春日大社での参拝のあと
いつもとは違う道をたどると
急な階段を上った先には
若草山が目の前に現れました。
坂道を下って、手向山八幡宮から三月堂の前を過ぎて
3月にお水取りの行われる二月堂へ。
お松明が駆け抜ける舞台の上から東大寺大仏殿の屋根や奈良市内が眺められます。
この日の朝はマイナス2度。昼過ぎでも4度。
空気は澄み、輝き渡っていました。
長い急な階段を下り
真下からお堂を眺めると、目の前には1本の大きな杉がそびえ立ちます。その名は「良弁杉」
東大寺を開山した良弁。幼少時に鷲にさらわれ、杉の木にひっかかって泣いているところを
僧の義淵により助けられ育てられたという説があります。
さらに雄大な姿の大仏殿へ。鴟尾(しび)が輝いていました。
追記 ~天の原 ふりさけみれば 春日なる 三笠の山に いでし月かも~
春日大社からの帰り道、普段通ったことのない道に出ました。
そこに、この歌が刻まれた碑がありました。阿倍仲麻呂(698年ー770年)の顕彰碑でした。
717年19歳のときに遣唐使として派遣され、のちに科挙に合格し、玄宗皇帝に
寵遇され、752年渡唐から35年の54歳のとき秘書監という高官に上り詰めます。
この後、日本へ帰国の舟に乗りますが暴風で南方へ流され、落命したと誤報されましたが
755年に長安にたどり着きます。結局、日本への帰国を断念してさらに高位につきました。
761年から767年まではハノイに在任、770年73歳のとき亡くなりました。
いにしえの 奈良のみやこの 礎は 多くの人の 涙ながるる