25日、小雨まじりの曇り空。
閑静な山の中に佇む「大山崎山荘美術館」を
訪れました。
JR大山崎駅から、送迎バスに乗り、
約5分もしないうちに、天王山の中腹に
到着、この門から山荘までは徒歩になります。
昼下がりの午後。最後にバスを降りた私は、
一人ゆっくり歩を進め、美しいもみじの並木坂を上っていく。
若緑色をした、葉の小さいもみじ。空気もひんやりしてくる。
レストハウスを通り過ぎ、道なりにカーブして登っていくと
そこに門が現れ、 見たことのない門灯に立ち止まる。
小さな池に5匹の鯉。一番右の金色の鯉が迎えてくれました。
残念ながらエサはなくて。
そしてここが正面から見た山荘。
ここは、明治生まれ、大正、昭和に活躍され、実業家、加賀正太郎氏の山荘です。
訪れたきっかけは、先日見つけたパンフレット。
「蘭花譜」があるというのを知りませんでした。実物が見られるとのこと。
普段、印刷本の「バラ図譜」を見て、、本物が見られたらという感を持つ私は、
ぜひこの機会に、初めて見る「蘭花譜」を見たいと強く思ったのです。
「蘭花譜」は、加賀氏が自ら育てた蘭をモチーフに1946年に
監修、制作された蘭の、木版による植物図譜です。
加賀氏の蘭花譜序によると、1910年にイギリスの
キューガーデン訪問をきっかけに、蘭栽培に非常に感銘され、
ここに温室をつくり、蘭を育成されたようです。
1914年当初は、貴重な輸入蘭を沢山枯死されてしまったものの
1917年には3か月間のインドネシア旅行や 現地の植物園にも
赴かれている。電気、電話の開通、交通の便もよくなり、
蘭栽培の天才と加賀氏がいわれる後藤兼吉氏を迎えてこの温室の
栽培が進み、1922年には、人工交配による実生新種成功。
大正から昭和にかけての約30年間に1140種類、1万鉢に近い
蘭が育成されました。ものすごい数です。
試験管の中で人工交配された蘭が花を咲かせるまでには、早いもので
3年、また8年もかかるそうです。
丹精込めて育て上げた蘭も、戦中から次第に温室を温める資材が少なくなり、
戦後2年目に、燃料配給が皆無になり、蘭が枯死するかもしれないことから
そのままの花の美しい姿をとどめたい。その一心に「蘭花譜」は、
誕生したのです。
精密な植物図の下絵は日本画家により作成され、それをもとに
東京と京都の木版絵師の手により、印刷されました。
一枚の図を完成させるのに、120~150枚の版木に細かく
部分部分を彫り、彩色して刷り上げる。気の遠くなるような作業で
しかも、そこには、詳細な色の指定があり、すべてが特製の奉書紙に
刷られるのです。その詳細な工程も展示されていました。
パンフレットと購入した図書から。
木版画83点、カラー図譜14点、単色写真図版7点の
合計104点。
一枚一枚が繊細な、蘭の美しさを表していました。
それは、加賀氏の熱意の賜物で、貴重な図譜を見ることが出来ました。
二階のテラスから、木津川、宇治川、桂川の三川が合流して、淀川になる
向いに男山と、蘭栽培に適した地であったと書かれている。
喫茶室で紅茶を飲んでいると、大きな木製のオルゴールから、
素晴らしい音色が聞こえてきました。
シャンデリアも素敵で、階段にある、光が透けた、たぶんマリアさまと
思われる美しい女性とフルール・ド・リス あのユリの紋章が輝く
ステンドグラスは、北ドイツ地方のものだそうです。
さて、ゆっくり見学させてもらい、外から、奥にあったと思われる
温室につながる白い窓枠が美しい回廊。
手前の池には、沢山の可愛らしいスイレンが咲いていました。
地下にある、安藤忠雄氏設計による展示室には、クロード・モネの
睡蓮が常設されています。ここも必見です。
帰り道、面白い木を見つけました。そこに赤いものが・・・・
これは、「ブラシの木」でオーストラリア原産、
別名 ハナマキ(花槙)キンポウジュ(金宝樹)
学名「カリステモン」カリステモンは、ギリシャ語で、「美しい雄しべ」
これは花だったのです。「実」は、オーストラリアでよく起こる
森林火災にあうと、中から種がはじけ出るそうです。不思議ですね。
日曜日5月27日までで、この「蘭花譜」の展示は終了。
次回は6月6日から「美の再発見」所蔵品の名品展示が行われるようです。
安藤氏設計による「夢の箱」というスペースが披露されるようです。
「桃栗3年柿8年」といいますが、桃や栗が実をつけるまでには、3年かかり
柿は8年かかるということ。なにげなくお花屋さんや植物園で見ていた
蘭も開花までには8年もかかっているものもあるのかと感慨深かったです。
いろんな意味で、植物の美しさ、生命力が魅了する世界を感じた訪問でした。