高山陣屋の歴史
元来は飛騨高山藩主であった金森氏の所有する下屋敷だったが、1692年(元禄5年)に幕府が飛騨を直轄領として以降、伊奈忠篤らによって整備され、代官所として用いられるようになった。
1777年(安永6年)以降は郡代役所となった。
明治維新後は筑摩県高山出張所庁舎として用いられた。1929年に国の史跡に指定された。
1969年まで県事務所として利用されていたが県事務所が移転後、現存する唯一の陣屋であることから文化財として保存する方針が示された。
1996年(平成8年)3月、1830年(天保元年)の絵図を基に約20億円を掛けて蔵番長屋、郡代役宅、奥座敷などが、ほぼ江戸時代の状態にまで復元された。
敷地と建物内は有料(420円)で一般公開され、内部には江戸時代の歴史資料などが展示されている。
表門の手前では毎日朝市が催されており、高山市内においては宮川朝市と並び陣屋朝市として親しまれている。
古い町並みが重要伝統的建造物群保存地区として選定されている。
休日でもないのに観光客で賑わっている。
特に若者の姿が多い、若者よ働かなくていいのか、これからの日本はどうなっていくのだと思っていたら今日は土曜日だった。
のんびりした旅といえば聞こえはよいが、私の曜日感覚がすっかり麻痺してきている。
麻痺といえば左手で傘をさし、右手にカメラを持って歩いているとカメラの重さに耐えきれず右手に異常なふるえがでてきている。
本格的な雨になってきた。高山から白川郷へ向かう。
しばらくして白川郷に到着したが、雨が強くなり車から降りる気持ちになれなかった。
駐車場の係りの人は仕事熱心で車を見ると腰の黒革のバックに手を入れ駐車券なのか釣り銭なのか用意して待っている。
今日は車の中から見るだけで満足しようと心に決めていたので、手を振り自分の意志を相手に伝えた。がっかりした姿が印象的だった。
撮影 平成25年5月11日
元来は飛騨高山藩主であった金森氏の所有する下屋敷だったが、1692年(元禄5年)に幕府が飛騨を直轄領として以降、伊奈忠篤らによって整備され、代官所として用いられるようになった。
1777年(安永6年)以降は郡代役所となった。
明治維新後は筑摩県高山出張所庁舎として用いられた。1929年に国の史跡に指定された。
1969年まで県事務所として利用されていたが県事務所が移転後、現存する唯一の陣屋であることから文化財として保存する方針が示された。
1996年(平成8年)3月、1830年(天保元年)の絵図を基に約20億円を掛けて蔵番長屋、郡代役宅、奥座敷などが、ほぼ江戸時代の状態にまで復元された。
敷地と建物内は有料(420円)で一般公開され、内部には江戸時代の歴史資料などが展示されている。
表門の手前では毎日朝市が催されており、高山市内においては宮川朝市と並び陣屋朝市として親しまれている。
古い町並みが重要伝統的建造物群保存地区として選定されている。
休日でもないのに観光客で賑わっている。
特に若者の姿が多い、若者よ働かなくていいのか、これからの日本はどうなっていくのだと思っていたら今日は土曜日だった。
のんびりした旅といえば聞こえはよいが、私の曜日感覚がすっかり麻痺してきている。
麻痺といえば左手で傘をさし、右手にカメラを持って歩いているとカメラの重さに耐えきれず右手に異常なふるえがでてきている。
本格的な雨になってきた。高山から白川郷へ向かう。
しばらくして白川郷に到着したが、雨が強くなり車から降りる気持ちになれなかった。
駐車場の係りの人は仕事熱心で車を見ると腰の黒革のバックに手を入れ駐車券なのか釣り銭なのか用意して待っている。
今日は車の中から見るだけで満足しようと心に決めていたので、手を振り自分の意志を相手に伝えた。がっかりした姿が印象的だった。
撮影 平成25年5月11日