生命哲学/生物哲学/生活哲学ブログ

《生命/生物、生活》を、システム的かつ体系的に、分析し総合し統合する。射程域:哲学、美術音楽詩、政治経済社会、秘教

美術展備忘録2009年8月5日

2010年07月31日 17時07分13秒 | 美術/絵画
2010年7月31日-3
美術展備忘録2009年8月5日

2009年8月5日
 白髪一雄展 -格闘から生まれた絵画-/尼崎市総合文化センター。
 「流動1」にしてから、変わった描き方。パレットナイフを使ったらしい。
 赤い作品の1mm間隔のハケ跡が良い。これが千倍の面積だと面白いだろう。
 黒と赤の「破天轟」、白だけの「扶桑」はまあ、良し。他は、失敗作。造形美なし。透明色を使った青の「群青」。
  [IDEA えのぐを並べて長い板でこすり動かす]
 「大威徳尊」は、上部1/4の流動的なところを、全面に生かすと良かった。
 「密呪」は、澄んだ色にすると面白いかも。
 「神獣」制作のビデオを見た。たとえば黄色の絵具の大チューブの尻を助手(妻だろう)が鋏で切り、腹を縦に切ると、大きなスプーンで直接画布に落とす。あるいはカンからドッと投げ落とす。天井から吊るされたロープは一本のみ。ロープを通じて制御される足という筆。ゆっくりとすべらす。足で絵具を叩く。ロープは画布のまんなかあたりにあるので、画布を越えて広がるということはできない。外への拡がりは無理だろう。

美術展備忘録2008年1月29日/2008年2月3日/2010年4月30日(金)

2010年07月31日 12時20分24秒 | 美術/絵画
2010年7月31日-2
美術展備忘録2008年1月29日/2008年2月3日/2010年4月30日(金)

2008年1月29日
 館蔵品展 Abstract Expressionism 絵画の冒険 ~抽象芸術の楽しみ~/奈良県立美術館。〔「展覧会のごあんない」では、~抽象表現主義の足跡~。〕
 今中クミ子。うずまき。発スチに、入れ込む。具体美協。
 大野俶嵩。展示解説に「絵画、彫刻といった様式**意欲的な実験作と評されました」とあった。 
 白髪一雄。具体美。フットペインティング、アンフォルメル。
 難波田龍起。自由美協。いずれもイマイチ。
 元永定正。1955に具体美術協会会員、「ユーモラスな絵画空間」。いずれもどうということなし。〔当時は画期的だったのだろう。→美術史的評価と現時点からの鑑賞との乖離の問題〕
 湯田寛。パンリアル美。布ばりパネル。青と白。
 横井照子。叙情的抽象画で欧米各地で。

 全て解説は文字小さく近づかないと読めない。アクリル板透明のうしろに和紙を張ったら面白いかも。2Fにソファがあった、よかった。

 茶粥定食 y1,380/レストラン萬菜/全席禁煙。(「松、竹、(生命)龍」。)

2008年2月3日
 11:20:48。森美術館の展望台52階。雪で外はほとんど見えない。
 アートは心のためにある:UBSアートコレクションより/森美術館/六本木ヒルズ森タワー53階。
 11:30:18~
 イ・プル2004の「スティル」。陶器のような感じ。
 オスカル・ムニュス「ピクセル」角砂糖白~こげ茶の1cm角の23x23を*〔判読できず〕に、顔。
 ゲルハルト・リヒター 1986「アブストラクト・ペインティング 混乱、油彩、カンバス、どこかで見たのより、少し*
 ギュンター・フェルク 鉛の絵 1988 アクリネ、鉛、木。てっきり、この部屋の展示品の*がiMacで回る*思ったら、ちがった。** 
 iBooKG4またはiMacが7台x2列=14台ならぶ。「画面をクリックするとセクションの出展作品の解説がご覧いただけます」
 フェルクはモノクロームの抽象絵画。「素材の持つ特性は……画面の表情に浮**と存在感を与え」ているとは思えない。

2008年2月3日
 わたしいまめまいしたわ 現代美術にみる自己と他者/東京国立近代美術館 企画展ギャラリー。会期:前期 2008年1月18日(金)~2月17日。
 日高理恵子「樹を見上げてVII」1993 紙本着色。見れるのはこれくらい。どこかで見たな。しかし、構図はイマイチ。
 草間彌生「冥界への道標」。前に見た。どうということなし。
 高嶺格「God Bless America」2002 ヴィデオ・インスタレーション(8分18秒)〔「社会と向き合うわたし」を見つめる〕。Good、粘土、早回し。まん中に粘土の像が動く。ジョン・レノンとオノ・ヨーコの**歌声とともに、パラディッてる? この粘土アニメーションは面白い。才気かんぱつ。実に愉快。〔出口で訊くと、このvideoは売っていないとのことだった〕~16:16//

2008年2月3日
 平成19年度第4回所蔵作品展「近代日本の美術」前期/国立近代美術館。
 16:17~
 アンリ・ルソー「第22回アンデパンダン展に参加するよう芸術家達を導く自由の女神」。こんなに大きかった? 大きさ表示なし。
 速水御舟「門(名主の家)」前にも見たが、前の門の前の白い風が楽しい。
 平福百穂「荒磯(ありそ)」めっけもの。白波が*ざわ*迫る。好きではないが、面白い構図。
 黒田の「落葉」と辻永の「椿と仔山羊」、ほぼ面白いあわせ。
 小茂田青樹「虫魚画巻」面白い! 妖気がある。
 難波田龍起「コンポジション」1965。縦線を、すでにやっていた。しかし、生かされていない。
 横山操「清雪富士」。きりりとりりしい。
 中西夏之「韻」1959、「韻」1960。Good。
 ジュリアン・オピーの「日本八景」ビデオ展示は少し面白い。
 〔~17:02?〕〔毎度のことながら、判読不能箇所が多い。作品目録に書き込んでいるが、自分の思考内容が自分のポケットにある携帯電話機能付きミニ・コンピュータに文字で記録されるというのができるといいな。そのうち、実現するだろう。〕

2010年4月30日(金)
 ボストン美術館展 西洋絵画の巨匠たち/森アーツセンターギャラリー/音声ガイド:鹿賀丈史 ナレーション。
 出色は、
  1. ブークロー「兄弟愛」
  2. カイロ「洗礼者ヨハネの首を持つヘロデヤ」。こうこう。
  3. ルノワールの風景画「レスタックの険しい岩山」。少し面白い。
 ピサロ good。構図は平凡だが、木々の描き方がわりとよい。えのぐを重ねていくやり方の効果。
 モネ「ルーアン大聖堂の正面とアルバーヌ塔(夜明け)」。佳作。現代絵画としてみると、ありきたり。
 ピカソ「女性の肖像」。もっと色がほしかったね。なぜもっと抽象に行かなかったのか。
 セザンヌはなぜ抽象画に行かなかったのか。

マスコミどうしの相互批判を

2010年07月31日 02時08分13秒 | 生命生物生活哲学
2010年7月31日-1
マスコミどうしの相互批判を

 週刊ポスト2010.8.6号(42巻32号)の135-139頁に、上杉隆と本誌取材班による「官房機密費マスコミ汚染問題5つの論点」という記事がある。

 長く週刊読書人に連載されて、単行本になった、
岩瀬達哉.1998.6.新聞が面白くない理由.講談社.
が出てからもう12年と、だいぶ昔のことになった。記者クラブはその弊害が言われて久しく、いくつかの進展はあったが、改革あるいは解散はまだまだ進んでいないようだ。

 マスコミのおおかたでは、官房機密費の恩恵に浴さなくとも、「ものわかりのよい記者しか生き残れないシステム」(137頁)になっているのであろう。科学的結論なるものについてもそうだが、つねに主張の妥当性とその根拠を疑うという態度とそのための素養が無い限りは、よくならないだろう。綿密な取材と思考の無い記事であれば、無料のネット情報で十分ということになる。
 新聞、テレビ、週刊誌、月刊誌、などなどの記事を相互批判する会合を継続的に開催するというような企画は無いのだろうか。
 日本マス・コミュニケーション学会(旧称・日本新聞学会)というのがあるようだ。
http://wwwsoc.nii.ac.jp/mscom/

村山久美子『視覚芸術の心理学』/絵画の境界画定としての枠や額縁

2010年07月30日 18時45分51秒 | 美術/絵画
2010年7月30日-5
村山久美子『視覚芸術の心理学』/絵画の境界画定としての枠や額縁

 『視覚芸術の心理学』は、造形心理学という立場から、関係する理論とデータを紹介している。

  「ところがHagenにいわせると,Gombrichの絵画史と知覚の考え方は,まさに彼が否定した,具象的リアリズムへの発展という観点を導くものであるという.リアリズムが決定的図式でないとすれば,自然は,客観的方法ではどのようにしても芸術家にとらえられないことになる.」(村山 1988: 25頁)。

 ここでのリアリズムの定義または意味は何だろう。

  「[Gibson]の考え方によると,絵画のスタイルは,対象や描かれる場面の不変情報をどの程度とらえるかによって表象としての成功が決まるというのである.写真とカリカチュア……の成功は,その主題が通常環境にある場合と同一の情報を含むゆえであると考えられた.Gibsonは絵画を芸術家である人間の達成であるとして,知覚対象としての特殊性を認める立場でありながら,絵画とは表象であると限定していた点に問題が残るであろう.」(村山 1988: 27頁)。

 う~む、いまだに表象というのがわからん。表象の定義または解説は、出ていない。「絵画とは表象であると限定していた」とはどういうことを具体的に言うのだろう。「同一の情報を含む」かどうかの判定基準は何だろうか。(あるとすればだが、)非表象的な美術作品とは、どんなものだろうか。

  「構図というより枠に斜方向を持ち込んだ例として,Arnheimはモンドリアンの菱形の枠に注目している.それはデカルト的グリッドの安定性に基づく枠内外の連続性に妨害を持ち込み,それによってかえって不協和な境界の抵抗をつきぬけて,身体の安定性がみなぎるように示している.現代絵画は枠の形やバランスのパターンをさまざまに変え,複雑化する可能性を示しているが,枠や構図の解放は,地方区的および宇宙的なグリッドの支配性があってこそ有効性を発揮するのであろう.」(村山 1988: 50頁)。

 構図と構成を分ける場合がある。この本で構図の定義は無かった。構図とは何だろう?
 モンドリアンの菱形の枠(というより、菱形画面では?)の絵画は、面白い。「デカルト的グリッドの安定性に基づく枠内外の連続性に妨害を持ち込み,それによってかえって不協和な境界の抵抗をつきぬけて,身体の安定性がみなぎるように示している」というのは、まったくわからない。「枠内外の連続性を妨害する」とは? 逆に、身体の(なぜ身体なのか?)安定性がみなぎる、とは?

 抽象絵画には、張りカンヴァスのままで額縁の無いのがある。なぜだろうか。壁が白くて箱型の空間が、いつからだったか、美術館でも採用されるようになった。

 村田 真「ホワイトキューブ」、
http://www.dnp.co.jp/museum/nmp/artscape/serial/0105/murata.html
によれば、「ホワイトキューブが理想的な展示空間とされるようになったのは、……1929年に開館したMoMAがホワイトキューブを採用してからのことである」とある。
 この、ホワイトキューブと呼んでいる展示環境と関係しているだろう。ひょっとして、抽象絵画が、少なくとも一時は注目されたことと関係しているのかもしれない。日本では、だれだったか(文献も失念)が言って、昔は暗かった壁面が明るいものに変わっていったという。


[A]
*アルンハイム,ルドルフ.(関計夫訳 1983.11)中心の力:美術における構図の研究.紀伊國屋書店.[The Power of the Center: a Study of Composition in the Visual Arts]

*アルンハイム,ルドルフ.(上昭二訳 1971)芸術心理学のために.ダヴィッド社.

*アルンハイム,ルドルフ.(波多野完治・関計夫訳 1963, 1964)美術と視覚:美と創造の心理学.美術出版社.

*アルンハイム,ルドルフ.(関計夫訳 1974)視覚的思考:創造心理学の世界.美術出版社.

[M]
村山久美子.1988.6.視覚芸術の心理学.vii+200pp.誠信書房.

*村山久美子.2005.2.人生を描く心理学:アートセラピー表現に見られる人生観.ブレーン出版.

[N]
*仲谷洋平・藤本 浩一.1993.5.美と造形の心理学.北大路書房.[y3,059]

*Hagen, M.A. 1979. A new theory of psychology of representational art. In, Nodine, C.F. & Fisher, D.F. (eds.), "Perception and Pictorial Representation", pp.196-212. Praeger.

*Hagen, M.A. 1980. Generative theory: a perceptual heory of pictorial representation. In Hagen, M.A. (ed.), "The Perception of Pictures. Vol. II.", pp.***-***. Academic Press.

データ捏造についての統計的推論/メンデル

2010年07月30日 14時11分54秒 | 生命生物生活哲学
2010年7月30日-4
データ捏造についての統計的推論/メンデル

 茂木健一郎氏との対談のなかで、福岡伸一氏は、次のように述べている。

  「データの捏造というのは昔からありました。……メンデルですら、自分の理論に合うように数をコントロールしていたという事実があります。」(茂木 2007: 90頁)。

 事実だと確認されたという話ではなかったと思う。また、データ操作があったとすればそれは、メンデル自身ではなく、気配りした実験助手だという説があった(要文献)のではなかったかな?

 メンデルのデータの捏造疑惑については、伊勢田(2003: 219-221;わかりやすくて良い本である。吟味に値する)の「メンデルのデータ捏造疑惑」と題する節で、カイ二乗検定と関わって、仮定された比にあまりにも当てはまり過ぎで、そんなのはあり得ないといった、Fisherによる推論を紹介している。
 事実関係を調べたのではなく、なんせ当時メンデルの論文は注目されず(Darwinには別刷が送られていたが、頁間にペーパーナイフを入れた形跡は無く(だったかな?)、したがって読まなかったらしいと、言われる)、統計的(分布)モデルにもとづく、またランダムを仮定した推論であるから、むろん、データ操作があったという主張への反論はある(後述)。
 要するに、推論はあるが、当時の昔に事実確認したわけは無いだろうから、福岡伸一氏の見解とは異なって、事実だとは主張できない(とわたしは主張する)。


[B]
*ブロード,W. & ウェード,N. 1982.(牧野賢治訳,1988)背信の科学者たち.vi+312pp.化学同人.[OUL]

[I]
伊勢田哲治.2003.1.疑似科学と科学の哲学[Philosophy of Science and PseudoScience].iii+282pp.名古屋大学出版会.[y2,800+] [B20030811, Rh20031007]

[M]
茂木健一郎〔/日経サイエンス(編)〕.2007.11.科学のクオリア.日本経済新聞出版社.日経ビジネス人文庫.[OcL404]

予防原則、地球温暖化対策に関わる対抗リスク、地球寒冷化被害

2010年07月30日 13時55分53秒 | 生命生物生活哲学
2010年7月30日-3
予防原則、地球温暖化対策に関わる対抗リスク、地球寒冷化被害

 桜井林太郎氏による、「予防原則の教訓忘れるな」(えこ事記 四大公害 5)という記事が、朝日新聞(北海道版?)2010年7月30日の20面にある(東京近辺では、7/29夕刊に掲載されたらしい)。そこに、

  「地球温暖化問題でも、同じことがいえる。
 温暖化対策に反対する人たちから、本当に温暖化しているのかという懐疑論がたびたび浮上する。確かに科学に百%はない。だが、それを理由に対策を遅らせれば、公害と同様に、取り返しのつかない被害となりかねない。」

とある。しかし、水俣病といった公害(むろん、私企業活動による公衆への害のこと)問題と地球温暖化問題とは、同じことが言えるとは言えない。大きく異なる点がある。

 水俣病にしろ四日市集団喘息にしろ、被害が現実に生じた。そして被害とは、たとえば集中豪雨のように、局所的である。(だから、コンピュータ上での数値模倣も格子を小さくして日本ではどうなのかを計算するようになったのであろう(研究費も請求できることだし))。南北に長い日本では、地方によって、気候温暖化による利益と不利益は異なる。江守正多『地球温暖化の予測は「正しい」か?:不確かな未来に科学が挑む』での、摂氏2度上昇というのは粗雑である。また、マスコミは東京中心的である。

 一方、地球温暖化による被害は明白ではない。ここが大きな違いである。地球が温暖化していることが事実だとしても(主に全球平均気温の変動で地球環境をうんぬんすることが、そもそも問題があると思う。このことは科学交達論 science communicationとも関わる。)
 そして地球温暖化しないように対策を取った場合の危険性(対抗リスク)は、かなり大きいと思う。対策というのは現実に関わるものであるから、たとえば排出権取引といった(構築された)経済的システムを利用した詐欺も出るわけである(詐欺の生起は、市場主義経済からほぼ帰結する系corollaryであろう)。
 寒冷化による被害のほうが大変だと思うが、そうだとすると、温暖化効果気体を地球全体に溜めて、きたるべき寒冷化に備えるといった、いわば保険をかけておくというのも、正当なリスク対策ではなかろうか。

 つまり、地球が温暖化しているとしても、その程度とそれによる脅威がどれだけかについての、科学的根拠が薄弱である。計算結果が当たるかどうかは、(変数の選択の妥当性とパラメータ値推定も含めた)モデルに依存する(専門家以外にとっては、モデルは黒箱 black boxである。しかも、英国科学者は都合良くデータ操作した疑惑がある)。第一、50年後とか100年後の脅威を言われても、ね。ましてや、IPCC第4次報告書に使われた気象データ自体に疑惑がある。朝日新聞は、気候ゲート事件や氷河ゲート事件について触れた記事は、おそらく掲載していないのではないか。あいかわらず、温暖化の脅威が自明のように扱っているように見える。(ついでに言えば、署名入り記事で、韓国軍の船の沈没原因は北朝鮮によると、事実のように書いた文があって、驚いた。米韓当局発表によるのではなく、独自の根拠があるのなら明示すべきである。さすがに、同日掲載だったと思う社説では、事実のようには書いていなかったが。)

 なお、以上のおおよそは、いわゆる地球温暖化懐疑論の人たちが言っていることである。

 なおなお、ここでの立論とは直接関係しないかもしれないが、市村(2008)は一読の価値ありのようである(要吟味)。

市村正也.2008.リスク論批判:なぜリスク論はリスク対策に対し過度に否定的な結論を導くか.名古屋工業大学技術倫理研究会編「技術倫理研究」 (5): 15-32. [http://araiweb.elcom.nitech.ac.jp/~ichimura/risk.htmlから入手できる。未読。]

蜜蝋の透明性効果/ホセ・マリア・シシリア

2010年07月30日 12時02分20秒 | 美術/絵画
2010年7月30日-2
蜜蝋の透明性効果

 昨日出てきた、走り書き(20080817)。

 ホセ・マリア・シシリア〔Jose' Maria Sicilia〕 1998~2008展。長崎美術館 長崎市。~8/31。
 「木枠に流し込んだ蜜蝋に油絵具で描くことで生まれます」。
 <消え行く光> 2004
 <マゲローネ> 2005 ドローイング

 2008年8月31日までの開催で、見に行く都合はつかなかった。
 (市販されている)粒状にした蜜蝋を、テルペンで溶かすことができたはず。
 さきほど検索すると、群馬県立近代美術館が、

シリーズ〔文字化け〕 「赤い花々〔文字化け〕」より 1998 油彩、臘・板 184.5×157cm

を所蔵しているようだ。
http://www.mmag.gsn.ed.jp/collection/gendai/sicilia.htm
に、「*画像はありません。」が、解説文のあるのが良い。

 走り書きにくっついていた紙は、その日に
http://www.pref.mie.jp/BIJUTSU/HP/event/collcata/select2003/sicilia.htm
を印刷したもので(この頁は健在だった)、三重県立美術館所蔵作品選集とあり、

[86] ホセ・マリア・シシリア《衝立・小さな花々Ⅳ》 1998年 油彩、蝋、紙・板 211.5x124cm

[87] ホセ・マリア・シシリア《衝立・小さな花々Ⅴ》 1998年 油彩、蝋、紙・板 211.5x124cm
を所蔵しているらしい(前の印刷ではⅣは(協)と、Ⅴは(労)と、文字化けしていた)。

 言わば、女性的な色使いの典型的な一つとして、桃色ないし赤紫色系でぼやーと丸味のある図柄を描くというのがある(これはむろん、わたしが恣意的に抽出したもので、女性画家の本質的な現われではない)。
 これについて、どう接近したらよいのだろうか。

村山久美子.1988.6.視覚芸術の心理学.誠信書房.[y2,940] [B20100711]

を読み進めている。

フォンタナ 1962年 空間概念、期待/国立国際美術館所蔵

2010年07月30日 11時27分48秒 | 美術/絵画
2010年7月30日-1
フォンタナ 1962年 空間概念、期待

 ときたま美術展には行っていたが、絵画の良さというのがどうもわからなかった。ダリ展を高校生のとき見たが、表現された考えの面白さはあったが、画面が感性に響くあるいは沁み入るといったものではなかった。超現実主義的な作品(デルボーとかマグリットとかを見た)は好きなほうではあったが、感動するというようなことはなかった。日展もときに見ていたが、感動したという記憶は無い。東京に出た機会を見ては、主に外国作家の展覧会をときおり見ていた。しかし、どうもわからないままだった。結局、理解(だけ)の問題ではなく、感性の問題であろう。
 わたしが急に絵画に深く興味を持つようになったのは、2006年4月下旬である。そのとき、或る絵画教室の先生に薦められたのが、国立国際美術館(大阪)でそのとき開催されていたジグマー・ポルケ展 不思議の国のアリス だった。しかしその作品のどこがいいのか、皆目わからなかった。
 その存在も知らなかった国立国際美術館には、そのときはじめて訪れた。国際美術館では、その所蔵している作品をもととした常設展?が開催されていたので見た。そこで、フォンタナの素晴らしい美しさに見とれたのであった。この潔さ! 変革の精神!

 「国立国際美術館 30年分のコレクション」展のチラシが昨日出てきた。裏面に、

ルーチョ・フォンタナ 1962年 空間概念、期待

という、青地に少し斜めで平行に4本の切り筋が入った絵の画像がある。この国立国際美術館開館30周年記念展(これの図録のレシートには2008年1月30日12:21と日時記載がある)を見たはずだが、このフォンタナ作品を見た記憶が無い。あくまで、このフォンタナ作品を見たのは、2006年4月に見た「コレクション 1」でだけだったと思っていた。見逃したのだろうか? あるいは記憶の誤りか。

Bunge哲学辞典: もっともらしさ plausibility (1)

2010年07月29日 18時50分48秒 | 生命生物生活哲学
2010年7月29日-3
Bunge哲学辞典: もっともらしさ plausibility (1)
BungeDic2_plausibility

plausibility もっともらしさ (BungeDic2, pp.214-215)
 命題、信念、そして推論の質的な一性質。同義語↑【ほんとうらしさ verisimilitude】、いまだ照合されていないか、証拠が決定的〔確定的〕でない仮説は、或る知識体から見るともっともらしく思えるかもしれない。どうしてもっともらしいのか? テスト〔試験〕が実施されない限り、知るすべは無い。しかし、諸試験がいったん行なわれれば、そして決定的なものであれば、その仮説について、確証された(または反駁された)と言うのである。それで、少なくとも差し当たっては、それは真である(または偽である)と宣言されるかもしれない〔宣言されてもよろしい may be pronounced〕。すなわち、決定的な試験の後では、もっともらしさという概念はもはや必要では無い。そして、試験する前では、もっともらしさの程度に取り組み測定することはできない(あるいは、すべきでない)。この場合、われわれが言える最大のことは、問題としている推量〔conjencture〕は、或る知識体に関して、もっともらしいかもっともらしくないかである。あるいは、一つの仮説は、同じ文脈において、もう一つの仮説よりももっともらしいということである。より精確には、pとqは↑【同一指示的 coreferential】な命題を、そしてBはpとqの両方に関連する或る知識体を指すことにしよう。さらに、Bは、本質的な部分であるEと、非本質的な部分であるIに分割できると仮定しよう。つまり、B = E ∪ I。(典型的には、Bは良い実績をもつ一般化を含むだろうが、Iは経験的データと狭い仮説だけを含むだろう。)
次のように規定できる。〔p.214まで。あと二倍ほど続きます。〕


Bunge哲学辞典: (通俗的概念の)確率

2010年07月29日 11時20分32秒 | 生命生物生活哲学
2010年7月29日-2
Bunge哲学辞典: (通俗的概念の)確率

 メキシコ湾の海底油田での2010年4月20日の爆発事故による原油流出を止めようとして、2010年5月26日に開始された封じ込め作戦は、失敗した(とBPは、2010年5月29日に発表したらしい)。(最近の対策で、少なくとも一応は止まったらしい。)
 この、泥とセメントで栓をするというトップキル作戦の成功する見込み?の確率は60-70%だとBPが?言ったと、その前の朝日新聞の記事があったという記憶がある。しかし、失敗したわけである。その60-70%という数値は何だったのだろうか? 70%成功したというような結果はあり得ない。前とくらべて、3割の流出量に抑え込みましたという意味でもないだろう。そうではないとすれば、成功するかしないかのどちらかである。70%とは、いわゆる主観的確率なのか?

http://jp.reuters.com/article/topNews/idJPJAPAN-15573820100530
に、
  「BPのヘイワード最高経営責任者(CEO)は、油井に泥状の物質を流し込み、セメントで原油流出を封じ込める今回の作業について、深海での試みは初めてであり、成功率は60─70%としていた。」
とある。
 しかし、
http://jp.wsj.com/Business-Companies/node_64532
には、
  「BP幹部は、トップキルについて今回の事故地点ほどの深海で行〔な〕ったことはないが、成功の確率は60%あると述べている。しかし、オバマ政権当局者は悲観的で、10%の確率とみている。」
とある。

 確率って何だろう? 未来に或る事象が生起することについての主張の、何についての指標または表現なのだろうか。

確率、通俗的概念の probability, vulgar notion (BungeDic2, p.227)
 日常言語では、「たぶん probable」はしばしば「ありそうな likely」または「もっともらしい plausible」のどちらかと同一視される。どちらの同定も、正しくない。前者では、「たぶん」は量的な概念を指すのに対して、「ありそうな」は質的である。また、↑【もっともらしさ】を確率と同等に扱うことは、間違い〔誤解 mistaken〕である。なぜなら、一つの命題は、もっともらしくてもそうでなくても、命題に値段をつけることができないのと同様、一つの確率を当てがうことはできない。↑【確率の逆説】。

科学的知識の問いの正答は正しいか?

2010年07月29日 00時47分47秒 | 生命生物生活哲学
2010年7月29日-1
科学的知識の問いの正答は正しいか?

 基礎的な科学技術の知識を問う共通13問について、EU、合州国、そして日本それぞれの平均正答率を比較した図が、渡辺(2008: 116頁)に載っている。
 しかし、科学技術の関する問いは、科学技術の範囲を広く解釈しても、「放射能に汚染された牛乳は沸騰させれば安全である」と「抗生物質はバクテリア同様ウイルスも殺す」と「レーザーは音波を集中することで得られる」と「すべての放射能は人工的に作られたものである」であろう。他は、科学に関する問いだと思う。

 さて、いくつかの問いについて、わたしの見解は、おそらく不勉強のためであろうが、記されている正答とは異なる。

 「地球が太陽の周りを回っていますか、太陽が地球の周りを回っていますか」は、「地球が太陽の周りを」が正答とされている。しかし、運動は相対的で、観測点を地球にすれば、太陽が地球の周りを回っている。これは観測される事実である。それに対して、太陽にまで行って、太陽が地球の周りを回っていることを本当だと観測した人はだれもいないだろう。科学的主張はテストされ、確証confirmまたは反確証disconfirmされなければならない(理論を反証するfalsifyということはあり得ない)。確証されたこととは、「太陽が地球の周りを回っている」の方である。
 あるいは、どちらがより楕円軌道に合うかどうかで、どちらが中心かをきめるのであろうか。むろん楕円軌道とは、幾何学的述語を使用した仮説である。
 より静止している点から言うのであれば、銀河の中心に対しては、どちらがどうとも言えないのではないか?
 天王星の観測される軌道がニュートン力学からの予想とはずれて、それゆえ天王星の軌道の外側にまだ未知の惑星があると予測され、実際に海王星が発見されたことは、ニュートン力学の信憑性を高めたであろう。確かに、存在物を予測して当たったというのであれば、その理論を信じたくなる。これはなぜだろう? やはり、未知の存在物を言い当てたというのは、なぜだかわからないが、感心してしまう、評価せざるを得ないということによるのだろう。
 しかし、ニュートン力学は、どちらがどちらを中心として回っているかの判断基準を内含するものだろうか?
 なお、
クーン,トーマス. 1957.(常石敬一訳,1976)コペルニクス革命:科学思想史序説.382pp.紀伊國屋書店.
を見よ。

 「ごく初期の人類は恐竜と同時代に生きていた」を誤りとするのも、或る理論による推論であろう。だれも観測してはいないだろう。人類とは化石種(数属数種に分類されているが、果たして現生人類も含めて一種ではないと言えるのだろうか?)ではどこまでを指すのか不明だが、その誕生が数百万年前だとして、そのころに恐竜はいなかったと言えるのか? (たとえば小型化した生物体の)化石が出ていないだけではないか? そして、数百万年前の恐竜の化石が未来に発見されないとは言えない。むろん、或る理論から主張することはできるが。
 また、或る鳥類は恐竜の子孫であって、それゆえ鳥類とは実は恐竜であるという主張が成立するとすれば、おそらく、ごく初期の人類と恐竜は同時代に生きていたというのも、誤りとはできない。

 「大陸は何万年もかけて移動し続けており、これからも移動するだろう(正)」とある。「何万年もかけて」と書かれている意味がわからない。一年でも、大陸は移動し続けているだろう。ただし、「何万年もかけて移動し続けている」ことを観測した人はいないから、テストされて確証された主張ではない。あくまで、様々な、根拠とされる資料と整合的で、それゆえそこそこ確証された理論にもとづく推論である。「これからも移動するだろう」も、或る主張の外挿または未来投射であって、未来はわからないというのが、科学的態度というものだろう。移動には、行ったり来たりというのも含まれるのか? 数mmくらいの地点間距離は、大きな地震で変化することもある。これは移動というのか? 精確な文章の問いではない。

 「赤ちゃんが男の子になるか女の子になるかを決めるのは父親の遺伝子である(正)」とある。「決める」と「遺伝子」の意味がわからない。
 科学は現象の差異とそれをもたらすと思われる差異を対応づける。そして差異をもたらす物または事を原因だと言ったりする。しかし生物体においては、それ自身がシステムであるから、なにごともシステム的な反応の結果である。
 もし遺伝子をDNAと同一視するのならば、DNA自体は不活性な物質(の種類の一つ)であり、「決める」といった作用をするのはシステムであり、もっと特定すれば、DNAではなく、働くのはRNAや蛋白質などである。そして、RNAや蛋白質などを働かせるのは、結局システムだと言うほかない。
 一般に性決定の問題だと捉えれば、間性intersexを無視した性差別的な問題ともいえるかもしれない。そして、たとえばXYYという染色体になることを決めるのは、父親の遺伝子ではないだろう。

 「地球の中心部は非常に高温である(正)」も、地球の中心部の温度を実際に測定したことは無いと思うから、その主張は多くの仮定を重ねたうえでの推論である。この主張が正しいかどうかわからない、というのが正しいと思う。

 なお、「科学技術に関する意識調査- 2001年2~3月調査 -」という資料が、
http://www.nistep.go.jp/achiev/abs/jpn/rep072j/rep072aj.html
に、掲載されている。

[W]
渡辺政隆.2008.9.一粒の柿の種:サイエンスコミュニケーションの広がり.8+197頁.岩波書店.[y1800+] [OcL]

Bunge哲学辞典: 科学/科学性/科学技術

2010年07月28日 17時11分28秒 | 生命生物生活哲学
2010年7月28日-2
Bunge哲学辞典: 科学/科学性/科学技術

 ものごとの議論は、或る語で指示される内容がどのようなものであるのかが、或る程度は相互に了解されていなければ混乱する。出発点としてでも、なんらかの定義が必要である。
 科学的営為についても、まず、科学とはなにか、を一定程度は明示しておく必要がある。ここでは、(様々な用法を検討して考えられたであろう)かなり明快に定義している、Mario Bunge氏による哲学辞典Philosophical Dictionary, Enlarged Edition (2003)を参照しよう。
 以下に、相互に関連する、「科学」、「科学性」、そして「科学技術」の試訳を掲げる。

science 科学 (BungeDic2, p.259)
 諸観念、自然、あるいは社会におけるパターン〔模様=物事のありさま。ようすや経過;様式;x類型〕の批判的探索または利用。或る科学は、_形式的formal_か_事実的factual_であり得る。構築体だけを指示する場合は形式的であり、事実の諸問題を指示する場合は事実的である。論理学と数学は、形式的科学である。つまりそれらは、概念、そして概念を組み合わせたものだけを扱う。したがって、推論における諸問題または助けの源としてを除けば、経験的手順またはデータには無用である。対照的に、物理学と歴史学、そしてそれらの間のすべての諸科学は、事実的である。つまりそれらは、光線とか商社とかの具体的な物についてのものである。したがってそれらは、計算といった概念的手順とともに、測定といった経験的手順を必要とする。事実的科学は、_自然的natural_(たとえば、↑【生物学】)、_社会的social_(たとえば、↑【経済学】)、そして_生物社会的biosocial_(たとえば、↑【心理学】)に、分割できる。実践性からは、科学は、↑【基礎的】または純粋的と、↑【応用的】に分割できる。なお、いずれも、↑【科学技術 technology】と間違えてはならない。


scientificity 科学性 (BungeDic2, p.262)
 科学的であること.『進化生物学は科学的である』や,『現在の進化心理学は科学的でない』のようにである.いくつかの科学性の規準〔criteria〕がある.或る事項(仮説,理論,方法とか)が科学的である必要条件は,それが概念的に精密〔precise [=exact]〕で,かつ経験的テストが可能なことである.この条件によって, 効用関数〔utility function〕を特定しなかったり,主観的確率評価に頼る,合理的選択モデルは失格となる.しかし,その条件は十分ではない.というのは,無からの物質の創造という仮説を満たすからである.これを失格とするのは,物理学の大部分,とりわけ一組の保存則と両立しないことである.次の基準はこれらの問題に答える.つまり,仮説や理論が科学的であるのは,(a) それが精密で,(b) 関係する科学的知識の大部分と両立可能で,かつ(c) 副次的仮説と経験的データを合わせれば,経験的にテスト可能な帰結を内含する〔entail〕場合である.↑【基本科学】.


technology 科学技術 (BungeDic2, pp.289-290)
 人工物の設計とプロセス、そして人間行為の規格化と計画づくりに関わる知識の分野。伝統的科学技術(あるいは技功〔技術学〕technics、または職人性〔技能性、熟練性〕craftsmanship〔原著ではcraftmanship〕)は、主に経験的であり、よってときには無効であったし、またある時には非効率的かあるいはもっと悪かったし、そして試行錯誤によってのみ完成することができた。近代の科学技術は、科学にもとづいている。よって、研究の助けによって完成することが可能である。主な種類:物理学的(たとえば、電子工学)、化学的(たとえば、工業化学)、生物学的(たとえば、農学〔agronomy〕)、生物社会学的(たとえば、規範的疫学)、社会学的(たとえば、経営科学)、認識的(たとえば、↑【人工知能】)、そして哲学的(↑【倫理学】、↑【方法論】、↑【政治哲学】、↑【実践学〔praxiology〕】)。科学技術は、応用科学と混同されてはならない。応用科学は実際には、基本↑【科学】と↑【科学技術】との間の橋である。なぜならそれは、実践的潜在性をもつ新しい知識を捜し求めるからである。科学技術者は、機械や産業的または社会的プロセスといった人工物を設計し、修理し、あるいは維持することが期待される。またかれらは、顧客や雇い主のために働くことが期待される。また、顧客や雇い主は、さらなる経済的または政治的利益に対して、科学技術者の専門的技術を得ようとするのである。(内部告発者は少なく、また、たやすく使い捨て可能である。)これが、なぜ科学技術が、善、悪、あるいは相反〔両面〕価値的であり得るかの理由である。↑【科学技術倫理学 technoethics】。

 マーナ・ブーンゲ『生物哲学の基礎』での言及については、
  技巧 technics は、245頁、
  技術 technique は、96, 129頁、
  科学技術technology は、244頁からの5.5.4節 応用科学と科学技術、
を見よ。

 なお、技術 techniqueは(一般的に対しての)特異的方法であるが、技術が科学的であるための条件とは、
  a. 間主観性条件
  b. 試験〔テスト〕可能性条件〔試験testとは、経験に照らして試すことである〕
  c. 正当化条件
である(マーナ・ブーンゲ『生物哲学の基礎』96頁を見よ)。

科学についての基礎能力〔読み書き能力〕science literacy

2010年07月28日 13時00分48秒 | 生命生物生活哲学
2010年7月28日-1
科学についての基礎能力〔読み書き能力〕science literacy

 おそらく現在も、科学交達science communication論の教科書として使われているではないかと思う、『科学コミュニケーション論』を読み進めている。

 89頁の註で、理論篇である第II部の第4章「科学コミュニケーション」では、

  <科学リテラシー science literacy、
   科学的リテラシー scientific literacy、
   技術リテラシー technology literacy、
   技術的リテラシー technological literacy、
   科学技術リテラシー、
   サイエンスリテラシー、
などを厳密に使い分けすることはせず、基本的に科学技術リテラシーという表記に統一した。>

 〔<>は、その内部の記号配列が改変的に引用されたことを示す。ここでは見やすいように、改行して一単語とその英語に一行分を割り当てたり、句読点を変換(・→、;.→。)したりした。
  なお、わたしの原則的な使い方は、自分が要約した文章による引用である。それな対して、「」の場合は、忠実な引用である。〕

とある。まずは影響範囲の広いと思われる使い方を列挙して、できるだけ体系的な理論を構築しつつ、少なくとも概念分析をきちんと行なって用語を整理し、適切な訳語を提案してほしい。一つ言えば、technologyは技術ではなく、科学技術にもとづいた技術という意味で科学技術と訳したい。science and technologyならば、科学と科学技術である。また、工学 engineeringとの関係を明きらかにすべきところである。
 第1章と第2章は、英国と欧米での当該問題についての歴史的概観である。歴史を書くことは、様々な出来事eventまたは事象event(この本ではイヴェント〔要引用頁、23頁ではイベント。他に、テクノロジーアセスメント。〕とカタカナ書きがあったが、そこは行事としたらよい。固有名詞以外はカタカナ書きをしないという心意気でやってもらいたい。アウトリーチ、)からなんらかの観点から選び出し、そしてそれらを関係づけるわけである。したがってどのような観点を立てるかでその内容は変わる(系統推定あるいは系統再構築なるものも同様)。
 科学交達が言われるようになった大きな契機は、英国での牛海綿状脳症 BSE: Bovine Spongiform Encephalopathy をめぐる事件である(8頁)らしい。

  「政府や政治家がBSEの人間への感染を否定する際に根拠としたのは,専門家の報告であった.……専門家委員会は,1989年2月,政府に報告書を提出し,人間へのBSE感染の危険性はきわめて少ないと結論づけた23).
 専門家委員会の報告は,当時の限られた知識をもとにくだされた判断であったが,行政関係者や政治家はこうした制約を無視して牛肉の安全性をアピールする為に報告を使い続けた.」(8頁)。

 はてな? 「人間へのBSE感染の危険性はきわめて少ないと結論づけた」のであれば、その結論を出した専門家委員会は4人の科学者から成るわけであり、「市民は、政府や政府機関ではたらく科学者に対して強い不信感をもつようになった」(9頁)のは、当然である。

  「報告は,さらなる研究が不可欠だと述べ,BSEが人の健康に何らかの影響を与えることはほとんどないとしつつも,こうした評価が誤っていれば結果はたいへん深刻なものになるであろうと警告した.」(8-9頁)。

というのが、理解できない。これらの記述内容と、「人間へのBSE感染の危険性はきわめて少ないと結論づけた」ことが矛盾するように思われる。専門家委員会がこのような主張をした根拠(とその評価)が問題であって、そこを詳説して解明すべきである。ここでは歴史なので、そこでは避けたというのならば、他のどこかで事例研究的に解明されているのだろうか。

 (脱線。或る統計的モデルを立てて、それにもとづいて、Aであることは確率xである、という結論が出たとする。しかし、Aではないであることの確率は1-xではなかろう。決定的な結論が出ないときは要するに、「どちらとも言えない」が結論であるべきである。
 そして予防原則を採用する場合は、或る対策を取った場合の不利益や不便を明記して判断に供するべきである。)

 そこで、BSEの索引を見ると、8, 50, 93, 118, 252, 253, 268の頁である。これらの頁においては、議論はされていない。小林傳司『トランス・サイエンスの時代』に詳説されているのだろうか?


=== 以降での話題となるかもしれないための覚書

コンピテンスcompetenceとは、
 意思決定能力
 行動能力
らしいので、


 紹介があるのを辿ると、わかったこと。

http://www.project2061.org/publications/sfaa/sfaajapanese.htm
のウェッブ頁の「To download the Japanese translation of Science for All Americans, click here」のclick hereのところをボタン押しすると、240頁からなる「すべてのアメリカ人のための科学」と題した「Science for All Americans」(1989)の日本語訳(2005)のpdfが入手できる。


例題:
 一汁十菜または一汁一菜
 例:日の丸弁当と味噌汁
  [ただし、味噌汁を台所で廃棄すると、浄水への負荷は大きいらしい。単位はたとえば味噌汁1 ml当たりのBOD要求量。ただしこれも一側面の指標である。]

[F]
藤垣裕子・廣野喜幸.2008.10.科学コミュニケーション論.xv+284[+1=執筆者および分担者一覧]頁.東京大学出版会.[y3000+] [OcL]

[K]
小林傳司.2007.7.トランス・サイエンスの時代:科学技術と社会をつなぐ.NTT出版.[y]

The Systemic Concept of Species [20081106英文テキスト]

2010年07月26日 18時12分11秒 | 生命生物生活哲学
2010年7月26日-3
The Systemic Concept of Species 20081106
システム的種概念 [英文テキスト20081106]

 2008年11月5日にでっちあげたppt [sic!] ファイルを、ようやく発掘したので、その英文テキストを(1枚の図のテキスト部分も含めて)参照に供したい。


This paper "The Systemic Concept of Species" was presented by Keiichi ONOYAMA at ISHPSSB off-year workshop in Kobe, held at Kobe University, on 6 November 2008.

"===" means the bolderline of two succesive slides.

=== // the beginning
0a.

The Systemic Concept of Species

Keiichi ONOYAMA
(A philosophical scientist of our village Earth)

ISHPSSB off-year workshop in Kobe,
2008.11.6 [6 November 2008]


A species as an integrated system with hierarchically controlled, organism-producing mechanisms


===
0b.

My view is:
materialist
systemist
unversificationist
wholist
hylozoist
idealist
realist

===
0c.

(Ontological thesis)
Everything is connected to everything else

(Methodological thesis)
Some things are connected to some things else

===
1. Classification and taxa

Species category is used as a nominal or categorical variable in biological classification. An identification result of an organism is expressed by a species name, which is a value of the variable. In this way, we can measure or represent our biological world, and so species taxa are fundamental units, and we can count the number of species within a space by observation (=identification) of organisms. Thus, species taxa are classes as we define them by properties or characters which are observed about organisms.

===
2. Membership

You may say, ‘it is a human’. The statement of this expression means, “that thing is a thing which belong to Homo sapiens”, or when used symbols
" h1 ∈ _Homo sapiens_ ".
What kind of relation is there between a human (individual in the philosophical sense) and _Homo sapiens_ ? The taxon name ‘Homo sapiens’ expresses a class concept in classification. The reason is that, in general, between individuals and a class are membership relation. It is a membership relation, not a part-whole relation between the two. Classes are our constructs. We should not identify a class with any group of individuals (e.g., organisms).

===
2b. Membership

_Homo sapiens_ ≠ {h1, h2, h3, ..., hi, ..., hn}
at a given time, or
assembled through its total duration

===
3. Essential relation in biology

Membership is a classificatory or set-theoretical relation. Although we can infer or calculate some thing from formulations based on membership relations, we must construe or assign a biological meaning(s). Then, what is the corresponding, best explained or essential relation in biology ?
I think it is the relation between a producing system and its products: a species system with organism-producing mechanism and the organisms produced.

===
4. The systemic concept of species

Why we can use a set of characters for the definition of a species taxon is that those organisms are produced by one and the same system.
I define a species as an organism-producing system. Namely, a species is a system with an integrated mechanism of mehcanisms some of which make possible to produce organisms (thus we can identify organisms at the species level of taxonomic hierarchy).

===
5. Species concepts so far proposed

Many species concepts use "organisms" for definition, together with a some relationship between them) as definiens. However, in my opinion, a species is not composed of organisms, but a system as a whole.

===
6. Ontogenetic or developmental system

A system (in general) can be identified or expressed by its mechanism. The most interesting or important system in biology is the organism-producing system.
This system will be possible to infer on the basis of knowledge of development (ontogenesis). Analysis of many molecule-molecule interactions involved in ontogenesis will indicate or show the organism-producing system.

===
7. Human-subjective classifications

In biological classification, the objects are solely organisms (material entities). Properties we observe about organisms and classes (conceptual entities) constructed from organism's properties are our constructs. Objectivity exists in an objective classificatory procedure, such as a simultaneous classification method based on the distribution of properties among organisms and organisms attached with properties.
This procedure is subjective if you do not show the reasons of choice of the method. Further, it is subjective too in the choice of properties or predicates (see "the theorem of the ugly duckling" of Satoshi Watanabe; Onoyama 1995).

===
8. Equivalent classes

It is a requisite for classification to establish equivalent classes.
Mahner & Bunge (1997: 222, Definition 7.2:

Any class of fully nomologically equivalent entities is called a natural kind _sensu stricto_ or (ontological) ‘species’. )

defines an ontological species as any class of fully nomologically equivalent entities.

===
9. Natural or objective classification and Establishment of species taxa

Equivalent classes will be constructed with the aid of expression of mechanisms, and again I stress that this can be done because of the discreteness of producing mechanisms.
(However, discreteness observed in the distribution among e.g. morphological characters of organisms is not necessary for systems to establish. We know interbred organisms which are reproduced by, for example, a female belonging to one species and a male belonging to another species. Such identification is possible because we have a classification at the species level.)

===
10. Resulting behaviors of one system

A species system has many mechanisms. It is the organism-producing mechanism that brings about cohesion observed in characters or behaviors among the organisms, as well as parent-child relationshp between the organisms
(these characters or behaviors enable us identification of a given organism to a species taxon).

===
10b. Resulting behaviors of one system

The species concepts so far proposed are captured to the phenomena produced by the essential behavior of species systems. We should capture the essenses of species systems.
Biological classification, hence the establishment or fomulation of taxa, must be based on these invarient essenses. Such conception makes construction of classes sound. Classification is an essentialistic activity.

===
11. Identity of species and cohesion among organisms

Organisms or some relation among organisms do not give a cohesion, but it is the identity of a species system from which organisms are produced by its integrated procedure of (sub)mechanisms. Integity or cohesion observed about organisms bvelonging to one species is a result of implementation into organisms so that the organisms manifest the system (sub)mechanisms.

===
12. Equifinality

Actual results of organismal development depends upon the environmental conditions of the developing organism.
But equifinality is in most cases realized irrespective of even hard environmental conditions. It shows the robustness of the organism-producing system. The mechanism itself are considered stable.

===
12b. Equifinality

The system must be have many aptive regulative mechanisms largely independent of the organism's environmental variation, for example, shortage of materials, shortage of energy, etc.
"Erroneous" "switching" responses, thus "wrong" form production are the results of due responses of (or reaultant processes of) mechanisms which are specific or proper to the system.

===
13. You can't make something out of nothing

A system cannot produce something out of nothing. To make things of some sort, the system needs materials and kinds of energies and procedures of construction incouding appropriate environmental conditions.
Organisms are equipped with these needs inside or intake from their environment (e.g., feeding prey or going to a place with a range of appropriate temperature conditions).

===
14. Discovering the mechanisms (and "logic") in producing organisms (developmental processes)

In biological world, we can observe a process, named as a developmental process. It is organism-producing process. We should clarify its mechanism. Clarification of development in terms of molecules seems very suggestive.

===
15. Mechanismic standpoint

For the production of organisms, I assume a mechanism, or more precisely, an assembly of hierarchically controlled mechanisms. Of course, the production of organisms is ontogenesis including morphogenesis.
Therefore an organisms- producing mechanism (or an assembly or a system of hierarchically controlled mechanisms) is a developmental mechanism.

===
15b. Mechanismic standpoint

The mechanism is implemented inside the organism. Production of organisms is realized or materialized by the realization of many conditions under laws (or boding relations among things) together with environmental conditions (some organisms incorporated suitable environmental conditions as their inside conditions, which are realized as especially molecular morphologies).

===
16. Descriptive terms of a system

From the systemic viewpoint, the description terms are:
・material composition (a list of kinds of molecules and organelles),
・activities or functions of entities,
・mechanisms which enables those activities,
・relation among mechanisms (a hierarchically systematic representation of an integrated, spatiotemporally controlled mechanism of submechanisms),
・relevant underlying laws,
・relevant environmental conditions (including spatiotemporal arrangements of molecules)

===
16b. Descriptive terms of a system

A mechanism works due to spatiotemporally regulated thing-thing(-thing) interactions. Further, the (material) things such as molecules are circumstanced under spatiotemporal arrangements of other molecules and environmental factors.

===
17. Mechanismic explanation

Bechtel & Abrahamsen (2005) contrasted mechanismic explanations to nomological explanations for their argument, and did not relate mechanisms with laws. However, mechanismic explanations must include reference to laws. For, it is (at least partly) laws that makes mechanisms possible to work. Spatiotemporal arrangements of many kinds of molecules under physical and chemical laws (at least partly) form mechanisms and submechanisms (Morphologenetic field constraints also may participate).

===
18. Representation of a mechanism

Thus, the representation of a mechanism should indicate the law(s) and the kinds of spatiotemporal arrangements concerned, and fully show the necessary and satisfactory conditions and otherwise switching and compensatory mechanisms (biological systems often have compensatory or alternative subsystems and such subsystems' mechanisms start to work when lacking some of the required conditions (e.g., materials for chemical synthesis, or a whole organism's system may be in the state of minimum metabolism, and so on).
Mechanismic (hence systemic) viewpoint universifies morphological and functional aspects of organisms.

===
19. Forces

What are the forces under which entities interact in the development of organisms (ontogeny). At the molecular magnitude of physical size, the forces are

・geometrico-mechanical,
・electro-chemical,
・thermodynamic (e.g., diffusion in the medium),
・electro-magnetic.

===
19b. Forces

(These categories are modified ones given by Machamer et al. 2000 about the examples of molecular biology and molecular neurobiology.)
We may add the "force" of morphogenetic field. one of the reasons of this addition is, in my opinion, that the mechanisms of 3-dimensional formation of molecules are somewhat clarified, but the mechanism of or force used for morphogenesis is not yet known.

===
20. Description of a species as an organism-producing (mechanismic) system

A taxonomic description of a species is composed of statements that organisms belonging to the species necessarily have characters (essenses). These essential charcters or essences are produced by the system. Thus, more essentially, we give a description of the essenses of the system.
A species system is best expressed as a representation of a whole system of mechanisms which are hierarchically controlled.

===
21. Systemic description

It may be an approximation to give a schema showing a hierarchically controlled system of organism-producing mechanisms, because perhaps a species sytem have other mechanisms than organism-producing mechanisms. However, organism-producing mechanisms are the most essential for the system itself.

===
22. Discriminating species systems

Discriminating and figuring a system is practically very difficult. However, it is now close to possible. We can compare (at least parts of) developmental systems of organisms belonging to several taxa. Fortunately, developmental systems are rapidly being clarified. We will be able to detect or recognize species systems, for example, by doing simultaneous classification of organisms and a set of schemata representing organism-producing mechanismic systems. This procedure may be done with reference to the results of morphologically classified groups of organisms (of course it should be compared with the results of other classificatory procedures).

===
23. Sketches or schemata of mechanisms

Many mechanisms of biomolecule production and morphogenesis are being clarified and expresse as many sketches, schemata or figures with arrows including entities and their activities (functions) with their environmental conditions (and rarely shown the ceteris paribus conditions, which are usually hidden on the background).
Biological world seems indeed very complex. Complexity in a system shall be explained as a hierarchically controlled, complecated, mechanismic system. Explaining is one of the joyful our human activity.

===
24. Formulation of species systems

A systematically related representation of the organism-producing mechanism is ideal. Comparisons of (representation of) hierarchically controlling, organism-producing mechanisms shall clarify the existence of species-specific mechanisms, hence species-specific systems which have the mechanisms.

===
24b. Formulation of species systems

But there will be many missing pieces of diagrams or schemata at the present. It is hoped that many diagrams or schemata are made about many mechanisms implemented in organisms belonging to many taxa, to the degrees of precision as possible. Wider ranged and more precise comparison will make clear the species system's behaviors and hence our biological world.

===
file=SCSfigure1.doc

[text parts]

Systemic Concept of Species
Species system with an organism-producing mechanism

Hierarchical control
of timing and kinds and quantities
of supply and transformation
of many kinds of materials

Background _ceteris paribus_ conditions

Energy
Materials

Producing mechanisms
Developmental stage
(death) Short of or delay of materials
Process interrupted
organism
Malcontrol due to poisonous substance or system paramters (e.g., DNA seauences)

<paradogma>

Time

Development

===
25. The degree (and kind) of reality of species systems

Is a mechanism or a system real, namely a really existing thing (or a concrete thing sensu Mahner & Bunge 1997)? The answer of course depends on the meaning or definition of "real" or "really existing".
The reality of something depends on our manipulability, which depends on mainly our detection ability. Here defined species systems are at the first place constructs. But if someone hopes, and in a future, we may detect them as material things.
I would like to propose a general question. Is a law or a mechanism real ?

===
26. A mechanism, mechanisms, so systems !

In my conceptualizaion of species, a system may be a conceptual thing which a human constructs, or a real material thing. At least a mechanismic model representing a mechanism can be constructed (needless to say, a model is a construct). Whether or not a mechanism is real is an open question to be examined empirically.
Making models of species systems or data for it will clarify the ontic problem. Also, our detective apparatuses (including the theories involved) will develop further, then we will see clearly many things.

===
27. References

Bechtel, W. & Abrahamsen, A. 2005. Explanation: a mechanist alternative. Studies in History and Philosophy of Biological and Biomedical Sciences 36: 421-441.

Machamer, P., Darden, L. & Craver, C.F. 2000. Thinking about mechanisms. Philosophy of Science, 67: 1-25.

Mahner, M. & Bunge, M. 1997. Foundations of Biophilosophy. xviii+423pp. Springer-Verlag. [Japanese translation by K. Onoyama. 2008. xxi+556pp. Springer Japan. ]

===
27b. References

Watanabe, S. 1969. Knowing and Guessing: A Quantitative Study of Inference and Information. xiii+592pp. John Wiley & Sons.

Webster, G. 1996. The Problem of Form. In Webster, G. & Goodwin, B., Form and Transformation: Generative and Relational Principles in Biology, pp.1-125. Cambridge University Press.

(*Woodward, J. 2002. What is a mechanism?: a counterfactual account. Philosophy of Science, 69: S366-S377.)

===
The systemic concept of species

A species =def a system with a mechanism which produces its organisms

 THANK YOU VERY MUCH !

=== Fine //