6月20日 奈良にほど近い、アジサイの咲く、山あいにある花のお寺「岩船寺」を訪ねました。
縁起によるとこのお寺は、
天平元年(729年)聖武天皇が霊夢により、僧行基に命じて阿弥陀堂を建立したのに始まるとのこと。
本堂の阿弥陀如来坐像は、平安時代の作で高さ約3m、台座部分も2m以上ありそうな大きな金色の仏様で
ケヤキの一本造り。柔和なお顔、全体から受ける安堵感にしばらく包まれていました。
弘法大師と姉の子智泉大徳が、伝法灌頂(密教の阿闍梨の指導者の位を授ける儀式)を修し、このお寺に
大同元年(806年)に灌頂堂として報恩院を建立。嵯峨天皇が、智泉大徳に勅命して、皇孫誕生祈願させたところ
皇子(仁明天皇)が誕生。弘仁4年(812年)に堂搭伽藍が整備され、寺号も「岩船寺」(がんせんじ)となりました。
三重の搭は、仁明天皇が、智泉大徳の遺徳を忍んで承和年間(834-847)に宝塔を建立したと伝えられています。
現存する搭は、室町時代の刻銘があるとのこと。
振り返ると本堂の前に池があり、睡蓮が咲き始めていました。浄土の世界が現わされているようです。
この日は雨で、ほんの数名の参拝者だけ。雨の音だけを聞きながら、心静かに歩きました。
辺りは、アジサイで埋め尽くされているといった風情の花のお寺でした。
縁起によるとこのお寺は、
天平元年(729年)聖武天皇が霊夢により、僧行基に命じて阿弥陀堂を建立したのに始まるとのこと。
本堂の阿弥陀如来坐像は、平安時代の作で高さ約3m、台座部分も2m以上ありそうな大きな金色の仏様で
ケヤキの一本造り。柔和なお顔、全体から受ける安堵感にしばらく包まれていました。
弘法大師と姉の子智泉大徳が、伝法灌頂(密教の阿闍梨の指導者の位を授ける儀式)を修し、このお寺に
大同元年(806年)に灌頂堂として報恩院を建立。嵯峨天皇が、智泉大徳に勅命して、皇孫誕生祈願させたところ
皇子(仁明天皇)が誕生。弘仁4年(812年)に堂搭伽藍が整備され、寺号も「岩船寺」(がんせんじ)となりました。
三重の搭は、仁明天皇が、智泉大徳の遺徳を忍んで承和年間(834-847)に宝塔を建立したと伝えられています。
現存する搭は、室町時代の刻銘があるとのこと。
振り返ると本堂の前に池があり、睡蓮が咲き始めていました。浄土の世界が現わされているようです。
この日は雨で、ほんの数名の参拝者だけ。雨の音だけを聞きながら、心静かに歩きました。
辺りは、アジサイで埋め尽くされているといった風情の花のお寺でした。