訪問日 令和3年5月22日
宀一山 室生寺
「女人高野」室生寺への参拝は久し振りになる
いつもの利用している駐車場から太鼓橋までの間の土産屋の多くが店を閉めている

写真家 土門拳氏が室生寺撮影の際の定宿だった「橋本屋」である
当時の住職の「全山白皚々(はくがいがい)たる雪の室生寺が第一等であると思う」の言葉から
雪の室生寺を撮らなければならないと思った時から、女将との感動的な物語が始まる

いつ降るか分からない雪を待って橋本屋に何日も泊まる訳にいかないので
御所市の病院に2月19日から雪が降ったら写真を撮るのが目的で入院

3月9日入院生活を切り上げ橋本屋に移った
3月12日朝、廊下をバタバタと走ってくる音が聞こえた

女将の初代さんが寝間着姿のまま部屋にとびこんできた
「先生、雪が……、早く起きてください」とぼくの手を引っぱった
「降りましたか」とぼくは大声で叫ぶ

ぼくと初代さんは「とうとう降りましたねと」と互いにてをとりあってうれし泣きした
*土門拳「寺と仏像手帳」より抜粋

雪の室生寺の写真のエピソードである

いつの間にか「宝物殿」なるものができていた
そして、私が室生寺を訪れた目的である日本一美しい「十一面観音像」が安置されているようである

「仁王門」

見慣れた風景だが大きく違うのは参拝者の姿が余りにも少ないということだ

額には「室生山」とある
山号の「宀一」は「室」のうかんむりと「生」の最後の一画だという

「仁王像」


これは帰りに撮ったもの


「梵字池」
燃えるような赤色だが季節は春


仁王門と梵字池

「鎧坂」
いつもは参拝者の姿を入れないように坂の下で無人の状態になるまで待つのだが……

この日は土曜日で梅雨の間の晴れの日なのに自由に撮ることができる

金堂(国宝)
鎧坂を上がると正面に国宝の金堂が目の前に現れる

この金堂の内陣の左奥に「十一面観音像(国宝)」が安置されていた
また、表情豊かな十二神将像も宝物殿に移され堂内はスカスカ状態になっている

「軍茶利明王(ぐんだりみょうおう)」

岩に彫られた明王像


弥勒堂(重要文化財)
入母屋造、杮葺き、桁行3間、梁間3間、鎌倉時代前期の建築

本尊:弥勒菩薩立像(重要文化財)
右側の釈迦如来坐像(国宝)は宝物殿に移された

室生寺の興味深い所は各お堂の姿を「下から、目線で、上から」撮ることができることだ


この季節は緑に囲まれとても美しい

本堂<灌頂堂>(国宝)
鎌倉時代後期、延慶元年(1308年)の建立
入母屋造、檜皮葺き、桁行5間、梁間5間

この堂は「灌頂堂」とも称され、灌頂という密教儀式を行うための堂である

内陣中央の厨子には如意輪観音坐像(重要文化財)を安置

本堂奥に五重塔が見える

五重塔(国宝)
延暦19年(800年)頃の建立
屋外にある木造五重塔としては、法隆寺塔に次ぎわが国で2番目に古い

国宝・重要文化財指定の木造五重塔で屋外にあるものとしては日本最小である
高さは16メートル強、初重は1辺の長さ2.5メートルの小型の塔で、高さは興福寺五重塔の3分の1ほど

平成10年(1998年9)月22日、台風7号の強風で高さ約50mの杉が倒れた際に屋根を直撃、西北側の各重部の屋根・軒が折れて垂れ下がる大被害を受けた
私が初めて訪れたのは復旧工事後ということもあり朱塗りの塔が目立ち、昔の方が良かったという声が周囲から聞こえていた

「修円廟」

この近くから五重塔を撮るいい場所があったのだが、木の枝が伸び塔の姿を隠していた


今度は塔を上から撮ってみる

台風の被害を受け修復後に訪れた時は朱色の塔がやけに目立っていたが
今は周囲の環境と一体化しているような感じがする

この塔では、最上部の九輪の上にある水煙の代わりに宝瓶(ほうびょう)と称する壺状のものがある
その上に八角形の宝蓋(ほうがい)という傘状のものが乗っている珍しい形式


奥の院に続く石段
昔は駆け足で上ったものだが、今は気力も体力もすっかり衰えてしまった

ということで、上がってきた道を下りる

国宝の本堂

国宝の金堂

鎧坂を慎重に下りる

仁王門と梵字池

最後に「宝物殿」へ
「十一面観音立像(国宝)」「釈迦如来坐像(国宝)」「十二神将立像のうちの6体(重文)」「地蔵菩薩立像(重文)」のほか、多くの文化財を収蔵展示している
私が観た全仏像の中でも一番美しいと思っている「十一面観音像」を間近で拝観できるのはとても嬉しい
撮影 令和3年5月22日
宀一山 室生寺
「女人高野」室生寺への参拝は久し振りになる
いつもの利用している駐車場から太鼓橋までの間の土産屋の多くが店を閉めている

写真家 土門拳氏が室生寺撮影の際の定宿だった「橋本屋」である
当時の住職の「全山白皚々(はくがいがい)たる雪の室生寺が第一等であると思う」の言葉から
雪の室生寺を撮らなければならないと思った時から、女将との感動的な物語が始まる

いつ降るか分からない雪を待って橋本屋に何日も泊まる訳にいかないので
御所市の病院に2月19日から雪が降ったら写真を撮るのが目的で入院

3月9日入院生活を切り上げ橋本屋に移った
3月12日朝、廊下をバタバタと走ってくる音が聞こえた

女将の初代さんが寝間着姿のまま部屋にとびこんできた
「先生、雪が……、早く起きてください」とぼくの手を引っぱった
「降りましたか」とぼくは大声で叫ぶ

ぼくと初代さんは「とうとう降りましたねと」と互いにてをとりあってうれし泣きした
*土門拳「寺と仏像手帳」より抜粋

雪の室生寺の写真のエピソードである

いつの間にか「宝物殿」なるものができていた
そして、私が室生寺を訪れた目的である日本一美しい「十一面観音像」が安置されているようである

「仁王門」

見慣れた風景だが大きく違うのは参拝者の姿が余りにも少ないということだ

額には「室生山」とある
山号の「宀一」は「室」のうかんむりと「生」の最後の一画だという

「仁王像」


これは帰りに撮ったもの


「梵字池」
燃えるような赤色だが季節は春


仁王門と梵字池

「鎧坂」
いつもは参拝者の姿を入れないように坂の下で無人の状態になるまで待つのだが……

この日は土曜日で梅雨の間の晴れの日なのに自由に撮ることができる

金堂(国宝)
鎧坂を上がると正面に国宝の金堂が目の前に現れる

この金堂の内陣の左奥に「十一面観音像(国宝)」が安置されていた
また、表情豊かな十二神将像も宝物殿に移され堂内はスカスカ状態になっている

「軍茶利明王(ぐんだりみょうおう)」

岩に彫られた明王像


弥勒堂(重要文化財)
入母屋造、杮葺き、桁行3間、梁間3間、鎌倉時代前期の建築

本尊:弥勒菩薩立像(重要文化財)
右側の釈迦如来坐像(国宝)は宝物殿に移された

室生寺の興味深い所は各お堂の姿を「下から、目線で、上から」撮ることができることだ


この季節は緑に囲まれとても美しい

本堂<灌頂堂>(国宝)
鎌倉時代後期、延慶元年(1308年)の建立
入母屋造、檜皮葺き、桁行5間、梁間5間

この堂は「灌頂堂」とも称され、灌頂という密教儀式を行うための堂である

内陣中央の厨子には如意輪観音坐像(重要文化財)を安置

本堂奥に五重塔が見える

五重塔(国宝)
延暦19年(800年)頃の建立
屋外にある木造五重塔としては、法隆寺塔に次ぎわが国で2番目に古い

国宝・重要文化財指定の木造五重塔で屋外にあるものとしては日本最小である
高さは16メートル強、初重は1辺の長さ2.5メートルの小型の塔で、高さは興福寺五重塔の3分の1ほど

平成10年(1998年9)月22日、台風7号の強風で高さ約50mの杉が倒れた際に屋根を直撃、西北側の各重部の屋根・軒が折れて垂れ下がる大被害を受けた
私が初めて訪れたのは復旧工事後ということもあり朱塗りの塔が目立ち、昔の方が良かったという声が周囲から聞こえていた

「修円廟」

この近くから五重塔を撮るいい場所があったのだが、木の枝が伸び塔の姿を隠していた


今度は塔を上から撮ってみる

台風の被害を受け修復後に訪れた時は朱色の塔がやけに目立っていたが
今は周囲の環境と一体化しているような感じがする

この塔では、最上部の九輪の上にある水煙の代わりに宝瓶(ほうびょう)と称する壺状のものがある
その上に八角形の宝蓋(ほうがい)という傘状のものが乗っている珍しい形式


奥の院に続く石段
昔は駆け足で上ったものだが、今は気力も体力もすっかり衰えてしまった

ということで、上がってきた道を下りる

国宝の本堂

国宝の金堂

鎧坂を慎重に下りる

仁王門と梵字池

最後に「宝物殿」へ
「十一面観音立像(国宝)」「釈迦如来坐像(国宝)」「十二神将立像のうちの6体(重文)」「地蔵菩薩立像(重文)」のほか、多くの文化財を収蔵展示している
私が観た全仏像の中でも一番美しいと思っている「十一面観音像」を間近で拝観できるのはとても嬉しい
撮影 令和3年5月22日
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