ラーレ・・・・枝咲きチューリップ

2012年04月27日 | 日記
去年の11月に、チューリップの球根を植木鉢に植えました。

ラベルの写真は小さく、白に赤の模様が入っている花で、
単色でないチューリップを買うのも面白いかもと購入しました。
植えた後、たっぷり水をあげただけで、陽もあまり当らない庭の
片隅に置いて、ともすれば忘れがちでした。

今年の早春はとても寒かったので、葉の伸びもゆっくりでした。
それでもっと陽のあたるところに出すとようやく葉っぱが伸びだしました。
3月24日の朝の様子です。
          

チューリップは、ユリ科の単子葉植物です。

原産地は西アジアから中央アジアで、10世紀や12世紀には山岳地帯の荒野や平地に自生し、
イラン文化圏では、文学において盛んに登場し、トルコ文化圏では、美術に美しさを表現されて
きたようです。
イスタンブールのトプカプ宮殿(1478年完成~1855年)には、タイル壁面に、糸杉の下に
ヒヤシンスと共に整然と植えられたチューリップの坪庭の図や、噴水を飾るバラ、カーネーション、
チューリップのブーケの図柄のタイルがあり、スルタンの衣装の柄にもチューリップのデザインが
多いようです。刺繍・絨毯・石彫、木彫、象嵌細工にもチューリップのデザインが使われ、埋め
尽くされたようです。(1)

トルコで15世紀から17世紀に人気のあった花の形は、小ぶりで、花の下部が多少の膨らみを見せ、
花びらの先は細く尖って外側に反りのあるタイプ。18世紀になると花の下部の膨らみが抑えられ、
花びらは細長くなり、更に花びらの先が針のように細く尖った形が流行した。また花びらがきつく
巻きついた形も特徴だったようです。(1)現在の普通の園芸品種の形とは随分違っていたようです。

もともとイランやトルコでは、この花の名前は「ラーレ」であり、7世紀半ばから今日に至る近世ペルシャ
語では「紅玉石」あるいは「赤色の宝石」を表すラアルを語源として、音声的変化をして、「ラーレ」と
なったと言われています。(1)

1554年にオーストリア皇帝の大使ブスペックが、この花のことを通訳が説明する時に用いた「ターバン」
(トルコ語でドゥルベンド、またはトゥルベント)に基づいて「tulipan」という名をこの花の名前
としたのではないかと言われています。

花の形が「ターバン」に似ているといったのがその名前になってしまったのでしょうか・・・

また、植物採集が目的だった、フランス人ベロンが1553年に出版された本の中で、「赤いユリ」を目に
したのは、旅の途上のトルコでのことだったと記しているそうです。(1)

このように16世紀にはトルコ・イスタンブールから、フランスやイタリアやオーストリア、ヨーロッパに
次々にチューリップが広まっていったようです。熱狂的な愛好家、投機家が生まれて1637年に球根相場
のバブルがはじけたのです。

しかし本物の愛好家や園芸家はその後もチューリップの改良に取り組んでいくのです。

咲き方には、一重、八重咲きだけでなく、
ユリ咲き・・・・・花弁の先端がユリのように細く外反転するユリ咲き。
フリンジ咲き・・・花弁の縁がガラスの裂片のように細かく切れ込むもの。
ピリディフローラ・特殊な複色花で、花被片のどこかに葉緑素が模様をつくって発色しているもの。
レンブラント・・・斑入り花・赤、白または黄色地に褐、銅、黒、赤、ピンク 紫の縞 の入ったものの総称
パーロット・・・・晩生群のチューリップ、花弁の縁にレース状の切れ込み。
晩生八重・・・・・ピオニー(しゃくやく)咲き。
野生種の交配種もあります。

日本では、富山、新潟が生産地で県の花にもなっています。


さて、その後どうなったでしょうか・・・・・・・・・・
4月20日蕾が上がってきているのを見つけました。
おやおや~~~
            
一本のチューリップに沢山の蕾がついているではありませんか~♪

そして24日の朝、ついに一輪咲きました。
            

25日、その周りの花も咲き始めました。
            
最初は一本の太い茎が途中から枝分かれをしたように伸びてます。このような咲き方を
「枝咲き」というそうで、初めて知りました。
        
26日は曇りで、雨も降ってきたので、風雨にさらされないように軒下に移動させました。
            
曇りの日や夕方は花は閉じます。
            

そして今日27日
            

このように 一本に一輪のもあります。この花をよく見てください。
ユリ科植物であるチューリップの花ですが、基本は6枚の花びらに見えます。
しかし外3枚はガクともいえる外花被で、内3枚が花びらといえる内花被だそうです。
ユリの花もこのような作りになっています。

太陽の下で元気に咲く枝先きチューリップ
       


朝から雲一つなく、透き通った青空に咲く~紅白の宝石のような花姿~です。
      


(1)イスラーム世界のチューリップ ヤマンラール水野美奈子氏の文を参照しました。










ミニ葉ボタンの花

2012年04月22日 | 日記
           

今、ミニ葉ボタンの花が咲いています。普段は、花茎が伸びたら、観賞せずに取り去られて
しまうことが多い花です。でも、せっかく大きくなり、上に着いた葉も斑入りでなかなか綺麗。
手間もかからず、そのまま咲かせていました。
           
もともと葉ボタンは、紫、赤、桃色、白、クリーム色の葉を楽しむために改良されました。
江戸時代に日本で改良され、独自の発展をした古典園芸植物の一つです。名前の由来は葉を
牡丹の花に見立てたもの。

和名では、別名、牡丹菜 花キャベツ
英名では、Ornamental cabbage、 Ornamental kale、flowaring kale

去年の12月の中ごろ、寄せ植えをしました。
      
花言葉は、「祝福」「慈愛」「利益」・・・門松とかと一緒に混植されるのもわかり様な気もします。


葉ボタンは、結球しないキャベツ、またはケールが主に観賞用として栽培されるうち、品種改良された
とみられ(1)、食用としてオランダから渡来し、「オランダ菜」として長崎に入ってきたものが、
日本で観賞用に改良された(2)ようです。

分類学上では、アブラナ科アブラナ属、種は、ヤセイカンラン(B.oleracea)、変種はケール(var.acephala)
ケールと同じ変種のようです。

その「オランダ菜」についてですが、1709年(宝永6年) 貝原益軒の『大和本草』第五巻に、
「紅夷菜」として、
  「葉大にして、光無く白けたり。花は淡黄色にして羅蔔花の如し。味良し。植えて後、3年にして花開く。
   これ菘の類なり」
というが記載されているようです。(3) (羅蔔とは大根、菘とは、白菜のこと。)


葉ボタンの変種名の「acephala」とは、頭がない意味です。

キャベツを調べると、変種名が「capitata」で、「頭状」のという意味です。ラテン語の
「caput」(頭)からきています。ちなみにラテン語「caput(カプート)」から、フランス語の
ピカール方言「caboche」となり、英語の「cabache」へ変化し、「cabbage」になったようです。(4) 

キャベツは、スペインのあたりに住んでいたイベリア人が、野生のものを利用し、地中海沿岸に
侵入してきたケルト人により栽培され、古代ギリシャのピタゴラス(BC582-496)は、
「元気と落ち着いた気分を保つ野菜」とし、古代ローマの政治家 大カトー(BC234-149)は、
キャベツが、胃に良いことを『農業について』の中で述べているようです。(5)
12~13世紀ごろ、イタリアで改良され、18世紀にアメリカでさらに 肉厚で柔らかく
改良された。球状のキャベツが日本に入ってきたのは、1850年代で、本格的な生産は、
1874年(明治7年)内務省が欧米から取り寄せた種子で、栽培試験を行ったのが始まりと
されています。(1)
このことから考えると、キャベツは、葉ボタンのルーツではないようです。

江戸時代に園芸文化が盛んになり、
1735年(享保20年)に、菊池成胤の『草木弄葩抄』に
  「雪もち草、いかり草、葉ぼたん、から松草・・・」(6)
と載っています。

また1778年(安永7年)の博物学者 山岡恭安の『本草正正譌』に
  「牡丹菜・葉牡丹」と記載されているようです。(1)

外来の野菜が、観賞用の園芸品種として日本の江戸時代に発展し、「古典園芸植物」と
呼ばれていたのには、驚きました。ほかに外来植物では、キク・アサガオ・ウメ・芍薬、中国蘭が
あります。


3月12日には、このような表情でした。
      

ヤセイカンランがルーツの野菜には、
                 ケール   (緑葉甘藍・羽衣甘藍)
                 ブロッコリ (緑花椰菜)
                 カリフラワー(花椰菜・花甘藍)
                 コールラビ (蕪甘藍・蕪玉菜)
                 芽キャベツ (子持甘藍・姫甘藍)
                 紫キャベツ (紫甘藍・紫玉菜)
                 キャベツ  (甘藍・玉菜)
が、あります。(甘藍は「カンラン」と読み、漢名のキャベツのことです。)

アブラナ科の花の特徴は、4枚の花弁が十字架のように見えること。
      

花茎全体の様子をよく見ると、花のつき方が、部分と全体でも同じ相似形になっているようで、
写真がなくて残念ですが、学名では、カリフラワーの仲間の 「ロマネスコ」を思い出しました。
      


「薹(とう)が立つ」という言葉は、野菜などの花茎が、伸びてかたくなり、食用に適する時期を
過ぎることを意味します。勿論、食用ではありませんが、観賞には向かないと思われていた葉ボタン
の花の伸びゆく様子を見ていると、薹が立っても、これはこれで早春の貴重ないろどりの一つで
良かったかなと思います。

写真は、左から1月15日、3月15日、4月14日の順です。



(1)wikipedia 「ハボタン」の項参照
(2)タキイ種苗のホームページ「プラチナケール」参照
(3)大場秀章『サラダ野菜の植物史』「ケール」の項より。
(4)語源辞典より
(5)cabbage-field.com「キャベツ畑」「キャベツの歴史」参照。
(6)国立国会図書館のホームページ 電子展覧会江戸時代の博物誌「描かれた動物・植物」参照







桜の「通り抜け」(遠足)

2012年04月18日 | 
大阪にある造幣局の有名な桜の「通り抜け」。初めて行ってみました。

天満橋から河口方面を見た景色です。



この「通り抜け」とは、天満橋側から桜ノ宮橋の方へ、桜の並木道を進む、一方通行のことです。

  

案内板によると、今回で、129年目を迎え、本数は354本あります。この桜は明治の初め、藤堂藩の蔵屋敷から
移植されたもので品種も多く、他では見られない里桜も集められたようです。明治16年(1883年)当時の
造幣局長遠藤氏の「大阪市民の皆さんと一緒に花見を楽しもうではないか」という発案で、混雑緩和のため、
一方通行にして一般に開放されることになりました。いつしか「通り抜けと呼ばれるようになったそうです。
関山(かんざん)松月(しょうげつ)普賢象(ふげんぞう)黄桜 楊貴妃などの八重桜が、主で沢山ありました。

  

  

桜の樹高はわりと低いものがあり、目の高さ近くまで枝を伸ばしてくれているので、すぐ目の前で見ている感じです。
「妹背」と「御衣黄」です。
  
これも「妹背」の上のほうの枝です。
  
「祇王寺祇女桜」
  
「関山」
  
「普賢象」
  

とにかく前進あるのみです。訪れたのは午後1時くらいで、人は途切れることなく、立ち止まり撮りながらも
ずんずん進んでいかなくてはなりません。
  

  

   

  

こんなに沢山の八重桜に出会えて、とても嬉しいです。しかも次の桜は、その名も素晴らしい「幸福」です。
    

これが「今年の花」小手毬(こてまり)です。出口側にあります。
  

桜宮橋を渡って、対岸を歩いて戻ることにしました。一本だけ八重桜が咲いていました。


歩いていると桜の花びらが舞い散っていきます。


それにしても今日の大阪は快晴でした。
水上を走る船も沢山の観光客で賑わっていました。


 
道が無くなって・・・・一旦 また元の対岸へ渡りました。


そして帰りの天満橋からの風景です。


都会の真ん中にも、美しい自然がありました。




緑が増え始めました。

2012年04月15日 | 日記
今年の4月の初めは、いつになく肌寒い日が多いように思いました。それでちょっと
この2週間の気温を調べてみることにしました。・・・・・

4月1日の京都の最低気温は2.4度、最高気温は、11.4度(過去10年間で最低でした。)
例年なら、そろそろ満開になってるはずのサクラが、まだつぼみ難しの状態でした。

その頃に撮ったバラの芽です。部屋から夕暮れに見た後ろ姿の芽は、まるでクリオネのよう
に見えました。そして、またほとんどの鉢は、芽が出たばかりです。
     

6日と7日も、最高気温が10.2度と10度 去年の同じ日の気温は20.8度と22度。
これは寒く感じるはずです。さすがに8日には、昼の気温も幾分ましになり、例年なみの16度、
ところがこの夜0.5度しかなかったとは・・・・・いつまでもつい暖房をつけてしまうわけです。
9日は、22.3度、10日は22.1度になり、桜もようやく5分咲きから近くの枝垂桜は満開
になりました。

20度を超えたのは、1日から14日までの間で、3日間(12日が22.4度)しかありません
でした。ちなみに去年は、14日中、8日が20度を越えていました。

道理で、気温が低く午前中しか陽のあたらないこの庭では、芽吹きが遅かったわけです。

でも大丈夫!10日からはみるみる伸びだしてクリオネのように見えてた芽は、こんなに伸びてきました。
                
そんな気温の低いなかで、ほとんどのバラがまだ若葉が出始めたばかりだというのに、驚きの蕾をつけた枝を発見!
それがこれです。系統はチャイナローズの「ルイ14世」です。
              
四季咲きで、樹高は低い(平均で60~80cmくらい)バラです。1859年にフランスのP・Guillotにより
作出されました。ほんの2週間前は、こんな姿でした。赤ワインのような色をしていてとてもきれいでした。
              
もう一つ蕾を発見!これは、「ユーゲン・フルスト」の蕾です。7日に乗せた2月15日の芽の写真と同じところです。
             
系統は、ハイブリッドパペチュアルで、フランスのSOUPERT AND NOTTINGにより1875年作出されました。


バラの若葉は、とてもきれいです。中には、つやつやの光沢のあるものと、艶のないものがあります。
どの時期にも見るところがあります。
 

気温が低いことは悪いことではありません。プリムラやビオラ、パンジー、 スイートヴァイオレットなどの草花は、
例年なら今頃気温が高いと茎が徒長してしまったり、花が終わってしまう時期になりますが、まだとても綺麗です。
     

これは、今日15日の庭の様子です。毎日少しずつ変わる景色です。

ウインドフラワー  

2012年04月11日 | 日記
             


これは、アネモネです。購入したとき、ラベルは、ラナンキュラスのように
記憶していたのですが、やっぱり・・・・アネモネでした。
          
ラナンキュラスは、花びらの数が、大変多いものがそうだと思っているし、
これは見かけも一重だし、やっぱりアネモネかな?っと。
でもラナンキュラスにも、一重はあるらしいので、ちょっとその違いを
調べてみることにしました。

アネモネ:    キンポウゲ科 イチリンソウ属 別名 牡丹一華(ボタンイチゲ)
                             紅花翁草(ベニバナオキナクサ)
                             花一華 (ハナイチゲ)

ラナンキュラス: キンポウゲ科 キンポウゲ属  別名 花金鳳花(ハナキンポウゲ)
属名は違うが、同じキンポウゲ科なので、葉の形、つき方はよく似ているように思えます。

「インタネット園芸大辞典」の 「ラナンキュラス」の項を見ると、
  「ラナンキュラスの原種は一重咲きですが、18世紀頃にヨーロッパで大流行し、
   八重咲き、万重咲きに改良されてきました。・・・・」

『世界大百科事典 第二版』の解説によるHPを見ると、
  「16世紀末に一重咲きの系統がイギリスに導入され、品種改良が進み、 
   八重咲きが生まれ、・・・」
とあり、ラナンキュラスにも、一重があるらしいからです。

決定的にちがうのは、球根の形で、アネモネは、塊茎(茎の一部が肥大化して、養分を
蓄えている)小さな三角に近い形状の球根の形をしているのに対して、ラナンキュラス
の球根は、塊根で、非常に小さいのですが、小さな長細いダリアの球根みたいな形のもの
がいくつも固まって一つの球根になっています。
といっても、今、咲いているお花さんを掘り返すにもいかず。

「アネモネとラナンキュラス」の違いで 検索しているうちに、
〈花の下にがくのついているものが、ラナンキュラスだ〉というのがありました。

この庭は、朝から午後2時くらいまで陽が当たるのですが、昼ごろはこの花は、
このように開いています。
         
ところが、夕方には、このように閉じてしまいます。
            
「がく」は、というと・・・・花の下にあるのかどうか・・・・・             
         
1本づつ、よく見ると、一日目は、花の下についているように見えます。            
         
三日目の花は、           
         
おや・・・・花首がすこし伸びています。
五日目になると、            
         
花首が、ぐ~んとのびて、花の下についていたのは、実は葉っぱ・・・・
苞葉(ほうよう)で、芽や蕾を包んでいる小さな葉のようです。ということは、
やっぱり、「がく」はないから、アネモネですね。

開いたり、閉じたりしながら、花が大きくなっていく花です。

ちなみに、「インタネット園芸大事典」の一番上の一重のラナンキュラスの
写真には、花の下に、薄緑の ガク片のようなものがついてます。

アネモネは、ラテン語の「anemone」、
ギリシャ語で、「風」を意味する「anemo」と「子」や「娘」を意味する
「one」に由来します。「風の子」、「風の娘」といったところですね。

ギリシャ神話では、美少年アドニスが、狩り中に命を落とし、それを見た、
愛の女神アフロディーテ(ヴィーナス)が流した涙から、アネモネの花が
うまれたとも、アドニスの流した血からアネモネの花が生まれたとも、
諸説あります。

さて今日の題名、ウインドフラワーにようやくたどり着きました。
アネモネの英名「wind flower」です。
その語源は、
○春風が咲くころに開花するから・・・
○種は、長い毛を有し、綿毛のある種子は、風によって運ばれる。
このことから、英名はついているようです。

ここまできてなんですが、実は「アネモネ」の花びらのように見えているのは、
これも「がく片」で、「花びらのない花」という説明のサイトもありました。☆

え~ここまできて、ラナンキュラスの花びらも「花被片」という「がく」と「花びら」
を区別しない呼び名であることがわかりました。★

アネモネの花は~どこ~~~ 
ここまで調べたのに、私の花の首も・・・「ガクッ」(笑)
あ~花びらは、いずこへ~~~~~
風とともに去りぬということでしょうかね~♪

☆ 八ヶ岳高原のふもとに広がる「原村」のサイトと、
★「咲いとWEB 花とみどり ミニ検定第7回 解答と解説」の 
 問10の答、「ラナンキュラス」の説明文を参照しました。