今、出発の刻(たびだちのとき)

車中泊によるきままな旅
<名所旧跡を訪ねる>

松本城(長野県松本市丸の内)

2013年06月22日 | 
松本城の歴史
永正年間(1504-1520年)に、松本平の信濃府中に井川館を構えていた信濃守護家小笠原氏が林城を築城し、その支城の一つとして深志城が築城されたのが始まり。
後に甲斐の武田氏の侵攻を受け小笠原氏は没落、武田氏は林城を破棄して深志城を拠点として松本平を支配下におく。
武田氏滅亡後の天正10年(1582年)、徳川家康の配下となった小笠原貞慶が旧領を回復し、松本城に改名した。

天正18年(1590年)の豊臣秀吉による小田原征伐の結果、徳川家の関東移封が行われ当時の松本城主小笠原秀政に代わりに石川数正が入城し、石川数正とその子康長が、天守を始め、城郭・城下町の整備を行う。
現存する天守を築造したのは石川康長で、文禄2~3(1593~4)年頃。別名烏城(からすじょう)とも呼ばれている。


松本城(国宝)









松本城へは2度目になるが前回は午後8時過ぎに到着し駐車場も閉鎖され停めることができなかった。
近くのコンビニで買い物をして事情を話し短時間であればと駐車をさせていただいた。急ぎ足でお堀の周りを歩きライトアップされた城を観た。

今回は城内を見学したかったので善光寺からアクセルに力を込め松本に向かった。
午後3時30分駐車場に到着、閉門時間には比較的余裕があったが、小雨が断続的に降っていてカメラも無防備な状態だったので城内に入ることにした。
城内には見所がたくさんあったが、階段を含め狭い空間が多く、さらに外国人を含めたくさんの観光客がいたため、カメラを構えると周囲の動きを止めてしまい迷惑になってしまうので、残念ながら撮影を控えることにした。
天守4階(写真左側)6階(写真右側)には有事の時、城主の座所となる場所がある。










月見櫓の様子






同じような写真がまた出てきたが駐車場から城までの間では、城の美しさを感じ取ることができる一番好きな場所だ。
もし、次回があればの話であるが、青空の下で撮してみたい城である。



撮影 平成25年5月10日
コメント (2)
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