昨夜は新横浜駅前のホテルに宿泊。午前10時に北鎌倉駅に着いた
駅のロッカーに荷物を預けた時に電話が鳴った。昨年、山口県の青海島・角島でお世話になった友人からだ
12時に横浜駅で会うことになった。急がねばならない
巨福山(こくふざん) 建長寺
臨済宗建長寺派の大本山。鎌倉五山の第一位。建長5年(1253)に北条時頼が建立したわが国最初の禅寺

総門
天明3年(1783年)の建立。1943年に京都の般舟三昧院から移築された
「巨福山」の額は建長寺10世住持で書の名手である渡来僧・一山一寧の筆
「巨」字の第3画目の下に、余分な「点」が書き加えられたことにより、百貫の価をそなえたとし「百貫点」という

三門(重要文化財)
安永4年(1775年)の建立で、2005年に重要文化財に指定
参拝者が多く全体像を撮ることができないのが残念だ

銅板葺きの二重門(2階建て)で、関東大震災で倒壊し再建。寺号は詳しくは建長興国禅寺
三解脱門の略で、楼上に宝冠釈迦如来像や銅造の五百羅漢像などを安置し、その下を通ると心が清浄になることを祈念しているそうだ

初層は門扉も壁もない吹き放しとしている

柱の一つに人が集まっている場所があった

梵鐘(国宝)
三門右手の鐘楼に架かる。高さ約2.1メートル
建長寺創建当時の数少ない遺品の1つだが、修復中であった

建長寺の柏槇(びゃくしん)
開山蘭渓道隆が中国から持ってきた種子を建長寺創建の際にまいたと言われている

仏殿(重要文化財)
芝の増上寺にあった、徳川秀忠夫人崇源院の霊屋を譲渡されたもので、正保4年(1647年)に建長寺に移築された

屋根は入母屋造でなく寄棟造

本尊の地蔵菩薩坐像(室町時代の作、像高2.4メートル)

撮影禁止の立て札がない
実は昨年もこの地を訪れ写真を撮っていたのだが2泊3日分の大量のデータのすべてが消失
してしばらくショック状態が続いていた

仏殿内の色彩が記憶に残っていたため、再び訪れることにした

この仏殿の天井は和様の格天井

法堂(重要文化財)
禅宗以外の寺院の「講堂」に相当する建物

方三間、裳階付、銅板葺き。文化11年(1814年)の建立
鎌倉最大級の木造建築で2005年に重要文化財に指定

天井画は小泉淳作筆の雲龍図

見やすいように半回転させてみた

千手観音坐像と釈迦苦行像が安置されている

2005年愛知万博に陳列されたラホール中央博物館所蔵の釈迦苦行像のレプリカが万博終了後パキスタンより寄贈された

私の腹部との違いに驚く。修行・苦行が足りないということか

唐門(勅使門・重要文化財)
方丈入口の門。仏殿と同じく、芝の徳川秀忠夫人崇源院霊屋から移築された

唐門とは屋根が唐破風(反曲した曲線状の破風)になっている門をいう

方丈側から見た唐門

方丈(竜王殿)
総門と同じく、京都の般舟三昧院から移築


庭園(国史跡)
開山蘭渓道隆の作庭

時間がないので戻ることにした。午後からは雨の予報、願わくば青空がほしかった

建長寺の柏槇を最後に次の寺に向かう

撮影 平成27年10月9日
駅のロッカーに荷物を預けた時に電話が鳴った。昨年、山口県の青海島・角島でお世話になった友人からだ
12時に横浜駅で会うことになった。急がねばならない
巨福山(こくふざん) 建長寺
臨済宗建長寺派の大本山。鎌倉五山の第一位。建長5年(1253)に北条時頼が建立したわが国最初の禅寺

総門
天明3年(1783年)の建立。1943年に京都の般舟三昧院から移築された
「巨福山」の額は建長寺10世住持で書の名手である渡来僧・一山一寧の筆
「巨」字の第3画目の下に、余分な「点」が書き加えられたことにより、百貫の価をそなえたとし「百貫点」という

三門(重要文化財)
安永4年(1775年)の建立で、2005年に重要文化財に指定
参拝者が多く全体像を撮ることができないのが残念だ

銅板葺きの二重門(2階建て)で、関東大震災で倒壊し再建。寺号は詳しくは建長興国禅寺
三解脱門の略で、楼上に宝冠釈迦如来像や銅造の五百羅漢像などを安置し、その下を通ると心が清浄になることを祈念しているそうだ

初層は門扉も壁もない吹き放しとしている

柱の一つに人が集まっている場所があった

梵鐘(国宝)
三門右手の鐘楼に架かる。高さ約2.1メートル
建長寺創建当時の数少ない遺品の1つだが、修復中であった

建長寺の柏槇(びゃくしん)
開山蘭渓道隆が中国から持ってきた種子を建長寺創建の際にまいたと言われている

仏殿(重要文化財)
芝の増上寺にあった、徳川秀忠夫人崇源院の霊屋を譲渡されたもので、正保4年(1647年)に建長寺に移築された

屋根は入母屋造でなく寄棟造

本尊の地蔵菩薩坐像(室町時代の作、像高2.4メートル)

撮影禁止の立て札がない
実は昨年もこの地を訪れ写真を撮っていたのだが2泊3日分の大量のデータのすべてが消失
してしばらくショック状態が続いていた

仏殿内の色彩が記憶に残っていたため、再び訪れることにした

この仏殿の天井は和様の格天井

法堂(重要文化財)
禅宗以外の寺院の「講堂」に相当する建物

方三間、裳階付、銅板葺き。文化11年(1814年)の建立
鎌倉最大級の木造建築で2005年に重要文化財に指定

天井画は小泉淳作筆の雲龍図

見やすいように半回転させてみた

千手観音坐像と釈迦苦行像が安置されている


2005年愛知万博に陳列されたラホール中央博物館所蔵の釈迦苦行像のレプリカが万博終了後パキスタンより寄贈された

私の腹部との違いに驚く。修行・苦行が足りないということか

唐門(勅使門・重要文化財)
方丈入口の門。仏殿と同じく、芝の徳川秀忠夫人崇源院霊屋から移築された

唐門とは屋根が唐破風(反曲した曲線状の破風)になっている門をいう

方丈側から見た唐門

方丈(竜王殿)
総門と同じく、京都の般舟三昧院から移築


庭園(国史跡)
開山蘭渓道隆の作庭

時間がないので戻ることにした。午後からは雨の予報、願わくば青空がほしかった

建長寺の柏槇を最後に次の寺に向かう

撮影 平成27年10月9日
鎌倉五山第一建長寺の貫禄は、京禅寺の制約の多さに比べなんとおおらかな、との印象が強い記憶があります。
二年前に女房の希望で鎌倉を訪ねたのですが、ここと長谷観音以外、円覚寺をはじめ有名処は訪ねることが出来ませんでした。
この鎌倉の地に有名禅刹が甍を並べる壮観は、当時の幕府威光の強大さを感じますネ。
江戸方面に足を向けることは殆ど無いのですが、鎌倉古刹は別格、再度ゆっくり巡ってみたいです。
それも一人でネ。
次はどのお寺か楽しみです、待ってます。
鎌倉を訪れたのは昨年が初めてで、寺なども詳しくなく宿泊先のホテルに近い書店で観光本を購入して、記載内容から建長寺を選び訪れました。その時は時間にも余裕があり2時間ほど滞在し沢山の写真を撮りました。残念ながらその時の写真は私のミスからすべて消去されてしまい、しばらくショック状態。今回ここを再び訪れたのは、消失した仏像や堂宇の写真を撮るためです。
残念なことに今回は時間的な制約があり、約1時間で昨年訪れた三つの寺を廻ることになりました。それでも建長寺には一番長く30分は滞在したと思います。
各寺の歴史については自宅に戻り、写真を見ながら調べることにしています。新たな発見があり、悔いが残ると再訪することにしています。
鎌倉五山も気になっていますし、東京方面に来ることがあれば必ず鎌倉方面を訪れると思います。
それから、古寺巡礼はまちがいなく一人がいいですね。次回は縁切寺です。
学校内では「静かにしろ!」「廊下を走るな!」と言う命令調ですが…余計なコメントを失礼しました。
新横浜に宿泊し北鎌倉まで電車できましたが、1時間足らずの場所にお住まいとは羨ましい限りです。
北海道に住み慣れているものですから、鎌倉の道路や歩道の狭さには驚きます。参拝者が多いため歩道ですれ違うのも慣れていないため苦労します。
ところが境内に入ると様子が一変します。言葉ではうまく表現できませんが、皆黙ってその世界に入り込んでいるという感じがします。私の考えですが鎌倉人気の大きな要因かもしれません。
お近くにお住まいでしたらカメラを片手に散歩気分で廻ってみてください。比較的距離も歩きますし、健康にもいいと思います。またコメントお待ちしています。