訪問日 令和3年5月22日
楊柳山 大野寺
20年程前になるが、室生口大野駅から室生寺行きのバスを待っている間に有名な磨崖仏を観たことがある
と言っても何も見えなかったという記憶しか無い
駐車場があるということが分かったので訪れることにした
無人の受付箱に料金を入れ中に入る
樹齢300年の枝垂桜が有名らしいが、その季節は既に過ぎている
「鐘楼」
新緑の季節、緑で溢れている
「石仏」
本堂
伝承では白鳳9年(681年)、役小角の草創
天長元年(824年)に空海が堂を建立して「慈尊院弥勒寺」と称したという
本尊は木造弥勒菩薩立像(秘仏)
寺は明治33年(1900年)の火災で全焼した
現存する建物はすべて火災以後のものである
「霊牌堂」
「礼拝所」
宇陀川をはさんだ対岸に「石仏」がある
史跡 大野寺石仏
興福寺の僧・雅縁の発願により、承元元年(1207年)から制作が開始
同3年に後鳥羽上皇臨席のもと開眼供養が行われた
過度の近視に加え乱視、一層酷くなった飛蚊症の私には全く見えない
カメラのレンズの力を借りても標準ズームではよく見えない
礼拝所に貼られていた石仏のお姿
宇陀川の対岸に位置する高さ約30mの大岩壁に刻まれた弥勒磨崖仏
24-70mmのレンズで最大にしてもこの程度だったので、望遠レンズを取りに車に戻る
この弥勒磨崖仏は、笠置寺の磨崖仏を模して造られたといわれている
200mmで撮ると石仏の線刻が見えてくる
目線と同じ高さに石仏があるのも偶然では無いはず
800年前の完成したころには、綺麗に彫られた対岸の石仏を優雅に眺めていたのだろう
近くから撮ってみようと思い、境内を出ることにする
庫裏だと思うが人の気配がしない
駐車場の近くに川に降りられる場所があったので移動する
礼拝所とは見え方が全く違うところが面白い
梵字のようだが上からでは見えなかった部分である
岩壁を高さ13.8mにわたって光背形に掘り窪め、その中を平滑に仕上げた上で、像高11.5メートルの弥勒仏立像を線刻で表す
国内で最も高い磨崖仏だという
神々しく見えてくる
撮影 令和3年5月22日
楊柳山 大野寺
20年程前になるが、室生口大野駅から室生寺行きのバスを待っている間に有名な磨崖仏を観たことがある
と言っても何も見えなかったという記憶しか無い
駐車場があるということが分かったので訪れることにした
無人の受付箱に料金を入れ中に入る
樹齢300年の枝垂桜が有名らしいが、その季節は既に過ぎている
「鐘楼」
新緑の季節、緑で溢れている
「石仏」
本堂
伝承では白鳳9年(681年)、役小角の草創
天長元年(824年)に空海が堂を建立して「慈尊院弥勒寺」と称したという
本尊は木造弥勒菩薩立像(秘仏)
寺は明治33年(1900年)の火災で全焼した
現存する建物はすべて火災以後のものである
「霊牌堂」
「礼拝所」
宇陀川をはさんだ対岸に「石仏」がある
史跡 大野寺石仏
興福寺の僧・雅縁の発願により、承元元年(1207年)から制作が開始
同3年に後鳥羽上皇臨席のもと開眼供養が行われた
過度の近視に加え乱視、一層酷くなった飛蚊症の私には全く見えない
カメラのレンズの力を借りても標準ズームではよく見えない
礼拝所に貼られていた石仏のお姿
宇陀川の対岸に位置する高さ約30mの大岩壁に刻まれた弥勒磨崖仏
24-70mmのレンズで最大にしてもこの程度だったので、望遠レンズを取りに車に戻る
この弥勒磨崖仏は、笠置寺の磨崖仏を模して造られたといわれている
200mmで撮ると石仏の線刻が見えてくる
目線と同じ高さに石仏があるのも偶然では無いはず
800年前の完成したころには、綺麗に彫られた対岸の石仏を優雅に眺めていたのだろう
近くから撮ってみようと思い、境内を出ることにする
庫裏だと思うが人の気配がしない
駐車場の近くに川に降りられる場所があったので移動する
礼拝所とは見え方が全く違うところが面白い
梵字のようだが上からでは見えなかった部分である
岩壁を高さ13.8mにわたって光背形に掘り窪め、その中を平滑に仕上げた上で、像高11.5メートルの弥勒仏立像を線刻で表す
国内で最も高い磨崖仏だという
神々しく見えてくる
撮影 令和3年5月22日
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