戸隠神社の歴史
戸隠神社は霊山・戸隠山の麓に、奥社・中社・宝光社・九頭龍社・火之御子社の五社からなる、創建以来二千年余りに及ぶ歴史を刻む神社。
その起こりは遠い神世の昔、「天の岩戸」が飛来し、現在の姿になったといわれる戸隠山を中心に発達し、祭神は、「天の岩戸開きの神事」に功績のあった神々をお祀りしている。
平安時代末は修験道の道場として都にまで知られた霊場で、神仏混淆のころは戸隠山顕光寺と称し、当時は「戸隠十三谷三千坊」と呼ばれ、比叡山、高野山と共に「三千坊三山」と言われるほどに栄えた。
明治になって戸隠は神仏分離の対象になり、寺は切り離され、宗僧は還俗して神官となり、戸隠神社と名前を変えて現在に至る。
居多神社を出発したのは午後3時過ぎ、急いで行けば間に合うかも知れない。戸隠神社にナビをセット、いくつかの候補地から奥社を選択した。
ナビ任せで目的地を目指すが道が狭くてカーブが多い。実は運転している車は新車でフェリーに乗るまで家の周辺を数十キロ慣らし運転しているだけで、軽い気持ちで家を出ていたのだ。
車はハイエースのスーパーロング、自家用車としてはかなり大きい。奥社駐車場と思える場所にきたがナビはまだ先を案内する。
しばらくすると、道は一層狭くなり、対向車がきてもすれ違うことができない。
さらに、ナビはこの先道が狭くなりますと案内。車など通れる道ではなく苦労してUターン、最初の駐車場に戻った。
随神門
午後4時半を過ぎ参道入口の鳥居に到着、案内図によると片道2キロ、所要時間40分と書いてある。5時までには目的地に到着したいと思い急ぎ出発した。
まるで競歩をしているような感覚で中間点の「随神門」まで行く。
ところが、ここから雪解け水のため参道に水がたまり歩き難い、しかも平地から上り坂、さらに階段が続く。
捻挫している足も痛い、呼吸も苦しい。
2年前知人と宮崎県にある「天の岩戸神社」に参拝したところ、天の岩戸神社と戸隠神社の岩の成分が同じだと神職の説明を受けたこと。
また、違う知人からは、岩戸を隠したから「戸隠」の地名がついたのかな。などの話を聞いたことが今回この神社を目指すきっかけとなった。
戸隠神社 奥社
祭神 天手力雄命(あめのたぢからおのみこと)
日本神話にある、天照大神が天の岩屋にお隠れになった時、無双の神力をもって、天の岩戸をお開きになった天手力雄命を戸隠山の麓に奉斎した事に始まる。
参道は約半里(2キロ)、中程には萱葺きの赤い随神門があり、その先は天然記念物にも指定されている樹齢約400年を超える杉並木が続いている。
平日、この時間帯になると参拝者もいない。奥社をあとにし周囲の風景を楽しみながら駐車場へと向かう。
7年前になるが車で東北旅行をしているときに旅行雑誌で戸隠神社のことを読んだことがある。
当時、神社にはまったく興味がなく、しかも7月の暑い日にただ4キロも歩くだけということで目的地にしなかった。
不思議なもので、今、この地に立ち、その記憶がよみがえった。
中間地点の「随神門」に到着。午後6時半にもなると随神門の赤い色もくすんで見える。
神様に手を合わせたお陰で疲れも、足の痛みも消えた。随神門内部からの風景も、あと15分で今日の旅が終わるかと思うと、なぜかすばらしく見える。
撮影:平成25年5月9日
戸隠神社は霊山・戸隠山の麓に、奥社・中社・宝光社・九頭龍社・火之御子社の五社からなる、創建以来二千年余りに及ぶ歴史を刻む神社。
その起こりは遠い神世の昔、「天の岩戸」が飛来し、現在の姿になったといわれる戸隠山を中心に発達し、祭神は、「天の岩戸開きの神事」に功績のあった神々をお祀りしている。
平安時代末は修験道の道場として都にまで知られた霊場で、神仏混淆のころは戸隠山顕光寺と称し、当時は「戸隠十三谷三千坊」と呼ばれ、比叡山、高野山と共に「三千坊三山」と言われるほどに栄えた。
明治になって戸隠は神仏分離の対象になり、寺は切り離され、宗僧は還俗して神官となり、戸隠神社と名前を変えて現在に至る。
居多神社を出発したのは午後3時過ぎ、急いで行けば間に合うかも知れない。戸隠神社にナビをセット、いくつかの候補地から奥社を選択した。
ナビ任せで目的地を目指すが道が狭くてカーブが多い。実は運転している車は新車でフェリーに乗るまで家の周辺を数十キロ慣らし運転しているだけで、軽い気持ちで家を出ていたのだ。
車はハイエースのスーパーロング、自家用車としてはかなり大きい。奥社駐車場と思える場所にきたがナビはまだ先を案内する。
しばらくすると、道は一層狭くなり、対向車がきてもすれ違うことができない。
さらに、ナビはこの先道が狭くなりますと案内。車など通れる道ではなく苦労してUターン、最初の駐車場に戻った。
随神門
午後4時半を過ぎ参道入口の鳥居に到着、案内図によると片道2キロ、所要時間40分と書いてある。5時までには目的地に到着したいと思い急ぎ出発した。
まるで競歩をしているような感覚で中間点の「随神門」まで行く。
ところが、ここから雪解け水のため参道に水がたまり歩き難い、しかも平地から上り坂、さらに階段が続く。
捻挫している足も痛い、呼吸も苦しい。
2年前知人と宮崎県にある「天の岩戸神社」に参拝したところ、天の岩戸神社と戸隠神社の岩の成分が同じだと神職の説明を受けたこと。
また、違う知人からは、岩戸を隠したから「戸隠」の地名がついたのかな。などの話を聞いたことが今回この神社を目指すきっかけとなった。
戸隠神社 奥社
祭神 天手力雄命(あめのたぢからおのみこと)
日本神話にある、天照大神が天の岩屋にお隠れになった時、無双の神力をもって、天の岩戸をお開きになった天手力雄命を戸隠山の麓に奉斎した事に始まる。
参道は約半里(2キロ)、中程には萱葺きの赤い随神門があり、その先は天然記念物にも指定されている樹齢約400年を超える杉並木が続いている。
平日、この時間帯になると参拝者もいない。奥社をあとにし周囲の風景を楽しみながら駐車場へと向かう。
7年前になるが車で東北旅行をしているときに旅行雑誌で戸隠神社のことを読んだことがある。
当時、神社にはまったく興味がなく、しかも7月の暑い日にただ4キロも歩くだけということで目的地にしなかった。
不思議なもので、今、この地に立ち、その記憶がよみがえった。
中間地点の「随神門」に到着。午後6時半にもなると随神門の赤い色もくすんで見える。
神様に手を合わせたお陰で疲れも、足の痛みも消えた。随神門内部からの風景も、あと15分で今日の旅が終わるかと思うと、なぜかすばらしく見える。
撮影:平成25年5月9日