今、出発の刻(たびだちのとき)

車中泊によるきままな旅
<名所旧跡を訪ねる>

蓮如の里 吉崎(福井県あわら市吉崎)

2024年08月25日 | 神社・仏閣
訪問日 令和6年5月31日

蓮如の里 吉崎
道の駅 「蓮如の里あわら」ができたということで立ち寄ることにした
道の駅ができる前に「蓮如の里」には、平成21年(2009年)7月に訪れたことがある

史蹟 蓮如御坊跡
浄土真宗中興の祖・蓮如上人が北陸での布教の中心拠点に選んだ場所
付近一帯は「蓮如の里」と呼称されている



蓮如上人像
御山の上に7mの高座を設け、その上に高さ4.85mの銅像を安置
高座の正面には「慧燈高照」の文字(諡号:慧燈大師)
「智慧の燈を高く照して大衆を済度された」蓮如上人の徳をたたえたもの



高村光雲の手により型が作られ鋳像された銅像で、高村光雲の3大名像の一つ
(あと2つは皇居外苑の「楠木正成」、上野公園の「西郷隆盛」)



吉崎御坊 本堂跡
永正3年(1506年)、朝倉氏が加賀より越前に侵攻した加賀一向一揆勢を九頭竜川の戦いで退けた後、吉崎の坊舎を破却し、以後廃坊となる



お腰掛けの石
吉崎御坊の本堂西側の庭に据えられた庭石



蓮如上人はこの庭石によく腰掛けて日本海を眺めることを好まれたという



蓮如上人が眺めたであろう景色



北潟湖
福井県では三方五湖の水月湖、三方湖に次いで3番目に大きい
正面の大きな島が「鹿島の森」 奥に日本海が見える
室町時代、文明7年8月吉崎退去の際、蓮如上人は小舟によりこの北潟湖から日本海を経て小浜へと移動
夕日に照らされた吉崎の山を振り返り「夜もすがら たたく船端吉崎の 鹿島続きの山ぞ恋しき」と句を残した



見玉尼のお墓
蓮如上人第1夫人の第4子二女
蓮如は、5人の妻との間に27子をもうけた(13男、14女)
*第1夫人(7人)第2夫人(10人)第3夫人(1人)第4夫人(2人)第5夫人(7人)



蓮如上人の吉崎御坊の建立をきき父のもとへ馳せ参じたが、まもなく病に伏せて1年余りで亡くなった
お墓に今も美しい花が手向けられている



真宗大谷派吉崎別院(東別院)
山門



吉崎東別院会館



本堂
本尊:阿弥陀如来



蓮師堂
蓮如上人58歳御姿



本願寺派吉崎別院(西別院)
山門<念力門>(あわら市指定文化財)
かつての西本願寺北総門。天正19年(1591年)に豊臣秀吉から寄進されたと伝承



中宗堂
蓮如像を安置



本堂
本尊:阿弥陀如来



蓮如上人御影






撮影 令和6年5月31日

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