2010年6月2日-1
ニッチ構築の定義2
2.2.3節は、ニッチ建設の一つの定義と題されている。p.41(邦訳では34-35頁)に、その定義と著者が称するものがある。
"_Niche construction_ occurs when an organism modifies the feature-factor relationship between itself and its environment by actively changing one or more of the factors in its environment, either by physically perturbing factors at its current location in space and time, or by relocating to a different space-time address, thereby exposing itself to different factors." (Odling-Smee et al. 2003: 41)。
「ニッチ建設〔建造、構築〕は、
一個の生物体が、
[時間と空間におけるその現在の位置での諸要因を物理的に乱すこと]か、
あるいは、
[異なる時間-空間の住所に再位置することでそれ自身を異なる諸要因にさらすこと]によって、
[その環境における諸要因の一つ以上を能動的に変えること]により、
それ自身とその環境のあいだの特徴-要因関係性を修正するとき、
生じる。」(20100602試訳)
〔訳書では、one or more of the factors を「一つまたは複数の因子」(35頁)と訳したようだ。ところで、more thanやafterは境界値を含まない。例えば、「before 2000、after 1999」を、「2000年以前、1999年以後」と訳すと、両者の連言として1999年と2000年の2年分があることになる。一日単位で具体化すると、before 2000は1999年12月31日以前で、after 1999は2000年1月1日以後である。両者の連言の日は1日も無い。〕
著者はp.41での註で、constructionは、「物理的空間における淘汰的環境または実際の運動の物理的修正を指す」と言っているから、まぎれのないようにするには、(社会構築主義というように使われる)構築ではなく、ニッチ建設とかニッチ建造と訳するのがよいだろう。しかし、魅惑的に響くのは、ニッチ構築のほうだろう。
この定義からすると、ニッチを建設する者は、生物体であり、1生物体であっても可能であると考えているようだ。その場合、1生物体についても、そのニッチというものが定義されることになる。実際、著者は、qaulification (i) で、「ニッチ建設は、典型的には個々の生物体によって表現される」と述べている。え?、今度は、ニッチ建設とは生物体が行なう表現expressionなのか。生物体形質の表現だと言うことか?
さて、この文は、<Aは、bがcをするとき、起きる>と述べる形式である。<Aとは、bがcをするとき、そしてそのときに限る>という体裁ではない。そこで、体裁を変更すると、
「ニッチ建設は、一個の生物体が、それ自身とその環境のあいだの特徴-要因関係性を修正するとき、そのときに限り、生じるものである。」
すると、そのときに生じたものはすべて、ニッチ建設と呼ぶことになる。しかし、「により」は定義に使われる限定だろう。<生物体の環境における一つ以上の諸要因を能動的に変えることにより>という限定である。能動的に変える、というところが味噌ということか。
この変え方に、さらに限定がついている。現在位置で要因を物理的に乱すという方法によるか、あるいは生物体自身が存在位置を変えること(たとえば移動)で異なる環境要因にさらされるという方法によるか、である。
で、qualification (i)では、「しかし自然淘汰は、個体群内で働くoperate 一つのプロセスである」、とある。個体群とは、われわれが脳内に構築する構築体である。したがって、自然淘汰という構築体を働かせているのは、人である。むろん、プロセスも構築体である。単位的存在者を繋いでいるのは、人の思考によっている。→プロセスという語の定義の問題(後述)。
註。個体群という語によって人は、生物体のなんらかの収集体を指している。通常、同一種に属する生物体を指しているが、その場合には、われわれの思考上で、様々な種に属する生物体たちから、種同定をして(したがって、種カテゴリーが先立つ)、一つの種に属する生物体たちだけを取り出している(現実像から抽象と捨象をしている)。たとえば、洞爺湖の或る島内でのCervus nipponという種タクソンに属する生物体を、一つの個体群と称している。シカ生物体は泳いだりするから、個体群の空間的境界、あるいは生殖という関係をどれどれが結ぶかという生物体どうしの関係によって生物体たちを(排他的に)分類するのは原理的に不可能である。境界はエイヤッと脳体操的に切断するか、野外で方形区をこちらで切って、移動などの出入りのつじつまを合わせておけばよい。自然なまとまりとは、あるとすれば、<種>しか無い。
系列lineage(狭義)や系統phylogenyは、個体群よりもさらに、構築的である。
ニッチ構築の定義2
2.2.3節は、ニッチ建設の一つの定義と題されている。p.41(邦訳では34-35頁)に、その定義と著者が称するものがある。
"_Niche construction_ occurs when an organism modifies the feature-factor relationship between itself and its environment by actively changing one or more of the factors in its environment, either by physically perturbing factors at its current location in space and time, or by relocating to a different space-time address, thereby exposing itself to different factors." (Odling-Smee et al. 2003: 41)。
「ニッチ建設〔建造、構築〕は、
一個の生物体が、
[時間と空間におけるその現在の位置での諸要因を物理的に乱すこと]か、
あるいは、
[異なる時間-空間の住所に再位置することでそれ自身を異なる諸要因にさらすこと]によって、
[その環境における諸要因の一つ以上を能動的に変えること]により、
それ自身とその環境のあいだの特徴-要因関係性を修正するとき、
生じる。」(20100602試訳)
〔訳書では、one or more of the factors を「一つまたは複数の因子」(35頁)と訳したようだ。ところで、more thanやafterは境界値を含まない。例えば、「before 2000、after 1999」を、「2000年以前、1999年以後」と訳すと、両者の連言として1999年と2000年の2年分があることになる。一日単位で具体化すると、before 2000は1999年12月31日以前で、after 1999は2000年1月1日以後である。両者の連言の日は1日も無い。〕
著者はp.41での註で、constructionは、「物理的空間における淘汰的環境または実際の運動の物理的修正を指す」と言っているから、まぎれのないようにするには、(社会構築主義というように使われる)構築ではなく、ニッチ建設とかニッチ建造と訳するのがよいだろう。しかし、魅惑的に響くのは、ニッチ構築のほうだろう。
この定義からすると、ニッチを建設する者は、生物体であり、1生物体であっても可能であると考えているようだ。その場合、1生物体についても、そのニッチというものが定義されることになる。実際、著者は、qaulification (i) で、「ニッチ建設は、典型的には個々の生物体によって表現される」と述べている。え?、今度は、ニッチ建設とは生物体が行なう表現expressionなのか。生物体形質の表現だと言うことか?
さて、この文は、<Aは、bがcをするとき、起きる>と述べる形式である。<Aとは、bがcをするとき、そしてそのときに限る>という体裁ではない。そこで、体裁を変更すると、
「ニッチ建設は、一個の生物体が、それ自身とその環境のあいだの特徴-要因関係性を修正するとき、そのときに限り、生じるものである。」
すると、そのときに生じたものはすべて、ニッチ建設と呼ぶことになる。しかし、「により」は定義に使われる限定だろう。<生物体の環境における一つ以上の諸要因を能動的に変えることにより>という限定である。能動的に変える、というところが味噌ということか。
この変え方に、さらに限定がついている。現在位置で要因を物理的に乱すという方法によるか、あるいは生物体自身が存在位置を変えること(たとえば移動)で異なる環境要因にさらされるという方法によるか、である。
で、qualification (i)では、「しかし自然淘汰は、個体群内で働くoperate 一つのプロセスである」、とある。個体群とは、われわれが脳内に構築する構築体である。したがって、自然淘汰という構築体を働かせているのは、人である。むろん、プロセスも構築体である。単位的存在者を繋いでいるのは、人の思考によっている。→プロセスという語の定義の問題(後述)。
註。個体群という語によって人は、生物体のなんらかの収集体を指している。通常、同一種に属する生物体を指しているが、その場合には、われわれの思考上で、様々な種に属する生物体たちから、種同定をして(したがって、種カテゴリーが先立つ)、一つの種に属する生物体たちだけを取り出している(現実像から抽象と捨象をしている)。たとえば、洞爺湖の或る島内でのCervus nipponという種タクソンに属する生物体を、一つの個体群と称している。シカ生物体は泳いだりするから、個体群の空間的境界、あるいは生殖という関係をどれどれが結ぶかという生物体どうしの関係によって生物体たちを(排他的に)分類するのは原理的に不可能である。境界はエイヤッと脳体操的に切断するか、野外で方形区をこちらで切って、移動などの出入りのつじつまを合わせておけばよい。自然なまとまりとは、あるとすれば、<種>しか無い。
系列lineage(狭義)や系統phylogenyは、個体群よりもさらに、構築的である。