訪問日 令和5年10月13日
石都々古和気神社(いわつつこわけじんじゃ)
社号標
陸奥国一宮ということで訪れた
駐車場の傍に社号標と社務所はあるが社殿の姿が見えない(嫌な予感がする)
狛犬(石川町指定文化財)
「飛翔獅子」と呼ばれる構図の作品で「高遠石工」の技術を受け継いだ作品
高遠石工とは、高遠藩領内(現在の長野県伊那市)出身の石材加工の職人集団
昭和の時代の作品であるが、高遠藩の石工文化の伝承による貴重な作品
「境内図」
神社まで250mはいいが、(徒歩9分)っていうのは……
嫌な予感というものは高確率で当たるもので、目の前には先の見えない階段が待っていた
胡桃下意成神社(くるみしたいなりじんじゃ)
立派な案内板がある
ここで神に祈ると近いうちに願い事が叶うという
「いなり」といえば、稲荷・稲成だが「意成」なら確かに願いが叶いそうだ
看板の割には小さな社だった
鳥居
階段を上りきった所に鳥居がある
ここかと思ったら違った
更に先が見えない参道が続く
木の根径(きのねみち)
「楽しく歩いて」書いてある
独りで笑顔で歩くのも変だし、鼻歌は呼吸が苦しくなる、スキップでもしようものなら捻挫の危険性もある
天狗岩
ここから大きな岩が続く
古くから山岳信仰の場として山そのもの、点在する磐境(巨石)が信仰の対象として、土着の人々に崇敬されていたという
まだまだ、階段が続く
亀岩
ただただ呼吸が苦しく、カメラを持つ手が震えてピントが合わない
あまりにも巨石すぎてどこが亀の頭で甲羅がどこなのか分からない
離れた場所から見ると亀の形だと想像できる
石門(鳥居)
私自身信仰心もなく、ましてや山岳信仰の知識もない
この石門から向こうが聖域になるということか
鳥居と同じように一礼して入った
神籬岩(ひもろぎいわ)
恥ずかしながら「神籬」という漢字が読めず、その意味も分からなかった
古来、日本人は自然の山や岩、木、海などに神が宿っていると信じ、信仰の対象としてきた
古代の神道では神社を建てて社殿の中に神を祀るのではなく、祭りの時はその時々に神を招いて執り行った
その際、神を招くための巨木の周囲に玉垣をめぐらして注連縄で囲うことで神聖を保ち、古くはその場所が「神籬」と呼ばれた
勾玉岩
全国的にも数少ない祭祀遺跡の跡地として、考古学的にも大変重要な遺跡といわれている
多くの「磐境(いわさか)」が山々に点在しているが、更には三種の神器と言われる「剣、玉(勾玉)、鏡」もある
天龍桜
社殿がみえているので、これが最後の階段となる
鳥居
食習慣と運動不足による肥満、肥満による足腰への負担等で最後の一歩が出ない
鳥居の額には「石川郡総鎮守 石都々古和気神社」
拝殿
社殿は八幡山の頂上にある
創建の年代は不詳であるが、八幡山には磐境が多数あり、古代から祭祀の地とされていた
「奉納額」
「由緒」
永承6年(1051年)、源有光が源義家の安倍一族追討の軍に加わって功績を挙げ、代官として石川の地を賜った
有光は康平6年(1063年)にこの地に移って名を石川有光とし、八幡山山頂の当社東側に三芦城(石川城)を築城した
治暦2年(1066年)、源氏の氏神である石清水八幡宮の分霊(八幡神・大国主命)を勧請して石都々古和気神社に合祀した
本殿
主祭神:味鉏高彦根命(あじすきたかひこねのみこと)
大国主命(おおくにぬしのみこと)
誉田別命(ほんだわけのみこと)の三柱
近寄って観ると本殿だと思っていた建物が覆堂であり、その中に本堂があった
祖霊社
多賀神社
諏訪神社
石造りの小さな社
剣石
先述した「三種の神器」の一つ
石造五重塔
五重塔の横にある龍神像
御神木
樹齢500年の「高野槇」
額殿
社殿の他に大きな建物はここだけになる
額には「額殿」とある
名前の通りだと奉納額が置かれているはずだ
周辺を散策していたら可愛い石仏に出逢った
山岳信仰の聖地ということも知らずに山頂にある社殿まできた
途中の磐座や磐境も大きな岩程度の認識でいた
境内図によるとこの鳥居の真下に狛犬の場所がある
まちなか駐車場に到着
近くには高校野球で甲子園に出場した「学法石川」がある
撮影 令和5年10月13日
石都々古和気神社(いわつつこわけじんじゃ)
社号標
陸奥国一宮ということで訪れた
駐車場の傍に社号標と社務所はあるが社殿の姿が見えない(嫌な予感がする)
狛犬(石川町指定文化財)
「飛翔獅子」と呼ばれる構図の作品で「高遠石工」の技術を受け継いだ作品
高遠石工とは、高遠藩領内(現在の長野県伊那市)出身の石材加工の職人集団
昭和の時代の作品であるが、高遠藩の石工文化の伝承による貴重な作品
「境内図」
神社まで250mはいいが、(徒歩9分)っていうのは……
嫌な予感というものは高確率で当たるもので、目の前には先の見えない階段が待っていた
胡桃下意成神社(くるみしたいなりじんじゃ)
立派な案内板がある
ここで神に祈ると近いうちに願い事が叶うという
「いなり」といえば、稲荷・稲成だが「意成」なら確かに願いが叶いそうだ
看板の割には小さな社だった
鳥居
階段を上りきった所に鳥居がある
ここかと思ったら違った
更に先が見えない参道が続く
木の根径(きのねみち)
「楽しく歩いて」書いてある
独りで笑顔で歩くのも変だし、鼻歌は呼吸が苦しくなる、スキップでもしようものなら捻挫の危険性もある
天狗岩
ここから大きな岩が続く
古くから山岳信仰の場として山そのもの、点在する磐境(巨石)が信仰の対象として、土着の人々に崇敬されていたという
まだまだ、階段が続く
亀岩
ただただ呼吸が苦しく、カメラを持つ手が震えてピントが合わない
あまりにも巨石すぎてどこが亀の頭で甲羅がどこなのか分からない
離れた場所から見ると亀の形だと想像できる
石門(鳥居)
私自身信仰心もなく、ましてや山岳信仰の知識もない
この石門から向こうが聖域になるということか
鳥居と同じように一礼して入った
神籬岩(ひもろぎいわ)
恥ずかしながら「神籬」という漢字が読めず、その意味も分からなかった
古来、日本人は自然の山や岩、木、海などに神が宿っていると信じ、信仰の対象としてきた
古代の神道では神社を建てて社殿の中に神を祀るのではなく、祭りの時はその時々に神を招いて執り行った
その際、神を招くための巨木の周囲に玉垣をめぐらして注連縄で囲うことで神聖を保ち、古くはその場所が「神籬」と呼ばれた
勾玉岩
全国的にも数少ない祭祀遺跡の跡地として、考古学的にも大変重要な遺跡といわれている
多くの「磐境(いわさか)」が山々に点在しているが、更には三種の神器と言われる「剣、玉(勾玉)、鏡」もある
天龍桜
社殿がみえているので、これが最後の階段となる
鳥居
食習慣と運動不足による肥満、肥満による足腰への負担等で最後の一歩が出ない
鳥居の額には「石川郡総鎮守 石都々古和気神社」
拝殿
社殿は八幡山の頂上にある
創建の年代は不詳であるが、八幡山には磐境が多数あり、古代から祭祀の地とされていた
「奉納額」
「由緒」
永承6年(1051年)、源有光が源義家の安倍一族追討の軍に加わって功績を挙げ、代官として石川の地を賜った
有光は康平6年(1063年)にこの地に移って名を石川有光とし、八幡山山頂の当社東側に三芦城(石川城)を築城した
治暦2年(1066年)、源氏の氏神である石清水八幡宮の分霊(八幡神・大国主命)を勧請して石都々古和気神社に合祀した
本殿
主祭神:味鉏高彦根命(あじすきたかひこねのみこと)
大国主命(おおくにぬしのみこと)
誉田別命(ほんだわけのみこと)の三柱
近寄って観ると本殿だと思っていた建物が覆堂であり、その中に本堂があった
祖霊社
多賀神社
諏訪神社
石造りの小さな社
剣石
先述した「三種の神器」の一つ
石造五重塔
五重塔の横にある龍神像
御神木
樹齢500年の「高野槇」
額殿
社殿の他に大きな建物はここだけになる
額には「額殿」とある
名前の通りだと奉納額が置かれているはずだ
周辺を散策していたら可愛い石仏に出逢った
山岳信仰の聖地ということも知らずに山頂にある社殿まできた
途中の磐座や磐境も大きな岩程度の認識でいた
境内図によるとこの鳥居の真下に狛犬の場所がある
まちなか駐車場に到着
近くには高校野球で甲子園に出場した「学法石川」がある
撮影 令和5年10月13日
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