訪問日 令和5年6月3日
吉備津神社
吉備国とは、岡山県と広島県東部を含む古代の国名
吉備国は7世紀末に備前・備中・備後3国に分割された
吉備国が三国に分離された後の大同元年(806年)、吉備国一宮であった吉備津神社より勧請して創建されたと伝えられる
大鳥居(福山市指定文化財)
備後国一宮ということで訪れた
慶安元年(1648年)造営の明神鳥居
下随神門(福山市指定文化財)
随神門の中に鎮まる随神が門守として神社を守っている
随神像
随神門からの眺望
手水舎
上随神門
鳥居をくぐって2つ目の門で本殿と下随神門、鳥居と一直線上に並ぶ
左右には楽所が配置されており、神楽殿で舞楽が奉奏されたときの雅楽演奏場所、着替えの場所であったと考えられる
秋葉神社・四所神社
神楽殿(広島県指定文化財)
高床の舞楽舞台に入母屋造妻入の屋根を架け吹き抜けとなった「舞殿」の形式である
境内図
ホームページでは更に解説も加わり、とても参考になった
拝殿(福山市指定文化財)
慶安元年(1648年)の本殿の造替と同時期に建てられたと考えられる
旧本殿の向拝柱を転用した太い角柱が三本存在している
本殿(重要文化財)
現在の本殿は、江戸時代の初め、慶安元年(1648年)に福山城を築いた水野勝成によって再建されたもの
桁行七間(18.48m)・梁間四間(9.7m)の入母屋造平入で正面に向拝三間付
屋根は檜皮葺で、正面は千鳥破風と軒唐破風が付いており、桃山時代風の豪華さが加えられている
狛犬1
狛犬2
本殿扁額には「虎睡山」
主祭神:大吉備津彦命
<第7代孝霊天皇の第三皇子。崇神天皇10年に四道将軍の1人として山陽道に派遣され吉備を平定した>
相殿神:大日本根子彦太瓊命、細比売命、稚武吉備津彦命
十麻里二柱神社
自動車の絵馬を見たのは初めてのような気がする
疱瘡神社
武内神社
厩戸皇子神社
吉備津天満宮
祖霊社 ・彰徳宮・白髪神社
本殿
神馬
公孫樹乳房神
多理比理神社
吉備津稲荷神社
参道両サイドには十二支が祀られている
らしさが出ている
祭神:宇迦能御魂神
十二神社
古くより大願成就の神様として、3日間、7日間、21日間と「願」をかけてお願いすると何事も解決への道が開けると言い伝えられている
祭神:大吉備津彦命の一族12柱と大名持神
帰りに自分の干支に手を合わせる
本殿
本殿側から見た拝殿
神楽殿
神馬舎
馬は神のお使いとされ、神社に絵馬奉納し願うという慣習は今でも残っている
大山祇神社
桃太郎伝説
吉備には温羅(うら)という鬼がいて人々を困らす悪さをしていた
孝霊天皇の皇子、吉備津彦命が征伐に行幸し今の吉備津神社のあった所に陣を構え「鬼ノ城」に棲む温羅と対峙した
命は得意の剛弓で矢を射るも温羅は山ほどの岩を次々と投げこれをことごとく落す
矢の落ちたところに今も「矢喰の宮」が建つ
命は二本の矢を同時に射、片や大岩に、残る一方が見事温羅の目に命中
どくどくと流れる血が「血水川」となった
温羅は鯉に化け流れに身を隠す。それを見た命は鵜と姿を変え、今の「鯉喰神社」のある場所で温羅を捕らえた
櫻山神社
祭神:櫻山茲俊命ほか23柱
<櫻山茲俊は鎌倉時代末期の元弘の乱時、後醍醐天皇に呼応してこの地で挙兵したとされる>
厳島神社
祭神:多紀理毘売命・市寸島比売命・多岐都比売命
<宗像三女神>
「御池」に架かる橋を通り駐車場に戻る
昔はここでみぞぎをして、心身を清めて神前にお参りした
撮影 令和5年6月3日
吉備津神社
吉備国とは、岡山県と広島県東部を含む古代の国名
吉備国は7世紀末に備前・備中・備後3国に分割された
吉備国が三国に分離された後の大同元年(806年)、吉備国一宮であった吉備津神社より勧請して創建されたと伝えられる
大鳥居(福山市指定文化財)
備後国一宮ということで訪れた
慶安元年(1648年)造営の明神鳥居
下随神門(福山市指定文化財)
随神門の中に鎮まる随神が門守として神社を守っている
随神像
随神門からの眺望
手水舎
上随神門
鳥居をくぐって2つ目の門で本殿と下随神門、鳥居と一直線上に並ぶ
左右には楽所が配置されており、神楽殿で舞楽が奉奏されたときの雅楽演奏場所、着替えの場所であったと考えられる
秋葉神社・四所神社
神楽殿(広島県指定文化財)
高床の舞楽舞台に入母屋造妻入の屋根を架け吹き抜けとなった「舞殿」の形式である
境内図
ホームページでは更に解説も加わり、とても参考になった
拝殿(福山市指定文化財)
慶安元年(1648年)の本殿の造替と同時期に建てられたと考えられる
旧本殿の向拝柱を転用した太い角柱が三本存在している
本殿(重要文化財)
現在の本殿は、江戸時代の初め、慶安元年(1648年)に福山城を築いた水野勝成によって再建されたもの
桁行七間(18.48m)・梁間四間(9.7m)の入母屋造平入で正面に向拝三間付
屋根は檜皮葺で、正面は千鳥破風と軒唐破風が付いており、桃山時代風の豪華さが加えられている
狛犬1
狛犬2
本殿扁額には「虎睡山」
主祭神:大吉備津彦命
<第7代孝霊天皇の第三皇子。崇神天皇10年に四道将軍の1人として山陽道に派遣され吉備を平定した>
相殿神:大日本根子彦太瓊命、細比売命、稚武吉備津彦命
十麻里二柱神社
自動車の絵馬を見たのは初めてのような気がする
疱瘡神社
武内神社
厩戸皇子神社
吉備津天満宮
祖霊社 ・彰徳宮・白髪神社
本殿
神馬
公孫樹乳房神
多理比理神社
吉備津稲荷神社
参道両サイドには十二支が祀られている
らしさが出ている
祭神:宇迦能御魂神
十二神社
古くより大願成就の神様として、3日間、7日間、21日間と「願」をかけてお願いすると何事も解決への道が開けると言い伝えられている
祭神:大吉備津彦命の一族12柱と大名持神
帰りに自分の干支に手を合わせる
本殿
本殿側から見た拝殿
神楽殿
神馬舎
馬は神のお使いとされ、神社に絵馬奉納し願うという慣習は今でも残っている
大山祇神社
桃太郎伝説
吉備には温羅(うら)という鬼がいて人々を困らす悪さをしていた
孝霊天皇の皇子、吉備津彦命が征伐に行幸し今の吉備津神社のあった所に陣を構え「鬼ノ城」に棲む温羅と対峙した
命は得意の剛弓で矢を射るも温羅は山ほどの岩を次々と投げこれをことごとく落す
矢の落ちたところに今も「矢喰の宮」が建つ
命は二本の矢を同時に射、片や大岩に、残る一方が見事温羅の目に命中
どくどくと流れる血が「血水川」となった
温羅は鯉に化け流れに身を隠す。それを見た命は鵜と姿を変え、今の「鯉喰神社」のある場所で温羅を捕らえた
櫻山神社
祭神:櫻山茲俊命ほか23柱
<櫻山茲俊は鎌倉時代末期の元弘の乱時、後醍醐天皇に呼応してこの地で挙兵したとされる>
厳島神社
祭神:多紀理毘売命・市寸島比売命・多岐都比売命
<宗像三女神>
「御池」に架かる橋を通り駐車場に戻る
昔はここでみぞぎをして、心身を清めて神前にお参りした
撮影 令和5年6月3日
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