10月1日 滋賀 建部大社さんに参拝させていただきました。
ご祭神は、日本武尊(ヤマトタケル)
16歳で熊襲を誅し、その後に東夷を平定
32歳で崩御されました。
写真上は拝殿と本殿
下左は、父の景行天皇や皇后のお社
下右は、本殿前の狛犬です。
台風一過のこの日、朝から快晴で
清々しい空気が流れていました。
色々な光に照らされて、有り難い参拝となりました。
追記
京阪電車の唐橋前駅を下車して
すぐに瀬田の唐橋があります。
「急がば回れ」という諺は、この橋に由来しているというのを、先日テレビで見て知りました。
室町時代の連歌師 宗長の
もののふの矢橋の船は早けれど、
急がば回れ瀬田の長橋
という歌に由来しているとのことです。
矢橋とは矢橋の渡しのことで
東海道五十三次草津宿の矢橋の渡しから、
大津宿の石場港までを結ぶ湖上水運でした。
矢橋の渡しから船でびわ湖を渡るには
比叡山からの突風もあり危険を伴いました。
急ぐ時は危険な近道よりも、遠くても安全な
本道を通る方が結局早い。安全で着実な方法を取れという戒めです。
1889年(明治22年)までは、瀬田川にかかる唯一の橋でした。東海道や東山道方面から京都に行くには、びわ湖を舟で渡るか、南北に迂回しないかぎり瀬田川を渡らなければならず、交通の要所でした。古代の橋は今より南の位置にあったそうです。壬申の乱では最後の決戦場になったとか。
以降も度々、戦闘が唐橋で繰り広げられた歴史があります。
唐橋が今の位置になったのは、織田信長が命じ1579年のことです。近江八景の一つ、瀬田の夕照。1795年から1894年の100年間に18回架け替えが行われたそうです。①
唐橋を渡り、しばらく歩くと大木の杜が見えて来ます。そこに建部大社はあります。
① 瀬田の唐橋 Wikipedia 参照
大正13年に木造から鉄筋コンクリートの橋に
架け替えられ1979年に現在の橋が竣工され
2012年に唐茶色に塗り替えられ現在に至るそうです。