冬至を迎えて 〜 一陽来復 〜

2024年12月21日 | 日記

冬の蕾 ゆるゆると 
長〜い楽しみがここにあります✨




頂きものの黒豆入りのシュトーレン✨🙏✨
クリスマス待ちきれず頂きま〜す〜✨
パクパクパクパク ワクワク〜✨
美味しかったです〜🎶✨🎄✨🍀✨🧡


パンジー苗やってきました✨
どんな色と形か〜春のお楽しみです♩


15日 滋賀 建部大社さんに
参拝させて頂きました✨🙏✨


時折寒風が吹く月次祭
一年の締めくくりに感謝です。


宿泊先で出会う青空✨🔵✨
寒くとも清々しい朝です。


帰って来たら咲いてました✨


12月21日 

冬至といえば一陽来復

いう言葉を聞いて、あらためてgoo辞書で検索してみましたら〜

🔴冬が終わり春が来ること

🔴新年が来ること。

🔴悪いことが続いたあとで幸運に向かうこと。

🔴陰の気が極まって、陽の気にかえることから

とありました。

🔵デモ〜マダマダサムイナ〜

🟢タシカニ〜ソレハソウダナ〜

🟠ソレハソレハ〜ウレシイコトダナ

🟡ゲンキフッカツッテコトカナ〜

そんな心の小声が聞こえてきました☺️

新しい年に向けて✨心機一転✨

来年は笑顔の花を咲かせるように
心に明るい種を蒔く冬至にします〜✨
✨✨✨✨✨✨✨✨✨✨✨✨✨

 














真っ赤だな〜♪ 再会の喜び✨

2024年12月08日 | 日記
12月7日 ☀️
半年ぶりの下鴨さんへ 
朝の光に照らされて〜🎵


朱色に染まっています✨🍁✨🍁✨🍁✨


糺の森はまだまだこれからの木も





イロハモミジは葉は小さいですが、次第に紅葉するグラデーションが美しいです。
✨🍁✨🟢✨🟡✨🔴✨🍁✨


予報では最高気温が9度ということで
寒いかなと身構えて行ったけれど
風がなく、よく晴れて清々しい日でした

追記〜✨嬉しい来訪ありがとう✨〜

サンタさん ✨登場✨


願い🤲叶い✨たまへ〜✨🙏✨


どこどこ〜🍀


キタキタ〜✨


気に入ってくれるかな〜✨


幸せの時間です✨🧡✨🙏✨🍀



























輝く瞬間 この日この時✨

2024年11月30日 | 日記
この日のスポットライト
輝いてみえる瞬間があります。


ある会で今年は餅藁でしめ縄を作らせてもらいました。6本1組根元で括られています。
3本ずつに二つに開き、手を湿らせ、手のひらで3本ずつを向こうに転がすように捻り、向こう側の捻れた3本を手前に引く。それを繰り返すと縄に〜〜〜ナカナカナラナイ〜💦ムツカシイ〜💦
手伝ってもらってもらってやっと輪に🙏


この餅藁が手植えで、田の草取りも手で、最後の刈り取りも猛暑の中、手刈りだったことを知っているので、有り難さは倍増しています✨🙇‍♀️✨

また良い香りのする檜の削り落としを詰めたレースのボールに花飾りもさせてもらいました✨🙏✨

また最終日にも参加し、二つ目の飾りを作らせていただきました。



紙垂も水引き飾りも花も葉も皆んな
手作り✨🙏✨🙇‍♀️✨
楽しませて頂きました✨🙏✨

25日 ここにもスポットライト


ここにも✨


昼と夜の寒暖差の大きかった11月。
返り咲いた最後の花は小ぶりですが
長く咲いてくれました。

30日 散歩の途中で。桜の紅葉🍂


澄み渡る空





風は冷たいけれど、おひさまが背中にあたると暖かいです😊




















今は昔の物語  物語の世界を垣間見て

2024年11月16日 | 日記
烏丸丸太町を北へ
(からすままるたまち)
右手の緑は京都御所を囲む木々です。


しばらく歩くと護王神社があります。


和気清麻呂公と姉の広虫を祀る神社です。


京都の北にある神護寺から明治19年にこの地に移されたとのこと。



狛犬ならぬ、イノシシが守っています。
なぜイノシシなんでしょうか、、、?

そして入り口には、大きな足腰御守がかかっています。

由緒などを読んでみると、、、

奈良時代の末、法王の位を得た道鏡は、宇佐八幡宮の神託を得たと皇位に就きたかった。しかし、その神託が偽であり真の神託を清麻呂が宇佐八幡宮から持ち帰って来たため、道鏡は怒り、清麻呂の足の腱を切り、大隈国に流罪としました。しかも刺客を放ちます。しかし、清麻呂が大隈国に向かう途中、宇佐八幡宮に立ち寄ろうとした道中で300頭のイノシシが現れて、清麻呂の輿を守り無事参拝を終えると猪は去り、足も治り歩けるようになったとのことです。その後、都に呼び戻され、のちに平安京の新都造営を進言し、造営大夫として尽力されたとのことです。

イノシシに守られた。だから狛犬ならぬイノシシであり、そして足腰御守なのですね。

道を渡り、少し北に歩くと御所の蛤御門(はまぐりごもん)があります。


1864年に幕府と長州藩との武力衝突があった所です


中に入ると


大きなムクノキがあります。


西側


南側


この御所は、1331年に光厳天皇が東洞院東土御門殿を皇居と定めたもので、最初は紫宸殿と清涼殿を兼用するような里内裏だったそうです。
何度も消失を繰り返し、織田信長や豊臣秀吉により再建されてきたようです。天明大火で消失後、1790年幕府は松平定信を内裏造営に当たらせ、承明門、紫宸殿、清涼殿の一廓を平安時代の形式で復元しているとのことです。

現在の建物は1855年の再建とのこと。
江戸時代までは、御所のまわりを取り囲むように公家の邸宅が並んでいたそうですが1869年の東京遷都後は公家屋敷はなくなり、京都御苑(公園)となっています。

最初の平安京内裏は2キロ西側にあったようです。度重なる火災などで、藤原氏の家を里内裏としているうち、現在の場所になったようです。
 
この御所の東南側に大宮御所、仙洞御所があり、その北側に道長の土御門殿があったと示す札が建てられています。さらに紫式部の屋敷があった場所は現在の廬山寺のある所とされています。道長の屋敷からは歩いてすぐの場所にあります。


この世をば 我が世とぞ思ふ 望月の
虧けたる事も 無きと思へば

この歌が詠まれたのは。1018年10月16日の事で、道長の娘、威子が後一条天皇の中宮に冊立されたことを祝う宴で道長が詠んだ歌だということが藤原実資の日記『小右記』からわかります。

実資の日記には、この和歌の前に、以下のような文章があります。

「太閤の外官を招き呼びて云ふよう、 
『和歌を読まんと欲す。必ず和すべし』
てへり。答えて云ふよう、『何ぞ和し奉らんざらんや』と。又云ふやう、『誇りたる歌二ナム有ル。但し、宿(あらかじ)め構ふるには非(あら)ず』てへり。

とあります。

太閤の外官とは実資のことで、道長は、歌を歌いたいので返歌を実資に所望した所、実資もこれに応えると返答した時、

道長が、「誇らしいと思って作った歌だが
あらかじめ作った歌ではない」といった。

ということです。

この後、この歌を聞いた実資は、

余申して曰く、
「御歌優美なり。酬答に方無し。満座只此の御歌を誦すべし。、、、」と。諸卿、余の言に響応して数度吟詠す。太閤和解して殊に和を責めず。、、、


と日記に書いています。

この歌が優美でとても返歌出来るものではありません。皆んな揃ってただこの歌を唱和するのが良いでしょう。と言うと公卿たちは、余(実資)の言葉に応じて数度吟詠した。太閤(道長)は機嫌を良くして、それ以上返歌を求めなかったということです。


この日(11月5日)ここに赴いたのは、御所の西側にある場所で、ある朗読会に参加し、箏の音を聴きながら源氏物語の朗読を聞くことにありました。この場所も土御門内裏跡とのことでした、、、ナンダカゾクゾク〜😊

今から千年前、この地の辺りに道長が天変地異や疫病に悩まされながら、都の運営にあたり、紫式部が源氏物語を書き、この辺りに住んでいたのかと思うと余計に興味が沸きました😊

御所の西側にある宜秋門(ぎしゅうもん)


中立売御門(なかだちうりごもん)辺りから東に向いた場所にて。比叡山が見えます。















この日この時 〜新しい気持ちに✨

2024年10月17日 | 日記
長く暑い昼間がお彼岸を過ぎても続いたこの秋。
それでもやはり朝晩は冷えてきたので、軽い剪定しかしてなかったバラも新しい緑の葉や蕾が出て元気に咲いています。

9月25日


一口一口が味わい深い焼き菓子を頂きました✨🙏✨嬉しい☕️お茶の時間に


掴まり立ちの嬉しいお便り✨🧡✨
早いね〜7ヶ月


10月12日 なんだかとても美しい空✨


秋の味覚頂きました✨🙏✨
信州から来たリンゴ


もう10月も半ば 


ようやく長袖を着ました。

いつもの秋はどんなだったか、、、?
忘れています💦
もういいっか✨過ぎさった日々は、、、

10月16日 今ここに咲くバラ


静かすぎる夜、気になって窓を開けると
遠くでコオロギが鳴いているのが聞こえ、
なんとなくホッとしました。