今、出発の刻(たびだちのとき)

車中泊によるきままな旅
<名所旧跡を訪ねる>

安宅住吉神社(石川県小松市安宅町タ17)

2024年08月26日 | 神社・仏閣
訪問日 令和6年5月31日

安宅住吉神社
境内に安宅の関址があり、「安宅」「勧進帳」にも取り上げられた伝承から、難関突破の神として知られる



陽のみち
6月1日月次祭当日の早朝、大鳥居の真正面から太陽が昇り、光は本殿まで差し込み、表参道は「陽のみち」となるという
前日の5月31日に訪れたのだが、「陽のみち」についてこの時は理解していなかった(残念)



狛犬1






鳥居



額には社号の「安宅住吉神社」



社殿へつながる参道は木々に囲まれ趣がある



神輿倉



狛犬2






神亀石






稲荷社






勧進帳



勧進帳を読み上げる弁慶像



拝殿
古くより陸・海路の要所として栄えた北国の港安宅の地に祀られ「安宅の住吉さん」として親しまれている
昔は安宅住吉大明神・二宮住吉大明神・住吉宮とも称された



創建は古く、歴史を遠く溯る事1200有余年前、奈良時代天応2年(782年)で、琴佩山(ことおびやま)に鎮座
天暦2年(948年)鷹降山に、天正5年(1577年)小倉野に遷座
正保4年(1647年)現在の二堂山に遷座された



「縁ありて社頭に詣づる人、誠を込めて神前に祈りを捧げば、その祈りは必ずや成就されん」
義経と弁慶一行が、安宅の関守・富樫に疑われながらも難を逃れたとの伝承から、難関突破に霊験ありとされる



本殿
主祭神:住吉三神(底筒男命・中筒男命・表筒男命)
相殿神:別雷神・少彦名命



安宅関址(石川県指定史跡)
寿永元年(1182年)創設と伝えられる北陸道の要衝
源義経の北国落ちを題材とした歌舞伎《勧進帳》,謡曲《安宅》の舞台として有名



「安宅の関 こまつ勧進帳の里 勧進帳ものがたり館」
勧進帳にまつわる資料や遊んで学ぶ体験展示、歌舞伎「勧進帳」のダイジェスト映像
テラスでは日本海を一望しながら食事やショッピングも楽しめる



この近くの道路を何度か通っているのに「安宅の関」がこの場所にだとは気づかなかった






3体の銅像が並ぶ
銅像の武蔵坊弁慶は七代目松本幸四郎が、富樫泰家は二代目市川左團次がモデルとなっている



「智・仁・勇」の文字は、我国の古来の国民性の美しさを端的に表現している
智は「弁慶の知恵(中央)」
仁は「富樫の情け(右)」
勇は「義経の勇気(左)」



弁慶一行は山伏に、義経は荷物持ちに主従逆転の変装して奥州平泉へと逃れて行く
「安宅の関」で関守・富樫左衛門は「義経ではないか?」と疑いをかけ厳しい尋問をする



弁慶は「勧進(寄付)を集める旅をしている」と嘘をつき、たまたま持っていた巻物を勧進帳に仕立てた



関守・富樫左衛門は、主君を思う弁慶の強い気持ちに心をうごかされ、自分が罰せられるのを覚悟で一行を見逃す



去ろうとした弁慶一行について行く強力が義経に似ていると番卒が告げ、富樫は一行を呼びとめる
疑いを晴らすため、弁慶は杖を取り、義経を打つ
家来として絶対にはたらいてはいけない無礼であった
あえてそうしてでも主君を助けようとする弁慶の姿に富樫は心を打たれた



関ノ宮



右には「源義経」左には「富樫左衛門」が祀られている



与謝野晶子歌碑






金比羅社






絵馬掛け



社殿に戻る



この神社を巡り日本人の美しい心「惻隠の情」という言葉が頭に浮かんだ



撮影 令和6年5月31日

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