生命哲学/生物哲学/生活哲学ブログ

《生命/生物、生活》を、システム的かつ体系的に、分析し総合し統合する。射程域:哲学、美術音楽詩、政治経済社会、秘教

オルゴンエネルギーとは何か?(Kelly 1962の訳)

2017年07月23日 10時34分49秒 | 学問修行
Charles R. Kelley. 1962/9.
What is orgon energy?
The Creative Process 2(2&3): ?-?.

は、要点を押さえた記事のようである。
 まず、Properties of Orgon -Energyの節を訳すことにする。



"What is Orgon Energy?"への序
「オルゴン エネルギーとは何か?」への序
〔略〕
オルゴン エネルギーとは何か?
〔略〕
ライヒによるオルゴン エネルギーの発見
〔略〕

オルゴン エネルギーの諸性質

オルゴン エネルギーは、自然における創造的な力であるが、電磁気の一形態ではなく、物質の一形態でもない。しかし、それはどちらにとっても基礎となるものである。オルゴン エネルギーは、特異的な生命エネルギーであるが、生命はそれの一つの特定の顕れにすぎない。それについての知識は、主要な点で部分的で断片的であり、疑いもなく幾らかは間違っている。にもかかわらず、ライヒの仕事からは、オルゴン エネルギーは何なのか、それはどのように機能するのかについての、明瞭で一貫した描像が浮かび上がる。

オルゴン エネルギーの次の10個の性質が、ライヒによって導かれた。

 1. それは、質量から自由である。オルゴン エネルギー自体は、慣性または重さを持たない。つまり、質量から自由である〔質量が無い〕。これが、常套的技術用いた測定が難しい理由の一つである。質量はしかし、質量の無いオルゴン エネルギー場に密接に依存する。すべての物質は、オルゴンエネルギー場で囲まれているのである。重さまたは慣性の測定は、それ〔オルゴン エネルギー?〕に含まれる物体の特徴だけでなく、この場の特徴も反映する。

 2. それは、あらゆるところにある。オルゴン エネルギーは、すべての空間を満たす。それは、様々な程度または濃度(または「電荷」)で存在するが、不在の〔欠けている〕ところは無い。それは、大気中であれ外宇宙であれ、真空にもある。この点で、20世紀の物理学のエーテルに似ている。

 3.



学問修行2017年7月22日(土):J H ウッジャー『生物学の諸原理:批判的研究』生気論と機械論との対立、一部訳

2017年07月22日 00時05分58秒 | 学問修行
2017年7月22日(土)-1
学問修行2017年7月22日(土):J H ウッジャー『生物学の諸原理:批判的研究』生気論と機械論との対立、一部訳
=2017年7月20日-1の増補版



J H ウッジャー
生物学の諸原理:批判的研究
1967改訂版

第2部
生物学的知識の諸問題

第5章
生気論と機械論との対立 antithesis

I

生気論と機械論との間の世に知られた言い争いは、生物科学史のすごく目立った特徴であるが、ときおり想定されるような簡単なものでは決してない。関係のある争点と表明された様々な意見は、単純で明快であるわけでは決してない。そこで、われわれが最初にやるべきことは、いくつかの代表的な見本の検討へと向かう前に、これらの争点を少し解きほぐすことである。(自ら呼んではいないにしても)「生気論者」と呼ばれる人たちの間には、相当の、そして重要な意見の違いがある。そして、対立陣営に属し、「機械論者」の称号を受け入れる人々の間にも、同様の重大な違いがある。よって、だれそれは機械論者だと言ったところで、その人が機械論のどの特定の銘柄〔種類〕なのかを述べない限り、ほとんど情報を与えていない。主要な分割の特徴をはじめに指摘することは、これからにおいて〔今後の〕助けとなることだろう。有機体についての「機械論的見解」と呼ばれてよいものは、二つの主要な基礎の一つに基づくであろう。二つとは、(1)有機体は、ある意味で機械 machine _である_か、あるいは「からくり mechanism 〔仕組み、機構〕」であり、それを越えるものではない。これを、存在論的な意味で、形而上学的な基礎と呼んでよいだろう。(2)一方、有機体についていかなる形而上学的または存在論的な仮定を置くことを避けて、有機体の「本性 nature」がなんであろうとも、有機体は_あたかも_機械であるか「からくり」であるとして扱うことによってのみ科学的に扱うことができると、単に言うのである。こうして、二つの基本的に異なる種類の機械論を、われわれは得たのである。第一のものは、有機体は機械「である」と言うことを明言するので、独断的であり、すでに説明した意味で形而上学的である。他方、二番目のものは、より控えめな主張をしていて、科学は機械的な説明を守る場合にだけ可能だと言う。しかしそれは、生物学的研究の対象の形而上学的本性についてなんらかの言明を行なうことを避けている。これは、それゆえ、方法論的基礎である。」
(Woodger 1967、pp.229-230;第1段落の試訳20170720)。


 「生気論的教義の最初の分割は、まったく同じ性質のものではない。しかし、厳密な意味で生気論という称号が適用できる一つの集団がある。すなわち、かれらの競争相手が研究した有機体に加えて、まったく異なった本性の存在者があると、これらすべては断言する。その存在は、有機体の特異性によって明らかにされる。これは、すべての歴史上の生気論の特徴であり、独断的または形而上学的生気論と呼んでよい。それは、有機体の本性について、積極的に存在論的主張を行なうからである。この話題の残りの書き手たちは、どちらの教派の機械論者にも反対する点で、狭義の生気論者に同意するが、積極的主張を行なう点で生気論者と異なっている。これらの積極的主張が何であるかを二言三言で言うのは容易くない。この段階ではこの集団を「反機械論者」と単に呼び、そうして生気論者との(よく行なわれる)混同を避けるのが良いだろう。では、機械論の主な二つの種類へと戻ろう。
 発見的な見地から、機械論的見解が成功してきたことは、誰もが認めるところである。しかし、その目標に達したと主張する人はいない。独断的機械論者は、有機体は機械_である_と信じるのだが、これは〔=目標を達成していないのは〕単に十分な時間がまだ経っていないからだと言い張るのである。他方、独断的生気論者は、有機体はまったくの機械であることはどんな意味でも決してないと信じるので、機械論的目標に到達することはあり得ないと主張する。こうして両派は予言に賭けることで、各々が未来だけが決めるような主張を行なうのだ。」
(Woodger 1967、pp.229-230;第1段落の試訳20170720)。
【p.230の下から9行目まで。】

〔略〕

【p.231の下から7行目から。】
 「他方、独断的生気論者は、生きている物は、まだ機械論的用語で解明できていないから、また無機的世界では見られない特異性を示すから、異なる身分の存在に属すると言い張るだろう。

〔略〕

これらの二つの見解の違いは、われわれの経験として与えられることへの正しい説明とは何かについての_意見_についての違いである。もし説明が取るべき一般的形式について心を決めたならば、いわゆる「生命の問題」を設定したのであり、さらなる議論は無益である。その身分は一つの言明であり、われわれはどの予言が適中するのかを待ち、見ることができるだけである。
 では、方法論的見地へと戻って、方法論的機械論者に、機械論的説明が科学において認められる唯一のものだという論点を支持するのに何を言わなければならないかを、訊ねることができる。これは明らかに、最初のものとはまったく異なる種類の主張である。ここでの論争は、有機体についてのものではなく、_説明_についてのものである。したがって、生物学的問題ではまったくなく、(広い意味での)論理的問題である。この変化を認識するのに失敗したことから、混同が生じたのかもしれない。混同のもう一つの源は、調査する者と理論づけする者との間の違いにある。調査する者は、発見的成功をもたらす図式に満足するし、機械論的見解はこの分野で優先権をもつように思われる。よって、方法論的機械論を明言する者は、単にこの見地からそうしているのかもしれない。しかし理論生物学の立場からは、このような不満足な状態の位置にとどまることはできない。問題は、見かけよりもはるかに難しい。生物学の方法論者は、【p.231/p.232】機械論的見解が成功しているのかどうかではなく、それが科学的生物学にとって唯一可能な見解なのかどうかを決定するという困難な仕事に遭遇しているのである。このことが本当ならば、結論は明白である。本当ではないのなら、他の可能性が探求されなければならないだろう。後に見るように、さらなる困難が生じる。「機械論的説明」という表現は、極めて漠然としていることによってである。この事実だけが、大変な混乱の原因である。
 ときおり、機械論的見解は「正しい方向に動くことを保つ」(E. B. Wilson)[p.256を見よ。]と言われる。どこへ行こうとしているのか、どれが正しい道なのかを知っていることを、これは含んでいる。」
(Woodger 1967、pp.229-230;第1段落の試訳20170720)。


[W]
Woodger, J.H. 1967(1929). Biological Principles: a Critical Study. Revised Edition. xix+496pp. Routledge and Kegan Paul. [ordered 20031120] [B20031211, 5,262 +763=y16,025]

学問修行2017年7月21日(金):人についての神智学の主張のジナラジャダーサ『神智学の第一原理』による要約。personalty 人格とは

2017年07月21日 18時34分36秒 | 学問修行
2017年7月21日-1
学問修行2017年7月21日(金):人についての神智学の主張のジナラジャダーサ『神智学の第一原理』による要約。personalty 人格とは


 人と人に関係する存在者たちについての神智学の主張は、Jinarajadasa ジナラジャダーサ (1938) の『First Principles of Theosophy 神智学の第一原理』(pp.145-150)を要約すると、次の通りである。

 1. 人類の魂は、超魂 oversoul において個体化している。(動物では、種ごとに群魂 group soulとなっている。)

 2. 個々の魂 soul またはエゴ ego または個体性 individuality は、一つの人生、または化身または受肉 incarnation で一つの人格 personality [註1]を作る。

 3. 人格は、誕生に際して、心的体 mental body〔メンタル体〕、アストラル体 astral body〔星体〕、そして物質体 physical body をまとう。

 4. これらの三つの体のそれぞれは、それ自身の一つの生命と意識を持つ。それは、人格の生命と意識とは、きわめて異なっている。

 5. 各乗り物の「体意識」はそれぞれ、心体の「心的精霊 mental elemental」、アストラル体の「欲望精霊 desire elemental」、そして物質体〔肉体〕の「物質的精霊 physical elemental」として知られる。

 6. この体意識 body-consciousnessは、心的物体とアストラル物体のエレメンタル エッセンス〔四大の本質、元素精〕の生命と、物質体を作りあげる、鉱物的、植物的、そして動物的生命の流れの生命である。

 7. アストラル体と心的体の精霊は、エレメンタル エッセンスの生命から成る。

 8. エレメンタル エッセンスは、鉱物の生命よりも_前の_段階の顕現でのロゴスの生命の一つの相である。それは、生命の「下降弧」の途上にあり、「物質の中に下降しつつ〔潜りつつ〕」ある。その下降は、後に鉱物の生命、さらに後には植物と動物の生命となるためである。エレメンタル エッセンスの主な要求は、それ自身が生きていると、できるだけ多くの新しい方法で、感じることである。

 9. 欲望精霊は、アストラル体が目覚めること、実際に「目覚めている時」を持つことを好む。変化、新奇さ、興奮は、欲望精霊が生命の下降弧の途上で望むものである。

 10. 心的精霊は、心が一つの思考に保たれることを好まない。休むことなく、多くの様々な思考の振動を、その持ち主である人格に引き起こせるよう、切望する。

 11. アストラル体と心的体の持ち主であるエゴ〔我〕は、生命の_上昇弧_にある。

 12. 人の生と死とそれを越える仕事とは、自身の乗り物を統御することである。



[註1]
 神智学やトランスヒマラヤ密教の再生理論 reincarnation theory 〔転生説、輪廻説〕によれば、或る人の魂の光線の種類は、変わらない。魂より下位の光線の種類は変わり得る。
 たとえば、Benjamin Creme (1986) "Maitreya's Mission"の巻末にあるによれば、
  ナザレのイエス(4.0)     6-1-1-2-1  (24 BC-9 AD)
  ティアナのアポロニウス(5.0) 6-1-1-2-7  (16-c.97 AD)
 ここで、()内の数字は死亡時に到達した進化点 point of evolution または進化段階[註2]で、五つの数字の並びは、先頭から順に、魂、人格、心的装置、アストラル的乗り物、そして物質体の光線である。

 イエスの次の転生はアポロニウスである(要文献)。魂の第六光線は変わっていない。

 なお、西暦 Anno Domini とはイエスが生まれた翌年を起点とする暦である。イエスは「紀元前4年頃に生まれたと考えられている」(https://ja.wikipedia.org/wiki/西暦#.E8.A5.BF.E6.9A.A6.E5.85.83.E5.B9.B4.E3.81.A8.E3.82.A4.E3.82.A8.E3.82.B9.E7.94.9F.E5.B9.B4.E3.81.AE.E3.82.BA.E3.83.AC)。Benjamin Creme 氏(1922/12/5 -2016/10/24)によれば、グレゴリオ暦(太陽暦)への換算の際に誤りがあるという(文献失念)。

 personality (人格、個性、個格、性格、肉体人間、などと訳される)とは、Aart Jurriaanse (2001) "Bridges"、pp.143-144 によれば、
  「厳密に言えば、人格はその受け入れられた意味での真の形体 form というよりも、一つの概念とみなされるべきである。それは、三つの分離した乗り物、つまり生気体 vital body、アストラル体、そして心的体から成る包括形体 an inclusive form を表示する。しかし、これら三つの「体」が単に存在することは、それ自身では「人格」として知られるものを立てることにならない〔構成しない constitute 共に(組み)立てる、設置する〕。この指定は、三つの関係する体の諸エネルギーが完全に混合し終わった後にだけ、適用される。それは、これらの融合したエネルギーが、一つの調整された単位として機能することが可能になるときである。この本性の統合が成功すれば、個体性と自己意識の感覚がもたらされる。魂による効果的な統御 control が今や実装される be implemented からである。このような中心的自覚〔気づき〕awareness が存在し、情緒体〔感情体〕emotional body 〔=astral body〕を通して反応して生気体〔活力体〕 vital body によってエネルギーを与えられる心的装置を利用するところでは、「人格」という指定は正当なものとなる。この同一性の感覚は、しかし束の間のことで、持続するのはその特定の形体が物質的に存在する間だけである。というのは、その形体が「死」ぬとき、言い換えればその魂が物質的乗り物に興味を失って撤退するとき、エーテル世界へと分解し吸収されるだろうからである。」
(Jurriaanse 2001 "Bridges"、pp.143-144)。


[註2]
 人は神なのだが、物質を栄化するために下降し、今や上昇孤を辿る道にある。involution 内巻き、退化、逆進化は下降孤を辿り、evolution 開展、進化は上昇孤を辿ること。]


□ 文献 □

Creme, Benjamin. 1986. Maitreya's Mission. x+384pp. Share International Foundation. [B19900328, y3000]

Jinarajadasa, C. 1938 [5th edition; 1921 first edition]. First Principles of Theosophy [神智学の第一原理]. xi+465pp. Kessinger Publishing Company. [B19961105]

Jurriaanse, Aart. 2001[revised edition; 1978 First published]. Bridges . 526pp. Bridges Publishing. [B20021030, y4224x1.05]

学問修行2017年7月20日(木):八杉龍一 1948/11 『生物學の方向』、生命観

2017年07月21日 00時14分13秒 | 学問修行
2017年7月21日-1
学問修行2017年7月20日(木):八杉龍一 1948/11 『生物學の方向』、生命観

 今日、ひょいと手に取ったのが、下記の本。
 生気論に言及している部分を探してみた。

八杉龍一.1948/11/5.生物學の方向.179pp.アカデメイア・プレス.[定價\130.00][B19840924、1200円*明倫館書店]


 八杉龍一(1948: 81頁)は、生物学研究者の生命観を、およそ次の三通りに区別した。

  (a).第一見解。生命現象は物質現象である。したがって、物理化学的現象に完全に分解することができる。

  (b).第二見解。生命現象を分解していくが、生物についてすべて知りつくした後でなければ解決されない[?=知り尽くしたら、解決される。→知り尽くすとは、どういうことか?。また、どう判定するのか?。]

  (c).第三見解。生命現象を機械論的に、つまり物理化学的に方法で解明していくが、やがてその方法では解明できないもの、真のヴィタスに行きあたる。(生気論的傾向)


 「第二及び第三の見解は,かかる機械論的方法によつてはたして我々が生命を認識しつつあるか,認識できるか,という不安と懐疑の産物である。しかしこれらの見解はともに,問題の解決をただ遠方におしやつているにすぎない。〔略〕

 生物學における機械論的方法に對する批判は,本書を通じての課題である。とくに『生物學の方向』〔この本の最初の章、20-65頁。〕がこの問題に対する解答の主要な部分を含んでいる。また生氣論的展開に対しては,いまさら多くの言をついやす必要は無いであろう。もつとも私は,後にいくらかは機械論及び生氣論の問題にたちもどつて論ずる機会をもつつもりである。」
(八杉龍一 1948/11、81頁)。


 八杉龍一氏の著作では、八杉龍一 1965『進化学序論』は、氏の博士論文が元となっているようで、力作と言える。


□ 文献 □
八杉龍一.1948/11/5.生物學の方向.179pp.アカデメイア・プレス.[定價¥130.00][B19840924、1200円*明倫館書店]


□ 八杉龍一の著作一覧□

八杉龍一.1948.ダーウィニズムの諸問題.154pp.理学社.[y50]

八杉龍一.1948.生物学の方向.197pp.アカデメイア・プレス.[y130]

八杉龍一.1949.ダマルクからダーウィンへ.2+3+161pp.日本評論社.[y150]

八杉龍一.1951.生命.261+3pp.毎日新聞社.[y260]

八杉龍一.1965.進化学序論:歴史と方法.vii+362pp.岩波書店.[y750]

八杉龍一.1972.近代進化思想史.256pp.中央公論社.[y900]

八杉龍一.1973.一生物学者の思索と遍歴.358pp.岩波書店.[y2,000]

八杉龍一.1976.生物学的人間像.357pp.青土社.[y1,800]

八杉龍一.1977.ダーウィン.285pp.平凡社.[y1,000]

八杉龍一.1982.生物学と私.285pp.青土社.[y1,600]

八杉龍一.1984.生命論と進化思想.viii+228+4pp.岩波書店.[y1,700]

八杉龍一.1984.生物学の歴史(上).250pp.日本放送出版協会.[y750]

八杉龍一.1984.生物学の歴史(下).224pp.日本放送出版協会.[y750]

八杉龍一.1989.ダーウィンを読む.244+22pp.岩波書店.[y2,000]

八杉龍一(編訳).1994.ダーウィニズム論集.388pp.岩波書店.[B19941209, y670]

J H ウッジャー(1967改訂版):生物学の諸原理 批判的研究 第5章生気論と機械論との対立(訳1)

2017年07月20日 15時48分13秒 | 学問修行
2017年7月20日-1
J H ウッジャー(1967改訂版):生物学の諸原理 批判的研究 第5章生気論と機械論との対立(訳1)


第2部
生物学的知識の諸問題

第5章
生気論と機械論との対立

I

生気論と機械論との間の世に知られた言い争いは、生物科学史のすごく目立った特徴であるが、ときおり想定されるような簡単なものでは決してない。関係のある争点と表明された様々な意見は、単純で明快であるわけでは決してない。そこで、われわれが最初にやるべきことは、いくつかの代表的な見本の検討へと向かう前に、これらの争点を少し解きほぐすことである。(自ら呼んではいないにしても)「生気論者」と呼ばれる人たちの間には、相当の、そして重要な意見の違いがある。そして、対立陣営に属し、「機械論者」の称号を受け入れる人々の間にも、同様の重大な違いがある。よって、だれそれは機械論者だと言ったところで、その人が機械論のどの特定の銘柄〔種類〕なのかを述べない限り、ほとんど情報を与えていない。主要な分割の特徴をはじめに指摘することは、これからにおいて〔今後の〕助けとなることだろう。有機体についての「機械論的見解」と呼ばれてよいものは、二つの主要な基礎の一つに基づくであろう。二つとは、(1)有機体は、ある意味で機械 machine _である_か、あるいは「からくり mechanism 〔仕組み、機構〕」であり、それを越えるものではない。これを、存在論的な意味で、形而上学的な基礎と呼んでよいだろう。(2)一方、有機体についていかなる形而上学的または存在論的な仮定を置くことを避けて、有機体の「本性 nature」がなんであろうとも、有機体は_あたかも_機械であるか「からくり」であるとして扱うことによってのみ科学的に扱うことができると、単に言うのである。こうして、二つの基本的に異なる種類の機械論を、われわれは得たのである。第一のものは、有機体は機械「である」と言うことを明言するので、独断的であり、すでに説明した意味で形而上学的である。他方、二番目のものは、より控えめな主張をしていて、科学は機械的な説明を守る場合にだけ可能だと言う。しかしそれは、生物学的研究の対象の形而上学的本性についてなんらかの言明を行なうことを避けている。これは、それゆえ、方法論的基礎である。」
(Woodger 1967、pp.229-230;第1段落の試訳20170720)。

学問修行2017年7月17日(月):前川喜平前文科事務次官の誠実さ

2017年07月17日 12時05分57秒 | 学問修行
2017年7月17日-1
学問修行2017年7月17日(月):前川喜平前文科事務次官の誠実さ

 これからの社会は、人々が明るく楽しく生活できるものであってほしい。
 人々どうしのつきあいで、第一に求められるのは、誠実さである。
 嘘を言ったり、でまかせを言うことは、厳に慎むべきことである。


前川喜平.2017/6/9.<前川喜平前文科事務次官手記>わが告発は役人の矜持だ 官邸の圧力、天下り問題、醜聞報道……私に起きた出来事のすべて.文藝春秋 2017年7月号、94-103?頁.

は、誠実に理路整然と語っている。
 教育の重要性、そして教育行政についての公平さの実現を訴えている。


  「天下り問題で国民からの信用が失墜したのは天下り斡旋の事実そのものはもとより、それを口裏合わせで糊塗しようとした隠蔽工作にあったはずです。にもかかわらず、再び隠蔽工作に加担させられている。私はもう文科省とは関係がないし、関連する団体にいるわけでもない。だったら私が声を上げなくては、と思ったのが告発の最も大きな動機です。
〔略〕
公僕は、自らの仕事が正当で公正なものだときちんと国民に説明できなければいけない。国民の知らないところで筋の通らないことがまかり通るようになれば、デモクラシーは機能しなくなります。
〔略〕
教育とは人々が幸福を追求するために必要不可欠なものです。その教育行政を司る文科省で「隠蔽」など二度とあってはならないことです。後輩たちが胸を張って仕事が出来るように願っています。」
(前川喜平 2017/6、)


 テレビで見ていても、誠実にわかりやすく説明している。
 安倍政権の権力者たちの
  不誠実な態度、
とりわけ、
  隠蔽性質、
  根拠を示さない断定とは、
まったく対照的である。

 以下に、前川喜平氏が文部科学省事務次官を退任するにあたって、
全職員に送ったメールを引用する。


  文部科学省の前川喜平事務次官が全職員にあてて送った
  「文部科学省の皆さんへ」と題するメールの主な内容

  「文部科学省の任務は極めて重要です。私が考える文部科学省の任務とは、
教育・文化・スポーツ・科学技術・学術の振興を通じて、
誰もが明るく楽しくしあわせに人生を全うできる社会をつくること、
未知なるものに挑戦し限界を克服し輝く未来へと前進すること、
さらには自由で平等で平和で民主的で文化的な国をつくり
世界の平和と人類の福祉に貢献することです。

そして、私が考える文部科学省職員の仕事は、
子どもたち、教師、研究者、技術者、芸術家、アスリートなど、
それぞれの現場でがんばっている人たちを助け、励まし、支えていくことです。

特に、弱い立場、つらい境遇にある人たちに手を差し伸べることは、
行政官の第一の使命だと思います。

〔略〕
皆さん、仕事を通じて自分自身を生かしてください。
職場を自己実現の場としてください。
初代文部大臣森有礼の「自警」の表現を借りて言うなら
「いよいよ謀りいよいよ進めついにもって
その職に生きるの精神覚悟あるを要す」です。

森有礼は「その職に死するの精神覚悟」と言ったのですが、
死んでしまってはいけません。人を生かし、自分を生かし、
みんなが生き生きと働く職場をつくっていってください。

〔略〕
気は優しくて力持ち、そんな文部科学省をつくっていってください。

〔略〕
2017年1月20日 前川喜平」
http://digital.asahi.com/articles/ASK1N563DK1NUTIL031.html[受信:2017年7月17日。]

 

学問修行2017年7月15日:ヒアリの日本への侵入問題2

2017年07月15日 17時40分57秒 | 学問修行
2017年7月15日-1
学問修行2017年7月15日:ヒアリの日本への侵入問題2

 ヒアリの見分け方や対策については、

 国際社会性昆虫学会日本地区会(JIUSSI)のホームページ
 ヒアリに関するFAQ
https://sites.google.com/site/iussijapan/fireant

に、ていねいな解説がある。根拠も示していて正しい主張だと思う。
 この「ヒアリに関するFAQ」は、辻和希氏によるもので、きちんと書かれている。
 とりわけ、駆除作戦については、

    9 ヒアリの本当の危険性:危険性はセアカゴケグモとは桁違い
   10 現時点ではアリ駆除は逆効果
   11 国土交通省と環境省のベイト剤投与法への懸念

の三つで記されている。

 要約すれば、
  (a) 侵入初期である今は、徹底的な駆逐と防除が必要である。(水際で退治する)
  (b) ヒアリの羽蟻は、在来の蟻によって殺されるので、コンテナ置き場などの外でのアリの除去は逆効果である。
    ヒアリの侵入経路は、
    (1)入国したヒアリが巣ごと引っ越しをして定着する。
    (2))どこらからか飛来しヒアリの羽蟻が新たに巣を作る。
  (c) ベイト剤を置く範囲には注意が必要である。

  (b) については、「最大の邪魔者はアリ自身です。翅アリが降り立った地面が、もし他種のたとえば日本在来のアリの「領土」だったら、たちまち地主の働きアリに見つかって殺されてしまいます。実際、このシナリオがヒアリにおいてもあてはまることがフロリダで行われた最近の野外研究で明らかになりました(文献16)。地元在住のさまざまなアリたちの存在はヒアリの防御壁になりますが、殺虫剤や耕耘機であらかじめ在住アリを除去しておくと、ヒアリの新女王による新巣定着率が格段に上がったのです。」と、

文献 16. Tschinkel, W.R. & King, J.R. (2017) Ant community and habitat limit colony establishment by the fire ant, Solenopsis invicta. Functional Ecology 31: 955–964.

の報告を根拠としている。
 ただし、「翅アリが降り立った地面が、もし他種のたとえば日本在来のアリの「領土」だったら、たちまち地主の働きアリに見つかって殺されてしまいます。」は推論した主張であって、だれも日本では、ヒアリの羽蟻が、地主の働き蟻に見つかって殺されたことを見た人はいないと思う。
 また、フロリダでの野外研究が日本で適用されるとするのは、場所と種類についての 外挿的推論である。
 フロリダと日本では、蟻の種類(と各種類の個体数密度)が異なる。
 また、ヒアリの羽蟻が数多くなれば、在来の蟻を含めて捕食者たちから免れる受精した女王蟻も出てくるだろう。
 ただし、在来蟻がだれほど頼りになるかは不明だが、辻和希氏名の言うように、ヒアリが侵入していない地域の在来蟻を駆除することは、不要でしかない。
 ヒアリの駆除のための誘引罠 bait trap の使用に際しては、在来蟻を駆除しないように設置場所に注意することが肝要である。

 クマムシ博士のむしブロ
 クマムシ博士が綴るドライな日記
 2017-07-04
 『ヒアリの生物学』でヒアリの生態を知る
http://horikawad.hatenadiary.com/entry/2017/07/04/190022

によれば、『ヒアリの生物学』に、
  「ヒアリは将来日本を侵略するだろうか?答えは「イエス」である。問題は、いつ、どこに侵入するかということだ。」
という文があるそうだ。

また、
  「南米に存在していたような天敵がアメリカにいないことも、ヒアリが新天地で繁栄した大きな理由のようだ。

アメリカでは1950年代から1980年代にかけて、総額1億7千万ドルもの巨額の費用をかけて殺蟻剤を散布するなど対策を講じたが、ヒアリを撲滅することはできなかった。この間、有機塩素系農薬の散布による他生物への悪影響も顕在化し、レイチェル・カーソンによる『沈黙の春』に代表される環境保護運動の盛り上がりもおきた。そして残念ながら、人間や生態系に影響のない殺蟻剤の開発もうまくいかなかった。

結局、アメリカでは原産地よりもはるかに高密度のヒアリが生息することとなり、アメリカから他国への侵入と定着を許すまでになってしまった。アメリカ以外にも中国や台湾など、日本はヒアリ保有国と活発に貿易をしており、ヒアリが知らずに輸入されるリスクに常にさらされている。」
http://horikawad.hatenadiary.com/entry/2017/07/04/190022

とある。すると、フロリダでの在来蟻がヒアリの侵入防止に役立つとしても、アメリカ合州国の他の地域では役立たなかったということになるのではないか。


 「横浜港でヒアリ500匹超=繁殖の可能性大―環境省
  7/14(金) 21:02配信 時事通信
 環境省は14日、強い毒を持つ特定外来生物の「ヒアリ」が横浜港の本牧ふ頭(横浜市)で初めて確認されたと発表した。

 コンテナヤードのアスファルトの割れ目で働きアリ500匹以上を確認。幼虫やさなぎも計200匹以上いて、地中で繁殖していた可能性が高い。

 同省によると、確認されたのは繁殖能力のないメスの働きアリ500匹以上とオス5~10匹、幼虫とさなぎがそれぞれ100匹以上。国土交通省や専門家などと進めていた主要7港の確認調査の結果、縦20センチ横40センチ、深さ10センチの地面の割れ目から同日見つかった」
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170714-00000164-jij-pol


 貿易が盛んになったことによる、災害である。
 グローバリズムとか新自由主義は、このような災害を推進または拡大させただろう。
 侵入場所付近の綿密な調査と即刻の退治をするほかない。

 早期発見と早期駆除。
 「ヒアリを定着させないためには、早期の発見と防除が鍵となる。」
http://horikawad.hatenadiary.com/entry/2017/07/04/190022


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 「村上〔貴弘〕先生のアリ研究記(2)- 小さな侵入者”ヒアリ”を退治せよ!」によれば、
テキサス、フロリダ、アルゼンチンで刺されたよりも、台湾でヒアリに刺された場合のほうが、身体反応は激しく、
「軽いアナフィラキシーショックが出て、眩暈、動悸、手の震え、瞳孔収縮」を経験されたとのこと。
 (もっとも、台湾で刺される前の他所で刺されたことの履歴効果的身体反応か、あるいは台湾のヒアリは毒性が強くなっていったヒアリ(また、多くの型の毒が含まれるようにもなった)なのか、あるいは両方か、とも考えられる。)

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文献:

村上貴弘 2016年7月11日. 村上〔貴弘〕先生のアリ研究記(2)- 小さな侵入者”ヒアリ”を退治せよ!
https://academist-cf.com/journal/?p=1175[受信:2017年7月15日。]

 『ヒアリの生物学』でヒアリの生態を知る
http://horikawad.hatenadiary.com/entry/2017/07/04/190022[受信:2017年7月15日。]


 国際社会性昆虫学会日本地区会(JIUSSI)のホームページ
 ヒアリに関するFAQ〔辻和希氏執筆〕
https://sites.google.com/site/iussijapan/fireant













学問修行2017年7月13日:ヒアリの日本への侵入問題

2017年07月14日 00時11分44秒 | 学問修行
2017年7月14日-1
学問修行2017年7月13日:ヒアリの日本への侵入問題


 つい最近、日本のあちこちの港で、また内陸部からも、ヒアリ _Solenopsis invicta_の働き蟻が見つかったという知らせが報道されている。

 2017年7月13日には、中国から輸送されたコンテナ内でだが、卵と幼虫とさなぎが見つかり、繁殖していたということになる。巣は一つとのこと。

 「強い毒を持つヒアリが見つかっていた東京・大井ふ頭のコンテナで、ヒアリが巣を作り、繁殖していたことが分かった。
〔略〕
その後、環境省が床のベニヤ板をはがして調べたところ、新たに卵や幼虫、さなぎを含むヒアリ約100匹が見つかったという。ベニヤ板の中で、ヒアリが巣を作り繁殖していたことになる。

 巣は1つで環境省はコンテナが中国から輸送される間に繁殖したとみている。」
https://headlines.yahoo.co.jp/videonews/nnn?a=20170713-00000056-nnn-soci


 しかし、繁殖している巣もある可能性はある。
 NHKのローカルニュースで(ホント?)専門家(誰?)が、在来の蟻がヒアリをやっけてくれる、と発言した(出所は、毎日放送の2017年7月7日(金)のニュースの14:17からのものかもしれない。=====より下に示した。)ということが、間網 internet で広まっているらしい。また、それはデマだということも、広まりつつあるかもしれない。

 検索すると、ホウドウキョクという家頁に掲載の下記の記事が出てきた。

 「ヒアリ」の疑問を専門家が答える…覚えておきたい合言葉は“ひありおくやみ”
https://www.houdoukyoku.jp/posts/14941


  「在来アリがヒアリを撃退するかもしれない

〔辻和希 琉球大学農学部教授〕
ヒアリはもうとっくに日本に侵入していると言う人も多いんですけど、アリは社会性昆虫で働き蟻だけが入ってきても繁殖しないので定着して増えることはないんです。今まで見つかってるのはほとんど働き蟻で、女王蟻は1個体だけ見つかっています。女王蟻が働き蟻を伴ってコンテナから引っ越していくということがあれば問題ですね。」
https://www.houdoukyoku.jp/posts/14941[受信:2017年7月13日。]

 「女王蟻が働き蟻を伴ってコンテナから引っ越していくということがあれば問題です」は、その通りだと思う。
 (ヒアリは侵入先で近縁種どうしが交雑したりして、より強い性質を持つようになったりしているそうだ()。しかし、働き蟻が働き蟻を産むというほどにまで、変化または進化することはないだろう。)


  「〔辻和希 琉球大学農学部教授〕
インターネットでは在来種のアリが撃退するんじゃないかという意見が出ているそうですが、その通り ある程度はヒアリの侵入を抑える可能性があります。ヒアリは巣を作るとすごく強いんですが、最初に巣を作る「羽アリ」という羽が生えて飛んできた女王アリは弱いんですよね。その状態では、在来のアリがいると撃退される可能性があります。
注意していただきたいのは、ヒアリだか分かんないけど怖いからアリをとにかく殺せって殺虫剤を撒いたりするのは、おそらく逆効果です。それをやってしまうと、戦ってくれる在来のアリがいなくなって、ヒアリが定着しちゃう可能性があります。」
https://www.houdoukyoku.jp/posts/14941[受信:2017年7月13日。]

 上記の発言は、誤解を招きかねない。記者がそのような文章にしたかもしれない。少なくとも「在来アリがヒアリを撃退するかもしれない」という見出しは、インターネットでの、
   在来種のアリが撃退するんじゃないか
という意見を支持しているように受け取れる。辻和希氏の発言とされる内容は、
   「在来アリがヒアリを撃退するかもしれない」
という見出しになってもおかしくない。

 問題は、

  「最初に巣を作る「羽アリ」という羽が生えて飛んできた女王アリは弱いんですよね。その状態では、在来のアリがいると撃退される可能性があります。」

という主張または推論である。
 親の巣から飛び立った、翅を持った女王蟻も息子雄蟻も、在来種の働き蟻に殺されるかもしれない。鳥や蜘蛛に捕食されるかもしれない。しかし、多数が飛び立てば、逃れて巣を作る女王蟻もいるだろう。たとえば、南米と地続きの北米にしろ、海を越えた中国にしろ、台湾にしろ、ヒアリは侵入し、分布を拡大したのである。
 
 “在来種のアリはヒアリの定着を防ぐ”ネット上にウワサ広がる → アリの研究者は「在来種では勝負にならない」
ヒアリ強すぎ……。
https://www.houdoukyoku.jp/posts/14941[受信:2017年7月13日。]


村上貴弘.2015/9/20.アリのグローバル戦略 —その野望と成功.坂本洋典ら(編著)2015『アリの社会 小さな虫の大きな知恵』: 26-44.

の「ヒアリ防除作戦」という見出しの文章から引用する。
 ただし見やすくするため、原文での「,」は「、」に、「.」は「。」に変更した。


 「ヒアリ防除作戦

 もっとも効果的な防除はヒアリを入れないことである。
 ヒアリは人間の活動とともに生息域を拡大し、侵入地でさらにさまざまな機能を強化して、厄介な存在へと変化し続けている。〔略〕
ミトコンドリアDNAとマイクロサテライト解析から〔略〕全世界に広がったヒアリの起源はアルゼンチンのラプラタ川上流域であることがほぼ確実になった。そこから、二度アメリカに侵入したのち、国内で移動し、分散を繰り返し、オーストラリア、ニュージーランド、中国、台湾へとさらに広がっていった。つまり、原産地からの浸入はわずか2回しかなかったのに、侵入地からの再浸入は頻繁に起こっているのだ。〔略〕
ヒアリの日本への浸入は時間の問題だといわれている。
〔略〕
特定外来生物となった代表的なもの〔略〕と比較するとヒアリの攻撃性や毒性は高い。セアカゴケグモの特性が確認されているが、最近50年で死亡例は一見も報告されていない。ヒアリの浸入は〔略〕人命に関わる点で他の外来生物とは異なる〔。〕〔原文で「.」が抜け。〕」
(村上貴弘 2015/9、42頁)。

 「台湾では、防除のためにヒアリ探査犬が導入されるなど、ユニークな取り組みもある。」
(村上貴弘 2015/9、42-43頁)。
 2日前のテレビで、ヒアリ探査犬の紹介があった。

 「ヒアリに対して、十分な警戒をしていく必要がある。いや、その前に想像してほしい。赤く艶やかなアリたちが今も密やかに、暗く湿った貨物室で、きたるべきときをまっていることを。」
(村上貴弘 2015/9、43頁)。


  「陸揚げコンテナは年間865万個…殺人毒アリ“拡散”の恐怖
  2017年6月21日
〔略〕
海外から荷揚げされるコンテナの量は膨大で、すべてのコンテナを開けて外来種の混入をチェックするのは物理的に厳しい。今回は家電製品を積んだコンテナに付着していましたが、木材港から入り込む可能性も否定できません」(近畿地方環境事務所野生生物課)」
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/207776/2[受信:2017年7月14日。]

  「 国内で陸揚げされた海外発のコンテナ数は15年が約865万個(20フィート換算)。すべてを点検するとなると、途方もないコスト、マンパワーが必要になる。現実的には無理だ。熱帯原産で神経毒を持つ「ハイイロゴケグモ」や、中国南部や東南アジア原産の「ツマアカスズメバチ」が見つかった時にも騒ぎになったが、結局駆除しきれず、いまや生息範囲を広げ」
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/207776/3[受信:2017年7月14日。]

 定着を防ぎたい。台湾は周囲が海だが、かなり広がっている。対策費はどれくらいかかっているのだろうか。
 日本は今、最大の努力をするべきだろう。
 しかしまた、中国などからの輸入を停止する措置も必要だろう。
 鎖国がもっとも良いだろう。
 食糧の国内生産が肝要である。

 なお、『ヒアリの生物学』という本が、2008年に出版されている。


◇ 文献 ◇

東正剛・緒方一夫・S.D.ポーター (東典子 訳).2008/4.ヒアリの生物学 行動生態と分子基盤.海游舎.

坂本洋典・東正剛・村上貴弘(編著).2015/9/20.アリの社会 小さな虫の大きな知恵.viii+273pp.東海大学出版会.[本体3200円+税][R20151219]


村上貴弘.2015/9/20.アリのグローバル戦略 —その野望と成功.坂本洋典ら(編著)2015『アリの社会 小さな虫の大きな知恵』: 26-44.




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 2017年7月7日(金) 13:55~17:50
 放送局 毎日放送
 番組概要
 ニュース 14:17~
  「アリは縄張りを守る習性が強いので、日本のアリのテリトリーにヒアリが入ってきた場合、ヒアリは日本のアリに攻撃されて死滅する確率が高いという。橋本さんは「アリのライバルはアリです。人間がアリと消耗戦をやると人間が負けます」と発言した。

兵庫県立「人と自然の博物館」の研究員・橋本佳明さんに中継がつながっている。橋本さんは各地でヒアリが発見されている現状について、「現在中国との貿易によって、主要な港でヒアリが大発生していることは当然のことだと思います。人が刺されたという情報もまだありませんので、皆さんが刺されるほど繁殖はしていないと思います。」と話した。ヒアリがコンテナヤードから生息しやすい場所に移動していくのでは?という質問に対して橋本さんは、「コンテナヤードの中はエサも巣を作る土もないので、緑地などに移動することは起こりうると思います。」と答えた。ヒアリの定着・繁殖する可能性について橋本さんは、「定着・繁殖の能力はありますが、実際は難しいとおもいます。侵入したヒアリが少なければもともと日本にいるアリがヒアリをやっつけてくれると思います。今のところは安心して良いと思います。」と話した。」
https://tvtopic.goo.ne.jp/kansai/program/mbs/112/615001/[受信:2017年7月14日。]


 ヒアリの天敵のデマ。日本在来種アリの嘘が広まった理由や出所は?
 2017年7月11日
http://turezure01.com/post-766393-766393


 沖縄タイムス+プラス ニュース
 ヒアリ、那覇新港では確認されず 環境省が緊急調査
  「 調査は同事務所職員や一般財団法人「自然環境研究センター」(東京都)の研究員ら計約10人が行った。台湾や中国、南沙諸島などからの貨物コンテナが置かれている港内を歩き、ヒアリが生息していないか見て回った。

 調査した同センターの石塚新・上席研究員によると、ヒアリはコンテナと地面の隙間や、雑草が生えた場所に集団で生息していることが多く、重点的に調べていた。石塚さんは「温暖な気候の沖縄はヒアリが繁殖しやすい。赤茶色のアリを見つけたら触らず、すぐに関係機関に通報してほしい」と話した。

 県内では他に、県と沖縄科学技術大学院大学が調査や水際対策に乗り出しているが、これまで生息は確認されていない。」
http://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/108600[受信:2017年7月13日。]

美術修行2017年7月13日(水):川上隆史展/ギャラリー勇斎/奈良

2017年07月13日 09時57分37秒 | 美術修行
2017年7月13日-1
美術修行2017年7月13日(水):川上隆史展/ギャラリー勇斎/奈良

 川上隆史展/ギャラリー勇斎/近鉄奈良駅またはJR奈良駅/入場無料。











































 後記。
 川上隆史氏の真鍮を使った作品を見たのは、三年前かもっと前か、尼崎アートフェスティバル/尼崎市総合文化センターが最初。ほどなくして、ギャラリー菊で観た。
 今年は、gallerism 2017 in 中津/ピアスギャラリーで観た。
 やはり、個展/ギャラリー勇斎での展示は、個々の作品の見え、そして、隣接の二つ組、隣接した三つ組、また一個体とその背景の個体群、また虚的な影だけの像と、いずれの組み合わせの景観としても、素晴らしかった。

 山下克彦さんの作品で、アルミニウムの針金を叩いた作品を、確か針金展/スペース御蔵跡で、観た。
 気色良かった。まねるしかない(affordanceというわけではないか?)。

  「コンピューター用語辞典での「Affordance」の意味
    affordance
    名詞
    アフォーダンス
    知覚や行為をうながすものとして環境が内包している一種の力。
    グラフィックス関連では、あるオブジェクトの機能の視覚的目印となるものを指すことがある。」
http://ejje.weblio.jp/content/Affordance[受信:2017年7月13日。]

 で、川上隆史氏が使った真鍮という材質の針金も、叩いてみよう(……ホトトギス)。

























 ↑(上):川上隆史 2017〈ただ水平に彼女のなかに〉
 ↑(下):川上隆史 2017〈ただ水平に彼女の外に〉
を一組みとして選び、合体展示しました。





美術修行2017年7月7日(金) : 篠原滋生〈混合風景〉、いたみありさ2014『学校では教えてくれないアーティストのなり方』

2017年07月09日 00時03分19秒 | 美術修行
2017年7月7日-1
美術修行2017年7月7日(金) : 篠原滋生〈混合風景〉、いたみありさ2014『学校では教えてくれないアーティストのなり方』
2017年7月9日、一部を追加し、訂正した。


 全関西美術展/大阪市立美術館/天王寺駅/出品者証で。




 篠原滋生〈混合風景〉は、縦長画面にドンゴロス[粗い麻布]らしいものを波のように皺立てて、蜜蝋をかけたもの。見応えがあり。額縁は、5ミリくらいのプラスチック板の黄色いものを2枚重ねている。
 昨年今年の京展での篠原滋生氏の作品は、紐状の蝋がいっぱいで、落ち着いたいい色になっていた。しばし見とれていたので、京展の講評会(聴衆としては、受賞者と報道関係者を想定しているようだ。しかし、一般人でも、表彰式の後は表彰式場と同じ講評会会場に入ることができる。上野の森美術館大賞展の講評会は、出席申し込みが必要だが、一般人にも公開している。そして、絵画現物の前で作者が話しして、その後に講評がある。)[下線部分を20170709 0:00に追加]の日本画と洋画部門のを聞き逃した。
 全関西美術展も京展も撮影禁止で、どちらも目録は販売しているが、全関西美術展では画像は掲載されない。京展の目録には、受賞作品の白黒画像だけが掲載される。また、どちらも、展示されている作品をめぐりながらの講評会は無い。

 菱形の画面に銀箔を貼って、薬液で赤黝くないし黒く線状に(化学反応で)「焼いた」と思われる作品があった。筆を使って「焼いた」のだろうか。


*いたみありさ.2014/9/15.学校では教えてくれないアーティストのなり方.213pp.サンクチュアリ出版.[本体1400円+税][大市中図ヤング707][Rh20170707]

 ニューヨークでの美術事情や美術者環境が、著者の経験で語られている。
 「現代型の聖地ニューヨークではアートコンペの結果よりも、今、どのアーティストがどういうアートを表現をしているのかが話題になる。」
(いたみありさ 2014/9: 53頁)。

 「自由であることがアーティストを象徴する」
(いたみありさ 2014/9: 57頁)。

 「ニューヨークであれば、家を飾るアートをアートギャラリーで買うことは、いたって普通のことなのだ。」
(いたみありさ 2014/9: 61頁)。

 「海外ではアートを展示する空間も全て含めてアート作品なので、総合プロデュースができなければアーティストとしては認めてもらえない。」
(いたみありさ 2014/9: 107頁)。

「私が思う海外での初個展の値段のつけ方

基本は 制作時間+
    材料費+
    作品への愛着度

(いたみありさ 2014/9: 113頁)。
 具体的な計算は示されていない。低、中、高の三つの値段分けをして、それに応じた買い手分けをしている。

 ある一人がペイント入りのバケツを落としたため壁の塗り直しになることに、怒りをぶつけたとき、或る友人の言葉が、著者のアートに対する原点になったという。
 「友人の言葉〔略〕はアートに対する原点になった。「〔略〕それぞれにやり方があって個性があって味がある。それが人間の作るアートじゃない?〔略〕パーフェクトなものだけ作りたければマシーンに合わせるよ。〔略〕」わたしは、足場から遠く、遠く離れて、〔略〕壁画を眺めた。〔略〕友人の言うように10通りのやり方はハーモニーになって味のある作品に仕上がっていた。〔略〕アートとは完璧にではなく、自分のオリジナリティーを見つけることなんだ。」
(いたみありさ 2014/9: 208頁)。

 「「アートを生活の一部に」をコンセプトに、〔略〕仰々しく作り上げられたホワイトキューブの空間ではなく、アットホームな空間のなかで、アートがそれぞれの人の家の一部のように、大事に飾られている感覚を伝えたいという思いを込めた。」
(いたみありさ 2014/9: 210頁)。
 ここでの「コンセプト」とは、標語または信条という意味か?。
 建築物の設計での「コンセプト」とは、
  「設計は「提案」→「設計」とすすむわけですが、設計の前提となる提案の内容を決めるものがコンセプトと呼ばれるものです。
 つまりコンセプトとは提案するにあたってのよりどころとなる主張、考え方をいいます。」
(https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1422270069[受信:2017年7月7日。])
という一つの主張がある。「提案のよりどころとなる」とはどういことなのか?。
 「提案」→「設計」というのも、わからない。設計をあれこれ考えて、決定したら、提案するのでは?。提案とはイデアのことか?。
  理念→設計→製作(材料を集めて、それらの物質に形相または形態をあたえ、なんらかの役割または機能が遂行できるようにする)
ならば、少しはわかるのだが。

 展示と鑑賞の環境もまた、様々であっていい。
 「完全予約制で1日100人しか来館することが出来ないこの場所」
(いたみありさ 2014/9: 210頁)。

風間虹樹の絵画〈あらゆるいのちたちに、乾杯!〉と〈花いのち〉/第63回全関西美術展/大阪市立美術館

2017年07月07日 22時50分52秒 | 美術/絵画
2017年7月7日-2
風間虹樹の絵画〈あらゆるいのちたちに、乾杯!〉と〈花いのち〉/第63回全関西美術展/大阪市立美術館

 風間虹樹の絵画

  〈あらゆるいのちたちに、乾杯!〉 S100菱形(229x229cm)
  〈花いのち〉           F100縦長(162x130.3cm)

/第63回全関西美術展/大阪市立美術館/天王寺駅 のご案内

 


 風間虹樹〈あらゆるいのちたちに、乾杯!〉/洋画部門は、第2室の洋画部門の入ってすぐ左の壁に一つだけ展示されていました。




















 風間虹樹〈花いのち〉/日本画部門は、2階へ階段を左に昇ってずくの部屋の、入って右のガラスケース内の一番目に展示されていました。






















 

風間虹樹の絵画、〈花いのち〉と〈いのちたちに、乾杯!〉の展示/第63回全関西美術展 のご案内

2017年07月04日 22時52分18秒 | 美術/絵画
2017年7月4日-2
風間虹樹の絵画、〈花いのち〉と〈いのちたちに、乾杯!〉の展示/第63回全関西美術展 のご案内


 風間虹樹の絵画:
         花いのち   (F100縦) [読売テレビ賞を受賞]
         /第63回全関西美術展 日本画部門/大阪市立美術館
              のご案内



   ↑:花いのち   [2017年6月23日完成]
   大きさ:F100縦(162x130.3cm)。
   理念または製作意図:瞑想的ないし発出的な、いのち絵画。
   いのち絵画の技法:花びら散り落とし技法。
   1層絵画:基層:麻画布に、ジェッソと雲母(と少しの焼き石膏?)、アクリル絵具、新岩絵具。
   物質的構成:麻画布、ジェッソ、雲母、墨、新岩絵具(桜色12、岩白12)、天然岩絵具(岩胡粉[=大
           理石粉末]9、岩胡粉12、水晶末12、水晶末白[=14])、チューブ胡粉。




   ☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆


 風間虹樹の絵画:いのちたちに、乾杯!    (S100菱形展示)  [入選]
         /第63回全関西美術展 洋画部門/大阪市立美術館
          のご案内


↑:いのちたちに、乾杯! [2017年6月24日完成]
   大きさ:S100(162x162cm)菱形展示。
   理念または製作意図:いのち即いのちたちそのもの(=世界のもの)を存在させる、いのち絵画。
   いのち絵画の技法:網紐流し技法、重ね曜変技法、池塘的穴開け裏貼り技法、芽生え技法。
   2層絵画:
        基層:曜変後1年ほどして、アクリル絵具を上塗りして、曜変(一部は流し曜変)。
        −1層:一つの曜変画布を、穴開け裏貼りした。大きな曜変画布を、芽生え表貼りした。
    物質的構成:麻画布、ジェッソ、墨、アクリル絵具、油絵具、エポキシ樹脂。

    _____________________________________

 ◇ 第63回全関西美術展 ◇
  会期:2017年7月 7日(金)〜7月12日(水)、
         7月14日(金)〜7月19日(水)。
  時間: 9:30〜17:00(入館は16:30まで)
  会場:大阪市立美術館 (天王寺公園内)
     天王寺駅や阿倍野橋駅から北西へおよそ400m。
  入場料:
 一般700円、高校生・大学生500円、
 中学生以下、障がい者手帳等をお持ちの方(介護者1名を含む)は無料(要証明)。


風間虹樹の絵画〈いのち四元素〉と〈いのち七重奏〉/第67回モダンアート展 奈良展の展示ご案内

2017年07月04日 11時02分06秒 | 美術/絵画
2017年7月4日-1
風間虹樹の絵画〈いのち四元素〉と〈いのち七重奏〉/第67回モダンアート展 奈良展の展示ご案内
         

  風間虹樹の絵画:
         いのち四元素 (S100正方形)
         いのち七重奏 (S100正方形)
                        /第67回モダンアート展 奈良展
         のご案内 



   ↑:いのち四元素   [2016年製作][第67回モダンアート展の図録に収録されました]
   大きさ:S100(162x162cm)正方形。
   理念または製作意図:瞑想的ないし発出的な、いのち絵画。
   いのち絵画の技法:曜変技法、芽生え技法、画布橋渡し技法(芽生え技法と裏留め張り技法)、花びら滴下技法、振り出し技法(2015年11月にギャラリー菊で、2017年1月にカワチ画材あべのHoop店で実演公開した)、上掛け削り取り技法、未命名の技法。
   3層絵画:+1層:下部の3箇所から芽生えさせて、基層の上に下部削り出しなどした麻画布を貼っ
            た。3箇所で背後へ巻き込みした曜変画布を、張りをつけて橋渡しした。
        基層:墨にパールメディウムの叩きつけで作った地模様に、チューブ胡粉を容器から振り
            出した。
        -1層:画布の潜り込みによる、想像的顕現。
   物質的構成:麻画布に、ジェッソ、胡粉、墨、パールメディウム、アクリル絵具、油絵具。


↑:ひとささり。


↑:ふたささり。天地を逆さにして、一部を見ました。


↑:みつささり。


↑:上部の+1層部分の拡大。
                                    

               ******************************



   ↑:いのち七重奏   [2016年製作]
   大きさ:S100(162x162cm)正方形(woody gold の仮縁つき)。
   理念または製作意図:いのちそのものを存在させる、また、いのち=世界そのものの、いのち絵画。
   いのち絵画の技法:叩き付け技法(生命龍技法)、曜変技法、穴開け裏貼り技法、未解明の技法。
   3層絵画:基層:ひたひた墨液に、パールメディウムまたはアクリル銀(失念)の叩きつけした(生
            命龍生産)。
        -1層:3箇所で、曜変画布を穴開け裏貼りした。
        -2層:和紙か障子紙を、穴開けして木工用ボンドで裏貼りした。
   物質的構成:麻画布、ジェッソ、墨、パールメディウム、アクリル絵具、油絵具、和紙か障子紙。



 ◇ 第67回モダンアート展 奈良展 ◇
会期と時間:2017年7月12日(水) 午後2時〜6時 (入場は午後5時30分まで)、
          7月13日(木)〜16日(日) 午前10時〜午後6時 (入場は午後5時30分まで)、
          7月17日(月祝) 午前10時〜午後3時 (入場は午後2時30分まで)。
会場:奈良県文化会館(奈良市登大路町6-2) 奈良県庁の手前、西隣。
   近鉄奈良駅から 東改札口より、1番出口を出てそのまま東へ 徒歩約5分。
   JR奈良駅から 北東へ 徒歩約20分。
   JR奈良駅 東出口バスターミナルから奈良交通2系統 市内循環バス(外まわり)に乗車し約10分、
    「県庁前」バス停下車、西へ 徒歩約2分。
入場料:一般700円、大学生高校生350円、中学生小学生と老人は無料。