雲富山 大慈恩寺
道路地図によって立ち寄った寺であり予備知識もない
洒落た案内板によりおおまかな内容を把握するが、近頃数十歩歩くと記憶から抜けていく

「観世音菩薩」と刻まれた石仏

「勅使門」 朝廷からの香取・鹿島神宮への例幣使だけが通行を許された門

勅使門に山号「雲富山」の扁額

これも珍しい、タイルに寺の由来が書かれている

左が勅使門、右が山門

その中央にある小屋に置かれている石仏

参道を進んでいく

「利生塔礎石群」

参道左に残された礎石群が点在している

「本堂」 天平宝字5年(761年)鑑真によって創建されたと伝えられている

当初は慈恩寺と称していた
明徳2年(1391年)後小松天皇から「大」の一字を賜わり慈恩寺から大慈恩寺と改められた

本尊は釈迦如来

「大慈恩寺の板碑」





「空海 修行と布教の像」

これまで見てきた空海像とは少し違う感じがする

本堂の横に洞窟のようなものがある。入ってみようと思っていたが、前日までの雨で泥水が流れていたので止めた

さらに周辺を歩いてみる

石仏群


「梵鐘(千葉県指定文化財)」

鎌倉時代の古鐘

撮影 平成30年10月6日
道路地図によって立ち寄った寺であり予備知識もない
洒落た案内板によりおおまかな内容を把握するが、近頃数十歩歩くと記憶から抜けていく

「観世音菩薩」と刻まれた石仏

「勅使門」 朝廷からの香取・鹿島神宮への例幣使だけが通行を許された門

勅使門に山号「雲富山」の扁額

これも珍しい、タイルに寺の由来が書かれている

左が勅使門、右が山門

その中央にある小屋に置かれている石仏

参道を進んでいく

「利生塔礎石群」

参道左に残された礎石群が点在している

「本堂」 天平宝字5年(761年)鑑真によって創建されたと伝えられている

当初は慈恩寺と称していた
明徳2年(1391年)後小松天皇から「大」の一字を賜わり慈恩寺から大慈恩寺と改められた

本尊は釈迦如来

「大慈恩寺の板碑」





「空海 修行と布教の像」

これまで見てきた空海像とは少し違う感じがする

本堂の横に洞窟のようなものがある。入ってみようと思っていたが、前日までの雨で泥水が流れていたので止めた

さらに周辺を歩いてみる

石仏群


「梵鐘(千葉県指定文化財)」

鎌倉時代の古鐘

撮影 平成30年10月6日