「
芸術は市場がなくとも生き延びられるが、贈与がなければ芸術は存在しえない
という主張が、アルン スンドララジャン 2016『シェアリング・エコノミー』(門脇弘典 2016/11 訳、68頁)が、ルイス ハイドン 1983『贈与 創造性と近代世界における芸術者』を引用した部分にあった。
「市場経済と贈与経済という二通りの〝経済〟には、どちらも芸術作品が存在する。しかし、欠かせない片方だけだ。芸術は市場がなくとも生き延びられるが、贈与がなければ芸術は存在しえない(33)」
贈与がなくても芸術は存在し得る、と思うんだけど、どうなのだろう?。
つまり、たとえば絵画を無料で展覧に供するという場合は、贈与なんだろうか?。
見たり聴いたり触わったりで成り立つ芸術作品の場合、そうしても無くなってしまうわけではない。消費されない。味覚的芸術作品は多くの場合、人の口の中に入って消化系で分解されて、作品としては無くなる。(触わられると、芸術作品としてではないが、たとえば淡路島でどこだったかで、ふるさと創生の予算で3億円だったかの金塊を展覧していたが、多くの人が触ったため、あるいは爪を立ててこすりとったのかな?と思うような傷跡があったし、凹んでいた。ところで、獣たちの踏み跡でできる、(松本清張の長編小説の「けものみち」ではなくて、森林中に実在し得る)獣道は、動物たちの協働的彫刻的絵画作品である。)
なので、たとえば絵画物体は、贈らなくとも、見せればよい。または手元においてときおり眺めたいならば、一定期間、無料または有料で貸すという手もある。
また、無料の展覧会を催すという手がある。商業画廊も貸画廊も多くは、無料で展覧会を催している。しかしその開催経費を負担しているのは、作品を購入する人だったり、芸術活動者かその公的または私的支援者だったりする。
芸術作品は無くならないと述べたが、精確に言えば、物体の状態や性質に応じて、様々である。固体状態の物体はだいたいは、すぐには大きくは無くなりはしない。
[【脱線】けれども、液体作品の場合は、蒸発して消散するのもある。またたとえばナフタリンの固体物体とかは、室温で昇華して気体になるのもある。
実際上、人の肉眼視覚では気体は見えない。なお、霧,煙,ミスト,スモッグといった、「化学上は、分散相が固体または液体またはその両方であり、連続相が気体(通常は空気)であるゾルであると定義され」るエアロゾルとかは、人の肉眼で認知できる。]
もっとも、絵具といった構成要素が、地球重力で下に落ちていく過程も作品のうち、という作品もある(例。大阪市立近代美術館(仮称)心斎橋展示室での展示作品。作者名および絵画題名は失念。)。
絵画(静止映画とも受け取れる。とくに光絵画は。)を無料で見せることも、贈与とみなせるかも。楽しんでもらえたら、その楽しみの内容が贈与だと言いなすことは可能だ。
ところで、皆が文化的生活ができるように、みんなに金銭または物資を政府が支給するならば、全員が安心してそれぞれの幸福を求めることができるだろう。
文献
(33)=「Lewis Hyde, The Gift: Creativity and the Artist in the Modern World, 25th anniversary edition (New York: Vintage, 1983, xvi.(『ギフト――エロスの交易』ルイス・ハイド、井上美沙子、林ひろみ訳、法政大学出版会、2002年)」[スンドララジャン 2016、386頁])」
アルン スンドララジャン 2016(門脇弘典 2016/11/21 訳).シェアリング・エコノミー Airbnb、Uberに続くユーザー主導の新ビジネスの全貌.390pp.日経BP社.[本体2000円+税][大阪市立中央図書館675]
ハイド,ルイス.????(井上美沙子・林ひろみ 訳 2002/2).ギフト エロスの交易.法政大学出版会.[ord701]
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