生命哲学/生物哲学/生活哲学ブログ

《生命/生物、生活》を、システム的かつ体系的に、分析し総合し統合する。射程域:哲学、美術音楽詩、政治経済社会、秘教

或る愛の詩譜

2020年02月07日 11時13分37秒 | 絵画原論(草稿)


風間 虹樹 (或る愛の詩譜) 20200207
     ほのお いのち ひめがみ


  い
  の
焔 ち 姫神


神姫の         焔焔焔           の姫神
             焔  燃えさかる水甕座の水に棲み
八百万の神々を平衡する  焔               
        時は今  焔  数多のいのちの光を    
未来の今を生きる活力を  焔           解き放つ
色彩の光たちが      焔  溢れ流れ         
       悠久滔々  焔       あまねく降り注ぎ
                             
     あらゆるいのちたちを励起しますように      
     勇気と希望と平安をもたらしますように      

「合体展」@座ギャラリー/彦根/近江鉄道 高宮駅、での演為 performance 集

2019年07月21日 23時59分54秒 | 絵画原論(草稿)
美術修行2019年7月22日(月曜)-1
絵画原論:絵画演為実例集

水垣岡本
https://www.youtube.com/user/wwakii
のYoutube チャンネルにあります。
 

/「合体展」@座ギャラリー、でのパフォーマンス一覧
https://www.youtube.com/results?search_query=%EF%BC%8F「合体展」@座ギャラリー



鏡開き~椿﨑和生(虹)/「合体展」@座ギャラリー①
https://www.youtube.com/watch?v=FqB_krtC0KQ

ハラミイシカスコ(ルパン合体)/「合体展」@座ギャラリー②
https://www.youtube.com/watch?v=ysBbRIIzQd8

松原三郎(合体チュー)/「合体展」@座ギャラリー③
https://www.youtube.com/watch?v=0Iqz3tU-HuE




山下克彦 朗読(喜谷繁暉「結婚」 )/「合体展」@座ギャラリー④
https://www.youtube.com/watch?v=8hG1zDnjjhU


山下克彦 朗読(喜谷繁暉「覚書(無一物)」)/「合体展」@座ギャラリー⑤
https://www.youtube.com/watch?v=CznuMw7mmNg

大西ショー子(服)/「合体展」@座ギャラリー⑥
https://www.youtube.com/watch?v=WO14gNCiVr0


土師清治(ロープ)/「合体展」@座ギャラリー⑦
https://www.youtube.com/watch?v=oeEG_8q48c4


椿﨑和生(人形)/「合体展」@座ギャラリー⑧
https://www.youtube.com/watch?v=pqSUTm9jJLk



こみち「いけない子」/「合体展」@座ギャラリー⑨
https://www.youtube.com/watch?v=XHS29S46o_c



風間虹樹(小ネタ集 )/「合体展」@座ギャラリー⑫
https://www.youtube.com/watch?v=CCDRHpjRqy0

 「これが、美、なり。」とか、
 「めげずに、合体。」とか、
 「光の、合体。」とか、言ってま〜す。
 「うんにゃ〜、ぽにゅ〜ン」とか、言って、ません。

美術修行2019年7月21日(日)-1:抽象絵画へ[1]

2019年07月21日 06時21分09秒 | 絵画原論(草稿)
美術修行2019年7月21日(日)-1:抽象絵画へ[1]


抽象絵画、を理解するための本5冊
→抽象絵画、を感じるための本[指南書]は、無いかなぁ。
 (い)抽象絵画は、感覚的に楽しむのも良い。
 (ろ)なぜ人間は抽象表現をするのか、様々に考察するのも楽しい。
とのこと。
 人は何をどう考えるかは、自由にできる。
 わたしは、何かを「表現」しようとして作ってはいない。
 作品はできちゃうのだ。
 作品を他者が観て、それを何らかの「表現」と観て取る、または解釈するのはその人の自由、または勝手だ。
 そのようなことが生じるのは、作品が製作されて、或るとき、どこかで、[たとえば _Homo sapiens_に 属する、]誰かが、観て考えたりするからである。
 しかし、何も考えないで、ただ感じるだけ、というのもありでしょう。それが、絵画、すなわち色彩が空間分布する(気体、液体、固体、などの状態の)物体です。
  「抽象絵画を理解するためにうってつけの5冊
一般に難しいと言われる抽象絵画。かつてポロックが「音楽を楽しむように抽象絵画を楽しむべき」と語ったように、作品を感覚的に楽しむのも良いでしょう。ですが、なぜ人間は抽象表現をするのか、様々に考察するのも楽しいものです。抽象絵画を理解するためにうってつけの5冊を紹介します。
【選者:筧菜奈子(かけい・ななこ:1986-:美術史研究)】」
https://honto.jp/booktree/detail_00009667.html
[受信:2019年7月20日(土曜)。]

☆☆☆ 文献 ☆☆☆☆



角谷巧次〈Existence〉/igu_m_art 企画展『個』展vol.2/igu_m_art イグエムアー

2019年06月23日 08時45分51秒 | 絵画原論(草稿)
角谷巧次〈Existence〉/igu_m_art 企画展『個』展vol.2/igu_m_art イグエムアート/老松通り/入場無料。



 #抽象絵画、かつ、#5面絵画。
 いわゆる幾何的な形態をまとった#色面構成だが、画布のやわらかな肌あいと絶妙の釣り合って、味わい深い。
 付記。
 抽象絵画は、#色彩の空間分布、によって、観る者または観者 viewer の視覚 vision への働きかけまたは作用 action を目的 purpose または狙い aim とする。
 この言明を、定義と言ってよければ、【目的による定義】である。
 なお、抽象絵画は、非対象絵画と同一の定義にはならない。
 たとえば、一個の三角形が「描かれた」絵画は、「わたしは三角形を対象とした。」と言い得るからである。

 #角谷巧次<#抽象絵画、#色彩の空間分布、#5面絵画、#非対象絵画、#「描く」















感性を磨くことはできないのか?

2019年06月06日 00時13分46秒 | 絵画原論(草稿)

感性を磨くことはできないのか?

1. ノエル キャロル『批評について 芸術批評の哲学』
  「批評とは、理由にもとづいた価値づけ(resoned evaluation)である!
   恣意的な深読みはなぜ悪いのか。
   作者の意図はどう関わるのか。
   客観的な批評を行〔な〕うにはどのような作業が必要なのか。
   〔略〕
   最先端の批評の哲学。」
(ノエル キャロル『批評について 芸術批評の哲学』の腰巻きまたは帯より)。
 ・分析美学

2. 椹木 野衣『感性は感動しない 美術の見方、批評の仕方』
  「岡本太郎は感性について次のように言っている。
   感性をみがくという言葉はおかしいと思うんだ。
   感性というのは、誰にでも、瞬間にわき起こるものだ。
   自分自身のいろいろな条件にぶっつけることによって、
   はじめて自分全体の中に燃えあがり、
   広がるものが感性だよ。          (『強く生きる言葉』イーストプレス、二四頁)」
(椹木野衣『感性は感動しない』、2頁)。
 椹木野衣(20180731、2頁)では、「燃えあがり、」と「広がるものが」の間で改行されているが、『強く生きる言葉』の原文では、改行されていない。
 『強く生きる言葉』は、数冊の岡本太郎の著作から抜粋され、岡本敏子さんによって編纂されたものらしい。
 引用されている文の文脈や背景を知ろうと思って検索した。岡本太郎のツイッターサイトがあって、『強く生きる言葉』からの文が掲載されている。多くの場合は、初出の本の題名が記されている。
 しかし、「感性をみがくという言葉はおかしいと思うんだ。」で始まる文には、初出本題名が記されていない。
 岡本太郎『強く生きる言葉』の177頁に、
  「本書は以下の文献より、抜粋、再編集しました。」
と書いてあり、9冊の本が列挙されている。
 間網 the Internet を検索したが、どの本の何頁からの抜粋なのかが、わからなかった。 https://bontoku.com/meigen-okamototarou
でも、「感性をみがくという言葉はおかしいと思うんだ」は、『強く生きる言葉』が出所になっている。
 岡本太郎が呟いたのを、岡本敏子さんが書き留めたものなのだろうか。巻末の「太郎のつぶやき」(???頁)には、
  「岡本太郎が普段の生活の中で、動きまわりながら、ふっと洩らす言葉。
何気なく聞き逃してしまえばそのまま消え失せて、二度と戻ってこない。〔略〕
私はくっついて歩いて、一言も聞き漏らすまいと、しょっちゅうメモをとっていた。」
とある。
 椹木野衣『感性は感動しない』は、『強く生きる言葉』を引用元としている。

3. 岡本 太郎『今日の芸術―時代を創造するものは誰か』
 一方、
  「今日の芸術は、
   うまくあってはいけない。
   きれいであってはいけない。
   ここちよくあってはいけない。」
は、岡本太郎『今日の芸術 時代を想像するものは誰か』の復刻文庫版では、98頁にある。

 
□ 文献 □
岡本 太郎.20030401?.強く生きる言葉.イーストプレス.
岡本 太郎.19990320.今日の芸術―時代を創造するものは誰か.光文社[知恵の森文庫].
椹木 野衣.20180731.感性は感動しない 美術の見方、批評の仕方.
#岡本太郎、#椹木野衣、
#今日の芸術はうまくあってはいけないきれいであってはいけないここちよくあってはいけない、
#感性をみがくという言葉はおかしい、#感性はすべての人に瞬間にわき起こる


安倍政権は、勝手な解釈ばかり

2019年04月23日 21時36分22秒 | 絵画原論(草稿)
学問修行2019年4月23日(火)-1
安倍政権は、勝手な解釈ばかり


 WTO判決「日本産食品は安全」の記載なし 政府と乖離 /朝日新聞に
 「 この紛争は、韓国が2013年、事故を起こした福島第一原発から汚染水が流出しているとして、福島など8県の水産物の禁輸対象を一部から全面に拡大したことに対し、日本がWTO協定に違反しているとして提訴した。

 紛争を処理する上級委員会が11日、韓国の禁輸を「不当な差別」とした第一審・小委員会の判断を破棄する報告書を出した。日本の事実上の逆転敗訴だが、菅義偉官房長官は12日の記者会見で「敗訴の指摘は当たらない」と強調した。理由として、上級委が日本産食品の安全性に触れていないため「日本産食品は科学的に安全であり、韓国の安全基準を十分クリアするとの一審の事実認定は維持されている」ことを挙げた。河野太郎外相もほぼ同じ発言をした。

 だが、実際には第一審の報告書には「日本産食品は科学的に安全」との記載はなかった。さらに、第一審は「日本産食品が韓国の安全基準を十分クリアする」と認定していたものの、上級委はこれを取り消していた。「食品に含まれる放射性物質の量だけに着目した第一審の判断は議論が不十分」というのが理由だ。

 「科学的に安全」と付け加えたことについて、外務省と農林水産省の担当者は「第一審の『日本産食品が国際機関より厳しい基準で出荷されている』との認定をわかりやすく言い換えた」と釈明する。だが、WTOの紛争処理に詳しい中川淳司・中央学院大教授は「日本の基準が国際基準より厳しいことと、科学的に安全かは同義ではない。苦しい説明だ」と指摘する。

 また、福永有夏(ゆか)・早大教授は「そもそも第一審で安全性の認定は行われていない」と話す。日本が訴えたのは韓国が日本産食品を差別的に扱っていることなどで、安全性自体の認定は求めなかったためという。」

絵画原論草稿1:像、画像、絵・画・図・書

2019年03月09日 23時47分01秒 | 絵画原論(草稿)
絵画原論草稿1:像、画像、絵・画・図・書
[美術修行20190309]
 カテゴリー=絵画原論(草稿)/レビュー感想—絵画(レビュー感想)
20190330追加[『画像の歴史』の3章と4章、9〜12章の目次の英語と日本語訳]
 
 絵画(たち)の英語訳として pictures を、わたしは使っている。「絵画」は、paintings の訳語であることが多い。線描絵画 drawing pictures も絵画にうちに入れれば、両者を含む語として、絵画 pictures を使うのが良い。
 May I take a picture ? でのpictureは、カメラなどを使った「写真」である。写真という訳語は意訳である。技術から言えば、光を使った graph であり、photography 光写術、光書術、または光図術によって作成した絵画である。絵画は、「写真」よりも前に出現しているのだから、「写真」(=光書または光図または光画)をpicture の訳語に専用とする所以は無い。
 さて、日本語は漢字仮名交じり文である。絵、画、図、そして書は、互いにどう違うのだろうか?。
 たとえば、漫画である。漫絵とも漫図とも言わない。『鳥獣戯画』である。「画」は、画するという意味がある。何かを画する場合、図示するならば、一本の線を引くのが手っ取り早い。
 『鳥獣戯画』と、『北斎漫画』が展開し、その描き方を継承する今日の漫画の本質は、本質的には輪郭線とその内部を面塗り painting 、または塗り絵 painting することによって個体を画面に存在させることである。放射状の多数個体の線たちによる表現も、この本質が適用される。
 いわさきちひろ さんの画も、ほぼ漫画的技法の延長とも取れる。とどのつまり、鉛筆で輪郭線を描いて(多少食み出しても)面塗りする水彩画(アクリル画も油彩画)も、漫画である。漫画と水彩絵画を分けるとすれば、描き方以外の、漫画に特徴的な吹き出しとかの表現方法とかで違いを見つけるしかない。
 高階秀爾『ニッポン現代アート』の??頁に、「絵」という字は、糸が


 さて、ホックニーとゲイフォードによる『絵画の歴史』の原書題名は「A History of Pictures」である。
 ところが、「画像(たち)」の英語も picturesである。
 そして、pictures が画像という訳語が当てられたり、painting に絵画が当てられたりする。

 目次のいくつかの章の英語と日本語訳を、下記に並べる。(英語目次は電網上にあったもので、原書は見ていない。また、章立てがずれていたりする。日本語訳書での「7 ルネサンス:自然主義と理想主義」が見当たらない。
 訳書の4頁目の「 A History of Pictures (c) 2016 Thames & Hudson, London(as in Proprietor's edition)」の、(as in Proprietor's edition)の意味がわからない。Proprietorは持ち主の意味なので、また単数形なので、もしかしてホックニーかゲイフォードのどちらかが持っていた原稿からの訳なのかもしれない。そして、出版時の原稿での章立てが変更されたのかもしれない。)

  1. Pictures, Art and History
  序章 画像、美術、そして歴史

  2. Pictures and Reality
  1 画像と現実

  3. Making Marks
  2 徴[しるし]をつける

  4. Shadows
  3 影とごまかし

  5. Picturing Space and Time
  4 時間と空間を描く

  6. Brunelleschi’s Window and Alberti’s Mirror

  7. Mirrors and Reflections
  6 鏡と映像


  7 ルネサンス:自然主義と理想主義

  8. Paper, Paint and Multiplying Pictures
  8 紙、絵具、複製される画像

  9. Painting the Stage and Staging Paintings


  10. Caravaggio and the Academy of the Lynx-Eyed


  11. Vermeer and Rembrandt: the Hand, the Lens and the Heart


  12. Truth and Beauty in the Age of Reason


  13. The Camera Before and After 1839



  14. Photography, Truth and Painting
  14 写真、真実、そして絵画

  15. Painting with and without Photograph
  15 写真を使う絵画、使わない絵画

  16. Snapshots and Moving Pictures
  16 スナップショットと動く映像

  18. The Unending History of Pictures
  18 終わりのない画像の歴史
 
  本の題名である「A History of Pictures」を、日本語訳では「絵画の歴史」としているが、最終章の「History of Pictures」は、「画像の歴史」としている。意味としては、絵画の歴史についての本ではなくて、画像の歴史についての本のようだ。題名としては、『絵画の歴史』とした方が売れるでしょうが。

 日本語として、「絵画」と「画像」は区別しなければ、議論が混乱するに違いない。

 ここでの現実とは、物質界的生活である。物質界に意識の焦点がある、つまり「覚醒」意識のときの世界での生活である。それは、「日常生活 dailey life 」とと言われるが、わたしたちの24時間のうち、およそ8時間前後は睡眠の時間である。
 夢を見ているときの逆説睡眠中の五感の意識の焦点は、アストラル界または情緒界 astral plane or emotional plane にある。夢見の無い深い睡眠中の五感の意識の焦点は、心界 mental plane にある。



画像□ 文献 □
高階 秀爾.201304??.ニッポン現代アート.?+133頁.講談社.[本体??00円+税]

デイヴィッド ホックニー & マーティン ゲイフォード.2016[木下哲夫 訳 20170301].絵画の歴史 洞窟壁画からiPadまで.〔0+〕360頁.青幻舎インターナショナル[発行]/青幻舎[発売].[本体5,500円+税][中720.2]
[David Hockney & Martin Gayford. A History of Pictures: From the Cave to the Computer Screen. ]

小熊 正久・清塚 邦彦(編著)/著者12人.20151130.画像と知覚の哲学 現象学と分析哲学からの接近.xiii+265頁.東信堂.[本体2,900円+税][中115]

西村 清和.20180420.感情の哲学 分析哲学と現象学.ix+335頁.勁草書房.[本体3,500円+税][中116]