生命哲学/生物哲学/生活哲学ブログ

《生命/生物、生活》を、システム的かつ体系的に、分析し総合し統合する。射程域:哲学、美術音楽詩、政治経済社会、秘教

美術修行2017年6月17日(土)-2:尾崎泰弘 ヨミガエル男/サンク西宮ビル

2017年06月20日 23時10分36秒 | 美術修行
2017年6月20日-1
美術修行2017年6月17日(土)-2:尾崎泰弘 ヨミガエル男/サンク西宮ビル




 田嶋悦子展 Records of Clay and Glass/西宮市大谷記念美術館/500円。
 ほぼ対称形で不透明または半透明。単位物体の配置は一様分布(等間隔)。

 大谷記念美術館から歩いた。









 尾崎泰弘 ヨミガエル男/サンク西宮ビル/阪神西宮駅/入場無料。
 [画像掲載は、画廊の了承済み]














































 というわけで、風間虹樹は光絵画しました。








 


美術修行2017年6月17日(土)-1 :アーティフィシャルな位相Vol.31 パート3/天野画廊

2017年06月18日 10時35分02秒 | 美術修行
2017年6月18日-1
美術修行2017年6月17日(土)-1 :アーティフィシャルな位相Vol.31 パート3/天野画廊




 アーティフィシャルな位相Vol.31 パート3/天野画廊/入場無料。
















 出品者は、
  植島美智子
   川崎泰史
    樋口尚
  岡野ひろみ
   森佐代子
の諸氏。

 天野画廊 フェイスプック
https://www.facebook.com/pages/天野画廊/127885807334551

 〈可変版画〉(シルクスクリーン)とある作品は、
  「アクリル板を左右にずらすと、違ったイメージを
   楽しめますので、ご自由にお試し下さい。」
とあったので、やってみた。












 阪神梅田駅への途中の金券売店で、切符売場では270円のところ、210円になる土日用の格安切符を、2枚買った。
 香櫨園で降りて西宮市大谷記念美術館へ。

美術修行2017年6月11日(土):石橋志郎・谷内春子 二人展 内接/外接、+I art ぷらすいちあーと

2017年06月11日 18時17分14秒 | 美術修行
2017年6月11日-1
美術修行2017年6月11日(土):石橋志郎・谷内春子 二人展 内接/外接、+I art ぷらすいちあーと




 石橋志郎・谷内春子 二人展 内接/外接、+I artぷらすいちあーと



 石橋志郎氏の作品は、大胆な構図で、繊細な色使いである。清々しい感じがする。
 下記の写真!または光図 photographでは、肉眼での見えをまったく再現または写像できていない。
 [画像掲載は、作者と画廊の了承済み。]
 むしろ、別物である。
 実物を見るべきである。


 石橋志郎〈View〉53.0x45.5cm


 石橋志郎〈View〉160.0x130.3cm
  木パネル、麻紙、膠、顔料[=ほとんどは天然岩絵具、少しは新岩絵具とのこと。]


 石橋志郎〈View〉160.0x130.3cm、の一部を右斜め横から。

美術修行2017年6月5日(火):風間虹樹の光絵画 2017年6月5日/大阪市

2017年06月07日 17時29分27秒 | 美術修行
2017年6月7日-3
美術修行2017年6月5日(火):風間虹樹の光絵画 2017年6月5日/大阪市

 ショウウインドウ内に飾られた物体を絵具として、
カメラを筆として連写で(=バーストで)、
光感光させて(運動は相対的です)、
光絵画しました。

























 運筆(感光範囲と速度と動かし方)によって、様々な模様 pattern ができます。



美術修行2017年6月3日(土)-1 :滑川みさ 音とあなたと私/Space 31

2017年06月03日 22時03分30秒 | 美術修行
2017年6月3日-1
美術修行2017年6月3日(土)-1:滑川みさ 音とあなたと私/Space 31/阪神御影駅



























 滑川みさ 音とあなたと私/Space 31/阪神御影駅/入場無料。

 様々な紙管を使った、仮設作品。
 小品は紙をぐるぐる巻きにしたものを多数使ったもの。

 音声的演為は、主にまたは指揮者兼実演者は伯山正孝氏。
 ナイロン製?の紐を擦って音を鳴らしたり、紙管に息を吹き込んで音を鳴らしたり、紙管を合わせ叩いてパチバチとかの音を立てたり、の演為(演奏)。




















































美術修行2017年5月31日(水)-1:読書録 山口晃2012『ヘンな日本美術史』

2017年05月31日 22時26分22秒 | 美術修行
2017年5月31日-2
美術修行2017年5月31日(水)-1:読書録 山口晃2012『ヘンな日本美術史』

*山口晃.2012/11/10.ヘンな日本美術史.252pp.祥伝社.[本体1800円+税][Rh20170531][大市阿図721]


  「この〔鳥獣人物戯画の実物を見たときの墨の綺麗さ、ガラス絵を見ているような透明度と色の奥行きの〕感じは、印刷した図版では絶対に分かりません。印刷の技術ももちろん進歩していますが、今でも油絵における、表層に透明度がある材質がのっているような感じは出ないのです。
 やはり透明度と云うものは、定着した紙面では表現が難しいのかもしれません。〔略〕視点が移動すれば、画面に差し込む光の見え方もそれに応じて変化します。そのズレが透明感を生んでいるのですから、それを印刷ではなかなか出せないのでしょう。」(山口晃 2012/11: 14-15頁)。
 絵画実物と平面てく印刷物との違い。人の視覚の精妙な自動調節。


 「「鳥獣戯画」などの絵巻物を見るときに昨今よく言われるのが、これはアニメの源流であるとか云ったことですが、〔略〕現代から遡る視点で昔のものの持つ意味をあれこれと言うのは、むしろ好ましくありません。〔略〕
 〔略〕それが描かれた時代を起点にして、その時代からどうなるかわからない未来を見据えた視線を一生懸命想像する方が、あるべき態度かと思います。
 なぜなら、遡る態度と云うのは、家系図を反対から見るように、何であれ、それを必然にしてしまうからです。」(山口晃 2012/11: 27頁)。
  「家系図と云うのは下の時代から辿ってみると、そこには運命しか書かれていないように読めますが、私たち自身の将来を見通すことができないように、当時から見れば、偶然の山積物の結果が表わされている訳です。
 美術の歴史においても、本来そのような見方をしないといけないはずです。
 漫画やアニメの源流と言うのではなく、鳥獣戯画などの絵巻物から始まったものが様々な工夫を経て、さらにカートゥーン、つまり外国の漫画がどんどん入って今のような形になっている。
 絵巻物のように場面が移り変わるのが「コマ割り」の基本だと言われることがありますけれども、コマと云うものは昔から外国にもありました。〔略〕ジョットの壁画「聖フランチェスコの生涯」なんかは思い切りコマが割られています。時間と空間を区切る「コマ」のような合理性はいかにも西洋です。
 むしろズルズルと空間がつながって、曖昧な雲とか林で空間が仕切られている妙の方が、日本人が受け継ぐべき所のような気がします。
 〔略〕「鳥獣戯画」を見たときに私たちが漫画的であると感じるのは、ある種の力の抜けた画調にあるのでしょう。」(山口晃 2012/11: 27-28頁)。
 歴史の見方として妥当である。
 →ダント,アーサー・C.1965, 1966.(河本英夫訳 1989.2)物語としての歴史:歴史の分析哲学.390pp.国文社.[ISBN 9784772001724 / 4,200円+税].〔Danto, Arthur C. 1965. Analytical Philosophy of History. と、1966の論文"〔Symposium: Historical Understanding〕The problem of other periods", The Journal of Philosophy, 63: 566-572. の訳。〕.
を見よ。


  「わざとふにゃつと描くと云うか、ちょろまかすというか、仕上げすぎないのは日本の絵の特徴です。〔略〕解像度が一段階落ちるとでも云ったような感じになる。
 ただ、解像度が落ちたことによって、ある全体性が逆にばっと浮き上がってくるのが、外国と比べて不思議なところです。」(山口晃 2012/11: 29頁)。
 解像度の問題(の一部)を取り上げていることに感心する。
 ならば、抽象絵画を目指すべき。

  「日本の美術を考えたとき、私は「枠」とか「入れ物」と云う言葉が思い浮かびます。他の国の人たちが中身で勝負するときに、日本人と言うのは外側でそれをするのです。〔略〕
 〔略〕一見、思想もないように見えるのですけれども、逆に中空と云う中がある。言い換えれば、そこに何が入ってもいいんだと考えた時に、日本美術は確固たる存在感を示してくるのです。」(山口晃 2012/11: 29-30頁)。
 なんらかの同一性という分類枠のもとに継承し、他のところでの変化を行なって、伝統を革新する。これは、通常的である。
 「日本的」を、日本語によるものと、


  「横から光を当ててみると、金箔と云うのは透けて見えるのです。
 これを美術館で体験するには、しゃがんで見るのが一番です。少し見上げるようにして見てみると、光の入射角が変わって、途端に金がふわっと明るくなります。奥行きが出て、一瞬のイリュージョンのように感じられるはずです。」(山口晃 2012/11: 78頁)。
 う〜む。機会があれば、試みてみよう。


 好ましい教科書である。
 軽妙洒脱な説き口で、本格的。
 具体例を出して、本質的なところを検討している。
 教えられるところ、大である。

 洛中洛外図屏風の舟木本、上杉本、高津本の三つを比較している。わたしの感性からすれば、そしておそらく現代美術的な観点からも、高津本が面白そうである。こんなのがあったとは。(ネット検索してその画像を探したが、解像度の良いのが見つからなかった。)

 河鍋暁斎の筆意、若冲の神気(224頁)。

  「見ながら描けば、目を凝らすたびに筆が止まります。筆勢を生かす事など覚束ないでしょう。逆に西洋絵画は、筆勢や筆跡は極力抑えて、画面内の形象の一部たり得るよう注意深く筆をおきます。それによって高い再現性の一助としているのですが、その再現性は多分に光学的な正確さを旨としています。」(山口晃 2012/11: 225頁)。


  「近代の日本画は、私などには天心の危機意識と同志フェロノサの理想の押し付けが生み出した外発性の高い人工的な代物に見えるのです。先述した旧来伎藝の再編入以上に近代日本画に見られるのは、バルールの重視と透視図法の導入です。この二つは多分に西洋画的な要素であり、暁斎の描く実感による画と相容れませんが、西欧や欧化への対処のためにあえて加えられたのです。」(山口晃 2012/11: 229頁)。


 内発性と画空間の形成(249頁)を重視しているようだ。
 この二つの事柄は、しかしきちんした定義または解説は無かったと思う。

抽象絵画を取り上げないのは、なぜ?
 抽象絵画への言及は無い。
 抽象絵画では、透視図法も含めて、そもそも遠近法を必要としない。したがって、抽象絵画ではそれに関わる困難が生じない。
 日本画でも、堂本印象の作品や、O美術館での〈日本画の抽象〉という展覧会など、抽象絵画があった。パンリアル展も抽象は少なくない。


美術修行2017年5月30日(火)-2:読書録 千住博2008『美術の核心』

2017年05月31日 15時46分14秒 | 美術修行
2017年5月31日-1
美術修行2017年5月30日(火)-2:読書録 千住博2008『美術の核心』


千住博.2008/1/20.美術の核心.8+169pp.文藝春秋.[本体760円+税][大市阿図704][Rh20170530]


 入門書である。すんなり読める。
 本質的な冒険は無く、常識的である。
 入門書であればこそ、(そのために書かなかったのかもしれないが)突っ込んだ見解を持って解いて欲しいところ。
 絵描きだからだと思うが、尾形光琳〈紅白梅図屏風〉についての読み込みは面白かった。


 「よくマンガ反対論者は文学と比べて、「行間のニュアンスが感じられない」と言います。そればっと文字と、それを図解説明する絵が一体化していて、目で見た通りの状況として直接的に理解できてしまう構造に対する指摘です。想像力の余地がない、というわけです。

 また、〔略〕驚きをドヒャーとか喜びをウヒャーとかで表わし、〔略〕ガーンという文字が大書きになっていたり、〔略〕。しかし、これは限られた規定の中で、よりしっかりとメッセージを伝えていこうとする中での必然的な到達点ではないでしょうか。

 確かにこの結果、繊細さや心の機微を感じる機会が犠牲になるのでは、と心配する人が出てくるのも無理はありません。」
(千住博 2008/ 1: 99頁)。


 漫画またはマンガはそれはそれの機能するところで、楽しんだら良い。
 つげ義春や手塚治虫の作品にしても、絵解きまたは図解の側面が大きい。

 純粋な(←→総合的な。つまり言語やら音声やらも構成者として参加する場合の。)絵画探求者としては、何かを伝達したり説明するためのものではなく、純粋に色と形の作用を極めたいのである。


美術本文献追加20150530

2017年05月30日 16時23分56秒 | 美術修行
2017年5月30日-3
美術本文献追加20150530


[う]
*海野弘.2012/7/10.二十世紀美術 1900-2010.284pp.新曜社.[本体2400円+税][大市中図702.07]


[か]
*神林恒道.2006/3/10.近代日本「美学」の誕生[講談社学術文庫 1754].317pp.講談社.[本体1000円(税別)][原本は、2002/9『美学事始—芸術学の日本近代—』勁草書房。][大市中図701.1]


[き]
*北澤憲昭(ほか、共編著).2014.美術の近現代史 制度・言説・造型.東京美術.

*北澤憲昭.2015/6/25.〈列島〉の絵画 「日本画」のレイト・スタイル.377pp,ブリュッケ.[本体1,800円+税][大市中図721.9]

*京都造形芸術大学(編).1998/5/20.日本画を学ぶ 1 静物写生から本画制作 日本画の用具用材[美と創作シリーズ].223pp.角川書店.[本体4800円(税別)][大市中図724.1]

[こ]
*コーレン,レナード.1994, 2008(内藤ゆき子 訳 2014/6/30).わびさびを読み解く.108pp.ビー・エヌ・エヌ新社.[本体2,000円+税][Koren, Leonard. Wabi-Sabi for Artists, Designers, Poets & Philosophers][Rh20170506][大市中図701.1]


[さ]
*佐藤方彦.2011/8/81.感性を科学する.xiii+185pp.丸善出版.[本体2,900円+税][大市中図701.1][Rh20170530][さとう まさひこ]



[た]
*モロー,ダニエル.(阿部ちよ・宮川順子・西川隆範 訳 2005/10/20).光が形態を創造する 新しい色彩体験のために.143pp.青い林檎社.[本体2,700円+税][Daniel Moreau][大市中図701][73頁まで読了20170528]


[な]
*中村ケンゴ(編著)/眞島竜男・永瀬恭一・楠見清・木村絵理子・小金沢智(著).2015/4/15.20世紀末・日本の美術 —それぞれの作家の視点から.287pp.アートダイバー.[本体1,800円+税][大市中図702.16]


[ふ]
*フィルムアート社(編).2014/3/25.現代アートの本当の学び方[Next Creator Book].204pp.フィルムアート社.[本体1700円+税][大市中図707][60頁まで、と171-185頁を読了20170528]


[み]
*三潴末雄.2014/9/20.アートにとって価値とは何か.272pp.幻冬舎.[本体1700円+税][大市中図702.16][Rh20170514]
[デュシャン以降の現代美術のコンテキスト〔!〕への批評とコンセプト〔!〕の提示を伴った表現〔!〕でなにければ、まともな作品として認められることはない。」(三潴末雄.2014/9: 17頁)。「 日本の美学の歴史の積み重ねが、すでに現代美術史そのものを動かす要因になっていることは明らかだ。この連綿たるコンテキスト〔!〕は、ヨーロッパの近代美術に対してアメリカが行〔な〕ってきた現代アートの否定の原理に比べても、決して引けをとらないコンセプト〔!〕的な価値を持っていることも、我々は改めて再認識すべきだろう。」(三潴末雄.2014/9: 46頁)。]


[む]
*武蔵野美術大学日本画学科研究室(編).2002/4/1.日本画 表現と技法.139pp.武蔵野美術大学出版局.[本体4200円+税][大市中図724.1]

*武蔵野美術大学日本画学科研究室(編).2004/4/1.現代日本画の発想.149pp.武蔵野美術大学出版局.[本体3800円+税][大市中図721.9]


[わ]
*渡辺茂(編).2016/8/30.美の起源 アートの行動生物学.vii+150pp.共立出版.[本体1,800円+税][大市中図701.4][美の心理学。読むべし]


===
[さ]
連続講義現代日本の四つの危機 -哲学からの挑戦-(講談社選書メチエ 605).齋藤 元紀/編.講談社.2015.8.100◇104◇104




美術修行2017年5月30日(水):佐藤方彦2011『感性を科学する』読感

2017年05月30日 11時26分49秒 | 美術修行
2017年5月30日-1
美術修行2017年5月30日(水):佐藤方彦2011『感性を科学する』読感


[さ]
佐藤方彦.2011/8/31.感性を科学する.xiii+185pp.丸善出版.[本体2,900円+税][大市中図701.1][Rh20170530][さとう まさひこ]


 誤植が少なくとも10箇所あった。たとえば、45頁の図3-1の、艦隊→桿体。
 何の誤植か見当のつかない誤植もあった。114頁の意識のモデル図8-1 での、「源氏の知覚カテゴリー化」の「源氏」、と、「意味の独力回路」の「独力」。

 鍵となる概念と思う、創発、縮重性、メカニズムなどについての説明が、無いか、あってもわからなかった。
 そして、全体構成が有機的ではないし、いろいろと参照しているが、個々の論理展開と結論が無いか不明瞭であることが大部分である。

  1. 参照および検討対象とした構成部分が、適切ではない。
  2. したがって、分析不十分である。
  3. あちこちと散策しているが、それらを繋げる筋道または論理展開が、不明である。
  4. 総合や統合は、無い。


  「バウムガルテン〔略〕の〔略〕著作『エスティテカ』〔略〕では、エスティテカは、感覚的認識の学であり、美しく思惟することの技術であると説かれている。そして、「美」とはエスティテクスによる認識の完全性であると定義している。〔略〕
 「エスティテカ」は、言葉の経緯からは「感性学」ということになる。しかし、バウムガルテンの「エスティテカ」を日本に紹介した〔略〕中江兆民は中国の易経の文言を吟味して「美学」という用語を創り出した。〔略〕井上哲次郎の「形而上学」も易経に由来する。欧米では、「エスティテカ」は、芸術の美の理論を扱う哲学の一分野「芸術哲学」を意味する用語となり、語義は「感性学」と理解されている。〔略〕日本でも「美学」は〔略〕「芸術哲学」で、〔略〕しかし、「感性学」ではない。日本語では、美学と感性学は同義ではない。」
(佐藤方彦 2011/8: 34頁)。


  「脳は独自の論理回路で、感知し、思惟し、吟味するシステムをそなえており、それぞれの回路は縮重性に満ちているとともに、相互に大きく重複していると考えるべきなのであろう。このシステムの活動をある視点からとらえて感性と呼び、別の視点からの活動を悟性、さらにまた別な視点からの特徴を理性と呼んでいるのに過ぎないのであろう。感性に特化したモジュール構造が存在しないだけではなく、ミラーニューロンやミラーシステムに類するような感性ニューロンや感性システムも存在しないのであろう。ないものを見つけ受けることはできまい。」(佐藤方彦 2011/8: 173頁)。

  「外界の印象を受け入れる能力という意味では類似しているが、感性はカントのジンリッヒカイトに、感受性はジャン・ジャック・ルソーのサンシビリテに始まるという説明に要約できそうである。〔略〕サンシビリテもある時代の人々の生活観の考究から生まれた言葉で、簡単に説明することは難しいらしい。「感受性」は、英語には「センシビリティ」、また、ドイツ語には「センシビリタート」や「エンフェングリッヒカイト」という単語があるにもかかわらず、ドイツでもイギリスでも、真に感受性を意味するときには、フランス語の「サンシビリテ」を使うことになるというのである。」(佐藤方彦 2011/8: 173頁)。

 あとがきで、
  「感性と感受性の区別〔略〕には生物科学は答えようがない。感性は〔略〕定義できる段階にはなく、感受性の方は仮説の試みさえないからである。」(佐藤方彦 2011/8: 181頁)。

 結局のところ、感性とは何かは、対応する神経細胞群が見つからないとして、ある観点からの脳システムの活動だという。ならば、その観点を説明してもらいたい。


 79頁に図4-2として、ベッツィと名づけられた一歳雌のチンパンジーに絵具を指につけて作らせた「指塗り絵 finger painting」の白黒画像が載せてある。なかなか面白い。上下をひっくり返して少し手を加えれば、もっと面白いものになるだろう。
 面白いものになるように修正するのは、わたしの感性または美的評価基準によっている。
 指の幅で繰り返される図柄が、或る効果を産んでいる。ただし、そのチンパンジーはその行為を楽しんだにしても、美的鑑賞を楽しんだでわけではないだろう。そのチンパンジーにとっては、それは絵画ではない。
 或る人々にとっては、絵画とはなる。絵画とは、絵画的感性を投じるシステム体(たとえばヒト有機体)にとってのみ、絵画となるものである。

 感じ feeling そのものを分析すべきである。
 もう一点。抽象絵画を問題にするのなら、表象 representation として捉えることを避けるか、representation 再現前を、再現ではない意味を含む広い意味で定義しなおすべきである。いまだに、「表象」という、わたしにはわけのわからない言葉が使われているので、やはりrepresentation 再現前を使わせないのがよい。そうして、明瞭な思考をしよう。


 ベッツィの「指塗り絵」の画像を検索してみたら、下記の記事があった。


 人間の描画の起源をチンパンジーとの比較研究から解明しました -人間に固有なシンボルの生成や言語の習得について描画から検証-
 Aya Saito, Misato Hayashi, Hideko Takeshita, Tetsuro Matsuzawa
 The Origin of Representational Drawing: A Comparison of Human Children and Chimpanzees.
 チンパンジーと人間の子どもの描画の比較
http://langint.pri.kyoto-u.ac.jp/ai/ja/publication/AyaSaito/Saito2014-CD.html


 上記記事で言及されている。「齋藤亜矢の日本語の著書『ヒトはなぜ絵を描くのか』(2014」は、イマイチだった。


文献
[い]
*岩田誠.1997/10/1?.見る脳・描く脳 絵画のニューロサイエンス.196pp.東京大学出版会.[2,800円+税]

[こ]
*小泉英明(編著).2008/11.恋う・癒す・究める 脳科学と芸術.工作舎.[3,990円]

[さ]
齋藤亜矢.2014/2/5.ヒトはなぜ絵を描くのか──芸術認知科学への招待[岩波科学ライブラリー].岩波書店.[B20140410、1,404円][Rh20140413]

佐藤方彦.2011/8/31.感性を科学する.xiii+185pp.丸善出版.[本体2,900円+税][大市中図701.1][Rh20170530][さとう まさひこ]

[な]
*中原佑介.2001/7/17?.ヒトはなぜ絵を描くのか.

美術修行2017年5月27日(土)-1:西藤博三 展 13  To do o Nada 全か、無か、/ぎゃらり かのこ

2017年05月29日 10時03分01秒 | 美術修行
2017年5月29日-1
美術修行2017年5月27日(土)-1:西藤博三 展 13  To do o Nada 全か、無か、/ぎゃらり かのこ




 西藤博三 展 13  To do o Nada 全か、無か、/ぎゃらり かのこ[=GALLERY Ami-Kanokoの2階]/大阪の日本橋/入場無料。
 Hiroyuki Saito Exhibition Vol.13 Todo o Nada [案内はがきによる。]
 [なお、http://ami-kanoko.comでは、「TO do o Noda  ー全か無かー」と記載。]

 切った紙を貼って転写したものかと思ったが、木版画とのこと。[写真画像の掲載は、作者の了承済み。]





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風間虹樹の平面立体連続体絵画〈辿ろう、いのち景観。〉の展示のご案内/現代美術ー茨木2017展/生涯学習センターきらめきホール

2017年05月28日 21時20分21秒 | 美術修行
2017年5月28日-1
風間虹樹の平面立体連続体絵画〈辿ろう、いのち景観。〉の展示のご案内/現代美術ー茨木2017展/生涯学習センターきらめきホール/茨木


 午前は、芦屋市展に応募で搬入。

 午後は、現代美術-茨木2017展に搬入して展示(無審査)。
  F130の麻画布なので重くて、パネルに留めるのに難儀した。
   某さんに押さえてもらったので、なんとかダルマピンで一時留めできて、
    最終的には、すべて白い球頭の豆ピンで留めた。









 全体的な色は、床置き部分の写真画像のように銀青色です。



 風間虹樹の平面立体連続体絵画〈辿ろう、いのち景観。〉の展示のご案内

 ◇ 現代美術ー茨木2017展 ◇
 会期:2017年5月29日(月)、5月31日(水)〜6月4日(日)。6日間。
 時間:午前10時〜午後7時。最終日は午後5時まで。
 場所:生涯学習センターきらめきホール/JR茨木駅または阪急茨木市駅。
    80番または82番のバスで、図書館前下車すぐそこ。
 入場無料。