今、出発の刻(たびだちのとき)

車中泊によるきままな旅
<名所旧跡を訪ねる>

白山神社<白山平泉寺・平泉寺白山神社>(福井県勝山市平泉寺町平泉寺56-63)

2023年04月21日 | 神社・仏閣
訪問日 令和4年10月8日

白山神社<白山平泉寺・平泉寺白山神社>
大瀧神社を訪れた時にボランティアガイドの女性から白山神社も素晴らしいので是非訪れてほしいと言われたことがある
数年後になったがその時がやってきた



一の鳥居
白山は、古くから信仰の対象だった
その白山信仰の越前での拠点として、養老元年(717年)に泰澄によって開かれたと言われているのが「白山平泉寺」
最盛期の戦国時代には8000人もの僧兵がいたと伝えられ、当時の日本では最大規模の宗教都市となり繁栄した
天正2年(1574年)に越前一向一揆勢に攻められ、全山が焼失



芭蕉句碑
「うらやましうき世の北の山桜」



白山平泉寺散策マップ



白山神社由緒
明治維新の神仏分離令により、神仏習合の姿を脱し「白山神社」になった



社務所



手水舎



先の見えない参道を歩くがとても気持ちがいい



木々に加え苔の緑に囲まれ、おとぎの国に迷い込んだ感じだ



八幡神社



御手洗池(みたらしいけ)
養老元年(717年)泰澄が白山への道中に発見した泉
現れた女神に、白山へと登ってくるようにお告げを受けたという



ただの池であるが歴史的背景を知ると違って見えるから不思議だ
この泉が「平泉寺」という名前の由来になった



参道を進むと鳥居が見えてくる



二の鳥居
この鳥居の形は珍しく、しばらく眺めていた
滋賀県の日吉大社を訪れた時も同じ思いをしていた



この「神額」の文字、白山の下が読めない






貴船神社



今宮神社
古来、平泉寺48社の一つだったが天正2年の兵火で焼失
天正11年再興、明治40年に現在地に移転



狛犬






白山平泉寺旧境内
「苔宮」とも呼ばれる白山平泉寺
境内は一面に緑のじゅうたんが敷かれたように美しい
司馬遼太郎は『街道をゆく 越前の諸道』で、白山神社の苔の規模・質に比べれば、京都の苔寺は「笑止なほど」と讃えている



白山国立公園に含まれ、参道は「日本の道100選」にも選ばれている



拝殿



天正2年(1574年)の兵火で焼失する前は、正面45間という我が国最大の拝殿であった



現在の拝殿は江戸時代の安政6年(1859年)の造営






額の「中宮平泉寺」は一品天真親王の筆



本社



祭神:伊弉冉尊



現社殿は、寛政7年(1795年)の造営









狛犬






彫刻



額には「白山妙理大権現」



木目が美しい本社正面の扉(匠の技)



昇り竜と降り竜の彫刻









越南知社(おおなむちしゃ)



別山社



大楠公墓塔・三之宮



鳥居






納経所









納経所内部



参道両側には崩れた石仏が置かれていた



更に参道が続く






社殿が見えてからが長い






三之宮
明治22年(1889年)の改築



安産の守護神ということもあり、乳児を抱えた夫婦のお礼参りや若い女性の姿を見かけた






楠木正成公墓塔
延元年間(今から約650年前)の建立



楠木正成の甥恵秀律師が延元元年(1336年)三之宮に参籠していると夢に楠木正成公が現れた
その後、湊川で戦死したことを知り、五重石塔を立てて菩提を弔った



「楠正成墓」と刻まれている






参拝を終え駐車場へ戻る



本社



緑の絨毯の奥に忠魂碑が見える



二の鳥居



長い距離を往復したが疲れはなく、リフレッシュできた



撮影 令和4年10月8日
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