去年の11月に、チューリップの球根を植木鉢に植えました。
ラベルの写真は小さく、白に赤の模様が入っている花で、
単色でないチューリップを買うのも面白いかもと購入しました。
植えた後、たっぷり水をあげただけで、陽もあまり当らない庭の
片隅に置いて、ともすれば忘れがちでした。
今年の早春はとても寒かったので、葉の伸びもゆっくりでした。
それでもっと陽のあたるところに出すとようやく葉っぱが伸びだしました。
3月24日の朝の様子です。
チューリップは、ユリ科の単子葉植物です。
原産地は西アジアから中央アジアで、10世紀や12世紀には山岳地帯の荒野や平地に自生し、
イラン文化圏では、文学において盛んに登場し、トルコ文化圏では、美術に美しさを表現されて
きたようです。
イスタンブールのトプカプ宮殿(1478年完成~1855年)には、タイル壁面に、糸杉の下に
ヒヤシンスと共に整然と植えられたチューリップの坪庭の図や、噴水を飾るバラ、カーネーション、
チューリップのブーケの図柄のタイルがあり、スルタンの衣装の柄にもチューリップのデザインが
多いようです。刺繍・絨毯・石彫、木彫、象嵌細工にもチューリップのデザインが使われ、埋め
尽くされたようです。(1)
トルコで15世紀から17世紀に人気のあった花の形は、小ぶりで、花の下部が多少の膨らみを見せ、
花びらの先は細く尖って外側に反りのあるタイプ。18世紀になると花の下部の膨らみが抑えられ、
花びらは細長くなり、更に花びらの先が針のように細く尖った形が流行した。また花びらがきつく
巻きついた形も特徴だったようです。(1)現在の普通の園芸品種の形とは随分違っていたようです。
もともとイランやトルコでは、この花の名前は「ラーレ」であり、7世紀半ばから今日に至る近世ペルシャ
語では「紅玉石」あるいは「赤色の宝石」を表すラアルを語源として、音声的変化をして、「ラーレ」と
なったと言われています。(1)
1554年にオーストリア皇帝の大使ブスペックが、この花のことを通訳が説明する時に用いた「ターバン」
(トルコ語でドゥルベンド、またはトゥルベント)に基づいて「tulipan」という名をこの花の名前
としたのではないかと言われています。
花の形が「ターバン」に似ているといったのがその名前になってしまったのでしょうか・・・
また、植物採集が目的だった、フランス人ベロンが1553年に出版された本の中で、「赤いユリ」を目に
したのは、旅の途上のトルコでのことだったと記しているそうです。(1)
このように16世紀にはトルコ・イスタンブールから、フランスやイタリアやオーストリア、ヨーロッパに
次々にチューリップが広まっていったようです。熱狂的な愛好家、投機家が生まれて1637年に球根相場
のバブルがはじけたのです。
しかし本物の愛好家や園芸家はその後もチューリップの改良に取り組んでいくのです。
咲き方には、一重、八重咲きだけでなく、
ユリ咲き・・・・・花弁の先端がユリのように細く外反転するユリ咲き。
フリンジ咲き・・・花弁の縁がガラスの裂片のように細かく切れ込むもの。
ピリディフローラ・特殊な複色花で、花被片のどこかに葉緑素が模様をつくって発色しているもの。
レンブラント・・・斑入り花・赤、白または黄色地に褐、銅、黒、赤、ピンク 紫の縞 の入ったものの総称
パーロット・・・・晩生群のチューリップ、花弁の縁にレース状の切れ込み。
晩生八重・・・・・ピオニー(しゃくやく)咲き。
野生種の交配種もあります。
日本では、富山、新潟が生産地で県の花にもなっています。
さて、その後どうなったでしょうか・・・・・・・・・・
4月20日蕾が上がってきているのを見つけました。
おやおや~~~
一本のチューリップに沢山の蕾がついているではありませんか~♪
そして24日の朝、ついに一輪咲きました。
25日、その周りの花も咲き始めました。
最初は一本の太い茎が途中から枝分かれをしたように伸びてます。このような咲き方を
「枝咲き」というそうで、初めて知りました。
26日は曇りで、雨も降ってきたので、風雨にさらされないように軒下に移動させました。
曇りの日や夕方は花は閉じます。
そして今日27日
このように 一本に一輪のもあります。この花をよく見てください。
ユリ科植物であるチューリップの花ですが、基本は6枚の花びらに見えます。
しかし外3枚はガクともいえる外花被で、内3枚が花びらといえる内花被だそうです。
ユリの花もこのような作りになっています。
太陽の下で元気に咲く枝先きチューリップ
朝から雲一つなく、透き通った青空に咲く~紅白の宝石のような花姿~です。
(1)イスラーム世界のチューリップ ヤマンラール水野美奈子氏の文を参照しました。
ラベルの写真は小さく、白に赤の模様が入っている花で、
単色でないチューリップを買うのも面白いかもと購入しました。
植えた後、たっぷり水をあげただけで、陽もあまり当らない庭の
片隅に置いて、ともすれば忘れがちでした。
今年の早春はとても寒かったので、葉の伸びもゆっくりでした。
それでもっと陽のあたるところに出すとようやく葉っぱが伸びだしました。
3月24日の朝の様子です。
チューリップは、ユリ科の単子葉植物です。
原産地は西アジアから中央アジアで、10世紀や12世紀には山岳地帯の荒野や平地に自生し、
イラン文化圏では、文学において盛んに登場し、トルコ文化圏では、美術に美しさを表現されて
きたようです。
イスタンブールのトプカプ宮殿(1478年完成~1855年)には、タイル壁面に、糸杉の下に
ヒヤシンスと共に整然と植えられたチューリップの坪庭の図や、噴水を飾るバラ、カーネーション、
チューリップのブーケの図柄のタイルがあり、スルタンの衣装の柄にもチューリップのデザインが
多いようです。刺繍・絨毯・石彫、木彫、象嵌細工にもチューリップのデザインが使われ、埋め
尽くされたようです。(1)
トルコで15世紀から17世紀に人気のあった花の形は、小ぶりで、花の下部が多少の膨らみを見せ、
花びらの先は細く尖って外側に反りのあるタイプ。18世紀になると花の下部の膨らみが抑えられ、
花びらは細長くなり、更に花びらの先が針のように細く尖った形が流行した。また花びらがきつく
巻きついた形も特徴だったようです。(1)現在の普通の園芸品種の形とは随分違っていたようです。
もともとイランやトルコでは、この花の名前は「ラーレ」であり、7世紀半ばから今日に至る近世ペルシャ
語では「紅玉石」あるいは「赤色の宝石」を表すラアルを語源として、音声的変化をして、「ラーレ」と
なったと言われています。(1)
1554年にオーストリア皇帝の大使ブスペックが、この花のことを通訳が説明する時に用いた「ターバン」
(トルコ語でドゥルベンド、またはトゥルベント)に基づいて「tulipan」という名をこの花の名前
としたのではないかと言われています。
花の形が「ターバン」に似ているといったのがその名前になってしまったのでしょうか・・・
また、植物採集が目的だった、フランス人ベロンが1553年に出版された本の中で、「赤いユリ」を目に
したのは、旅の途上のトルコでのことだったと記しているそうです。(1)
このように16世紀にはトルコ・イスタンブールから、フランスやイタリアやオーストリア、ヨーロッパに
次々にチューリップが広まっていったようです。熱狂的な愛好家、投機家が生まれて1637年に球根相場
のバブルがはじけたのです。
しかし本物の愛好家や園芸家はその後もチューリップの改良に取り組んでいくのです。
咲き方には、一重、八重咲きだけでなく、
ユリ咲き・・・・・花弁の先端がユリのように細く外反転するユリ咲き。
フリンジ咲き・・・花弁の縁がガラスの裂片のように細かく切れ込むもの。
ピリディフローラ・特殊な複色花で、花被片のどこかに葉緑素が模様をつくって発色しているもの。
レンブラント・・・斑入り花・赤、白または黄色地に褐、銅、黒、赤、ピンク 紫の縞 の入ったものの総称
パーロット・・・・晩生群のチューリップ、花弁の縁にレース状の切れ込み。
晩生八重・・・・・ピオニー(しゃくやく)咲き。
野生種の交配種もあります。
日本では、富山、新潟が生産地で県の花にもなっています。
さて、その後どうなったでしょうか・・・・・・・・・・
4月20日蕾が上がってきているのを見つけました。
おやおや~~~
一本のチューリップに沢山の蕾がついているではありませんか~♪
そして24日の朝、ついに一輪咲きました。
25日、その周りの花も咲き始めました。
最初は一本の太い茎が途中から枝分かれをしたように伸びてます。このような咲き方を
「枝咲き」というそうで、初めて知りました。
26日は曇りで、雨も降ってきたので、風雨にさらされないように軒下に移動させました。
曇りの日や夕方は花は閉じます。
そして今日27日
このように 一本に一輪のもあります。この花をよく見てください。
ユリ科植物であるチューリップの花ですが、基本は6枚の花びらに見えます。
しかし外3枚はガクともいえる外花被で、内3枚が花びらといえる内花被だそうです。
ユリの花もこのような作りになっています。
太陽の下で元気に咲く枝先きチューリップ
朝から雲一つなく、透き通った青空に咲く~紅白の宝石のような花姿~です。
(1)イスラーム世界のチューリップ ヤマンラール水野美奈子氏の文を参照しました。