeDic1, p.33。2012年8月25日-14]
category mistake カテゴリー錯誤〔部類錯誤〕 [BungeDic1, p.35]
causalism 因果主義 [BungeDic1, p.35]
〔chutzpah, philosophical 哲学的厚顔無恥[未訳]〕
schema 図式〔大要〕 [BungeDic1, p.256]
CESM model CESMモデル〔構環構機モデル、成環造機モデル〕 [BungeDic1, p.36]
class クラス [BungeDic1, p.39]
classification 分類 [BungeDic1, p.39]
collection 収集体 [BungeDic2, p.43]
emergence 創発 (p.83)
evolution 進化 (p.93)
evolutionism 進化主義 (BungeDic2, p.94)
explanation 説明 [BungeDic1, p.93-94。BungeDic2と照合すべし][2011年11月2日-3]
explanatory power 説明力[BungeDic1, p.94。BungeDic2と照合すべし][2011年11月2日-3]
hermeneutics 解釈学 [BungeDic1: 120]
information 情報 [BungeDic1: 139-140][2012年7月15日-2]
level レヴェル〔準位、階位、水準〕 [BungeDic1: 158-159]
level structure レヴェル構造 [BungeDic1: 159]
life 生命 (p.163)
matter 物質 (BungeDic2, p.174)
mechanism メカニズム、機械論 (p.175)
model モデル〔模型〕 [BungeDic1, p.39]
natural kind 自然類 (p.191)
object 対象 (p.199)
panpsychism 汎心論[Bunge (1999) 哲学辞典 初版 p.205]
phenomenology 現象学 [BungeDic2: 212]
philosophy 哲学 [BungeDic1, p.210]
plausibility もっともらしさ [BungeDic2, pp.214-215]
postmodern 後近代〔脱近代 [BungeDic2: 220]
principle 原理 [BungeDic1: 222][2012年7月21日-2]
probabilism 蓋然論 [BungeDic1: 222]2012年7月20日-7
probabilistic philosophy 蓋然論的哲学 [BungeDic1: 222]2012年7月20日-7
probability 確率 [BungeDic1: 222-223]
probability calculus 確率解析 [BungeDic1: 223][2012年7月21日-2]
〔probability, objective 客観的確率 [BungeDic1: 223]〔未訳〕 〕
〔probability, ordinary kowledge notion of 日常的知識概念での確率 [BungeDic1: 223]〔未訳〕 〕
probability paradoxes 確率の逆説 [BungeDic1: 223-224]
probability, subjective 主観的確率〔主観確率〕 [BungeDic1: 224-225]
probability, vulgar notion 確率、通俗的概念の (BungeDic2, p.227)
reduction 還元 [BungeDic1: 242-244][2012年7月15日-4]
reductionism 還元主義 [BungeDic1, p.244][2012年7月15日-4]
reference 指示 [BungeDic2, p.246]
representation 表象〔再現前、表現〕 [BungeDic2: 251]
scrutability 検証可能性 [BungeDic1, p.262。BungeDic2と照合すべし。2012年7月23日-3]
sectoral approach 切断的接近〔アプローチ〕 (Bunge 1999, p.263)
self-assembly 自己集成 (BungeDic2, p.263)
sign 標徴〔符号〕(1999初版、p.267)
sketch 概述〔見取り図〕 [BungeDic1, p.270]
species 種 (p.274)
structure 構造 [BungeDic2, p.277]
symbol 記号 (Bunge哲学辞典1999初版、pp.280-281)
system システム (p.282)
systemic approach システム的アプローチ (p.285)
taxonomy 分類学 (p.289)
 〔technics 技巧 は、マーナ・ブーンゲ『生物哲学の基礎』: 245頁を見よ。〕
 〔technique 技術 は、マーナ・ブーンゲ『生物哲学の基礎』: 96頁, 129頁を見よ。なお、技術 techniqueは(一般的に対しての)特異的方法であるが、技術が科学的であるための条件とは、
  a. 間主観性条件
  b. 試験〔テスト〕可能性条件〔試験testとは、経験に照らして試すことである〕
  c. 正当化条件
 である(マーナ・ブーンゲ『生物哲学の基礎』96頁を見よ)。2010年7月28日-2。〕
technology 科学技術 [BungeDic2, pp.289-290]〔また、technology 科学技術については、マーナ・ブーンゲ『生物哲学の基礎』の244頁からの5.5.4節 応用科学と科学技術、を見よ。〕
theory 理論 [BungeDic2_p.***]
time 時間〔時〕
typology 類型学 [BungeDic1, p.301]
understanding 理解〔了解、会得、[基立:もとの意味に沿って、下に立つと解すれば、基立と訳すべきである。]〕[BungeDic1: 302]2012年7月20日-3]
Verstehen 了解 [BungeDic1: 308-309]
war 戦争 [BungeDic2, p.311]

******************

aethetics 感性学〔美学〕 [BungeDic1?2?: **]
 a 哲学的 芸術の哲学。それは、芸術作品、表象的/抽象的、様式、そして美しい/醜い、という一般的概念を巡って旋回する。この分野の地位は、不確定である。なぜなら、客観的規範〔規準〕は知られておらず、よって芸術作品を評価するための個人を越えた、かつ文化横断的な客観的規範は無いからである。とりわけ、気まぐれに行なったコラージュ〔糊付け作品〕でも、一連の恣意的な雑音でも、うまいこと売り込まれれば、芸術作品として合格するだろうわれわれの時代においては、そのような規範は無いからである。その結果、感性学〔美学〕的な意見、定義、そして分類は数多くあるけれども、試験〔テスト〕可能な感性学的仮説は、ましてや仮説演繹的体系(理論)は無いようである。もっとも、感性学的諸概念の分析と相互関係づけは、正当な努力であり、それは「分析美学〔分析的感性学〕」と呼ばれてもよい。
 b 科学的 D. Berlyneによって創始された、芸術鑑賞の実験的心理学。


all is one すべては一つである[BungeDic2, p.14][20150906試訳]
 あらゆるものは相互に繋がっており、分離された〔孤立した〕ものは何も無い――一全体としての↑【宇宙 universe】を除いて。徹底した〔急進的 radical〕↑【全体論 holism】の公式〔決まり文句 formula〕である。あるゆるものが他の何かと繋がっていることは本当である。しかし、物の間のすべての結合が等しく強いわけではなく、たいていの結合は距離とともに急に減少する。とりわけ、一つの↑【システム system】の構成要素の間の結合は、そのシステムとその環境との間の結びつきよりも強い。そうでなければ、明確なシステムは存在しないだろう。↑【システム主義 systemism】


animism アニミズム [BungeDic1: 18]
 すべての物は、あるいは或る種類のすべての物は、生き物のように動かされている〔animated〕という教義。つまり、非物質的な↑【霊たち 〔spirits〕】によって宿られており、支配〔rule〕されている。例:魂は身体を統治〔govern〕するという見解〔考え方 view〕。同義語:↑汎心論〔panpsychism〕〔2011年7月31日-1〕。


argument 論証 [BungeDic1, p.23]
 【a 日常言語】論争。
 【b 論理〔学〕】前提から結論への(妥当な、または妥当ではない)推論。唯一の妥当な論証は、演繹〔導出〕である。妥当性はもっぱら、形式に依存する。それゆえ、『すべてのメロンは高潔である。これはメロンである。よって、このメロンは高潔である』は、形式的に妥当である。妥当性にかかわらず、諸論証は実り多かったり不毛であったりし得る。妥当ではないが実り多ければ、それらは_魅惑的 seductive_だと言われるかもしれない。例:無作為標本から母集団への統計的推測。非演繹的論証は、内容に依存する。したがって、帰納的論理または類推的論理を建設しようという企画は、倒錯している wrong‐headed。非演繹的論証は、認知心理学と認識論に属するのであって、論理学に属するのではない。類推的論証と帰納的論証は、示唆的ではあるが、論理的に妥当ではない。
 〔訳注。論理または論理学の範囲を、非演繹的論証も含めた(意味内容に関連した)論理的側面を研究するものだと拡張すれば、演繹的論証の性質も逆照射的にわかるというものではないか? 頑迷固陋な wrong‐headed というべき。さらに、論理学が推論を扱うのならば、推論は心理学の一分野、つまり心的物体の振る舞いに関する学問だと主張できるだろう。
 なお、科学は事実と関わるので、科学的推論とか科学の哲学のおける論証または議論 argumentは、演繹的推論だけではなく、なんらかの形で事実に言及することになる。いわゆる「科学的」事実に言及しないのならば、その議論は、狭い意味での論理学または数学の部類である。〕


art 芸術 [BungeDic1?2?: **]
 a 感性学〔美学〕的 なんであれ、自分または他の人に、いわゆる肉体の快楽以外の快楽を入手することをめざす人間活動。芸術は視覚的、聴覚的、記号的、あるいはこれらの組み合わせであり得る。感性学〔美学〕の対象。
 b 認識論 科学的および科学技術的研究のなんらかの産物は、妥当である、真である、あるいは効率的であることを越える。すなわち、それらは美しい(あるいは醜い)、そして優美である(あるいは無器用であるclumsy)とも見なされる。そのうえ、科学的研究は科学であるよりも芸術であると広く同意されている。しかし、これらの用語の意味についての合意は無い。よって、感性学〔美学〕的特質についてのすべての論証は決定的でない。↑【感性学 aethetics〔美学〕】。


bond or link 結合または連結 [BungeDic1, p.32]
 二つの物が結合されている、連結されている、または対にされている coupledとは、それらにとって相違を生じる関係がそれらの間に在るとき、そしてそのときに限る。例:物理的力、化学結合、交友関係、取引関係。諸関係はさらに、_結合_と_非結合_に分割される。空間的時間的関係は、非結合的である。しかし、時空的関係は、結合を可能にさせたり、不可能にさせたりする。〔非結合の〕例:近接、間にあること、時間的遷移。


burden of proof 立証責任〔挙証責任〕 [BungeDic1, p.33]
 推測、規範、または方法を申し出る者はだれでも、それを正当化する道義的責任を持つ。たとえば、心的なことの非生物学的説明、あるいは、社会的なことの生物学的説明を進める者はだれでも、それを支持する証拠〔根拠 evidence〕を示す義務がある。対照的に、科学者と科学技術者は、科学者でない者〔非科学者〕のとっぴな空想的産物〔奇抜な考え〕を照合する義務の無いところにいる。同様に、刑事には、異星人に誘拐されたという主張を反証する義務は無い。生体医学研究者には、信仰療法が申し立てられたあらゆる事例を照合する義務は無い。また、工学者〔技術者〕には、永久運動機械のあらゆる新しい設計を検査する義務は無い。


category mistake カテゴリー錯誤〔部類錯誤〕 [BungeDic1, p.35]
 或る類 kind に属する或る対象を、別の類に属すると提示〔呈示 presentation〕すること。例:自由意志を予測可能性と混同すること、また、『集団的記憶 collective memory』と『行為〔行動 actions〕の意味』について話すこと。


causalism 因果主義 [BungeDic1, p.35]
 ↑【因果連関 causation】は、生成の唯一の様態 mode だとする存在論的テーゼ〔定立〔定立命題〕〕。放射能、神経細胞の自発放電、そして↑【自己集成 self-assembly】によって反証された。
 〔訳注。前二者は暗黒物質が検出されれば反確証例にはならないかもしれない。また、自己集成は、機構が不明のままであると思う。マーナ・ブーンゲ『生物哲学の基礎』では、創発は自己組織化と同一視されているが、自己組織化もまた機構が不明のままであると思う。つまり、十分な説明の無い概念である。〕


CESM model CESMモデル〔構環構機モデル、成環造機モデル〕 [BungeDic1, p.36]
 順序四つ組 M =〈構成、環境、構造、(諸)機構〉として、或る↑【システム】の↑【概要を述べたもの sketch】。例。製造工場は、労働者、技術者〔工学者〕、そして管理者から構成され、その環境は市場であり、それは契約と通信および命令の諸関係によってまとめられ〔一緒にされ〕、その諸機構とは製造、売買 trading、借用、そして営業企画 marketingの諸機構である。或るシステムの機構〔メカニズム〕が知られていないか無視できるならば、メカニズム的CESMモデルは、機能的なCES概述へと縮まる〔reduce to〕。


class クラス [BungeDic1, p.39]
 一つの(単純なまたは複雑な)述語によって定義された収集体 collection(とりわけ、集合 set)。【同義語】類 kind、型 type、種類 sort。クラスの代数学とは、集合を全体として扱い、それらの合併〔和集合〕、共通部分〔積集合〕、そして補集合を研究する論理学の分野である。
 〔訳注。マーナ・ブーンゲ『生物哲学の基礎』では、二つ以上の述語によって定義された収集体を、類 kindとしている。なお、この哲学辞典には、kindという項目は無い。〕


classification 分類 [BungeDic1, p.39]
 一つの収集体を、互いに素な部分集合(種 species)に、 網羅的に分割することと、部分集合を、属といった、より高位のクラス(タクソン)にグループ化〔群化〕すること。分類には、二つの論理的関係が含まれる。すなわち、クラスにおける個体という属員性 membership(∈)と、より高位階のクラスにおけるクラスという包含 inclusion である。よって、あらゆる分類は、集合理論の↑【モデル model〔模型〕】(例)である。↑【分類学 taxonomy】


collection 収集体 [BungeDic2, p.43]
 任意に〔恣意的に〕、またはある共通の性質を持つゆえに、集められた、一群の[a group of]対象。固定した成員性〔属員性〕[membership]を持つ収集体は、語の数学的意味での集合[set]である。たとえば、人類は変異可能な[variable]成員性を持つ収集体であるが、所与の時点で生きているすべての人間の収集体は集合である。〔2010年8月4日-1。〕


composition 構成[Bunge 2003, p.47]
 【a システム system】一つのシステムの諸部分の集合。或るシステムは数個の水準 level の部分(たとえば、原子、分子、細胞、器官、人、など)を持つかもしれないから、どの水準での構成要素を考えているのかを示す必要がある。例:原子水準での構成、(社会システムの場合には)人の水準での構成、(経済システムの場合には)商店の水準での構成。或るシステム s の水準 L での構成 CL(s) という概念の定義は、容易である。すなわち、C(s)のLでの共通部分である。つまり、CL(s) = C(s) ∩ L、つまり、sの部分であるLsの集合である。
 【b 虚偽〔誤謬〕 fallacy】存在論的誤謬は、その部分の諸性質のすべてを一つの全体(集合またはシステム)に帰すことにある。例:『その種はシロアリを食べる〔常食とする〕』〔或る種という全体を、シロアリを食べるというその構成員生物体たちの部分的性質と同一視するというのが間違いということを言っているのか?〕。この虚偽は↑【創発 emergence】の否定に起源する。極端な〔急進的〕還元主義〔還元論〕は、構成の虚偽を必然的に含んでいる。存在論的↑【個体主義者たち individualists】は、特に社会諸科学においては、特にこの虚偽に陥りやすい。


emergence 創発 (1999=?2003, p.83)
 a 【静態的概念】システムの一性質が創発的であるのは、そのシステムのどの構成要素によっても所有されないとき、そしてそのときに限る。例:平衡、シナジー、共時性、生きていること(諸細胞のひとつの創発的性質)、知覚すること(神経細胞〔ニューロン:ルビ〕の一定のシステムの一つの創発的性質)、社会構造(すべての社会システムの一性質)。創発的性質は、(集塊のように)局所的〔local〕または(安定性のように)大域的〔global〕であり得る。形式的定義:Pは創発的性質である =df ヨxヨy (Px & y < ⇒ ¬Py)。ここで、<は部分/全体関係を表わす。
 b 【動態的概念】すべてのシステムは、その構成要素の(自然なまたは人工的)集成によって形成されるという仮定によれば、創発は個体発生と↑【歴史】(とりわけ↑【進化】)の両方に典型的である。例:発話は子供において生涯の最初の年に創発し、それはおそらく、10万年前のHomo sapiens sapiens〔ヒト種ヒト亜種〕の誕生とともに創発した。創発という概念を、↑【付随性】という曖昧な〔fuzzy〕概念と混同すべきでない。また、全体論者がそれを大事にしているから、特に創発を分析不可能とみなしているからといって、捨ててしまうべきではない。システムについての科学的研究の主要点は、そのシステム的(つまり創発的)性質を、それの諸部分の相互作用か、あるいはその歴史によって説明しようと努めることである。創発は、↑【全体論】と↑【個体主義】の視界〔ken〕を越えるものである。↑【システム主義】だけがそれを正当に扱う。


evolution 進化 (p.93)
 様々な類の物の創発〔emergence〕と潜没〔submergence〕によって区切られた歴史。(よって進化という概念は、歴史という概念の特殊事例である。)例:化学元素と分子の進化;非生物的物質からの細胞の最初の自己集成〔self-assembly〕からはじまる生命の歴史;人類史。進化は、(個体の)発生や生活史と混同されてはならない。今日では、カトリック教会でさえ、生物学的進化が起きたことに異論を唱えない。カトリック教会が異論を唱えているのは、進化についての自然主義的(唯物論的)説明であり、とりわけ心的能力は、いかなる神の介入も無くして、解剖学的および心理学的特徴に沿って進化したという、科学的仮説である。↑【進化的心理学】。


evolutionism 進化主義 (BungeDic2, p.94)
 事実についてのあらゆる領域〔realm〕は↑【進化】の支配下にあるという、存在論的教義。ダーウィニズムを、すべての事実的科学へと拡張したものである。哲学的な原理であるから、進化的↑【生物学】と混同してはならない。進化生物学は、現代生物学の標準的構成要素である。進化主義によって、あらゆる物事は変化に従うだけでなく、ひょっとして種形成と種絶滅にもさらされることもあるとみなすことを研究者は享受したので、進化主義はすべての自然科学と社会科学を根本的に変形した。また進化主義は、静態的な存在論と認識論の最後の名残りを破壊することによって、哲学に対して決定的な影響を与えた。それは、どの制度も永遠ではないと示唆したから、改革論者と革命的な諸社会的イデオロギーを奨励したのである。そして、スペンサー Spencerの(生理的な)最適者の生き残りと優位性を明言するという間違った解釈のおかげで、進化主義はまた、優生学と人種差別やファシズムといった退行した信条を奨励した。〔2010年8月10日-5〕


explanation 説明 [BungeDic1, p.93-94。BungeDic2と照合すべし]
 説明は、諸事実と関係のある一つの認識的操作である。或る事実(具体物の状態または状態の変化)を説明することとは、それがいかにして生じたかを示すことにある。例:日没は地球の回転によって説明される。事実を説明することを急ぐ前に、それは人為産物または幻覚ではないことを、合理的に確信しなければならない。これは、その事実をできるだけ注意深く記述すること、そして観測、測定、または実験といった経験的手段によってその記述の正確さ〔的確さ accuracy。preciseは精確〕を照合する checkことを含む。ゆえに、説明は記述と試験〔テスト test〕によって先行される。説明には三つの側面〔相 aspect〕がある。すなわち、論理的、存在論的、そして認識論的という側面である。説明の_論理_は、規則性(たとえば、法則)と状況 circumstance(たとえば、諸初期条件)に関わる演繹的〔導出的 deductive〕論証としての説明を提示する。説明の_存在論_は、仮説化した↑【メカニズム〔機構〕mechanism】(因果的、機会的、目的論的、など)を指し示す。そして、説明の_認識論_は、既知のものまたはなじみのものと、新しいものまたはなじみではないものとの間の関係を問題にする。魔術的で宗教的な説明と同様に、典型的な科学的説明は、なじみではない諸存在者または諸性質を引き合いに出す。しかし、前者とは違って、後者は↑【検証可能 scrutable】〔scrutable 精密な調査[研究]によって理解できる(大辞泉)。日本の新聞やテレビではよく「検証」という言葉が聞かれる。アメリカ合州国でのscrutinizeが検証に当たるとどこかに書いてあった。実証との関係は? 科学業界での検証は、論理実証主義または論理経験主義的なverificationなのだろうか? 積極的な意味では、立証という語がある。verificationismを立証主義とし、testを試験またはテストとするとよいかもしれない〕である。そのうえ、通常の知識と魔術的説明とは対照的に、科学的説明は↑【法則 law】とよく認定された〔保証された well-certified〕事実を伴う〔を要件とする involve〕。二種類の科学的説明を区別しなければならない。すなわち、弱いまたは包摂的と、強いまたはメカニズム的である。_包摂的_説明とは、普遍のもとで特殊を包摂することである。それは、
  (諸)法則 & 状況 |? 被説明項(説明されるべき事実)
という形式を持つ。ここで諸法則は純粋に記述的であり得る。たとえば、併存〔? concomitance〕の言明と速度方程式である。例:ボブが死を免れないことは、彼が人であるというデータ、および、すべての人は死を免れないという一般化によって(弱く)説明される。(つまり、∀x(Hx ⇒ Mx), bH |? Mb.)これは、J.S. ミル以来、大多数の哲学者たちが説明を理解してきたやり方である。_メカニズム的 mechanismic_または強い説明は、メカニズムの開示である。それは、包摂と同じ論理形式を持つが、それに関与する(諸)法則は↑【メカニズム〔機構〕mechanism】を記述する。集成 assembly、衝突、拡散、競争、そして協力〔協調 cooperation〕といったもののメカニズムである。たとえば、人は死を免れないことは、数多くの合同的に〔併発的に、同時的に concurrent〕作用するメカニズムによって(強く)説明される。すなわち、酸化、DNA損傷、消耗、アポトーシス(遺伝的にプログラムされた死)、ストレスに満ちた時期のあいだにできた糖質コルチコイドの作用による免疫の低下、事故、などによってである。メカニズム的説明は、包摂を包括 subsumeする。〔20111102試訳。2011年11月2日-3〕


explanatory power 説明力[BungeDic1, p.94。BungeDic2と照合すべし]
 仮説または理論の、それが言及する諸事実を説明する力。↑【適用範囲 coverage】(または確証の程度)と↑【深度〔深さ〕 depth】(関係する水準〔レベル level〕の数)の積として分析されるかもしれない。あらゆることを説明すると主張する仮説は、なにごとも説明しない仮説と同様に、まさに無価値である〔無用である worthless〕。〔20111102試訳。2011年11月2日-3〕


hermeneutics 解釈学 [BungeDic1: 120]
 【a】神学、文献学、そして文芸批評における本文解釈〔text interpretation〕。
 【b 哲学】社会的事実は(またおそらく、自然的事実も)、客観的に記述され説明されるのではなくてむしろ、解釈されるべき記号または本文〔文書〕であるという、観念論的教義。↑【了解 Verstehen】。哲学的解釈学は、社会についての科学的研究とは対立する。それは、社会統計学と数理モデル構築を、特に軽視する。また、それは社会的なあらゆることを霊的とみなすから、環境的、生物学的、そして経済的な諸要因を過小評価し、貧困と戦争といった巨視社会的〔マクロ社会的〕事実に取り組むことを拒否する。こうして、解釈学は、社会についての真実の追求に対する、したがって社会的方策〔社会的政策〕の基礎〔基礎知識 grounding〕に対する、障害物となっている。


information 情報 [BungeDic1: 139-140]
 【a 工学】 情報理論は、電線に沿うかまたは空間を通じた電磁気的信号の伝送〔伝導〕を扱う。それは特に、伝送の忠実性に、よって伝送経路上の雑音(乱雑摂動)の効果を最小化する方法に、関わる。情報理論は、広く信じられているところとは反対に、意味とはまったく関わらない。たとえば、『わたし、あなたを愛してるわ』という伝言の情報量は、『わたし、あなたが嫌いよ』という伝言の情報量と厳密に同じである。その理由は、信号と意味の間の関係が約束事〔規約上のこと〕だからである。それで、異なる伝言で、異なる言語における同じ考えを伝送する。
 【b 科学】 概念としてではないにしろ、「情報」という語は、工学から、最初に生物学(とりわけ遺伝学)を汚染し、次いで生化学(そしてそれを通して分子生物学)、心理学、社会学、そして他にまで溢れ散らばった。このような急速な広がりの理由の一つは、それぞれの場合で、「情報」という語に、様々な語義が暗黙に割り当てられたことである。たとえば遺伝学では、『情報』はDNA『構造』(または、 構成要素であるヌクレオチドの順序)と同じである。神経科学では、『情報流』は、一神経に沿って伝播する信号にほかならない。しかしそれは、命令といった伝言を運ぶ信号では決してない。なぜなら、神経細胞は何事も理解できないからである。心理学では、「情報処理」という表現は、機構〔メカニズム〕の不明な心的過程を何であれ、指す。実際、情報処理の認知心理学全体は本質的に、あかぬけした情報風に翻訳された、古くからの心理主義的心理学だと主張できるだろう。情報処理心理学の計算主義版〔計算主義流の情報処理心理学〕に関して言えば、それは数理モデルを含むから、厳密であるということ以外の疑問は無い。問題は、(a) それは適切で生産的かどうか、(b) 計算という概念を運動行動と知覚にまで適用可能性の範囲を拡げることによって、それは事実をモデルと混同しないかどうか、そして (c) 認知を動機と感情 affect から分離することによって、それは心理学を貧しくし、ばらばらにしないのかどうか、である。ところが、まだまだ、これからである。社会学者のなかには、全ての社会的出来事〔事象〕は、結局のところ情報流になる、と主張してきた者もいる。もう一度言おう。厳密な考えは、脈絡(この場合には、遠距離通信工学)から取り出されると、奇怪な極端へと導いてしまう。
 【c 意味論】意味という概念を、情報という概念でもって解明しようといういくつかの試みがなされてきた。それらはすべて、二つの理由から、失敗するほかなかった。第一になぜなら、上記の【a】で注釈したように、情報量と情報の内容とは、無関係だからである。第二になぜなら、意味は、情報理論で現われる客観的確率の概念とは、無関係だからである。


level 水準〔準位、レヴェル、階位、〕 [BungeDic1: 158-159]
 多義的な用語であり、よって、なんらかの形容詞とともに用いられるべき用語である。存在論では、実在の一つの_統合的_レヴェル、または編制〔組織性〕のレヴェルは、一定の性質と法則を共有する物質的(具体的)存在者の一収集体である。統合的レヴェルについての最も単純な諸仮説は、(a) 実在(すべての実在する対象の収集体)は、五つの主要なレヴェル、つまり物理学的レヴェル、化学的レヴェル、生物学的レヴェル、社会的レヴェル、そして技術的レヴェルから構成される、(b) 物理学的レヴェルを越えるどのレヴェルの存在者も、より下位のレヴェルに属する存在者から構成される、そして (c) より高位のレヴェルは(むしろそれらのレヴェルに属する個体は)、より下位のレヴェルの個体が会合  するか〔associtaion〕発展するかのどちらかによって、やがて創発した、というものである。心的レヴェルを加えなかったのは、唯物論的存在論において、心は、物ではなくて、脳の過程の収集体だからである。どのレヴェルも、必要に応じて、多くの下位レヴェルに分析され得ることに、注意されたい。たとえば、物理的レヴェルと社会的レヴェルは、小レヴェル、中レヴェル、大レヴェル、そして巨大レヴェルに分割されるかもしれない。


level structure レヴェル構造 [BungeDic1: 159]
 レヴェル先行(またはそれの対となる、レヴェル創発)という順序関係を伴ったレヴェルの集合、つまり、L =〈L, nに対しても、Ln < L<font size="2">n+1=df ∀σ[σ∈Ln+1⇒ C(σ)∈Ln]。ここで、C(σ)はシステムσの構成を表わす。階層的な【↑存在の連鎖】とは区別されるべきである。なぜなら、レヴェルは、支配、ましてや創造主への近さによってではなく、先行によって順序づけられているからである。


life 生命 (p.163)
 諸生命科学の中心的概念。生きものまたは有機体の本性〔=本質的性質〕に関して四つの主要な見解がある。つまり、生気論、機械論〔mechanism〕(または物理化学主義)、マシン〔機械〕主義〔machinism〕、そして有機体論(または生物システム主義)である。↑【生気論】は、『生命』を、たとえば『生命衝動』といった、何らかの非物質的な存在者と目標へと努力する傾向なるものによって定義する。↑【機械論】は、『生きている』という述語は物理化学の用語によって定義可能であると主張する。つまり、有機体は大変複雑な物理化学的システムにすぎない。↑【マシン主義】は、有機体を機械に似たもの、つまり設計され、プログラムされ、そして目標指向的〔goal-directed〕なものとして考える。有機体論(または生物システム主義)は、生命を何らかの極度に複雑なシステムの創発的性質とみなす。このシステムの遠い先祖は、約40億年前には生命のない〔abiotic〕ものであった。生気論は、まったく信用されなくなった。不毛であり、非物質的なエンテレキーなるものは、観察と計算をしようにも不可能だからである。機械論はいまだに流布しており、分子生物学の誕生以来は特にそうであるが、生きものの特有性のいくつかを説明することには失敗している。とりわけ、それは、なぜ有機体における代謝過程が、概して、中性的または自己に仕えるのではなく、有機体に『仕える』のかを、説明しない。機械論はまた、自己洗浄と自己修復のメカニズムの創発も、説明しない。つまり、生きていない化学系は、ついには反応のいくつか、あるいはすべてさえも停止させるような、反応を抑制する化学物質を蓄積するかもしれない。機械論は、デカルトによって創始され、それ以来広まったが、今日ではコンピュータ科学の連中に人気がある。その連中は、生命プロセスの特定の特徴をコンピュータシミュレーションしたものを、↑【人工生命】と呼んでいる。皮肉にも、マシン主義は、設計と計算という概念に含まれる目的論を、生気論と共有している。生物システム主義だけが、化学的前躯体からの生命システムの自己集成についての分子生物学的説明と、遺伝子変化と自然淘汰による進化の理論を認めるだけでなく、生命を化学レベルに根をおろした一つの創発レベルとして認めもする。↑【創発】、↑【創発主義的唯物論】、↑【システム主義】。


matter 物質 (BungeDic2, p.174)
 すべての、現実の、または可能な↑【物質的存在者 material entities】の収集体。すなわち、M* = {x | Mx}。ここで、M = 物質的である〔material 質料的である〕である = 変化可能である、である。M*は一つの収集体であるから、物質は概念的であり、物質的ではない。つまり、個々の対象だけが、物質的であり得る。対照的に、物質的存在者から構成されるいかなるシステムも、社会から宇宙まで、物質的である。注意:物質 ≠ 質量。実際、質量は、陽子とか電子といった、なんらかの物質的な物だけが持つ性質である。光子と重力子は質量を持たないと想定される。↑【E = mc2】。
 〔注。『それは物質である It is a matter』とは、それと指している対象が、物質的存在者であることを述べているが、物質とは、或る種類を括る、同定のためのカテゴリー(= 名義尺度の概念的存在者)であり、収集体の名称である。2010年7月20日-3を参照せよ。〕


mechanism 機構〔メカニズム〕、機械論 (p.175)
 【a プロセス】複雑な物が働くようにするプロセスなら何でも〔機構と呼ぶ〕。例1:時計の機械的または電気力学的『働き』。例2:学習と創造の神経的メカニズムは、前には拘束されていない神経細胞のシステムから、新しいシステムが自己集成することだと考えられる。例3:社会生活において、協力は一つの調整〔協調coordination〕メカニズムである。例4:投票することは、参加 のメカニズムである。例5:道徳は、社会的な共存と制御のメカニズムである。_メカニズム_的または_強い_↑【説明】は、システムにおける(諸)メカニズムを開示することを含む。これらは、説明的論証の前提に出てくる(諸)法則言明において表現される。
 【b 世界観】宇宙は時計のようなものだという世界観。したがって、宇宙論は力学〔mechanics〕(デカルトの思弁的な流体力学、あるいはニュートンのより現実的な粒子力学)に等しいであろう。機械論は、最初の科学的世界観であった。それは、今日の最も進歩した科学を普及させたし、可視的なすべての物の機械的性質を研究するように研究者を仕向けた。同じ理由によって、人々はかつて優勢であった全体論的で階層的な世界観から遠ざかるようになった。とりわけ、デカルトらは、動物の身体を、ポンプ(心臓)によって駆動される単なる込み入った機械とみなした。魂だけは容赦されたが、いつもそうであったわけではない。機械論には、世俗的なものと宗教的なものという、二つの見解がある。_世俗的_機械論は、宇宙は自ら存在し、自ら制御するメカニズムであると、自ら巻直す一種の永遠の時計なのだと主張する。対照的に、_宗教的_機械論は、時計職人を仮定する。デカルトの宇宙時計は完璧であるが、神の創造にふさわしく、それは修理人を必要としなかった。物質を創造し、物質に力学法則を授けたので、デカルト流の神はもはや物理的宇宙にせっせと働く必要は無く、神の注意をすべて、霊的な物事に捧げることができたであろう。対照的に、ニュートン流の宇宙は、浪費的である。つまり、天体の機械の車輪の間には、摩擦がある。よって、神は天体機械が動くことを保つために、しょっちゅうそれを押していなければならない。17世紀の科学革命における発端から19世紀中期まで、世俗的機械論は、莫大な科学的および科学技術的な生産を刺激した。衰え始めたのは、場の物理学と熱力学〔thermodynamics〕の誕生、そして進化生物学の興隆に伴ってのことである。20世紀の初めまでに、それはまったく廃れた。現在われわれが理解しているのは、力学〔mechanics〕は、物理学の一つの章にすぎないということである。われわれはまた、相対論力学〔relativistic mechanics〕が電気力学〔electrodynamics〕を離れては意味をなさないこと、そして量子『力学〔mechanics〕』は全然機械的ではないことを理解している。というのは、量子『力学』は、明確な形状を持つ微粒子も精確な軌跡も記述しないからである。要するに、力学には栄光ある日があったのだ。4世紀前、それは物理的世界の科学的探求への道を示した。実際それは、実在の研究への正しいアプローチは、実験室または野外で試験〔テスト〕されることが可能な数式によって表現され得る諸法則にしたがって振る舞う基本的構成物へと、実在を分解するように努めることだと教えた。ゆえに、明示的ではないが、力学は合理主義と経験主義(↑【合理経験主義】)の総合である。そして、その成功と失敗は、世界観と科学が相互作用するかもしれないことを示している。↑【唯物論】、↑【最小主義〔minimalism〕】。



model モデル〔模型〕 [BungeDic1, p.39]
 【a 視覚的】観察できない物または過程の図像的モデル〔模型〕は、それの視覚的類似 analogyである。例:電磁場の力線諸モデル、ボーアの原子模型、電磁力学過程のファインマン ダイアグラム〔ファインマン線図〕。19世紀には、著名な物理学者たちは、このようなモデルの役割についての活発な論争に深く関わった。典型的には、実在論者はそれらの模型を擁護したが、実証主義者と規約主義者は攻撃した。このようないくつかのモデル(たとえばボーア模型)は実在物の粗い表象であるが、他は(たとえばファインマンのものは)まさしく類似か単なる記憶を助ける工夫であると、今日では一般的に認められている。
 【b モデル-理論的】一つの_モデル_は、言葉のモデル-理論的な意味では、一つの抽象的理論(または形式化された言語)の一例(または、よく言われるように『現実化』)である。たとえば、命題計算はブール代数の一つのモデルまたは例である。↑【解釈 interpretation】、↑【モデル理論】。
 【c 科学的と科学技術的】〔原文はbとなっている間違いだろう。→増補版と照合せよ。〕科学または科学技術における理論的モデルは、或る事実的領域の特殊理論である。例:ヘリウム原子のモデル〔模型〕、細胞増殖のモデル、製造会社の模型。このようなモデルは、モデル理論で研究されるモデルとは無関係であるが、科学についての或る全体哲学はこれらの混同にもとづいている。つまり、↑【モデル混同〔混乱〕 models muddle】。二つの種類の理論モデルが区別されなければならない。つまり、拘束モデルと自由モデルである。_拘束モデル_は、(たとえば古典力学や一般均衡理論といった)一般理論を特殊諸仮定で充実する〔強化する〕 enrich ことの結果である。例:単振り子模型と資本市場のモデル。対照的に、_自由モデル_は、ゼロから〔from scratch〕作られる。例:或る事業会社〔商社 business firm〕についての諸モデル、発明の普及についてのモデル。生物学、社会諸科学、そして科学技術における理論的(または数学的)モデルは、たいていは自由モデルである。このことは、これらの専門分野がいまだ理論的に遅れているか、あるいは一般性を手に入れるのは困難だということのどちらかを、示している。


natural kind 自然類 (p.191)
 恣意的からはほど遠い、一つの性質または一つの法則によって定義される収集体。例:すべての生きものは、生物体というクラス(自然類)を構成する;社会的関係によって結ばれる人々から成るすべての存在者は、社会システムというクラス(自然類)を構成する。唯名論者、規約主義者、そして主観主義者(とりわけ現象論者)は、自然類という観念そのものを拒否する。よって彼らは、周期律表、化学元素の変換〔transmutation〕、あるいは生物学的種形成を説明できない。


object 対象 (p.199)
 考えられるもの、語られるもの、あるいは作用されるものであろうと、何であれ存在し得るもの。すべての哲学的概念のうちで、最も基本的、抽象的、そして一般的なもので、よって定義し得ない。すべての対象のクラスは、ゆえに最大の類である。対象は、個物または収集体であるか、具体的(物質的)または抽象的(観念的)であるか、自然的または人工的であり得る。たとえば、社会は具体的対象であるが、数は抽象的対象であり、細胞は自然的対象であるが、言葉は人工的対象である。Alexius Meinongと他の少数の者は、具体的と概念的な、可能的と不可能的な、すべての類の対象についての単一理論を建設しようとした。この企画は失敗した。なぜなら、具体的対象は概念的対象が持たない性質(たとえばエネルギー)を持つが、概念的対象は物質的対象が持ち得ない性質(たとえば論理的形式)を持つからである。よって、対象のクラスについての最も根本的な分割は、物質的(または具体的)クラスと概念的(または形式的)クラスへの分割である。


panpsychism 汎心論[Bunge (1999) 哲学辞典 初版 p.205]
 あらゆるものは心的である、あるいは或る程度に心的プロセスを経験する能力を持つ、という教義。同義語:アニミズム〔animism〕。


phenomenology 現象学 [BungeDic2: 212]
 〔略〕現象学とその分派は、20世紀前半には大陸の哲学で中心的であった。今では、合州国において↑ポストモダニズムの周縁で生き残っている。〔最後の2個の文だけを訳出した。2010年3月31日-1。〕


Bunge哲学辞典訳出20150906b

2015年09月06日 22時51分34秒 | Mario Bunge哲学辞典
2015年9月6日-2
Bunge哲学辞典訳出20150906b

philosophy 哲学 [BungeDic1, p.210]
 【a】最も一般的な諸概念(たとえば、存在、生成、心、知識、規範 normといった概念)と最も一般的な諸仮説(たとえば、外的世界の自律的存在と認識可能性といった仮説)を研究する学問分野〔discipline〕。_基本的_諸分科〔諸分野 branches〕:↑【論理学】(数学と分かち持つ)、↑【意味論】(一部を言語学と数学と分かち持つ)、↑【存在論】、そして↑【認識論】。_応用的_諸分科:↑【方法論】、↑【実践論〔実践学〕 praxiology】、↑【倫理学】、そしてすべての↑【の哲学 philosophies of】。【反義語】↑【知識嫌い gnosophobia】。
 【b】↑【精密 exact】哲学は、論理学、集合論、そして抽象代数学といった形式的道具の助けによって建設された哲学である。精密哲学の利点は、明瞭さ、そして体系化および演繹の促進である。これらの特徴は、今度は、偏った本文解釈と果てしのない論争の危険を最小にする。しかし、精密性は、内容〔substance〕が無ければ無意味である。↑【小型問題 〔小問題〕miniproblems】と取り組むのに、形式の重砲隊を使うのは間尺に合わないことである。
 【c 科学的】哲学は、精密であることに加えて、今日の科学と科学技術の大部分と一致する哲学である。


philosophy of (何々)の哲学 [BungeDic1, p.211-212]
 ほぼあらゆることについて哲学的に考えたり、ほぼあらゆることから哲学的教訓を引き出すことは、哲学者の特権である。よって、Xに_ついての_数多くの_哲学_がある。ここでXには、芸術、法律、政治、宗教、科学、科学技術、など、なんでも入れることができる。理想的には、Xについてのあらゆる哲学は、哲学とXにおける多少の能力を持つ人々によってのみ育まれるべきである。残念ながら、どのXの哲学についても、哲学にもXにも無知な人々によって育まれていることが普通である。なんらXを知らずにXについて書く同僚哲学者を、たいていの哲学者は許容するし、好む哲学者もいる。つまり、あまりうるさく言わないのである。たとえば、直接の科学的知識は、公表されるのを望むどの科学哲学者にとってもかなりの障害である。他方、Xの専門家〔専門者 specialist〕は、Xについて知らない人々を許容しない。しかし、Xに精通している哲学者には無関心である。なぜなら、専門家〔専門者〕は哲学をXとは無関係で劣ったものとみなすからである。


plausibility もっともらしさ [BungeDic2, pp.214-215]
 命題、信念、そして推論の質的な一性質。同義語↑【ほんとうらしさ verisimilitude】、いまだ照合されていないか、証拠が決定的〔確定的〕でない仮説は、或る知識体から見るともっともらしく思えるかもしれない。どうしてもっともらしいのか? テスト〔試験〕が実施されない限り、知るすべは無い。しかし、諸試験がいったん行なわれれば、そして決定的なものであれば、その仮説について、確証された(または反駁された)と言うのである。それで、少なくとも差し当たっては、それは真である(または偽である)と宣言されるかもしれない〔宣言されてもよろしい may be pronounced〕。すなわち、決定的な試験の後では、もっともらしさという概念はもはや必要では無い。そして、試験する前では、もっともらしさの程度に取り組み測定することはできない(あるいは、すべきでない)。この場合、われわれが言える最大のことは、問題としている推量〔conjencture〕は、或る知識体に関して、もっともらしいかもっともらしくないかである。あるいは、一つの仮説は、同じ文脈において、もう一つの仮説よりももっともらしいということである。より精確には、pとqは↑【同一指示的 coreferential】な命題を、そしてBはpとqの両方に関連する或る知識体を指すことにしよう。さらに、Bは、本質的な部分であるEと、非本質的な部分であるIに分割できると仮定しよう。つまり、B = E ∪ I。(典型的には、Bは良い実績をもつ一般化を含むだろうが、Iは経験的データと狭い仮説だけを含むだろう。)次のように規定できる。〔p.214まで。あと二倍ほど続きます。〕〔2010年7月29日-3〕


postmodern 後近代〔脱近代 [BungeDic2: 220]
 建築では明瞭な概念で、ル・コルビジェとバウハウス集団によって創始されたモダニズム〔近代主義〕に対する反抗を表わす。他の分野においては、啓蒙運動の知的価値、とりわけ明瞭性、合理性、一貫性、そして客観的真理性、の拒絶としてを除けば、明瞭と言うにはほど遠い。脱構築主義的文芸批評、『カルチュラル・スタディーズ〔文化研究〕』、そしてポストモダンの哲学は、昔からある非合理主義の当世風改訂版である。実際、ポストモダンの哲学、とりわけ現象学と実存主義、は反哲学的である。というのは、概念的合理性は、支離滅裂に話すこととは反対の、信頼のおける哲学的思索にとっての必要条件だからである。↑反啓蒙運動、↑大陸哲学。〔2010年3月31日-1〕


principle 原理 [BungeDic1: 222][2012年7月21日-2]
 極度に一般的な仮定または規則。例:論理の無矛盾性原理;たとえばハミルトンの〔最小作用の〕原理のような、物理学の極値原理〔極度的原理〕 extremal principles;↑【定言命法〔定言的命令〕categorial imperative】。

probabilism 蓋然論 [BungeDic1: 222]
 【a 存在論】すべての事実は↑【偶発的〔偶然的〕 contingent】であり、すべての法則は蓋然的であるという教義。【同義語】↑【偶然主義 tychism】。
 【b 認識論】すべての事実的知識は、『蓋然的 probable』である、通俗的な意味でもっともらしい、あるいは不確かな、よって不確実だという教義。↑【懐疑論 skepticism】の一種。

 
probabilistic philosophy 蓋然論的哲学 [BungeDic1: 222]
 【a 一般的】哲学的諸概念の精密化のために、↑【確率解析〔確率解析学〕 probability calculus】を使うこと。因果連関 causation、真実、単純性、そして意味という概念を含んだ、ほぼ20の様々な哲学的概念が、確率の概念によって定義可能であると宣言されてきた。皮肉にも、混乱だけが、精密な概念をそれ固有の脈絡、つまり確率の理論と確率論的モデルの一群という脈絡、から追放することによって生じた〔ここは誤訳かも。whichが何にかかっているのかよくわからん〕。
 【b 存在論】一見したところでは、因果連関 causationは、蓋然的なつながりの大変特殊な場合である、つまり蓋然的つながりの値が一〔unity〕に等しい場合である。より精確には、次の定義が成立すると思われるだろう。つまり、『cはeの原因である =df cが与えられたもとでのeの条件確率は1に等しい。』。これは駄目である。循環が隠されているからである。実際、原因と結果という概念が、定義項に生じている。すなわち、言われていることのすべてとは、或る一定の場合には、原因がその結果を生み出す確率は最大であるということである。
 【c 意味論】幾人かの哲学者たちは、確率という概念を使って、真実という概念を解明することを、二者を同一視するか、あるいは真実を起こりそうもないこととして定義することによって、提案した。この試みは、確率を命題に割り当てることは、確率を面積に割り当てるのとほぼ同様に合理的であるということだけからでも、失敗するに決まっていた。実際、確率は集合の一測度である。そうであるから、確率についての高等理論は測度理論の特殊な場合である。測度理論は今度は、長さ、面積、そして体積という直観的観念を精密化し一般化したものである。命題は集合ではないので、測ることはできない。よって、命題は蓋然的でもないし、非蓋然的でもない。命題は、代わって、多かれ少なかれ、↑【もっともらしい plausible】ものであり得る。


probability 確率 [BungeDic1: 222-223]
 でたらめさ randomness、無秩序 disorder、または乱雑さ messinessの測度。極値は、p=0 とp=1であり、それぞれ、完全な秩序と完全な無秩序に対応する。中間の値は、秩序の中間的程度を測る。たとえば、熱力学第二法則によれば、無秩序は秩序よりもありそうなことである。一日の仕事の後の人の机を見よ。


probability calculus 確率解析 [BungeDic1: 223]
 ↑【確率】についての数学的理論。ここには、基本的抽象理論の諸基礎がある。基礎となっている諸理論とは、通常の(古典的)論理、素朴な集合理論、初等代数学、そして解析学〔analysis〕である。原始概念:次の諸前提によって陰に定義された、集合から単位間隔の実数への、確率関数 Pr。公理1:Sは任意の空ではない集合で、FはSの部分集合の族〔集合 family〕とすると、Fの元〔要素 member〕の和集合と積集合〔共通部分〕は、すべてFにある。公理2:Prは、Fから実数の[0, 1]間隔への関数である。公理3:FにおけるいかなるAについても、0≦Pr(A)≦1。公理4:AとBが、Fの積集合ではないところの元であるならば、Pr(A∪B) = Pr(A) + Pr(A)。公理5:Pr(S)=1。この理論は半抽象的である。確率関数の独立変数は、特徴のない個体の集合だからである。これらの集合はしばじは「事象 events」と呼ばれるけれども、物理的事象を表わす〔represent〕とは限らない。相対的頻度または信頼性という概念も、公理に現われてはいない。この意味論的中立性によって、確率解析のすべての事実的科学と科学技術におけめ応用が可能となる。しかし、すべての正当な応用は、客観的機会 objective chance またはでたらめさ randomnessという概念を伴う。↑【蓋然論的哲学】、↑【確率の逆説】。


probability paradoxes 確率の逆説 [BungeDic1: 223-224]
 【a 日常的知識に根ざすもの】次の逆説は、確率のついての↑【日常的 ordinary】知識の概念の背後に潜む危険〔リスク risk〕を浮き彫りにするはずである。世界には今、およそ60億人の人々がいるとしよう。或る一人の人がアメリカ大統領にでたらめに選ばれる確率は、たったの1 : 60億 = 0.0000000017である。よって、次の論証が成立すると思われるだろう。(1) 或る個体が人であるならば、その者はたぶんアメリカ大統領ではない。(2) ビル・クリントンはアメリカ大統領である。(3) したがって、ビル・クリントンは(たぶん)人ではない。しかしこれは、妥当な結論ではない。実際、その前提は、

  A あらゆるxについて、xが人であるならば、xがアメリカ大統領である確率 = 0.0000000017。
  B ビル・クリントンはアメリカ大統領である。

しかし、AとBの連言命題からは、何も出てこない。仮説によって、当該の全母集団(または標本空間)は、現時点での人類である。よって、この母集団からでたらめに選ばれた一個体は、残りの者と同様に必然的に人である。それで、このような個体がアメリカ大統領であるかないかは、無関係である。つまり、このような個体は、仮定によって、人である。教訓:日常言語にご注意、特に「確率」という語を使うときには。
 【b 主観的解釈に根ざすもの】驚くことではないが、↑【主観的】(またはベイズ流の)確率は、逆説に満ち満ちている。それらのうちの一つは次の通りで、伝説によれば、1966年の理論生物学会議をだいなしにしてしまった。マタイ、マルコ、そしてルカの三人の囚人のうち、二人が処刑されることになっている。しかしマタイは、そのことを知らない。自身が処刑される機会は2/3だとマタイは信じる。彼は、処刑される予定の一人の名前はマルコなのかルカなのか、教えてくれと看守に尋ねる。マルコが処刑されるだろうと、看守は答える。忠実な主観主義者であるマタイは、幾分か救われた気がする。つまり、この情報によって、彼が処刑される機会は2/3から1/2に減ったと信じるのである。マタイは正しいか? 否である。なぜなら、処刑されるべき個人は、すでに選ばれていたからである。つまり問題は、偶然とは無縁である。よって、確率について論じることは正当化されない。処刑される二人の囚人がでたらめに選ばれたのならば、マタイが選ばれる確率は2/3であっただろう。そして、看守たちがマルコに刑を宣告した後に、マタイとルカの間で籤引きをすると決めた場合にのみ、マタイの処刑の機会は実際に1/2に下がっただろう。しかしこれは、問題の基礎事実〔data〕の一つではない。教訓:主観確率にご注意。予感に数をくっつけたからといって、よりまともになるわけではない。


probability, subjective 主観的確率〔主観確率〕 [BungeDic1: 224-225]
 【a 一般的】主観的確率〔主観確率〕は、命題を信じる程度の、または命題の信頼性 〔信憑性〕credibility の程度の測度だと言われる。よってその【同義語】は、信用性 credenceである〔→信頼性、信憑性、信用性の日本語的差異を検討せよ〕。しばしば主観的確率に頼る場面とは、不確実性に面したときである。つまり、十分な情報が無いときである。主観的であるから、主体が異なれば同一の事象〔出来事〕に割り当てる確率は、同じ立場〔資格〕であっても、異なることになりそうである〔likely to be different〕。よって、将来の情報のもとで修正する余地があるだけである。言い換えれば、主観的確率の割当は直観的で任意であり、よって科学的ではない〔unscientific〕。結果として、賭け率を知らずに賭けをすることに等しい。同様の理由で、主観的確率で戯れることは、↑【うわべだけの精密性 hollow exactness】という部類〔カテゴリー category〕に陥る、果てしの無い哲学的遊戯〔哲学的勝負遊戯〕〔philosophical game〕を許すことである。ゆえに、主観的確率を命題に割り当てることは、『真実と賭けをする』と正しくも呼ばれてきた。同様に、事象〔出来事〕に対して主観的確率を割り当てることは、それは↑【意思決定理論 decision theory】と↑【ケーム理論 game theory】で行なわれていることなのだが、(もちろん、人が机上のお遊びをしているだけでなければ)生と死を賭けることになろう。
 〔【b】は無い。→増補版と照合せよ。〕


probability, vulgar notion 確率、通俗的概念の (BungeDic2, p.227)
 日常言語では、「たぶん probable」はしばしば「ありそうな likely」または「もっともらしい plausible」のどちらかと同一視される。どちらの同定も、正しくない。前者では、「たぶん」は量的な概念を指すのに対して、「ありそうな」は質的である。また、↑【もっともらしさ】を確率と同等に扱うことは、間違い〔誤解 mistaken〕である。なぜなら、一つの命題は、もっともらしくてもそうでなくても、命題に値段をつけることができないのと同様、一つの確率を当てがうことはできない。↑【確率の逆説】。〔2010年7月29日-2〕

 
reduction 還元 [BungeDic1: 242-244]
 【a 概念】認識的操作の一つであり、より精確には、分析の一種類であって、それによって、還元される対象は、論理的または存在論的にそれに先立つ他のものに依存していると推測されるか示されるのである。もしAとBが両者ともに、構築体であるか具体的存在者のどちらかであるならば、AをBに還元することとは、AをBと同定することであるか、AをBに包含することであるか、あらゆるAは或る集合体 aggregate か、或る組合せか、あるいはBの平均であるか、そうでなければBの顕在化か像なのだと主張することである。そのことは、AとBは互いに大変異なっているように見えようとも実際は同一であると主張すること、あるいはAはBという属の一つの種であると主張すること、あるいはどういうわけかあらゆるAはBから結果すると、もっと漠然と言えばAはBに『煮詰まる』、または『つまるところ〔in the last analysis〕』すべてのAはBであると主張することである。_概念的還元_の例。整数は、素数であるか素数の積のどちらかである。静力学は、力学の一章〔一部分〕である。光学は、電磁気学理論の一章である。存在論的還元の例。熱は、分子のランダム〔乱雑、でたらめ〕運動である。心的過程は、脳の過程である。社会的事実は、個人的行為の結果である。
 【b 還元の論理】還元について、四つの場合を区別すべきである。すなわち、概念の還元、命題の還元、理論の還元、そして説明の還元である。
 概念Aを概念Bに還元するとは、AをBによって定義することである。ここでBは、Aの指示対象の【↑水準 level 】と同じか、より低い(または高い)水準にある或る物、性質、または過程を指示する。このような定義は、_還元的定義_と呼ばれよう。(哲学的文献においては、還元的定義は『架橋仮説〔橋渡し仮説〕』と通常呼ばれている。おそらくは、それらはしばしば当初は仮説として提案されたからである。分析の無い歴史は、誤解を招く可能性がある。)概念の還元的定義の三種類とは、(a) 『光 =df 電磁気的放射〔線〕』におけるような、_同一水準_のもの、(b) 『熱 =df〔→ =def〕 分子のランダム〔乱雑、でたらめ〕運動』におけるような、上から下への、または_微視還元的 microreductive_なもの、(c) 『自然淘汰 =df 環境圧による生物個体の除去』におけるような、下から上への、または_巨視還元的 macroreductive_なもの、である。
 _命題_の還元は、その命題に現われる少なくとも一つの述語を、還元的定義の
定義項によって置換することから起こる。たとえば、『言語的表現の形成 =df ウェルニッケ野の特異的活動』という還元的定義によって、『花子は言語的表現を形成していた』という心理学的命題は、『花子のウェルニッケ野は活動的だった』という神経科学的命題に還元される。
 或る_説明_が還元的だと言われるのは、その説明での説明項の前提の少なくとも一つが還元された命題であるとき、そしてそのときに限る。たとえば、システム〔系体 system〕の形成を、その〔システムの〕構成要素の自己集成 self-assembly によって説明することは、微視還元的な(または下から上への)類いの説明である。組み立て列〔組立作業工程 assembly line〕での作業、または生命の起源についての仕事は、この類いの説明を誘導している。対照的に、システムの構成要素をの振る舞いを、システムにおいてそれが保持する位置かまたはそれが演為する〔遂行する perform〕役割によって説明することは、巨視還元的な(または下から上への)型の説明である。自動車整備士と社会心理学者は典型的に、この型の説明に訴える。最後になるが、理論の還元についての分析は、次のように進めることができよう。二つの理論(仮説演繹的体系)をT1とT2と呼ぼう。両者はいくつかの指示対象を共有すると仮定し、還元的定義の集合をRと呼び、T1またはT2のどちらかには含まれない補助的仮説の集合をSと呼ぼう。すると、(1) T2は、T1に完全に(または強く)還元できる =df T2は、T1とRの和集合からの論理的結果である;そして (2) T2は、T1に部分的に(または弱く)還元できる =df T2は、T1とRとSの和集合からの論理的結果である、と規定される。
 【c 理論の還元についての制限】光線光学〔ray optics〕は、『光線〔light ray〕 =df 光波面と直角をなす』という還元的定義を介して、波動光学に強く還元できる。同様に、波動光学は、上記の(a)という還元的定義によって、電磁気学に強く還元できる。他方、気体の運動理論〔運動論〕は、質点力学〔particle mechanics〕に弱く還元できるだけである。というのは、気圧と温度の概念の還元的定義に加えて、気圧の概念は位置と速度のランダムな初期分布という補助的仮説を含むからである。同様に、量子化学、細胞生物学、心理学、そして社会科学は、それぞれの対応する下位の専門分野に弱く(部分的に)還元できるだけである。量子理論でさえ、いくつかの古典的概念(たとえば、質量と時間という概念)だけでなく、巨視物理学的境界についての諸仮説を含んでいる。そのため、完全な微視的還元とはならない。同様に、微視的経済活動は、現行の公定歩合と政治的状況といった巨視的特徴を特定すること無しには、適切に記述することはできない。新古典派の微視経済学によって企てられた微視的還元が不成功であるのはまさに、巨視的環境に対する余地が無いからである。他の多くの還元したという主張も、正当化されない。対照的に、生化学とか認知神経科学といったように、専門分野を学際的専門分野に併合することは、はるかにより一般的であり、また大変成功的であった。【↑還元主義 reductionism】。


reductionism 還元主義 [BungeDic1, p.244]
 複合体は、その構成要素に還元することによって、最も良く説明されるという研究戦略。【同義語】でしかない主義 nothing-but-ism。例は、物理学と化学における【↑原子論】、生物学における【↑機械論 mechanism】、社会科学における【↑生物学主義】と【↑経済学主義 economicism】、そして認識論における社会学主義である。_極端な radical_還元主義は、【↑創発 emergence】を否定し、したがって還元はいかなる複雑な事項を説明するにも必要かつ十分であると主張する。例:人間社会生物学、また、ヒトゲノム事業〔ヒトゲノム企画 Human Genome Project〕の完了は人間本性の謎をきっぱりと解決するだろうという信念。中庸な還元主義は、可能な限り還元すべきであるが、創発に出くわせば、それを承認する(そして説明する)べきだと考える。存在論的に対をなすものは、【↑創発主義的唯物論 emergentist materialism】である。


reference 指示 [BungeDic2, p.246]
 あらゆる↑【述語】とあらゆる適切な形式をした命題は、なにかかにか〔なんらか〕のものごとを指示するか、あるいは↑【について】である。たとえば,『粘性の』は、なにかの液体についてであるし、『代謝産物』は、生物体に関わる。或る述語または命題の指示対象の収集体〔集まり〕は、_指示クラス_と呼ばれる。たとえば、『質量』はすべての物体を指示するが、『より固い』もそうである。ついでに言えば、これらの二つの例は、或る述語の指示クラスは、その↑【外延】と必ずしも一致しないことを示している。実際、『より固い』は物体を指示するが、その外延は、その関係が現実に成立する物体の順序対の収集体である。〔後略。2010年7月20日-2。〕

 
representation 表象〔再現前、表現〕 [BungeDic2: 251]
 a 日常的知識 多義的用語.b 認知科学 『外的対象の視覚的特徴の表象』におけるような、知覚。c 意味論 一つの(物質的または観念的)対象の、一つの概念的、視覚的、聴覚的、または人工的翻訳 translation。〔略〕
 例:関数は、定義域を共定義域へと表象する;ヴェン図Venn diagramは、集合を(主として隠喩的に)表象する;束〔そく〕は、樹木によって表象可能である;『扉は開いている』という事実的単称命題は、事実を表象する;法則言明は、安定した客観的パターンを表象する;建築の青写真は、実際のまたは可能な建造物を表象する;回路図circuit diagramは実際のまたは可能な電気的回路を表象する;地図は、惑星の諸部分を表象する;コンピュータ・シミュレーションは、実在する諸物、またはそれらの数学的モデルを表象する。観念論者には、表象という概念は無用である。さらに、彼らのうちには(とりわけ構築主義者なのだが)、地図を領土とごちゃまぜにする者がいる。これは、まさに表象という概念が標準的な意味論的理論に無いという理由である。そしてまた、これらの諸理論が科学的および科学技術的言説を分析するのに役立たない理由でもある。素朴実在論者(例えば弁証法的唯物論者と初期ヴィトゲンシュタイン)は、真の表象は事実を『鏡映し』、それゆえ独自なのだと信じる。↑知識の反映理論。
 〔略〕これは芸術的表象について本当ではない。写真、絵画、あるいは彫刻のことを考えてもらいたい。なおさらそれは、科学的表象と科学技術的表象について成立しない。これらは記号的symbolicであって、模倣的mimeticまたは図像的iconicではなく、とりわけ視覚的想像力に訴えるものpictorialではない。
  そういうわけで、どんな所与の事実またはパターンも、様々なやり方で表象され得る。例えばプロセスは、ブロック矢線図block-and-arrow diagram、有限差分方程式、微分方程式、あるいは積分方程式によって表象されるかもしれない。そのうえ、一定の電気回路の線図diagramといった、いくつかの表象は、視覚的には異なっているが、物理学的には等価である。〔略〕〔2010年3月11日-2。〕
〔2012年2月17日-4 Bunge哲学辞典 抄 20120217b、に続く〕


schema 図式〔大要〕 [BungeDic1, p.256]
 主要な性質の概述〔sketch〕または目録〔一覧 list〕。『独身男子、気が若い、非喫煙者』といったもの。


scrutability 検証可能性 [BungeDic1, p.262。BungeDic2と照合すべし]
 検証されるscrutinizedまたは検討されるexamined可能性〔ことができること ability〕。↑【科学主義 scientism】は、知覚できる痕跡を残すこと無く消滅した物以外には、検証できない物の存在を否定する。同様にして、反啓蒙主義者は検証できない存在者(神々といったもの)と不可触の言明(教条 dogma)の存在を言い張る。これが、このようなまがいごと pseudothingと偽りの真理pseudotruthの多くの不思議な性質について、彼らは遠慮なく長々と書く理由である。〔20111102試訳。2011年11月2日-4〕


sectoral approach 切断的接近〔アプローチ〕 (Bunge 1999, p.263)〔Bunge哲学辞典の初版 p.263は、sectoral〕
 世界と世界についてのわれわれの知識の、システム的本性を見逃す専門家によって、典型的に採用される接近〔アプローチ〕。狭い問題であるように見える物事に取り組む場合にだけ適する。反対語↑【システム的接近〔システム的アプローチ〕 systemic approach】。


self-assembly 自己集成 (BungeDic2, p.263)
 一つ以上の行程で、諸物が一つのシステムへと自発的に集積すること。例:重合、溶液からの結晶の形成、前駆物質からのDNA分子の合成、神経細胞〔ニューロン〕からの心理子〔サイコン〕[psychon]の形成、街角ギャングの創発〔出現〕[emergence]。↑【自己編制〔自己組織化〕[self-organization】と区別されなければならない。
〔論評 by universifier。自己編制〔自己組織化〕についても同じだが、ここでの『自己』とは何を指すのかが不明である。また、自発的 spontaneous、つまり『自然に』発(生)するとは、いったいどういうことなのだろう? 暗黒物質や暗黒エネルギーは、はたして関係していないのだろうか。〕


sign 標徴〔符号〕(Bunge哲学辞典1999初版、p.267)
 或る他の対象『を表わす stand for〔の代わりとなる〕 』または表象する 〔表わす、代表するrepresent 〕もの〔thing〕。通常、二種類のsignが区別される。自然的signと人工的signである。自然的signは、諸状態の兆候〔symptoms〕か、具体物の状態の諸変化である。たとえば、暗い〔黒っぽい〕雲と暗い表情は、それぞれ雨と怒りの標徴である。対照的に、人工的標徴は、事実的事項を呼び起こすために、あるいは構築体を名づけるために、巧みに作られて使用される人工物である。例:言語的表現、(目配せといった)身体的言語の諸項目、論理(logos)、線図〔図解 diagrams〕、そして数字。光輪のある月、または、激しい食料暴動、といった自然的標徴は、仮説によってそうなっている。対照的に、人工的標徴は、約束事〔約定 convention〕によってのみそうなっている。すなわち、自然的標徴は、知覚できない物事、性質、または出来事〔事象 events〕の、知覚できる指標である。それゆえ、それらは意義が無く、したがってそれらの『意味』を語ることは、良くてせいぜい隠喩的であって、最悪の場合は明白な間違いである。とりわけ、人々が社会生活を『解釈する interpret』、つまりその意図または目標に関して【仮説】を作るからというだけで、本文または『本文のように like a text』社会生活を考えること、↑【解釈学 hermeneutics】、↑【原文固執主義 textualism】、は誤りである。混乱を未然に防ぐためには、↑「【記号 symbol】」という語を、数字や道路標識といった人工的標徴という概念を表わすように使うべきである。よって、「地位の象徴 status symbol」という表現は、「地位の指標 status indicator」で差し替えるべきである。


sketch 概述〔見取り図〕 [BungeDic1, p.270]
 ↑【schema】。


species 種 (p.274)
 いくつかの基本的性質を共有する物の収集体〔集まり〕。例:化学的種と生物学的種。分類における最初の段階。より包含的な概念として、属、科、王国がある。属とその種の間の関係は、次の通り。一つの属はその種の和集合である。つまり、これらのどの一つもその属に包含される(⊆)。そして、あらゆる個物は一つの種の属員〔成員〕である(∈)。種は具体的個物であるという見解は、属員関係を部分-全体関係と間違えているために、この分析を無視している。↑【自然類】、↑【分類学】。


structure 構造 [BungeDic2, p.277]
 概念的であれ物質的であれ、自然的であれ社会的であれ、科学技術的であれ、記号的であれ、すべての↑【システム system】の〔持つ〕一性質。或るシステムの構造とは、その構成要素間の諸関係の、とりわけそのシステムをまとまりとする諸関係の、すべての集合である。例:一つの文の構造は、その構成要素の型の順序である。『ソクラテスはドクニンジンを飲んだ』の場合には、主語―動詞―目的語のように。一つの理論の構造は、内含 entailment の関係である。DNAの一分子の構造は、それを構成するヌクレオチドの配列である。文化の構造は、学問と意思疎通の諸関係を含む。軍隊の構造は、命令、補給、伝達、そして戦闘という諸関係から成る。最後の例では、命令は内的構造 internal structure(または_内部構造_ _endostructure_ )に属し、補給と戦闘は外的構造(または_外部構造_ _exostructure_ )に属する。構造は、システムの性質である。すなわち、構造はそれ自身では存在しない。したがって、「作用者-構造 関係」という表現は、社会的研究では普通に見かけるけれども、個体的作用者たちと、作用者たちが作用している諸社会システムとの間の関係を意味するものと理解すべきである。引きつけるような本の題名への調理法:それに『の構造』と加えよ。


symbol 記号 (Bunge哲学辞典1999初版、pp.280-281)
 人工的標徴。例:言語的表現、線図〔図解 diagrams〕、論理(logos)、道路標識、建築の青写真、数字。記号は、概念を指定するか、概念ではない事項(たとえば個々の物質的なもの、または別の記号)を表示するために、作られるか使われる標徴である。それらをそれぞれ、指定する記号、表示する記号、と呼ぼう。指定する記号の例:数字(それは数を指定するか名づける)。表示する記号の例:固有名。指定の関係(記号?概念)と表示の関係(記号?物事)は、↑【指示 reference】という関係で結びつけることができる。次の線図〔図解 diagram〕の通りである。

            記号 Symbol
            / 
  指定 Designation /      表示 Denotation
          /
         / 指示 reference
        ?___________________?
   構築体 Construct  意味される Signified

 指定-表示と記号?非記号という分割は、合致しない。なぜなら、或る記号は構築体を表わすのに対して、他はそうではないからである。 ゆえに、数字「4」と「IV」は四という数を指定する。それは純粋な概念であるが、他方、固有名と場所名は具体的な物事を表示する。同様に、「$5」という記号は、五ドルの銀行券(または小切手または為替)あるいは商品でのその等価物を表示する。記号は知覚可能な存在者であるが、概念や命題のような抽象的存在者ではない。読むことのできる文、見ることのできる線描、そして聴くことのできる言葉を考えてもらいたい。しかし、おおかたの道路標識といった図像的な(または表象的な)記号は、直接的に解釈可能である。図像的ではない標徴は、それに伴う(しばしば暗黙の)規定無しでは読み取ることはできない。アルファベットの諸文字とそれらから成る言葉を、ヒエログリフと対照して考えてもらいたい。あるいは、地図、楽譜、グラフ、回路図、組織と流れ図、または建築の青写真までも考えてもらいたい。記号は、(明示的または暗黙的)記号論的約束事の助けによってのみ『読まれる』(解釈される)ことが可能である。たとえば、『sという文字→摩擦音』、『地図での青い斑→水体』、『電気回路図での鋸歯状の線→オーム抵抗』、『$→ドル』、そして『貨幣→商品』である。記号的か記号的でないかに関わらず、標徴は物質的人工物である。しかし、鉛筆とか車とかの、記号論的ではない人工物には似ず、標徴はそれに付属する約束事によってのみ、意味する。

[上記では、symbol 記号は、人工的標徴と定義している。『生物哲学の基礎』での sign 標徴についての部分を、下記に引用する。
標徴〔サイン sign〕
  「標徴 sign または記号 symbol は、構築体〔construct〕そのものを指定する(designate)か、あるいは、実際のまたは可能な事実を表示する(denote)ならば、それは有意義(significant)である。(標徴と構築体の間の意味論的関係を「指定」と呼び、標徴と事実的事項の間の意味論的関係を「表示」と呼ぶ〔略〕。ゆえに、道路標識は表示するが、指定しない。句読点は、指定も表示もしない。)標徴または記号は、意味のある構築体を指定することによって、身代わり的にのみ意味を持つことができる。〔略〕
 名前は記号であるから、構築体の代理となるときにのみ(身代わり的)意味を持つ。〔略〕1つの名前が1人の具体的な個物を表示するだけならば、それは意味を持たない。ゆえに、「ジョーンズ」には意味が無い。」(Mahner & Bunge『生物哲学の基礎』: 73頁)。

階層的排他的分類体系としては、
 構築体 construct
  標徴 sign
   標徴(狭義)=工的標徴
   記号=人工的標徴
   ・
  ・
 物体 thing
〔20150810追記〕]


system システム (p.282)
 【a 概念】あらゆる部分または構成要素が、少なくとも他の一つの構成要素に関係している、複雑な対象。例:一つの原子は、陽子、中性子、そして電子から構成される、一つの物理的システムである;一つの細胞は、細胞小器官(それはまた分子から構成される)といった下位システムから構成される、生物的システムである;会社は、経営者、被雇用者〔従業員〕、そして人工物から構成される、社会的システムである;整数は、加法および乗法の関係と推論規則によってまとめられた命題のシステムである;妥当な論証は、含意関係と推論規則によってまとめられた命題のシステムである;言語は、結びつき、意味、そして文法によってまとめられた標徴(sign)のシステムである。基本的な【システムの種類】を、次のように区別してよい。つまり、具体的システムと概念的システムで、生物体と理論がそれぞれの実例である。さらに、具体的システムは、自然的、社会的、あるいは人工的(人によって作られた)、と区別される。【b CESM分析】システムという概念の最も単純な分析は、構成、環境、構造、そしてメカニズムという諸概念と関与する。_構成_は、その部分の収集体である。_環境_は、そのシステムの構成要素に作用するか、あるいは作用される、諸物の収集体である。_構造_は、そのシステムの構成要素間の諸関係(とりわけ結合bondまたは連結link)、そしてまた構成要素と環境事項の間の諸関係の収集体である。前者は内部構造と、そして後者は外部構造と呼ばれる。_総構造_は、ゆえにこれら二つの諸関係の集合である。システムの_境界_ を、システムがその環境事項と直接に連結している、システム構成要素の収集体として定義されるかもしれない。(二つの事項が直接に連結されるとは、それらが連結され、かつ、それらの間を介在するものが他に無いときである。)境界と形状の間の違いに注意されたい。形状を持つものは何でも境界を持つが、逆は偽である。実際、軽い原子〔*light atoms〕とか会社といった、境界を持つが、形状の無いものが存在する。原子の境界は、その外側の電子の収集体であり、商社の境界は、販売人、購買人、市場売買人、弁護士、そして宣伝代理人から構成される。最後に、一つのシステムのメカニズムは、システムを『作動(tick)』させる、すなわち、他の点では保存しつつ何らかの点で変化させる、内的プロセスによって構成される。明らかに、物質的システムだけが、メカニズムを持つ。これで、下位システムと上位システムという概念を定義できる。一つの対象が他の対象の_下位システム_であるのは、それ自身がシステムであり、かつ、その構成と構造が他の対象の構成と構造にそれぞれが含まれるが、その環境はより包含的なシステム〔=他の対象〕の環境を含むとき、そしてそのときに限る。例: 静力学は、〔動〕力学の下位システムである;染色体は、細胞の下位システムである;社会的ネットワークは、社会の下位システムである。明らかに、一つのシステムの_上位システム_であるという関係は、下位システムであることと対をなすものである。たとえば、われわれそれぞれは、器官のシステムであり、器官は今度は構成要素である細胞の上位システムである。宇宙は、最大の具体的システムである。つまり、すべての具体的システムの上位システムである。具体的システムのシステムの現実的モデルは、その主要な特徴を含むべきである。つまり、構成、環境、構造、そしてメカニズムである。言い換えれば、関心のあるシステムsを、任意の所与の時点で、順序4組としてモデル化すべきである。つまり、μ(s) = <C(s)、 E(s)、 S(s)、 M(s)>。時が過ぎゆくにつれて、四つのすべての構成要素のどれも、あるいはすべてが変化せざるを得ない。それほど明らかではないが、ミクロ物理学におけるものを除いて、あらゆるシステムの究極的構成要素を、知る必要は無いし、どのみち知ることはできないということは真実でもある。たいていの場合には、所与のレベルでのシステムの構成を確かめるか推測すれば十分であろう。(或るシステムsのレベルLでの構成という概念は、CL(s) = C(s) ∩L と定義される。)ゆえに、社会科学者は、作用者の細胞的構成に、興味は無い。さらに、むしろしばしば、分析の単位は、個体ではなく、世帯、会社、学校、教会、政党、省、あるいは国家全体といった、社会的システムである。_世界システム_と幾人かの社会科学者が呼ぶものは、地球上でのすべての社会的システムの上位システムである。システムという概念についての上記の分析は、なぜ↑【システム的アプローチ】がそれに張り合うアプローチよりも好ましいかを明瞭に示している。どの競合するアプローチも、システムについての四つの区別的特徴の少なくとも一つを見逃しているのである。


systemic approach システム的接近〔アプローチ〕 (Bunge 2003, p.285)
 【a 概念】あらゆる物は、↑【システム】であるか、システムの構成要素であるかのどちらかだという原理によって指導される↑【アプローチ】で、よって、あらゆる物は、その原理にしたがって研究され扱われなければならない。↑【個体主義】的(とりわけ↑【原子論】的)アプローチ、↑【分割主義】的〔sectoral〕アプローチ、および↑【全体論】的アプローチに反対する。
 【b 対抗者に対照して】対抗するすべてのアプローチのそれぞれは、システムの四つの区別的特徴の少なくとも一つ、つまり構成、構造、環境、またはメカニズムを見落としている。こうして↑【全体論】は、あらゆるシステムを一つの単位として掴み、システムをその構成、環境、そして構造へと分析することを拒否し、したがってそのメカニズムも見逃してしまう。↑【個体主義】は、構成要素のほかにシステムの存在そのものを認めることを拒否し、それゆえ構造とメカニズムを見落とす。↑【構造主義】は、構成、メカニズム、そして環境を無視し、それに加えて、諸関係を、諸関係の上または先に、関係項無しに前提とするという論理的虚偽を含んでいる。最後に、↑【外在主義〔外部主義*externalism〕】も、システムの内的構造とメカニズムを見逃し、したがって変化の内的源を見逃すこととなる。
 【c 利点】システム的アプローチを採用すると、理論的に都合が良い。なぜなら、あらゆる物は、一全体としての宇宙を除いて、他のいくつかの物と繋がっているからである。同じ理由によって、それは実践的にも好都合である。事実、自分が研究し、設計し、または操縦している、実在システムの特徴の大部分を見逃す専門家(科学者または科学技術者、政策立案者または経営者)によってこうむる手痛い間違いをしなくて済む。たとえば、国際通貨基金(IMF)によって考案される経済的回復または発展のための計画は、むしろしばしば失敗する。計画が↑【分割主義】的であり、システム的ではないからである。つまり、計画がその社会の発展の型と程度にかかわらず推奨する、再調整に伴う生物学的、文化的、政治的代価を無視するのである。
 〔訳者註。【切断主義〔分割主義〕】の項目または事項は、初版では参照項目とはなっておらず(ただし、Sectorial Approachの項目では、反対語として【systemic approach】を参照のこと、となっている)が、第二版でシステム的アプローチからの参照項目となっている。〕



Bunge哲学辞典訳出20150906c

2015年09月06日 22時46分24秒 | Mario Bunge哲学辞典
2015年9月6日-3
Bunge哲学辞典訳出20150906c


taxonomy 分類学 (p.289)
 ↑【体系学】の方法論:↑【分類】、特に生物学における分類の原理の探求。これらは:(1) 当初の収集体〔collection 集まり〕のあらゆる属員は何らかのクラスに割り当てられる;(2) 二つの型のクラスがある。つまり単純なクラス(種)と複成的〔composite〕クラス(たとえば属)である。後者は二つ以上の単純クラスの和集合である;(3) 各々の単純クラスは当初の集まりの属員のいくつかから構成される;(4) 各クラスはその属員が一つの述語か、述語の連言によって決定される集合である;(5) 各クラスは明確〔definite〕である。つまり境界線上の例は無い;(6) 二つのクラスはいかなるものも、互いに素であるか、あるいはどちらかが他方に含まれる。つまり、前者の場合は同一の階級〔ランク〕に属すると言われ、そうでなければ異なる階級に属すると言われる;(7) 二つの論理的関係だけが、分類に関与する。個物とクラスの間に保持される属員関係∈と、異なる階級のクラスを関係づける包含関係⊆である;(8) あらゆる複成的クラスは、直前の階級でのそれの下位クラスの和集合に等しい;(9) 所与の階級のすべての複成的クラスは、対ごとに互いに素である(共通部分が無い);(10) 所与の階級のあらゆる分割は網羅的である。つまり、所与の階級におけるすべての和集合は、当初の収集体に等しい。もし条件(9)が満たされないならば、本来の分類ではなく、↑【類型学】で満足しなければならない。↑【種】。


time 時間〔時〕 [BungeDic1, p.297-298]
 数学と新古典派ミクロ経済学を除けば、すべての専門分野によって共有される、基本的な存在論的カテゴリー〔部類、範疇〕である。時間という概念は、つかみどころが無くて、それゆえ大変無意味な論題でありつづけた。たとえば、ハイデッカーは『時間とは一時性が成熟することである』と書いた。別の例は、時間は流れるという隠喩である。それが無意味なのは、時間は物ではないからである。↑【時間の矢 arrow of time】。『流れる』(変化する)ものとは、実在する物である。きわめて大ざっぱに言えば、時間は実在する物が変化する歩み〔歩調 pace〕である。(すなわち、時間は絶対的ではなくて、相対的である。)しかし時間は、いかなる特定の実在物の性質でもない。つまり、空間と同様に、時間は『公的 public』、すなわち、すべての物によって共有される。(より精確には、任意の所与の参照枠に対して相対的な relative to 時間は、電磁的信号を通してその枠と結ばれ得るすべての物によって共有される。二つの時間概念が区別される。すなわち、物理的(または存在論的)時間と知覚的(または心理的)時間である。物理的時間は通常客観的だとみなされているが、心理的時間は、定義によって、或る主体によって知覚される時間(むしろ期間〔経過期間〕 duration)である。物理的時間は客観的であるが、他のあらゆるものから離れてそれ自体で存在するのではない。そういうわけで、時間はなんらかの過程かそこら、たとえば揺れる振り子か放射性物質の崩壊という過程を観測することによって測られる。そして厳密に言えば、時間は知覚不可能である。われわれは、或る過程を知覚するか感じることができるだけである。そしてこのような知覚は、そのような過程におけるわれわれの参加〔関与 participation〕に決定的に依存する。よって、感覚遮断についての実験の対象者は、すぐに時間を数えそこなう。物理的時間の本性について、主に三つの見解がある。すなわち、時間は存在しないという見解(無時間論 achronism)、それ自体で存在するという見解(絶対的捉え方)、そして生成の歩調だという見解(関係的理論 relational theory)である。無時間論は、時代錯誤となった。絶対的見解によれば、時間は変化する物とは独立的であるので、何物も変化しない場合でさえ、そして宇宙が空ろであっても、時間は在る。時間を捉えるにあたっての最初の重要な変化は、特殊相対性理論(1905)とともにやってきた。それは、時間を空間に(それらの区別は保ったまま)溶接し、時空間という概念を構築した。またそれは、あらゆる物理的状況において、二つの時間変数を区別した。すなわち、参照枠に付属する相対的時間と、着目する物理的な物に付属する固有時間である。一般相対性(1914)の始まりに先立って、物理学者は絶対的捉え方を前提とした。物理的な物または着目する過程を表象するに際して、剛直な rigid 空間-時間格子(または参照系)を選んだという事実に示されるように、である。それ以来、物質が高濃度である領域では(よって、強度の重力場では)、空間-時間測度の相関係数の値は物質の分布に依存し、したがって実験的に決定されなければならない、と一般的に合意されている。絶対的時間についての理論(仮説演繹的システム)は無い。他方、関係的時間についての一般的(哲学的)理論は少しある。いくつかは主観主義〔主観論〕的で、他は実在論的である。実在論的な最も簡単なものは、写像すべき或る物における時間順序を、その物の状態の連鎖 sequence とし、経過期間 duration をその同じ物における事象〔出来事〕の連鎖とする。その公理は次の通りである。所与の参照枠に相対的な任意の三つの点事象である e、e'、そしてe'〔→e"?、増補版を見よ〕に対して、
  T(e, e') = -T(e, e')、かつ、
  T(e, e') + T(e', e") = T(e, e")。
↑【時間の矢 arrow of time】、↑【空間 space】。


typology 類型学 [BungeDic1, p.301]
 或る類の対象を↑【理想型 ideal types】にグループ化すること。例:進化と混血を無視して、人類を純粋な人種〔種族 races〕に分割すること。↑【分類】と混同されてはならない。類型的思考は、進化理論と集団遺伝学の出現とともに生物学では信用を落とした。社会的諸研究では、いまだに強い。
[訳者の主張。
 互いに素であるようなタクソンたち(タクサ taxa)は、類型的思考として扱える。それは種というタクソン的階層に属する構築体である、個々の種[という分類カテゴリー]である。
 種というタクソンは、属員関係 membership relation と包含関係 inclusion relation という二つの関係を他(片や生物体という実在物、他方は構築体)と持っている。包含関係は構築体どうしの論理的関係である。
 包含関係は、分類学的階層 taxonomic hierarchy と呼ばれるものを構築するときの関係である。種階級 species rank を越えるタクサの関係や、それへの帰属は、しばしば生物分類学的営為において変更される。
 種タクサだけを設定するのがよい。属以上は、お遊びに近い。体系化のための構築体だからである。それらが実在的に感じられる場合もあるが、現実に生物体を産み出しているのは、種システムであって、属システムというようなものは実在しないであろう。(在るとして)観念世界には存在するかもしれない。(ここで実在性 reality の相対性については触れない。実在性についても、その種類と程度が考えられる。ここでは、どの世界から、その世界またはそれ以外の実在性を測定するかが問題であって、要は、実在性や実在感(の種類と程度)は、相対的である。
 
 1. 種[という分類カテゴリー]は、生物体という具体的存在者(つまり実在する物体)とは属員関係にある。
 2. (実在的な realistic、あるいは実在する real かもしれない存在者 entity としての)種システムは、その種に属すると同定される生物体を生成するまたは産み出す。
 3. 2に規定される種システムが実在するかどうかは、かなり未来の研究課題であろう。検出手段が揃わない。しかし伺い知ることならば、或る程度は可能である。
 4. 現今では、各種の発生システムを図解することが急務である。とりわけ、発生なら発生に必要かつ十分な諸メカニズムをシステム的に図示することが重要である。
 5. ]


understanding 理解〔了解、会得、[基立:もとの意味に沿って、下に立つと解すれば、基立と訳すべきである。]〕 [BungeDic1: 302]
 事実、記号〔symbol〕、そして構築体に適用される心理学的カテゴリー〔部類 category[classはクラスとするか? kindは類。]〕。↑【解釈学的哲学 heumeneutic philosophy】においては、定義として欠点のある用語である。同義語:↑【了解 Verstehen】。


Verstehen 了解 [BungeDic1: 308-309]
 ↑【解釈学的哲学 hermeneutic philosophy】と社会的研究における、鍵用語だが、定義として欠点のある用語。ふつう、「interpretation」、「理解 understanding」、または「包握 comprehension〔全握 com全部-prehendつかむ、包括する〕」のどれかに訳される。W. ディルタイ Diltheyにおいては、了解 Verstehen = 感情移入〔共感〕empathy。M. ヴェーバー Weberにおいては、了解 Verstehen = 行為者 actorの意図、または行為者の行為 actionの目的 aims についての推測 conjecture。歴史文化的な、あるいは解釈学的学派の主要な信条は、社会科学者は社会的事実を、説明するのではなく、了解する verstehen(『理解する understand』、『包握する comprehend』、または『解釈する interpret』ことを探し求めなければならない、である。このような理解は understandingは主観的であるから、よって客観的で厳格な rigorousな諸標準からは自由なので、諸聖典〔sacred scriptures〕の解釈〔hermeneuticは聖書解釈学の、という意味あり〕よりも客観的な真実に到達していると主張することはできない。科学的社会研究において、了解 Verstehen は発見的役割を演じるかもしれない。つまり、仮説を思いつかせる可能性がある。しかし、仮説は、受け入れられる前に試験 test されなければならない。


Bunge哲学辞典:sign 標徴〔符号〕、symbol 記号;絵画原論:符号、記号、象徴、図解、絵具、絵画

2013年07月13日 12時02分13秒 | Mario Bunge哲学辞典
2013年7月13日-1
Bunge哲学辞典:sign 標徴〔符号〕、symbol 記号;絵画原論:符号、記号、象徴、図解、絵具、絵画

sign 標徴〔符号〕(Bunge哲学辞典初版、p.267)
 或る他の対象『を表わす stand for〔の代わりとなる〕 』または表象する 〔表わす、代表するrepresent 〕もの〔thing〕。通常、二種類のsignが区別される。自然的signと人工的signである。自然的signは、諸状態の兆候〔symptoms〕か、具体物の状態の諸変化である。たとえば、暗い〔黒っぽい〕雲と暗い表情は、それぞれ雨と怒りの標徴である。対照的に、人工的標徴は、事実的事項を呼び起こすために、あるいは構築体を名づけるために、巧みに作られて使用される人工物である。例:言語的表現、(目配せといった)身体的言語の諸項目、論理(logos)、線図〔図解 diagrams〕、そして数字。光輪のある月、または、激しい食料暴動、といった自然的標徴は、仮説によってそうなっている。対照的に、人工的標徴は、約束事〔約定 convention〕によってのみそうなっている。すなわち、自然的標徴は、知覚できない物事、性質、または出来事〔事象 events〕の、知覚できる指標である。それゆえ、それらは意義が無く、したがってそれらの『意味』を語ることは、良くてせいぜい隠喩的であって、最悪の場合は明白な間違いである。とりわけ、人々が社会生活を『解釈する interpret』、つまりその意図または目標に関して【仮説】を作るからというだけで、本文または『本文のように like a text』社会生活を考えること、↑【解釈学 hermeneutics】、↑【原文固執主義 textualism】、は誤りである。混乱を未然に防ぐためには、↑「【記号 symbol】」という語を、数字や道路標識といった人工的標徴という概念を表わすように使うべきである。よって、「地位の象徴 status symbol」という表現は、「地位の指標 status indicator」で差し替えるべきである。

 
symbol 記号 (Bunge哲学辞典1999初版、pp.280-281)
 人工的標徴。例:言語的表現、線図〔図解 diagrams〕、論理(logos)、道路標識、建築の青写真、数字。記号は、概念を指定するか、概念ではない事項(たとえば個々の物質的なもの、または別の記号)を表示するために、作られるか使われる標徴である。それらをそれぞれ、指定する記号、表示する記号、と呼ぼう。指定する記号の例:数字(それは数を指定するか名づける)。表示する記号の例:固有名。指定の関係(記号?概念)と表示の関係(記号?物事)は、↑【指示 reference】という関係で結びつけることができる。次の線図〔図解 diagram〕の通りである。

            記号 Symbol
            / 
  指定 Designation /      表示 Denotation
          /
         / 指示 reference
        ?___________________?
   構築体 Construct  意味される Signified

 指定-表示と記号?非記号という分割は、合致しない。なぜなら、或る記号は構築体を表わすのに対して、他はそうではないからである。 ゆえに、数字「4」と「IV」は四という数を指定する。それは純粋な概念であるが、他方、固有名と場所名は具体的な物事を表示する。同様に、「$5」という記号は、五ドルの銀行券(または小切手または為替)あるいは商品でのその等価物を表示する。記号は知覚可能な存在者であるが、概念や命題のような抽象的存在者ではない。読むことのできる文、見ることのできる線描、そして聴くことのできる言葉を考えてもらいたい。しかし、おおかたの道路標識といった図像的な(または表象的な)記号は、直接的に解釈可能である。図像的ではない標徴は、それに伴う(しばしば暗黙の)規定無しでは読み取ることはできない。アルファベットの諸文字とそれらから成る言葉を、ヒエログリフと対照して考えてもらいたい。あるいは、地図、楽譜、グラフ、回路図、組織と流れ図、または建築の青写真までも考えてもらいたい。記号は、(明示的または暗黙的)記号論的約束事の助けによってのみ『読まれる』(解釈される)ことが可能である。たとえば、『sという文字→摩擦音』、『地図での青い斑→水体』、『電気回路図での鋸歯状の線→オーム抵抗』、『$→ドル』、そして『貨幣→商品』である。記号的か記号的でないかに関わらず、標徴は物質的人工物である。しかし、鉛筆とか車とかの、記号論的ではない人工物には似ず、標徴はそれに付属する約束事によってのみ、意味する。


 


   サイン
  [標徴 sign または記号 symbol は、構築体〔construct〕そのものを指定する(designate)か、あるいは、実際のまたは可能な事実を表示する(denote)ならば、それは有意義(significant)である。(標徴と構築体の間の意味論的関係を「指定」と呼び、標徴と事実的事項の間の意味論的関係を「表示」と呼ぶ〔略〕。ゆえに、道路標識は表示するが、指定しない。句読点は、指定も表示もしない。)標徴または記号は、意味のある構築体を指定することによって、身代わり的にのみ意味を持つことができる。〔略〕
 名前は記号であるから、構築体の代理となるときにのみ(身代わり的)意味を持つ。〔略〕1つの名前が1人の具体的な個物を表示するだけならば、それは意味を持たない。ゆえに、「ジョーンズ」には意味が無い。」(Mahner & Bunge『生物哲学の基礎』: 73頁)。




Bunge哲学辞典:model モデル〔模型〕

2012年08月27日 22時54分59秒 | Mario Bunge哲学辞典
2012年8月27日-3
Bunge哲学辞典:model モデル〔模型〕

model モデル〔模型〕 [BungeDic1, p.39]
 【a 視覚的】観察できない物または過程の図像的モデル〔模型〕は、それの視覚的類似 analogyである。例:電磁場の力線諸モデル、ボーアの原子模型、電磁力学過程のファインマン ダイアグラム〔ファインマン線図〕。19世紀には、著名な物理学者たちは、このようなモデルの役割についての活発な論争に深く関わった。典型的には、実在論者はそれらの模型を擁護したが、実証主義者と規約主義者は攻撃した。このようないくつかのモデル(たとえばボーア模型)は実在物の粗い表象であるが、他は(たとえばファインマンのものは)まさしく類似か単なる記憶を助ける工夫であると、今日では一般的に認められている。
 【b モデル-理論的】一つの_モデル_は、言葉のモデル-理論的な意味では、一つの抽象的理論(または形式化された言語)の一例(または、よく言われるように『現実化』)である。たとえば、命題計算はブール代数の一つのモデルまたは例である。↑【解釈 interpretation】、↑【モデル理論】。
 【c 科学的と科学技術的】〔原文はbとなっている間違いだろう。→増補版と照合せよ。〕科学または科学技術における理論的モデルは、或る事実的領域の特殊理論である。例:ヘリウム原子のモデル〔模型〕、細胞増殖のモデル、製造会社の模型。このようなモデルは、モデル理論で研究されるモデルとは無関係であるが、科学についての或る全体哲学はこれらの混同にもとづいている。つまり、↑【モデル混同〔混乱〕 models muddle】。二つの種類の理論モデルが区別されなければならない。つまり、拘束モデルと自由モデルである。_拘束モデル_は、(たとえば古典力学や一般均衡理論といった)一般理論を特殊諸仮定で充実する〔強化する〕 enrich ことの結果である。例:単振り子模型と資本市場のモデル。対照的に、_自由モデル_は、ゼロから〔from scratch〕作られる。例:或る事業会社〔商社 business firm〕についての諸モデル、発明の普及についてのモデル。生物学、社会諸科学、そして科学技術における理論的(または数学的)モデルは、たいていは自由モデルである。このことは、これらの専門分野がいまだ理論的に遅れているか、あるいは一般性を手に入れるのは困難だということのどちらかを、示している。


Bunge哲学辞典:classification 分類[と関連事項]

2012年08月27日 15時29分10秒 | Mario Bunge哲学辞典
2012年8月27日-2
Bunge哲学辞典:classification 分類[と関連事項]

クラス、分類、生命、自然類、種、分類学、類型学

class クラス [BungeDic1, p.39]
 一つの(単純なまたは複雑な)述語によって定義された収集体 collection(とりわけ、集合 set)。【同義語】類 kind、型 type、種類 sort。クラスの代数学とは、集合を全体として扱い、それらの合併〔和集合〕、共通部分〔積集合〕、そして補集合を研究する論理学の分野である。
 〔訳注。マーナ・ブーンゲ『生物哲学の基礎』では、二つ以上の述語によって定義された収集体を、類 kindとしている。なお、この哲学辞典には、kindという項目は無い。〕

 
classification 分類 [BungeDic1, p.39]
 一つの収集体を、互いに素な部分集合(種 species)に、 網羅的に分割することと、部分集合を、属といった、より高位のクラス(タクソン)にグループ化〔群化〕すること。分類には、二つの論理的関係が含まれる。すなわち、クラスにおける個体という属員性 membership(∈)と、より高位階のクラスにおけるクラスという包含 inclusion である。よって、あらゆる分類は、集合理論の↑【モデル model〔模型〕】(例)である。↑【分類学 taxonomy】

 
生命 life (p.163)
 諸生命科学の中心的概念.生きものまたは有機体の本性〔=本質的性質〕に関して四つの主要な見解がある.つまり,生気論,機械論〔mechanism〕(または物理化学主義),マシン〔機械〕主義〔machinism〕,そして有機体論(または生物システム主義)である.↑【生気論】は,『生命』を,たとえば『生命衝動』といった,何らかの非物質的な存在者と目標へと努力する傾向なるものによって定義する.↑【機械論】は,『生きている』という述語は物理化学の用語によって定義可能であると主張する.つまり,有機体は大変複雑な物理化学的システムにすぎない.↑【マシン主義】は,有機体を機械に似たもの,つまり設計され,プログラムされ,そして目標指向的〔goal-directed〕なものとして考える.有機体論(または生物システム主義)は,生命を何らかの極度に複雑なシステムの創発的性質とみなす.このシステムの遠い先祖は,約40億年前には生命のない〔abiotic〕ものであった.生気論は,まったく信用されなくなった.不毛であり,非物質的なエンテレキーなるものは,観察と計算をしようにも不可能だからである.機械論はいまだに流布しており,分子生物学の誕生以来は特にそうであるが,生きものの特有性のいくつかを説明することには失敗している.とりわけ,それは,なぜ有機体における代謝過程が,概して,中性的または自己に仕えるのではなく,有機体に『仕える』のかを,説明しない.機械論はまた,自己洗浄と自己修復のメカニズムの創発も,説明しない.つまり,生きていない化学系は,ついには反応のいくつか,あるいはすべてさえも停止させるような,反応を抑制する化学物質を蓄積するかもしれない.機械論は,デカルトによって創始され,それ以来広まったが,今日ではコンピュータ科学の連中に人気がある.その連中は,生命プロセスの特定の特徴をコンピュータシミュレーションしたものを,↑【人工生命】と呼んでいる.皮肉にも,マシン主義は,設計と計算という概念に含まれる目的論を,生気論と共有している.生物システム主義だけが,化学的前躯体からの生命システムの自己集成についての分子生物学的説明と,遺伝子変化と自然淘汰による進化の理論を認めるだけでなく,生命を化学レベルに根をおろした一つの創発レベルとして認めもする.↑【創発】,↑【創発主義的唯物論】,↑【システム主義】.

 
自然類 natural kind (p.191)
 恣意的からはほど遠い,一つの性質または一つの法則によって定義される収集体.例:すべての生きものは,生物体というクラス(自然類)を構成する;社会的関係によって結ばれる人々から成るすべての存在者は,社会システムというクラス(自然類)を構成する.唯名論者,規約主義者,そして主観主義者(とりわけ現象論者)は,自然類という観念そのものを拒否する.よって彼らは,周期律表,化学元素の変換〔transmutation〕,あるいは生物学的種形成を説明できない.

 
種 species (p.274)
 いくつかの基本的性質を共有する物の収集体〔集まり〕.例:化学的種と生物学的種.分類における最初の段階.より包含的な概念として,属,科,王国がある.属とその種の間の関係は,次の通り.一つの属はその種の和集合である.つまり,これらのどの一つもその属に包含される(⊆).そして,あらゆる個物は一つの種の属員〔成員〕である(∈).種は具体的個物であるという見解は,属員関係を部分-全体関係と間違えているために,この分析を無視している.↑【自然類】,↑【分類学】

 
分類学 taxonomy (p.289)
 ↑【体系学】の方法論:↑【分類】,特に生物学における分類の原理の探求.これらは:(1) 当初の収集体〔collection集まり〕のあらゆる属員は何らかのクラスに割り当てられる;(2) 二つの型のクラスがある.つまり単純なクラス(種)と複成的〔composite〕クラス(たとえば属)である.後者は二つ以上の単純クラスの和集合である;(3) 各々の単純クラスは当初の集まりの属員のいくつかから構成される;(4) 各クラスはその属員が一つの述語か,述語の連言によって決定される集合である;(5) 各クラスは明確〔definite〕である.つまり境界線上の例は無い;(6) 二つのクラスはいかなるものも,互いに素であるか,あるいはどちらかが他方に含まれる.つまり,前者の場合は同一の階級〔ランク〕に属すると言われ,そうでなければ異なる階級に属すると言われる;(7) 二つの論理的関係だけが,分類に関与する.個物とクラスの間に保持される属員関係∈と,異なる階級のクラスを関係づける包含関係⊆である;(8) あらゆる複成的クラスは,直前の階級でのそれの下位クラスの和集合に等しい;(9) 所与の階級のすべての複成的クラスは,対ごとに互いに素である(共通部分が無い);(10) 所与の階級のあらゆる分割は網羅的である.つまり,所与の階級におけるすべての和集合は,当初の収集体に等しい.もし条件(9)が満たされないならば,本来の分類ではなく,↑【類型学】で満足しなければならない.↑【種】.

 
typology 類型学 [BungeDic1, p.301]
 或る類の対象を↑【理想型 ideal types】にグループ化すること。例:進化と混血を無視して、人類を純粋な人種〔種族 races〕に分割すること。↑【分類】と混同されてはならない。類型的思考は、進化理論と集団遺伝学の出現とともに生物学では信用を落とした。社会的諸研究では、いまだに強い。

 
〔訳者の主張。
 互いに素であるようなタクソンたち(タクサ taxa)は、類型的思考として扱える。それは種というタクソン的階層に属する構築体である、個々の種[という分類カテゴリー]である。
 種というタクソンは、属員関係 membership relation と包含関係 inclusion relation という二つの関係を他(片や生物体という実在物、他方は構築体)と持っている。包含関係は構築体どうしの論理的関係である。
 包含関係は、分類学的階層 taxonomic hierarchy と呼ばれるものを構築するときの関係である。種階級 species rank を越えるタクサの関係や、それへの帰属は、しばしば生物分類学的営為において変更される。
 種タクサだけを設定するのがよい。属以上は、お遊びに近い。体系化のための構築体だからである。それらが実在的に感じられる場合もあるが、現実に生物体を産み出しているのは、種システムであって、属システムというようなものは実在しないであろう。(在るとして)観念世界には存在するかもしれない。(ここで実在性 reality の相対性については触れない。実在性についても、その種類と程度が考えられる。ここでは、どの世界から、その世界またはそれ以外の実在性を測定するかが問題であって、要は、実在性や実在感(の種類と程度)は、相対的である。

 
 1. 種[という分類カテゴリー]は、生物体という具体的存在者(つまり実在する物体)とは属員関係にある。
 2. (実在的な realistic、あるいは実在する real かもしれない存在者 entity としての)種システムは、その種に属すると同定される生物体を生成するまたは産み出す。
 3. 2に規定される種システムが実在するかどうかは、かなり未来の研究課題であろう。検出手段が揃わない。しかし伺い知ることならば、或る程度は可能である。
 4. 現今では、各種の発生システムを図解することが急務である。とりわけ、発生なら発生に必要かつ十分な諸メカニズムをシステム的に図示することが重要である。
 5.



Bunge哲学辞典:time 時間〔時〕

2012年08月27日 12時45分16秒 | Mario Bunge哲学辞典
2012年8月27日-1
Bunge哲学辞典:time 時間〔時〕

time 時間〔時〕 [BungeDic1, p.297-298]
 数学と新古典派ミクロ経済学を除けば、すべての専門分野によって共有される、基本的な存在論的カテゴリー〔部類、範疇〕である。時間という概念は、つかみどころが無くて、それゆえ大変無意味な論題でありつづけた。たとえば、ハイデッカーは『時間とは一時性が成熟することである』と書いた。別の例は、時間は流れるという隠喩である。それが無意味なのは、時間は物ではないからである。↑【時間の矢 arrow of time】。『流れる』(変化する)ものとは、実在する物である。きわめて大ざっぱに言えば、時間は実在する物が変化する歩み〔歩調 pace〕である。(すなわち、時間は絶対的ではなくて、相対的である。)しかし時間は、いかなる特定の実在物の性質でもない。つまり、空間と同様に、時間は『公的 public』、すなわち、すべての物によって共有される。(より精確には、任意の所与の参照枠に対して相対的な relative to 時間は、電磁的信号を通してその枠と結ばれ得るすべての物によって共有される。二つの時間概念が区別される。すなわち、物理的(または存在論的)時間と知覚的(または心理的)時間である。物理的時間は通常客観的だとみなされているが、心理的時間は、定義によって、或る主体によって知覚される時間(むしろ期間〔経過期間〕 duration)である。物理的時間は客観的であるが、他のあらゆるものから離れてそれ自体で存在するのではない。そういうわけで、時間はなんらかの過程かそこら、たとえば揺れる振り子か放射性物質の崩壊という過程を観測することによって測られる。そして厳密に言えば、時間は知覚不可能である。われわれは、或る過程を知覚するか感じることができるだけである。そしてこのような知覚は、そのような過程におけるわれわれの参加〔関与 participation〕に決定的に依存する。よって、感覚遮断についての実験の対象者は、すぐに時間を数えそこなう。物理的時間の本性について、主に三つの見解がある。すなわち、時間は存在しないという見解(無時間論 achronism)、それ自体で存在するという見解(絶対的捉え方)、そして生成の歩調だという見解(関係的理論 relational theory)である。無時間論は、時代錯誤となった。絶対的見解によれば、時間は変化する物とは独立的であるので、何物も変化しない場合でさえ、そして宇宙が空ろであっても、時間は在る。時間を捉えるにあたっての最初の重要な変化は、特殊相対性理論(1905)とともにやってきた。それは、時間を空間に(それらの区別は保ったまま)溶接し、時空間という概念を構築した。またそれは、あらゆる物理的状況において、二つの時間変数を区別した。すなわち、参照枠に付属する相対的時間と、着目する物理的な物に付属する固有時間である。一般相対性(1914)の始まりに先立って、物理学者は絶対的捉え方を前提とした。物理的な物または着目する過程を表象するに際して、剛直な rigid 空間-時間格子(または参照系)を選んだという事実に示されるように、である。それ以来、物質が高濃度である領域では(よって、強度の重力場では)、空間-時間測度の相関係数の値は物質の分布に依存し、したがって実験的に決定されなければならない、と一般的に合意されている。絶対的時間についての理論(仮説演繹的システム)は無い。他方、関係的時間についての一般的(哲学的)理論は少しある。いくつかは主観主義〔主観論〕的で、他は実在論的である。実在論的な最も簡単なものは、写像すべき或る物における時間順序を、その物の状態の連鎖 sequence とし、経過期間 duration をその同じ物における事象〔出来事〕の連鎖とする。その公理は次の通りである。所与の参照枠に相対的な任意の三つの点事象である e、e'、そしてe'〔→e"?、増補版を見よ〕に対して、
  T(e, e') = -T(e, e')、かつ、
  T(e, e') + T(e', e") = T(e, e")。
↑【時間の矢 arrow of time】、↑【空間 space】。



Bunge哲学辞典:argument 論証

2012年08月26日 10時55分33秒 | Mario Bunge哲学辞典
2012年8月26日-2
Bunge哲学辞典:argument 論証

argument 論証 [BungeDic1, p.23]
 【a 日常言語】論争。
 【b 論理〔学〕】前提から結論への(妥当な、または妥当ではない)推論。唯一の妥当な論証は、演繹〔導出〕である。妥当性はもっぱら、形式に依存する。それゆえ、『すべてのメロンは高潔である。これはメロンである。よって、このメロンは高潔である』は、形式的に妥当である。妥当性にかかわらず、諸論証は実り多かったり不毛であったりし得る。妥当ではないが実り多ければ、それらは_魅惑的 seductive_だと言われるかもしれない。例:無作為標本から母集団への統計的推測。非演繹的論証は、内容に依存する。したがって、帰納的論理または類推的論理を建設しようという企画は、倒錯している wrong‐headed。非演繹的論証は、認知心理学と認識論に属するのであって、論理学に属するのではない。類推的論証と帰納的論証は、示唆的ではあるが、論理的に妥当ではない。

 〔訳注。論理または論理学の範囲を、非演繹的論証も含めた(意味内容に関連した)論理的側面を研究するものだと拡張すれば、演繹的論証の性質も逆照射的にわかるというものではないか? 頑迷固陋な wrong‐headed というべき。さらに、論理学が推論を扱うのならば、推論は心理学の一分野、つまり心的物体の振る舞いに関する学問だと主張できるだろう。
 なお、科学は事実と関わるので、科学的推論とか科学の哲学のおける論証または議論 argumentは、演繹的推論だけではなく、なんらかの形で事実に言及することになる。いわゆる「科学的」事実に言及しないのならば、その議論は、狭い意味での論理学または数学の部類である。〕



Bunge哲学辞典:category mistake カテゴリー錯誤、causalism 因果主義

2012年08月26日 10時28分07秒 | Mario Bunge哲学辞典
2012年8月26日-1
Bunge哲学辞典:category mistake カテゴリー錯誤、causalism 因果主義

category mistake カテゴリー錯誤〔部類錯誤〕 [BungeDic1, p.35]
 或る類 kind に属する或る対象を、別の類に属すると提示〔呈示 presentation〕すること。例:自由意志を予測可能性と混同すること、また、『集団的記憶 collective memory』と『行為〔行動 actions〕の意味』について話すこと。

causalism 因果主義 [BungeDic1, p.35]
 ↑【因果連関 causation】は、生成の唯一の様態 mode だとする存在論的テーゼ〔定立〔定立命題〕〕。放射能、神経細胞の自発放電、そして↑【自己集成 self-assembly】によって反証された。
 〔訳注。前二者は暗黒物質が検出されれば反確証例にはならないかもしれない。また、自己集成は、機構が不明のままであると思う。マーナ・ブーンゲ『生物哲学の基礎』では、創発は自己組織化と同一視されているが、自己組織化もまた機構が不明のままであると思う。つまり、十分な説明の無い概念である。〕


Bunge哲学辞典:CESM model CESMモデル〔構成環境構造機構モデル〕

2012年08月25日 22時18分53秒 | Mario Bunge哲学辞典
2012年8月25日-18
Bunge哲学辞典:CESM model CESMモデル〔構成環境構造機構モデル〕

CESM model CESMモデル〔構環構機モデル、成環造機モデル〕 [BungeDic1, p.36]
 順序四つ組 M =〈構成、環境、構造、(諸)機構〉として、或る↑【システム】の↑【概要を述べたもの sketch】。例。製造工場は、労働者、技術者〔工学者〕、そして管理者から構成され、その環境は市場であり、それは契約と通信および命令の諸関係によってまとめられ〔一緒にされ〕、その諸機構とは製造、売買 trading、借用、そして営業企画 marketingの諸機構である。或るシステムの機構〔メカニズム〕が知られていないか無視できるならば、メカニズム的CESMモデルは、機能的なCES概述へと縮まる〔reduce to〕。

→システム system (p.282)
→2011.1.5 システム主義、システム的アプローチ systemism, systemic approach[
http://pub.ne.jp/1trinity7/?entry_id=3406301


sketch 概述〔見取り図〕 [BungeDic1, p.270]
 ↑【schema】。

schema 図式〔大要〕 [BungeDic1, p.256]
 主要な性質の概述〔sketch〕または目録〔一覧 list〕。『独身男子、気が若い、非喫煙者』といったもの。



Bunge哲学辞典目次[C]

2012年08月25日 21時45分37秒 | Mario Bunge哲学辞典
2012年8月25日-17
Bunge哲学辞典目次[C]

Mario Bunge哲学辞典目次

[C]
calculus
cardinal/ordinal
Cartesian product
categorical imperative
category
category mistake
causalism
causation
cause/effect
certainty/doubt
CESM model
chain (or ladder) of being
chance
change
chaos
charlacanism
chemistry
choice
choice, axiom of
chutzpah, philosophical 哲学的厚顔無恥
circle, vicious/virtuous
clarity
class
classification
closure
coextensive
cogito, ergo sum
cognition
cognitivism
coherence
coherence theory of truth
cointensive
collection
collectivism
commandment
common sense
commonsense realism
communication
compatibility
complement
completeness
complexity
composition
computationalism
concept
concept formation
conclusion
concrete
condition
conditional
confirmation
conjunction
connective, logical
connotation/denotation
consequence
consequentialism
conservatism
consistency
constitutive/regulative
construct
constructivism
contemplation
content
context
contingency
contractualism or contractarianism
contradiction
contraposition
controversy, philosophical
convention
conventionalism
conviction
coreferential
correspondence, principle of
correspondence rule
correspondence theory of truth
corrigibility
cosmology
counterexample
counterfactual
counterintuitive
coverage
creation
credence
criterion
criticism
cryptocontradiction
crypto-tautology
cubism, philosophical
culture
culturology
cybernetics


Bunge哲学辞典目次[B]

2012年08月25日 21時17分04秒 | Mario Bunge哲学辞典
2012年8月25日-16
Bunge哲学辞典目次[B]

Mario Bunge哲学辞典目次


[B]
background of a research field
baroque philosophy
basic
Bayesianism
becoming
behaviorism
being
belief
BEPC schema
biconditional
bioethics
biologism
biology
black box
black-boxism
body
bond or link 結合または連結 [BungeDic1, p.32]
Boolean algebra
breakthrough
burden of proof 立証責任〔挙証責任〕 [BungeDic1, p.33]


Bunge哲学辞典目次[A]

2012年08月25日 21時15分54秒 | Mario Bunge哲学辞典
2012年8月25日-15
Bunge哲学辞典目次[A]

Mario Bunge哲学辞典目次

[A]
about について
absolute/relative 絶対的/相対的
absolutism
abstract
abstraction
absurd
academic
accident
accidental
account
action 作用 [BungeDic1, p.9]
actual
actualism
actuality
actualization
addition
ad hoc hypothesis
aethetics 感性学〔美学〕 [BungeDic1, p.11]
afterlife
agathonism
agency 作用* [BungeDic1, p.11]
agent/patient 作用者〔動作主,作動者〕〕/受動者〔被動者〕 [BungeDic1, p.11-12]
〔aggregate〕
agnosia
agnosticism
agonism
alchemy, epistemic
alethic
algebra
algorithm
all/some
altruism
ambiguity, lexical
amoral
amoralism
analogy
analysis
analytic philosophy
analyticity
analytic/synthetic divide
anarchism
and
animism アニミズム [BungeDic1, p.18][初版の訳→増補改訂版の訳にすべし]
annihilation
anomaly
antecedent/consequent
anthropic hypothesis
anthropocentric
anthropomorphic
anthropology
antinominalism
antinomy
antiphilosophy
antithesis
any
anything is possible
apodeictic
appearance
approach
approximation
a priori/a posteriori
apriorism
arbitrary
argument
arrow of time
art
artifact
artificial/natural
associativity
assumption
atheism
atom
atomism
attribute
authoritarianism
autonomy/heteronomy
axiology
axiom
axiomatics


Bunge哲学辞典:burden of proof 立証責任〔挙証責任〕

2012年08月25日 21時13分05秒 | Mario Bunge哲学辞典
2012年8月25日-14
Bunge哲学辞典:burden of proof 立証責任〔挙証責任〕

 
burden of proof 立証責任〔挙証責任〕 [BungeDic1, p.33]
 推測、規範、または方法を申し出る者はだれでも、それを正当化する道義的責任を持つ。たとえば、心的なことの非生物学的説明、あるいは、社会的なことの生物学的説明を進める者はだれでも、それを支持する証拠〔根拠 evidence〕を示す義務がある。対照的に、科学者と科学技術者は、科学者でない者〔非科学者〕のとっぴな空想的産物〔奇抜な考え〕を照合する義務の無いところにいる。同様に、刑事には、異星人に誘拐されたという主張を反証する義務は無い。生体医学研究者には、信仰療法が申し立てられたあらゆる事例を照合する義務は無い。また、工学者〔技術者〕には、永久運動機械のあらゆる新しい設計を検査する義務は無い。