今、出発の刻(たびだちのとき)

車中泊によるきままな旅
<名所旧跡を訪ねる>

新日山 安国寺 不動院(広島県広島市東区牛田新町3-4-9)

2023年09月05日 | 神社・仏閣
訪問日 令和5年6月1日

新日山 安国寺 不動院(別称:安芸安国寺)
真言宗別格本山の寺院
十数年ぶりの再訪となる

楼門(重要文化財)
三間一戸、二階二重門、入母屋造、本瓦葺
上層の尾椎に「朝鮮木文禄三」(1594年)等の刻銘
文禄の役に従軍した恵瓊が当時の朝鮮から良材を持ち帰って 建立したものと伝えられている



昭和20年8月6日の原子爆弾投下に際し山麓という地理的条件が幸いして災禍を免れた
一瞬にして多くの文化財を失った広島にとって、昔の栄華を今も留める極めて貴重な存在となっている



額には院号の「不動院」







仁王像(広島県指定文化財)
像の高さ2,8メm 檜材寄木造り 玉眼入り
像内に永仁2年(1294年)の銘がある












本堂側から



金堂(国宝)
すでに雨が降っていたが、降り方が激しくなってきた
楼門で雨宿りをしながら本堂を撮る



天井の墨書から天文9年(1540年)の建築と判明
屋根は入母屋造、柿(こけら)葺き
2階建てのように見えるが、一重裳階付きである



この堂は山口市にあった禅宗寺院・凌雲寺から天正年間(1573-1592年)、安国寺恵瓊により移築された
ここは爆心地から約3.90kmに位置、原爆による大きな被害も受けず広島市内に現存する唯一の国宝である



不動院の歴史
本尊は薬師如来
足利尊氏・直義兄弟が諸国に設けた安国寺利生塔の一つという(安芸国安国寺)



安芸国守護武田氏の菩提寺として繁栄したが、戦国時代には戦火により伽藍が焼失し武田氏も滅亡
毛利氏の外交僧安国寺恵瓊により復興された
関ヶ原の戦いで西軍に組した恵瓊は処刑され、毛利氏も転封後、福島正則が芸備両国の大名として入国
この時、宗派を禅宗から真言宗に改め、不動明王を本尊とし不動院と称した



鐘楼堂(重要文化財)
桁行三間、梁間二間
重層袴腰付屋根、入母屋造柿葺の建物






永亨5年(1433年)の建立、内部には高麗鐘(重要文化財)がある



不動堂
金堂奥の右側に納経所、不動堂と続く



境内の眺めもよく、雨宿りの場所としても屋根もあり最適であった






堂内の様子



不動明王像






堂内からの眺望






不動明王



智證大師之作「不動明王」






最初に訪れた時は「歩く会」の集合場所と出発点が金堂前になっていたようで50人程の中高年が集まり写真を撮りたい場所に陣取っていた



今回は強い雨で思うように動くことができなかった



悔しい思いを抱きながら駐車場へ戻る
数キロ走ると雨が止んだ(相性が悪い寺院かも)



撮影 令和5年6月1日
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