生命哲学/生物哲学/生活哲学ブログ

《生命/生物、生活》を、システム的かつ体系的に、分析し総合し統合する。射程域:哲学、美術音楽詩、政治経済社会、秘教

生命論文献20151120

2015年11月20日 23時53分37秒 | 生命論
2015年11月20日-1
生命論文献20151120

[お]
澤瀉久敬.1976/10/25.哲学から見た生命.『教養講座 ライフサイエンス 24 生命観―生と死』: 69-102.[z19841016][Rh19841119]

[こ]
小林睦.2008/6.ハイデガーと生物学 ─機械論・生気論・進化論─.アルテス リベラレス(岩手大学人文社会科学部紀要)(82): 1頁~16頁.
[http://ir.iwate-u.ac.jp/dspace/bitstream/10140/1890/1/al-no82p1-16.pdf(受信:2015年11月22日)]

[な]
永井博.1976/10/25.哲学的生命観の基本問題.『教養講座 ライフサイエンス 24 生命観―生と死』: 103-126.[z19841016][Rh19841119]

[や]
矢倉英隆.2010/6.ポール・ジョゼフ・バルテ、あるいは生気論のモンペリエ (2010-06-28).[http://georges-canguilhem.blogspot.jp/2010/06/paul-joseph-barthez-et-le-vitalisme.html(受信:2015年11月22日)]

[わ]
渡辺慧.1976/10/25.生命と非生命――物理学・情報学から見て――.『教養講座 ライフサイエンス 24 生命観―生と死』: 47-67.共立出版.[z19841016][Rh19841016]

渡辺慧.1978.認識とパタン.v+191+5pp.岩波書店.[380円]

渡辺慧.1980.生命と自由.vi+198+6pp.岩波書店,岩波新書122.[380円]

渡辺慧.1989/6.序 いま「生命」とは.宇沢弘文・藤沢令夫・河合隼雄・渡辺慧(編),『岩波講座 転換期における人間1 生命とは』: 1-29.[B19890802]

渡辺慧ほか.1989.岩波講座 転換期における人間1:生命とは.v+333pp.岩波書店.[B19890802][二冊目、B19950114、y1,500*]



===

 生気論文献20150720
http://blog.goo.ne.jp/1trinity7/e/519864d62ee7ac3c1a67c854e70913a5

 2012年8月30日-3
 エンテレキーは情報か?
http://blog.goo.ne.jp/1trinity7/e/35f75ac3f20753bfc1a7930c8e56d57c

 2014年3月27日-4
 タクソンと家族的類似性
http://blog.goo.ne.jp/1trinity7/e/65889b38576c4417ad8bc02091688321

 2011年1月1日-1
 生命とは何か
http://blog.goo.ne.jp/1trinity7/e/94e39877d95b828d3ebb05e8d19a7473

 2010年6月11日-1
 形質と述語と発生システム的性質1(「醜い家鴨の仔」の狼藉って、何?)
http://blog.goo.ne.jp/1trinity7/e/27b7dd624acfa88c4f5f473abd31bc0c


読書録20150923:経済学、一元論、ヘッケル

2015年09月23日 15時38分19秒 | 生命論
2015年9月23日-1
読書録20150923:経済学、一元論、ヘッケル

桑田学.2014/7/10.経済的思考の転回 世紀転換期の統治と科学をめぐる知の系譜.6+277+35pp.以文社.[本体3,000円+税][B20150912、3,240円]

27頁。
オストヴァルトのエネルギー一元論、
マッハの感性的要素一元論、
ヘッケルの一元論。

「ヘッケルの一元論もまた世界=自然を、精神/物質、無生物/生物と言った二つの要素の対立ではなく、物理的化学的な法則に支配されたものとして統一的に理解しようとする考え方(世界観の統一)である。」
(桑田学 2014/7: 28頁)。

脳死とは/ウイルスは生きものか

2014年07月30日 17時16分44秒 | 生命論
2014年7月30日-3
脳死とは/ウイルスは生きものか

  「両者〔「呼吸を行う能力の不可逆的な喪失(したがって心拍能力の喪失も)」と「意識喪失」の二者だろう〕は、基本的な脳幹の機能であり、たまたまこの二つは脳幹の両端の機能を表している。」
(武下浩・又吉康俊 2011/8: 247頁)。


  「英国では、過去に脳死判定に関してメディア最大の誤った放送が行なわれたことがあり、「パノラマ事件」として有名である。イギリスBBC放送のテレビ番組「パノラマ」で1980年10月13日に放送されたもので、脳死と判定された後に意識を回復した例が紹介されたが、除外すべき上で筋弛緩薬の使用を防止処理として取り上げていたことが判明し、最終的に中断したが撤回し、全面謝罪で落ち着いた。」
(武下浩・又吉康俊 2011/8: 247頁)。


  「少なくとも日本を含めて国際的に発表されている脳死判定基準に則って施行されれば、脳死の判定は確実に施行しうる。したがって、「脳死からの奇跡の生還」に類似した記述を今後行なう場合は、しっかりとした検証が必須である。ちなみに英国基準は30年以上にわたって改正されておらず、日本でも米国でも30年近く判定基準は変わっていないが、もしの報告例は1件もない。」
(武下浩・又吉康俊 2011/8: 248頁)。

☆☆☆☆☆☆☆

  「ウィルスは生物かという問いかけが、福岡伸一氏の著作『生物と無生物のあいだ』(講談社現代新書)の中にある。ウィルスは、栄養を摂取することもなく、呼吸もしない、もちろん二酸化炭素を出すこともなく老廃物を排出することもない。つまり、一切の代謝を行なっていない。(無生物でない根拠は自己複製機能のみ。)」
(武下浩・又吉康俊 2011/8: 248頁)。

 栄養物質ではなく、植物のように光エネルギーを取り入れればよい。光合成には他に様々な物体が必要だが、それらもエネルギーの或る状態と見なし得る。
 ウイルスは、寄主のシステム(このシステムの作動には、たとえばATPを介したエネルギー供給が必要である)を借りているが、真核生物体でも寄生性のものはいる。


  「ウイルスは様々な点で一般的な生物と大きく異なる。

  1. ウイルスは非細胞性で細胞質などは持たない。基本的にはタンパク質と核酸からなる粒子である。(→ウイルスの構造)
  2. 大部分の生物は細胞内部にDNAとRNAの両方の核酸が存在するが、ウイルス粒子内には基本的にどちらか片方だけしかない。
  3. 他のほとんどの生物の細胞は2nで指数関数的に増殖するのに対し、ウイルスは一段階増殖する。またウイルス粒子が見かけ上消えてしまう暗黒期が存在する。
  4. ウイルスは単独では増殖できない。他の生物の細胞に寄生したときのみ増殖できる。
  5. ウイルスは自分自身でエネルギーを産生しない。宿主細胞の作るエネルギーを利用する。

 なお4の特徴はウイルスだけに見られるものではなく、リケッチアやクラミジア、ファイトプラズマなど一部の真正細菌や真核生物にも同様の特徴を示すものがある。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/ウイルス

 ウイルスはATP合成も蛋白質合成もしない(できない)というのは、細胞膜または細胞壁といったものを持たないことの結果であろう。

 では、大腸菌はファージに寄生されると、構造は解体する。その前に大腸菌のなかで産生されるもの(ウィルス物体)は、大腸菌ではない。大腸菌とは異なる種類の、なんらかの生きているシステムまたは生きていないシステムが作動したと考える(システム的捉え方)。

 ウイルスの活動は、「自己」複製だけだとしよう。
 たとえば大腸菌の細胞システムの力、「複製」結果となるように順序が定まったいくつかの分子的反応が遂行されるように、一定の種類の原子や分子などが適切に空間配置され(空間構造化)、そのことで、形態的に境界を持つ」物体の外部に存在する他者のシステムとエネルギーを利用する。
 要は、「複製」のための材料と機構を他者に依存していて、寄生の機会も成り行き任せであろうとも、《自律的》に利用していると言えなくもない。

  〈ウイルス粒子が見かけ上消えてしまう暗黒期が存在する〉とは、何だろうか?

  「暗黒期においてはウイルス粒子は脱殻を行い、ウイルスタンパク質や核酸の合成を行なう。子孫ウイルスの出現により再びウイルス粒子の検出が可能となる。感染後に子孫ウイルスが細胞外に放出されるまでの期間を潜伏期と呼び、細胞膜表面で成熟して放出されるウイルスの暗黒期は潜伏期と一致する。分裂により増殖する生物ではその形態が観察できなくなる期間はなく、暗黒期の存在はウイルスをリケッチアやクラミジアと分ける大きな特徴である。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/暗黒期
 
 ここでの検出とはいかなる方法のものか?。「検出不可能」の基準は?。「形態が観察できなくなる」とは、電子顕微鏡でもできないということか?。解像度を挙げれば、見えるのか? あるいは、ウイルスのDNA鎖またはRNA鎖が、鎖として検出できないのか?。つまり、複製元のDNA鎖もバラバラになる??

  「ウイルスは基本的にタンパク質と核酸からなる粒子であるため、ウイルスの複製(増殖)のためには少なくとも
  1. タンパク質の合成
  2. ウイルス核酸の複製
  3. 1. 2.〔→1と2〕を行〔な〕うために必要な、材料の調達とエネルギーの産生
が必要である。しかしほとんどのウイルスは、1や3を行うのに必要な酵素の遺伝情報を持たず、宿主細胞の持つタンパク合成機構や代謝、エネルギーを利用して、自分自身の複製を行〔な〕う。ウイルス遺伝子には自分の遺伝子(しばしば宿主と大きく異なる)を複製するための酵素の他、宿主細胞に吸着・侵入したり、あるいは宿主の持つ免疫機構から逃れるための酵素などがコードされている。
〔略〕
 ウイルスは1つの粒子が、感染した宿主細胞内で一気に数を増やして放出(一段階増殖)する。また感染したウイルスは細胞内で一度分解されるため、見かけ上ウイルス粒子の存在しない期間(暗黒期)がある。
ウイルスの増殖は以下のようなステップで行〔な〕われる。

 細胞表面への吸着 → 細胞内への侵入 → 脱殻(だっかく) → 部品の合成 → 部品の集合 → 感染細胞からの放出」
http://ja.wikipedia.org/wiki/ウイルス

 「感染したウイルスは細胞内で一度分解されるため、見かけ上ウイルス粒子の存在しない期間(暗黒期)がある。」と、〈分解されるため、見かけ上〉存在しないとは、解像度の問題なのか。そうだとして、では、どうやって、ウイルス体は元と同一の構造体を作れるのか?。部品の集合は、「自然と」起きるのか?。放出は、分解酵素が作用して?

 「ウイルス遺伝子には自分の遺伝子(しばしば宿主と大きく異なる)を複製するための酵素の他、宿主細胞に吸着・侵入したり、あるいは宿主の持つ免疫機構から逃れるための酵素などがコードされている。」
の詳細を知りたいところ。

  「メガウイルスなど細菌に非常に近い構造を持つウイルスの発見により、少なくとも一部のウイルスは遺伝子の大部分を捨て去り寄生に特化した生物の一群であることが強く示唆されている。また、レトロウイルスとトランスポゾンの類似性は、これまた少なくとも一部のウイルスは機能性核酸が独立・進化したものである可能性を強く示唆している。つまり、「ウイルス」として纏められている物は多元的であり、人為分類群である可能性が非常に高い。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/ウイルス

◇ 文献 ◇
武下浩・又吉康俊.2011/8/9.解説「脳死」.XI+249+13pp.悠飛社.[本体1,800円+税][ob490.154]

ウィキペディア[日本語版].ウイルス.http://ja.wikipedia.org/wiki/ウイルス.[受信:2014年7月30日。]

ウィキペディア[日本語版].暗黒期.http://ja.wikipedia.org/wiki/暗黒期[受信:2014年7月30日。]

文献:発生学、多能性細胞

2014年04月29日 20時01分52秒 | 生命論
2014年4月29日-1
文献:発生学、多能性細胞

[あ]
〔行方不明中〕浅島誠.1998.発生のしくみが見えてきた.xi+149pp.岩波書店.[B20000516、1,900円]

浅島誠・駒崎伸二.2000.分子発生生物学:動物のボディープラン.vii+131pp.裳華房.[2,300円+税][B20020117]

[お]
小畑峰太郎+本誌取材班.2014/3/18.STAP細胞に群がる悪いやつら:小保方晴子と理研「捏造の構図」.新潮45 (384)〔2014年4月号〕: 118-126.[おばた?、こはた?]

帯刀益夫・杉本正信.2009/11/6.細胞寿命を乗り越える:ES細胞・iPS細胞、その先へ.vii+118pp.岩波書店[岩波科学ライブラリー 164].[1,200円+税][B20140421、200+257=457円amz]

[キ]
キャロル,ショーン・B.2005(渡辺政隆・経塚淳子 訳 2007/4/30).シマウマの縞 蝶の模様:エボデボ革命が解き明かす生物デザインの起源.18 plates + 405pp.光文社.[2,300円+税][B20070501]

[こ]
コリンズ,H. + T. ピンチ.1994(福岡伸一 訳 1997/2/10).七つの科学事件ファイル:科学論争の顛末.[7+]229pp.化学同人.[1,800円+税][B19970217][Harry Collins and Trevor Pinch. The Golem: What Everyone Should Know about Science. ]

近藤正高.2014年3月11日 10時00分 (2014年3月14日 09時47分 更新).小保方晴子「涙の電話」のその後。STAP細胞捏造疑惑の背景を考える.http://www.excite.co.jp/News/reviewbook/20140311/E1394498961546.html /http://www.excite.co.jp/News/reviewbook/20140311/E1394498961546.html?_p=2/.(受信:2014年3月23日。)

[た]
立花隆.2000/6/10.人体再生.238pp.中央公論新社.[2,200円+税][B20001004]

[つ]
塚崎朝子.2013/11/26.iPS細胞はいつ患者に届くのか:再生医療のフロンティア.120pp.岩波書店[岩波科学ライブラリー].[1,200+税=1,260円][B20140124][20140211読書中]

[と]
ド・デュ-ヴ,クリスティアン.2005(中村桂子 完訳,サイト編集室(斉藤英裕・門間桃代)訳,2007/1).進化の特異事象:あなたが生まれるまでに通った関所.xvi+254pp.一灯舎/オ-ム社.[2,400円+税][B20080827、2,520円]

[な]
長船健二.2014/3/15.もっとよくわかる!幹細胞と再生医療[実験医学別冊].173pp.羊土社.[3,800+税=4,104円][B20140428、4,104円][おさふね けんじ][STAP細胞に触れているが、内容の検討は無し]

[ほ]
本多久夫.2010.5.形の生物学.372pp.日本放送出版協会.[1,470円][B20100707]

[む]
ムーア,D.S. 2001(池田清彦・池田清美 訳 2002/?/?).遺伝子神話の崩壊.477pp.徳間書店.[B20070712, y2,310]

[や]
八代嘉美.2008/7/15.iPS細胞:世紀の発見が医療を変える.206pp.平凡社.[660+税][B20081007、693円][Rh20081019]

[よ]
米本昌平.1997/11/20.クローン羊の衝撃.62pp.岩波書店.[440円+税][B20000317]

[ら]
ライス,マイケル/ストローハン,ロジャー.1996(白楽ロックビル訳,1999/5/20).生物改造時代がくる:遺伝子組換え食品・クローン動物とどう向きあうか.ix+258pp.共立出版.[2,800円+税][B000317]

[る]
ルドアラン,ニコル.2000(仲村春和・勝部憲一 監訳,2012/1/27).キメラ・クローン・遺伝子:生命の発生・進化をめぐる研究の歴史.435pp.西村書店.[3,800円+税][B20121218]

[わ]
若山照彦[聞き手:緑慎也].2014/3/10.STAP細胞捏造疑惑に答える 小保方さんがかけてきた涙の電話.文藝春秋 92(5)〔2014年4月号〕: 176-183.

渡辺憲二.2001/7/2.プラナリアの再生と幹細胞.遺伝 (別冊 13号): 14-22.

[R]
Robert, J.S. 2004. Embryology, Epigenesis, and Evolution. xvi+158pp. Cambridge University Press.

[W]
Wolpert, Lewis[ウォルパート,ルイス].2011(野地澄晴・大内淑代 訳,2013.7).発生生物学.v+181pp.丸善出版[サイエンス・パレット(新書)].[1,000円+税][B20140124]



妊娠・誕生・霊、人の誕生とその後/アグニ ヨガの教えから

2014年04月27日 13時57分43秒 | 生命論
2014年4月27日-1
妊娠・誕生・霊、人の誕生とその後/アグニ ヨガの教えから

 人は産まれ、発育成長し、老い、そして死ぬ。
 アグニ ヨガの教えのなかで、人の生誕とその後の過程について、霊が肉体を把握(制御)していくあたりに言及しているところは、たとえば次の通りである。

  「受胎の瞬間から霊は胚に結びついている。最初の神経や脳管が形成される四か月目には霊が胚に入ってくる。脊柱の形成に当たって、霊が肉体をわがものにする過程である次の段階が出来る〔?〕。霊の意識が明るく燃え上がり物質の流れに入る出産の瞬間は本当にすばらしい。生まれたての赤ちゃんが言葉を言うことさえもある。子供の七年目に霊は最終的に肉体をわがものにする。」(ヘレナ・レーリッヒ Helena Roerich、アグニ ヨガ Agni Yoga の教え。〔田中美恵子訳?〕。至上我の光 (513): 19、1998.3)。

  「飢えているものが食べ物へと駆り立てられるように、霊は肉体化身へと駆り立てられる。物質だけが新しい刺激を与えるからです。」(ヘレナ・レーリッヒ、アグニ ヨガの教え〔田中美恵子訳?〕。至上我の光 (513): 19、1998.3)。




ES細胞、iPS細胞、STAP細胞、Muse(MuSE?)細胞、再生医療、人クローン体

2014年04月23日 15時15分30秒 | 生命論
2014年4月23日-1
ES細胞、iPS細胞、STAP細胞、Muse(MuSE?)細胞、再生医療、人クローン体


□ 文献 □
 反田篤志2014年04月20日 04:36
 STAP論文問題における正しい設問設定とは?
http://blogos.com/article/84837/[受信:2014年4月23日。]



Craver, Carl F. 2001/3. Role functions, mechanisms, and hierarchy. Philosophy of Science, 68: 53-74.

Fagan, Melinda Bonnie. 2013/12. The stem cell uncertainty principle. Philosophy of Science, 80: 945-957.

Garson, Justin. 2012. Broken mechanisms: Function, pathology, and natural selection. In: [2012] Philosophy of Science Assoc. 23rd Biennial Mtg (San Diego, CA) > PSA 2012 Contributed Papers.[http://philsci-archive.pitt.edu/9422/]

Garson, Justin. 2013/7. The functional sense of mechanism. Philosophy of Science, 80: 317-333

Lawrence, H. Jeffrey. 2004/8. Stem cells and the Heisenberg uncertainty principle. Blood, 104: 597-598.[http://bloodjournal.hematologylibrary.org/content/104/3/597.full.pdf(受信:2014年4月23日。)]

Sheredos, Benjamin, Daniel Burnston, Adele Abrahamsen, & William Bechtel. 2013/12. Why do biologists use so many diagrams? Philosophy of Science, 80: 931-944.



機構の定義と線図的図解 definition of mechanism and denotation of mechanism by diagram etc

2014年03月28日 14時17分23秒 | 生命論
2014年3月28日-4
機構の定義と線図的図解 definition of mechanism and denotation of mechanism by diagram etc

1. 機構的説明 mechanis_m_ic explanation

 物体産出や機能をもたらすもの、それを(さしあたって)機構または仕組み mechanism と呼ぼう。

 線図 diagramなどで図解すると、そのシステムの本質が見て取れるように表示できる。
  1. 構成要素の枚挙
   その図で示される作用者または反作用者たち actors or reactors〔agents〕または諸関係だけが、或るシステムの或る機構に関与する(と推定されると主張している)。
  2.

 
□ 文献 □
Bechtel, W. 2006. Discovering Cell Mechanisms: the Creation of Modern Cell Biology. xii+323pp. Cambridge University Press. [B20081105]

Bechtel, William. 2011/10. Mechanism and biological explanation. Philosophy of Science 78: 533?557.

Bechtel, William. 2007. Biological mechanisms: organized to maintain autonomy. F.C. Boogerd, F.J. Bruggeman, J.-H.S. Hofmeyr and H.V. Westerhoff (Eds.), "Systems Biology": 269-302. Elsevier.
[http://mechanism.ucsd.edu/research/bechtel.biologicalmechanismsorganization.pdf[受信:2014年3月28日]]

Bechtel, W. and Abrahamsen, A. 2005. Explanation: A mechanist alternative. Studies in History and Philosophy of Biological and Biomedical Sciences 36: 421?441.

Fagan, Melinda Bonnie. 2012/12. The joint account of mechanistic explanation. Philosophy of Science 79(4): 448-472.

Fagan, Melinda Bonnie. 2013/12. The stem cell uncertainty principle. Philosophy of Science 80(5): 945-957.

Gebharter, Alexander. 2014/1. A formal framework for representing mechanisms? Philosophy of Science 81(1): 138-153.

Machamer, P., Darden, L., and Craver, C. 2000. Thinking about mechanisms. Philosophy of Science 67: 1?25.

Nicholson, Daniel. 2012. The concept of mechanism in biology. Studies in History and Philosophy of Biological and Biomedical Sciences, 43: 152-163.

Rosenberg, A. 1978. The supervenience of biological concepts. Philosophy of Science 45: 368?386.

Rosenberg, A. 1985. The Structure of Biological Science. xi+281pp. Cambridge University Press. [B19870804, 3580円/紀伊國屋書店-新宿]

Rosenberg, A. 1994. Instrumental Biology or the Disunity of Science. x+193pp. University of Chicago Press. [B19990803, $38.00+59.75/5]

Rosenberg, A. 1997. Reductionism redux: computing the embryo”, Biology and Philosophy 12:445?470.

Rosenberg, A. 2006. Darwinian Reductionism: or, How to Stop Worrying and Love Molecular Biology. University of Chicago Press. [B20??????]

Rosenberg, A. & McShea, D.W. 2008. Philosophy of Biology: A Contemporary Introduction. xii+241pp. Routledge. [B20080424, y4023]

 Stanford Encyclopedia of Philosophy:Reductionism in Biology
http://plato.stanford.edu/entries/reduction-biology/
[受信:2014年3月28日]

 2013年8月21日-2 生命論資料 2013-002
http://pub.ne.jp/1trinity7/?entry_id=5014847 

 2012年8月11日-1 創発と還元主義
http://pub.ne.jp/1trinity7/?entry_id=4471491

 2012年7月17日-14 生物学における還元主義
http://pub.ne.jp/1trinity7/?entry_id=4432764

 2013年4月10日-5 タクソン学の基礎:本質主義と進化的思考

---
Akins, Kathleen A. and Hahn, Martin. 2014. More than mere colouring: the role of spectral information in human vision. Brit. J. Phil. Sci. 65: 125?171.

 
=== Encyclopædia Britannica
reductionism, in philosophy, a view that asserts that entities of a given kind are collections or combinations of entities of a simpler or more basic kind or that expressions denoting such entities are definable in terms of expressions denoting the more basic entities. Thus, the ideas that physical bodies are collections of atoms or that thoughts are combinations of sense impressions are forms of reductionism.

Two very general forms of reductionism have been held by philosophers in the 20th century: (1) Logical positivists have maintained that expressions referring to existing things or to states of affairs are definable in terms ... (100 of 288 words)


エルンスト ヘッケル Ernst Haeckel の日本語文献一覧

2014年03月28日 12時55分21秒 | 生命論
2014年3月28日-3
エルンスト ヘッケル Ernst Haeckel の日本語文献一覧

ヘッケル,E.1892(石井友幸訳 1944).自然創造史 上.360+7pp.晴南社.[5.80円][Haeckel, E.][B19??]

ヘッケル,E.1904(後藤格次 訳 1928).生命の不可思議 上.228pp.岩波文庫.[450円][Haeckel, E.][B19??]


ヘッケル,E.1904(後藤格次 訳 1928).生命の不可思議 下.548pp.岩波文庫.[500円][Haeckel, E.][B19??]

八杉竜一.進化論の歴史.

 「The Secret Doctrine. Index and Bibliography」(The Theosophical Publishing House 1979)のpp.143-144に、「HAECKEL, Ernst (1834-1919)」の索引がある。


八杉龍一『生命論と進化思想』より

2014年03月28日 12時53分55秒 | 生命論
2014年3月28日-2
八杉龍一『生命論と進化思想』より


 丘英通『生物学概論』を三十数年前に読んだとき、「概論」とは何かが定義してあって、感心した。

  「第三章 二〇世紀の生物学と生命論

 戸坂潤「生物学論」、丘英通「生物学概論」がそれぞれ、岩波講座『生物学』の一冊としてでたの
は、一九三〇?三一年であった。〔略〕戸坂の著作〔略〕では、生命論にかんして
ドリーシュから問題が引きだされており、そしてカントによる合目的性の吟味が議論の一支柱として重要な役割をしている。〔略〕
丘においてもドリーシュ、カント(目的論にかんし)の見解が紹介
されており、それらが当時の生命論における重要な重大なポイントであったことを示している。丘ではまた、
二〇世紀前半の生命観の一特質である全体論的観念、ならびに生体論(有機体論)の立場が説かれている。
 現在では、生命論の議論をドリーシュから出発することは、あったとしても僅かであろう。実験発
生学の研究ははるかに進んで、ドリーシュの立論の根拠とされた実験的結果は、それにとくに哲学的
解釈を与えねばならない、あるいはそれに価するとは、考えられなくなった。(2)
    〔64頁〕(2)〔略〕かれによればエンテレヒーという超自然的な
          原理が生物を全体的な調和した系として成り立たせる。
          ドリーシュのこの観念は新生気論とよばれる。
生命現象の合目的性に
しても、一般に生物学者は、自然選択説にもとづいて科学的に説明すればそれで足りるという考え
であり、モノーの『偶然と必然』(一九七一年)はその観念を代表すると見ることができるであろう。
生命現象の全体性ということも、生体論(ベルタランフィ)の諸観念と同様、現象の記述としては存続
可能であり、実際に存続してもいるが、特殊な哲学原理でそれを説明する企ては、少なくとも生物学
者の間では有力ではない。
 生命現象の根底となる分子的機構が基本的に解明され、生命の起源にかんする科学的研究がいちじ
るしく前進してその問題を神秘から引きだすようになったこんにちでは、生命観の哲学的議論は以前
ほど興味をもたれなくなったし、それがなされる場合にもその形態は以前とは異なるものになった。
生物学が基本的な急速な発展をつづけている現在、わが国で生物学の各種の「講座」が相ついで刊行されてい
るが、それらにはいまいった傾向が認められる。生命観的および方法論的議論はまったく扱われてい
ないか、あるいはそれらがかつてまとった古典的な哲学の衣装を脱ぎすてているか、いずれかである。」
(八杉龍一 1984/8/10『生命論と進化思想』57-58頁)。

 上記の「生命現象の根底となる分子的機構が基本的に解明され」とは、いわゆる中心教義 central dogma と呼ばれるデオキシリボ核酸から蛋白質合成の過程をもたらす機構を指すのだと思うが、いまでもその機構は解明されてはいないと思う。生成物質と触媒物質と生成順序がわかっても、機構の解明ではない。作用または力を同定しなければならないし、そして作用の仕組みを説明しなければならない。

 
  「E・ダーウィンの「偉大な第一原因(Great First Cause)を取
りあげてみよう。柳*[さんずい偏に弘]を含め日本の多くの思想家たちにおける陰陽の説や気一元論は、それ自体とし
ても個々の思想家においてもいろいろな含みがあるにちがいないが、「偉大な第一原因」と基盤にお
いて対比はされないであろうか。再び『理学秘訣』に戻ると、そこには「天地ノ間ハ、唯一気
アツテ陰トナリ陽とナルノミ。是ヨリシテ万物ヲ生生ス」という言葉が発見される。」
(八杉龍一 1984/8『生命論と進化思想』105頁)。

 
  「ダーウィンの進化論が一八五〇年代末に公にされたのち、ヘッケルは生物学とくに形態学を進化
の観念にもとづいて新たに体系化したのだが、そのさい方法の面で強調されたおもなことの一つは、
「比較は綜合であり、それが真の哲学的比較である」ということであった。分析を軽視するにはな
いが、実証主義的生物学とくにキュヴィエの亜流への批判を含んでいるといわれている。ヘッケルにおいて
は。比較的すなわち科学的であり、たとえば人体解剖学のように比較にもとづかないものは応用的科
学であるにすぎない。いずれにしろ比較は綜合であって、そこに生物界の重大な原理がとらえられる
と考える。まさに進化論時代に歩みいったその情勢を映しだしているのだが、厳密な方法論的検討か
らすればかれのいう綜合にはあいまいさが感じられなくはない。もっとも、現在でも生物学の方法に
かんして綜合ということがいわれる場合、しばしば厳密な概念規定を欠くことが指摘されている。」
(八杉龍一 1984/8/『生命論と進化思想』190頁。)

 比較とは、或る同一性のもとで、或る範囲で対象とした物事の間の差異性を分析し記述するものである。記述空間を張ることであり、対象を位置づけるあるいは分布させることである。
 さらには一定の仮定のもとに、それらの生成機構が解明されるとよい。

 
  「自然哲学的生物学では、見たところはなはだ奇妙な考え方がなされている。全体のなかに部分が
反復されている、つまり部分どうしあるいは部分が全体と等価だという考えである。たとえば頭部に
胴の全体が反復されているという。上顎が両腕に、下顎が両脚に、歯が爪にあたるというのである。
〔略〕生物体は、その微細な単位部分から
はじまり、それらが順次に高次の組織体に構成されていく各段階において、全体的な自動制御系を形
成しており、個体という全体も同様にして成り立つのである。自動制御系であるということは、一定
の決定機構にもとづいて自律性をもつことを意味し、すなわち環境にたいして独立性をあらわすこと
になる。それは「自由」の基盤でもあり、「自由」そのものでもある。進化を一面から見れば、それ
はかかる決定機構と自由が相関しつつ発展してきた過程である。その発展の頂点として、人間、つま
り人間的自由をもつ存在が生じたのである。」
(八杉龍一 1984/8/10『生命論と進化思想』222-223頁)。




合成生物学

2014年03月28日 07時11分26秒 | 生命論
2014年3月28日-1
合成生物学

 ゲノムや染色体は、計算機との類似で言えば、細胞システムが参照する記憶データである。
 参照データ(「遺伝」子とそれらをメチル化などして読み取り箇所の制御に関係するシステム)にもとづいて蛋白体を産生する下位システムは、ではどのようにして作動しているのか?
 システムの作動を説明するとき、設計概念抜きの説明は可能か?
 →時計職人の存在を仮定しない説明は、「単なる」「偶然 chance」または「機会 chance」に任せる場合、その確証は、成立する場合の数をもたらす条件が揃う「確率」の問題となる。
 →機械論は、機械の存在成立を説明しない。



古川健太郎.酵母を用いた合成生物学.
https://www.sbj.or.jp/wp-content/uploads/file/sbj/8904/8904_biomedia_6.pdf

生命論資料 2013-002/Sattler 1986-9.2

2013年08月21日 20時19分48秒 | 生命論
2013年8月21日-2
生命論資料 2013-002

Sattler, Rolf. 1986. Biophilosophy: Analytic and Holistic Perspectives. xvi+284pp. Springer-Verlag, Berlin. [P20010603]

 
第9章 生命とは何か? (pp.211-239)
 
9.2 生気論 Vitalism (pp.212-215)

 最も広範囲な形態の生気論によれば、宇宙全体は生きている animated(アニミズム animism)。しかし、何人かの生物学者に関心が持たれてきた、より普通の形態の生気論は、生命は、生きていない物質とは根本的に異なっていることを含意する。なぜなら、生気的本体 vital substance 、生気的流体、あるいは生気的力、魂、などの形態のなかに生気的原理を授けるからである(たとえば、Blandino 1969を見よ)。このような生気的原理という仮定は、「生命とは何か?」または「生きている有機体とは何か?」という問いに直ちに答える。生きている有機体とは、生気的原理が注ぎ込まれている対象なのである。有機体の規則正しい発生と機能は、有機体がこの原理によって指図されているゆえに起きるのである。
 生気論は古く古代にまで遡る。19世紀と特に20世紀の生気論者は、通常新生気論者 neovitalist と呼ばれる。良く知られている新生気論者の一人は、ドイツの動物学者のハンス・ドリーシュ Hans Driesch(1867-1941)であった。彼は唯物論的生物学者のエルンスト・ヘッケル Ernst Haeckel の学生で、ヘッケルの影響下で有機体の発生の分析的理論(1894)を発表した。この初期の仕事は生命についてのマシン理論の精神で書かれたが、すでにそれは終局因的傾向を示している。ドリーシュの実験発生学における後の仕事は、その多くはイタリアのナポリの有名な動物学実験所でウニを使って行なわれ、有機体の規則正しい発生を指図し〔方向づけ direct〕、またその意味で目的論的力を構成する生気的力〔生命力 vital force〕を仮定するに至ったのである。彼はその力を「エンテレキー entelechy」と名づけた。それは、すでにアリストテレスによって使われた名称である。「エンテレキー」の文字通りの意味は、「その目標をそれ自体が持つ」である。
 ドリーシュの生気論は、『有機体についての科学と哲学』(1908)という二巻本とドイツ語でのいくつかの本において詳しく述べられている〔洗練されている elaborated〕。彼の結論を支持する経験的基礎は、多くの生物学教科書に要約されている(たとえば、Browder (1980)とBlandino (1969)を見よ)。彼はウニの大変若い胚を半分の2つに分割し、各々の半分が完全な有機体を形成することを観察した。もし機械〔マシン〕が半分の2つに分割されたら、機能することを止めると、彼は主張する。よって、有機体と機械の間には根本的な違いがある。有機体はそのエンテレキーのおかげでその目標を『知って』おり、エンテレキーは、過酷な撹乱〔外乱 disturbance〕と損傷の後でさえも、有機体の発生と固有の機能を指図する direct のである。
 多くの種類の批判が生気論と新生気論に対して向けられた。四つの主要な批判を示すことにしよう。

 (1)「エンテレキーといった」生気的原理 vital principle の仮定は、「あまりにも上出来で、あまりにも一般的であり、特殊事例に対してなんら光を当てないものである」(Woodger 1967, p.266)。これは、生気論的教義は、決して科学的理論ではないことを意味する。科学的理論は定義により、試験可能〔テスト可能〕でなければならない。つまり、特定の試験的含意を導き出すことが可能でなければならない。生気論と新生気論の教義はこのために失敗している、と言われる。それらは、「どんな状況下でエンテレキーが活動開始となるのか、特に、どのようにして生物的過程を指図する〔方向づける direct〕のかを、示さない」(Hempel 1966, p.72)。この批判によれば、生気論的教義は非科学的 unscientific として却下される。しかし、非物質的行為者 nonmaterial agent を含意するから批判されているのではない。事実、Hempel(1966, p.72)は、ニュートンの理論もまた重力の形で非物質的行為者を発動している〔呼び込んでいる invoke〕と強調する。しかし、ニュートン理論は試験可能 testable であり、説明力と予測力を持っているのである。
 上記の批判は多くの形態の生気論に適用されようが、批判が一般的に妥当かどうかは私には確信がない。すべての形態の生気論を無条件に〔categorically〕却下するかわりに、少なくともいくつかの形態の生気論は或る類いの説明または予測または両方を提供できるかもしれないのではないかと、心を開いたまま〔虚心 open-minded〕でいるべきだとわたしは考える。たとえば、Mencius(たとえばDa Liu 1974, p.14を見よ)によって触れられた、或る形態の道教的健康技術は、気 ch'i と呼ばれる生命力 vital force を発動する。特異な呼吸法による気の活性化と変形 activation and transformation は、予測可能な結果に導くかもしれない。ゆえに、たとえば、気の活性化は二人の人が重い一人をも小さな指で地面の上に持ち上げることを可能にすると予測できる。このような出来事を、わたしは大変な驚きで目撃した。気が活性化されなければ、同じ二人はその人を持ち上げることはできない。
 終わりに、生気論が非科学的だという批判に関して、二つの考察をしたい。第一に、少なくともいくつかの形態の生気論は、なんらかの説明力または予測力または両方を持つかもしれないと、その意味で非科学的では必ずしもないと。このような線に沿ったさらなる調査は、いくつかの点で得るところがあるだろう。第二に、すべての形態の生気論が科学的であろうとは意図されてはいないと。たぶんアンリ・ベルクソン Henri Bergson(1859-1941)は、非科学的形態の生気論の代表として言及できるだろう。Bergson(1889, 1907)は、その生命的原理を「エラン・ヴィタール〔生命の跳躍〕」と呼んだ。それは直観的に経験される。論弁的〔推論的〕思考 discursive thought だけでは、それを把握することはできない。よって、ベルクソンの生気論についての合理的批判は、見当違いである。自発的に流れ創造するエラン・ヴィタールは、感じられ経験されなければならない。〔p.213まで。20130821試訳〕
 ベルクソンは、笑いについての本(『笑い Le rire 』, 1900)も書いている。この本もまた、生命に向かう彼の態度が分析的哲学者たちの態度と、どれほど異なっているかを示すものだ。分析的哲学者たちにとって、笑いは生命の理解を進めるものではない。ベルクソンにとって笑いは、生命との深い交感であるのかもしれない。それゆえ笑いは、論弁的思考よりも、生命の神秘に近くへと連れて行き、こうして調和と幸福を創るのかもしれない。あなたがこれに同意しないのなら、「微笑みの国」タイか、または人々が微笑み、またよく笑う他の国に行ってもらいたい。すると、これらの人々の多くの幸福と智恵について驚くだろう。あなたが「微笑みの国」を訪れることができないか、あるいは到着するまでにタイが西欧化されすぎていたならば、笑う人々の一団を捜して笑わしてもらい、影響されるようにしよう。あるいは、五分間か十分間、狂ったように笑ってみよう。そうすれば、あなたは良き人となり、あれこれ考えるよりも、問題事と心配事を解決するだろう(Cousins 1979も見よ)。笑いはすべての問題への解答だと言うつもりはない。思考は役立たずだと言うつもりもない。しかし、笑い、自発性、そして直接的経験は、知性によっては到達し得ない生命の層を開くことができると申し上げたい。

 (2)生気論の科学的側面へ戻る。生気論への二番目の異議は、生気的原理の本性に関わるものである。このような原理は、原子と分子以外で生じる何かとして、このような原理は示され得ないと主張されてきた。さらに、このような追加的原理がどのようにして進化の間に生じたのかを想像することは難しい。
 この批判もまた、すべての形態の生気論に適用される必要はない。Hull(1974, p.129)が指摘するように、現代科学の一つの傾向は、「諸物と諸実体のカテゴリーから、諸性質、とりわけ関係的および組織的諸性質のカテゴリーへという、鍵となる科学的概念の移行」であった。「生命が物でないのは、時間、空間、あるいは磁気が物ではないのと同じである。人によっては、この目録に〈心〉を加えるかもしれない。」 生気的諸力をこのように見るならば、「生気論は整合的立場となり、主な異議は回避され得る」(Hull 1974, p.129)。磁気を説明するのに、「良き磁場のための最終的休息所として磁気的天国を仮定する必要はない」(Hull 1974, p.129)。同じことが生気的力に適用してよいし、新生気論をこのように考えるならば、一般的に受け入れられている形の現代生物学に近くなるか合併する可能性がある。Meyen(私信)は、ドリーシュのエンテレキーという概念は事実上、生きているシステムの自己制御 self-regulation という現代的概念とたいして変わらないと私に指摘した。
 これで私が示そうとしたのは、生気論的教義はきわめて多様で、非科学的経験から、科学的理論または教義と両立可能な見解までに渡っているということである。よって、或る生物学者に新生気論者のレッテルを貼ることは、なにほどのことも意味しない。ただし、そのようなレッテル貼りは、ときどき新生気論として分類される多くの形態の生物学的接近についてきわめてしばしば単に無知なのだと考える人々の見地からは、名誉毀損的で恩着せがましいことを意味する。新生気論者を全面的に非難するよりも、特定の緒接近と緒理論をそれらの利点について分析するほうが、もっと適切でもっとためになることだろう。生気論は、たいていの生物学者にとって、悪くて嫌な言葉となった。不幸なことに、この言葉を聞いたり読んだりすると、多くの人はすでに偏見を持っているので、より肯定的な評価を自ら奪ってしまうのである。

 (3)生気論への三番目の主要な批判は、実用的なものである。生気論は科学的理論としては成功してこなかったと言われる。他方、それに対抗する教義、つまり機械論は、成功でいっぱいだった。失敗したところでさえ、機械論は少なくとも発見的価値があるとみなされてきた。つまり、より良いモデルと理論を発見するのに助けとなったのではないかというわけである。生気論は、一方、発見的価値を欠いていると責められる。極端な批判によれば、まったく何の役にも立たないのである。
 すべての形態の生気論に対するまったくの拒否と、機械論の実用的および発見的根拠の受容に応答して、Woodger(1967, p.269)は、「こうした発見的成功はなんら真理を保証しないし、その方法が際限なく成功するしつづけるだろうことも保証しない。ましてや、他の可能性の研究をまったく無視するという〈理由〉は無い。」生気論にはまったく発見的価値が無いのかどうか、問うこともできよう。Woodger(1967, p.266)は、「生気論的著述は、価値ある側面を持っている。思考における冒険??可能性の探求を表わしている。」生気論的教義は、「適切な理論生物学なら考慮しなければならない有機体の諸側面に注意を向けるという利点を持っている」かもしれない」(Woodger 1967, p.267)(また Canguilhem 1975も見よ)。

 (4)生気論は、生命とは何かという問いへの究極的答えを持つと主張するたびに教条的だと非難し得る。この意味で、生気論は科学の進歩を阻んでいる。生命の神秘は生気的原理〔生命原理〕によって「説明され」、こうして生命の本質は想像上で把握される。発見されるべく残るのは、興味の持てない詳細だけでしかない。このような独断的態度は、先見の明もなく、不寛容となる限りは破壊的でもある。真理とは何の関係も無いゆえに、事実的詳細は完全に価値を失う。その真理は疑う余地も無くすでに確立されていると想像されているのである。
 このような傲慢について幾人かの生気論者に罪があると言うことは可能であるし、多くの者にこのような傾向があることはもっと確からしい。あいにく、同じことが機械論者(たとえば、Crick 1966,1981; あるいは Monod 1970を見よ)に言える。さらなる理解をしようと願うならば、Woodger (1967)の助言を聞こう。彼は、対抗する緒理論の賛同者の間での、知性的謙遜、さらなる協力、そして競争をより少なくすることの必要を強調している。「一つの理論が別の一つの理論を排除するという考えは、自分たちの仕事が知るべきことについて決定的で網羅的であるとみなしたいという欲望から来ている。しかし、一つの抽象方式が網羅的ではあり得ないことを考えるだけで、そのような態度はいかに間違っているかがわかるというものである。」(Woodger 1967, p.271)。
       〔20130821-0823試訳〕

 
9.3 機械論 Mechanism (pp.216-217)

9.4 還元論 Reductionism (pp.217-225)

9.5 生命についてのマシン理論 Machine Theory of Life (pp.225-226)

9.6 有機体論 Organicism (pp.226-228)

9.7 生命とは何か? What is Life? (pp.228-234)

9.8 心身問題 The Mind-Body Problem (pp.234-236)

9.9 要約 Summary (pp.236-239)



生命論資料 2013-001/Sattler 1986

2013年08月21日 14時46分43秒 | 生命論
2013年8月21日-1
生命論資料 2013-001


Sattler, Rolf. 1986. Biophilosophy: Analytic and Holistic Perspectives. xvi+284pp. Springer-Verlag, Berlin. [P20010603]

 
第9章 生命とは何か? (pp.211-239)
 
   「生きている有機体〔生物体〕たちは、そのなかで有機体たちが機能しているシステムの一部として考えられるときにのみ、理解され得る。」(Dubos 1983, p.37)
   「生命についての適切な諸原理を展開させるという現在の試みは、科学の歴史におけるおそらく最大の概念的危機を表わしている。」(Davenport 1979, p.2)
 
 
9.1 はじめに (pp.211-212)
 
 生命の本性については、哲学者たちだけでなく科学者たちによっても大いに議論されてきた(たとえば、Schro"dinger 1944; Bertalanffy 1952, 1975; Portmann 1960, 1974; Waddington 1961, 1968-72; Grene 1965, 1974; Jonas 1966; Blandino 1969; Jacob 1970; Black 1972; Jeuken 1975; Canguilhem 1975; Elsasser 1975, 1981; Grene and Mendelsohn 1976; Heidcamp 1978; Atlan 1979; Bateson 1979; Buckley and Peat 1979; Varela 1979; Morin 1980; Crick 1981; Mercer 1981 を見よ)。きわめてしばしば、生命の特徴づけまたは定義は、生命によって提示されるが、生きていない自然には欠けているという一連の諸性質 a list of properties(または少なくとも単一の性質)から成っていなければならないと言われる。このような接近 approach は、生命と、生命のない自然 inanimate nature、という二元論を信じるところにもとづいている。最近の10年間に、システム思考 systems thinking は、生態系といった、生きている有機体とともにいわゆる生きていない物質を含む、もっと包括的なシステムに、注意を集中させてきた。生態系の特徴づけは、生命と生命のない自然という絶対的な二元論を含意しなくてもよい。この有利な立場からは、生命と実在性をより総体的な見方 global perspective で見ることができるだろう。
 明らかに、「生命とは何か」という問いの意味は、先立つ哲学的な諸仮定に依存する。本質主義を支持する者にとってそれは、生命の本質を捜すことである。本質主義には組しないが、それでも生きている自然と生きていない自然という二元論を前提とする者にっとっては、その問いは、生命を定義する必要かつ十分な一性質または諸性質を探し求めることに関わるだろう。他方、還元論者にとって、その問いは、生命に独特の一性質または諸性質の区別だということではなく、むしろ、生きていない物質の水準へとそれらを還元するという問題である。全体の生態系という統合的見解では、それらとは異なる哲学的諸仮定を含意することになるだろう(たとえば、Lewontin et al. 1984、また第10章を見よ)。一般論としては、「生命とは何か」という問いの意味は、『何か』という意味と、『生命』という概念の外延がもととなっている。後者はつまり、『生命』は生きている有機体だけを指すのか、それとも生物圏 biosphere 全体を指すのか、どっちなのか、である。〔20130821試訳〕



生命論文献 追加1

2013年02月25日 10時22分55秒 | 生命論
2013年2月25日-1
生命論文献 追加1
20130225

[さ]
坂本邦暢.2009.フランシス・ベーコンによる創造と摂理の原子論的解釈 テレジオ批判とセヴェリヌス受容.科学史研究,48: 214?223頁。

[し]
*柴田和宏.2011.フランシス・ベイコンにおける濃と希:物質理論,精気,自然の支配.科学史研究,50: 25?30.

*柴田和宏・坂本邦暢.2010.フランシス・ベーコン『古人の知恵について』抄訳.科学史・科学哲学,(23): 83?94.

[せ]
関谷真.1990.生命科学におけるRealism ―理論とモデル―.科学基礎論研究 19: 171-. [https://www.jstage.jst.go.jp/article/kisoron1954/19/4/19_4_171/_pdf、受信:2013年2月25日。]

[な]
永井潜.1925.生物学と哲学との境.536pp.カオリ社.[y3.80]
 
永井博.1966.科学概論.303pp+26.創文社.[y600]

永井博.1973.生命論の哲学的基礎.x+398+15pp.岩波書店.[1,800円][B19**]

*永井博.19**.生命論の予備的考察.科学基礎論研究, Vol. 9, No. 2, 68-74.

*永井博.19**.数学的思考について.科学基礎論研究, Vol. 10, No. 4, 162-165. (1970-1972)

*永井博.19**.学問統一論.科学基礎論研究, Vol. 12, No. 1, 31-36. (1974-1976)

*永井博.19**.『基礎科学』の時代.科学基礎論研究, Vol. 13, No. 2, 1-4. (1976-1978)

*永井博.19**.序 人間科学とは何か.科学基礎論研究, Vol. 15, No. 3, 93. (1980-1982)

*永井博.19**.生理と心理 -存在論的考察-.科学基礎論研究, Vol. 17, No. 3, 145-151. (1984-1986)

*永井博.19**.進化論的概念の妥当性.科学基礎論研究, Vol. 18, No. 4, 167-172. (1986-1988)


[ひ]
比留間亮平.2006.ルネサンスにおけるスピリトゥス概念と生命論.死生学研究 (7):139-164, 288-289. [http://repository.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/dspace/bitstream/2261/20539/1/da007006.pdf、受信:2013年2月25日。冥王星日記 http://d.hatena.ne.jp/neo_master/20120523/1337731277、に言及がある。]




ヴィルヘルム・ライヒ 関連本

2013年02月24日 13時28分09秒 | 生命論
2013年2月24日-8
ヴィルヘルム・ライヒ 関連本
[生命論、生気論]


 ウィキペデイアから。
  「1933年に、集団心理学の見地からナチスに代表されるファシズムを性的抑圧によるノイローゼ患者のサディスティックな表現と分析した『ファシズムの大衆心理』を上梓。〔略〕
 滅菌した肉汁中に小胞(バイオン)が認められると発表。1939年にはバイオンの研究中にオルゴンを発見する」
http://ja.wikipedia.org/wiki/ヴィルヘルム・ライヒ

ビオン bion (生命子)とオルゴン orgon について
  「the Austrian internist Friedrich Kraus (1858?1936), who had argued in his Allgemeine und Spezielle Pathologie der Person (1926) that the biosystem was a relay-like switch mechanism of electrical charge and discharge. Reich argued in 1934 that the orgasm is such a bioelectrical discharge, and proposed the "orgasm formula": mechanical tension (filling of the organs with fluid; tumescence) → bioelectrical charge → bioelectrical discharge → mechanical relaxation (detumescence).[68]
 Friedrich Kraus (1926) は、『Allgemeine und Spezielle Pathologie der Person』で、生体システム biosystemは電気的充填(充電)と放出(放電)のリレー(継電器)様開閉器の機構であると主張した。1934年にライヒは、性的絶頂はこのような生体電気の放出であると主張し、『性的絶頂式』を提案した。すなわち、
 機械的緊張(器官を流体で満たすこと;怒張) → 生体電気の充填 → 生体電気の放出 → 機械的弛緩(萎縮)。」(20130224 試訳)
http://en.wikipedia.org/wiki/Wilhelm_Reich#Bioelectricity



Reich, Wilhelm. The bions: an Investigation into the origin of life. Journal of Orgonomy, 10(1).
  「Editorial Note: 〔略〕
 While the scientific world still clung to the dictum that "every
living thing comes from living matter," Reich began to probe the origins of
life from a functional point of view. He has already enunciated his orgasm
formula of tension-charge-discharge-relaxation as specific to all living
phenomena and encompassing every aspect of the autonomic life
functions from ameba to man. In a series of human experiments, he had
shown empirically the existence of an organismic energy (which he still
thought of as "bioelectric" energy) and had proved that the subjective
feelings of pleasure and anxiety were nothing other than one's perceptions
of this objective, measurable energy, as it flowed from the core to
periphery and periphery to core, respectively.
  〔略〕
We called the artificial, lifelike structures "bions."

 科学界はいまだに、『あらゆる生き物は生きた物質から生じる』という断言にしがみついていたが、ライヒは機能的観点から生命の起源を探り始めた。〔略〕
 われわれは、人工的な、生命のような構造を「bion」と呼んだ。」
http://www.orgonomy.org/articles/Reich/The_Bions.pdf

 
 Ernst Haeckel (1866) は、同一名称の「生体子 bion (生理的個体)」(マーナ・ブーンゲ『生物哲学の基礎』:188頁)(という概念)を考えた。

 
ヴィルヘルム・ライヒ 関連本

[ら]
?*ライヒ,W.(中尾ハジメ訳 1969)性と文化の革命.292pp.勁草書房.[ASIN: B000J9OIDW]

?*ライヒ,W.(中尾ハジメ訳 19??)性と文化の革命.336pp.勁草書房.[ISBN-13: 978-4326650118]

*ライヒ,ヴィルヘルム.(平田武靖 訳 1970)ファシズムの大衆心理(上、下).[せりか叢書〈3-4〉]

*ライヒ,W.(?? 訳 1970.7)セクシュアル・レボリューション:文化革命における性[新装版].326pp.現代思潮新社.[ISBN-13: 978-4329000668]

*ライヒ,W.(片桐ユズル 訳 1972)きけ小人物よ![W.ライヒ著作集〈3〉].214pp.太平出版社.

*ライヒ,W.(山崎カヲル 訳 1972)青年の性的闘争.222pp.イザラ書房.

*ライヒ,W.(片岡啓治 訳 1972)弁証法的唯物論と精神分析[W.ライヒ著作集〈8〉].183pp.太平出版社.

ライヒ,W.(渡辺武達 訳 1973)オルガスムの機能[W.ライヒ著作集〈1〉].508pp.太平出版社.

*ライヒ,W.(片岡啓治 訳 1973)衝動的性格.203pp.イザラ書房.

*ライヒ,W.(安田一郎 訳 1974)性の革命 完訳.角川書店[文庫].

*ライヒ,ヴィルヘルム.(久野収 訳 1974.11)階級意識とは何か.196pp.三一書房[三一新書 828].

*ライヒ,W.(片岡啓治 訳 1976)性道徳の出現[W.ライヒ著作集〈2〉].259pp.太平出版社.

*ライヒ,W.(片桐ユズル・中山容 訳 1979.10)キリストの殺害[W.ライヒ著作集〈4〉].276pp.太平出版社.

*ライヒ,W.(?? 訳 1970.7)セクシュアル・レボリューション:文化革命における性[新装版].326pp.現代思潮新社.


The Bion Experiments: On the Origins of Life (1938)

The Oranur Experiment

The Orgone Energy Accumulator, Its Scientific and Medical Use (1948)

Ether, God and Devil (1949)

Contact With Space: Oranur Second Report (1957)

Cosmic Superimposition: Man's Orgonotic Roots in Nature (1951)

Selected Writings: An Introduction to Orgonomy
http://www.wilhelmreichtrust.org/selected_writings.pdf

[う]
ウィルソン,コリン.(訳 1986).性と文化の革命家:ライヒの悲劇.筑摩書房.

[こ]
*コリンズ,アンドルー.(田中智訳 1994.12)オルゴン生命体(エネルギー)の謎?宇宙に満ちる超パワー.262pp.徳間書店[新書].[Collins, Andrew.]

[し]
*シャラフ,マイロン.(村本詔司・国永史子 訳 1996.7).ウィルヘルム・ライヒ:生涯と業績(上).474pp.新水社.[4,725円]

*シャラフ,マイロン.(村本詔司・国永史子 訳 1996.8)ウィルヘルム・ライヒ:生涯と業績〈下〉.485.新水社.[4,725円][ 5つ星のうち 5.0 (1 件のカスタマーレビュー)
  「性機能を交感神経の電気によって解明しようとし、生命科学へと大きく足を踏み外していく。 40年前後になりアメリカへ移住。有機物質の第一原理である通称オルゴンなる生命エネルギーを発見。田舎の農場を買い取り実験を続ける。その結果オルゴンボックスなる鉄の箱を作り、それで癌を治そうとしたり、クラウドバスター(雲退治機)を発明してオルゴンにより天候を操作しようとした。オルゴンによるUFO研究も進めていたという。50年代後半に精神鑑定を受け、獄中で没した。」
http://www.amazon.co.jp/product-reviews/4915165698/ref=dp_top_cm_cr_acr_txt?ie=UTF8&showViewpoints=1

[ひ]
ビーン.1993.7.オルゴン療法がわたしを変えた―自己実現と性的充足の心理学 ライヒの性格チェンジアップ法〔新装版〕.
195pp.アニマ2001.


 2011年5月19日-2
 エネルギー触媒器〔触媒機〕6/新エネルギー開発
http://pub.ne.jp/1trinity7/?entry_id=3666426

 〔2010年3月10日〕
 暗黒物質とオルゴン
http://pub.ne.jp/1trinity7/?entry_id=2785103

http://tok2.seesaa.net/archives/20100621-1.html?newwindow=true
によれば、『神秘学カタログ』に、
荒俣宏.異物としての生命 - 生命本体論のためのノート.
という記事があるらしい。

 
 ライヒとその流れ
http://www5d.biglobe.ne.jp/~shojimur/Reich%28J%29.html

 
 村本詔司:マイロン・シャラフ『ウィルヘルム・ライヒ』(村本詔司・国永史子訳)新水社、訳者あとがき
  「小此木は『性格分析』の日本語版を出版するにあたって著者ライヒの意向をまったく無視して、第3部「精神分析からオルゴン物理学へ」を省略し、〔略〕 だが、この第3部は、後期ライヒの核心をなす「心的接触と植物的流れ」(後のイギリス対象関係論における分裂質論を先取りしたもの)、「生命的なものの表現言語」(今日の心理臨床家にとっては常識となっている非言語的コミュニケーションについての最初の体系的な記述)、「分裂病的分裂」(ある女性分裂病患者へのライヒによる治療の唯一の詳細な事例報告)の3章から成っており、いずれもライヒを理解するうえで決定的に重要なものばかりである。〔略〕
 ライヒは機械論と生気論のどちらの陣営にも単純に所属せず、どちらにもそれなりの意義を認めようとした。〔略〕
 ライヒは常に、自然科学と社会科学あるいは精神科学を壮大なスケールで統合しようとつとめてきた。この統合を理論的に保証すると考えられるのが、エネルギー論であり、機能主義である。だが、その価値と意義を理解するには、わたしたちはおそらく一九世紀後半以降の論争の窮屈な枠組みを越えて、まずはライヒ自身がモデルとしていたゲーテに戻らねばならない(訳者は、今は品切れとなっている拙著『ユングとゲーテ ・ 深層心理学の源流』〔人文書院、一九九二年〕でライヒとゲーテの関係に触れているので参照されたい)。さらには、ルネッサンス時代にシステムの形而上学を発展させることで機能主義を神学的に基礎づけたニコラウス・クザーヌスを思い出さねばならないであろう。」
http://www5d.biglobe.ne.jp/~shojimur/reichbioafterwords.html