みやこ浄土ヶ浜遊覧船「浄土ヶ浜周遊コース」
東北6県の車旅も終わりに近づいている。これまで触れてはこなかったが、震災の状況を撮り投稿することを目的とした旅でもあった
ところが、仮設住宅や黒いビニール袋の山、廃屋と化した商店や住宅にレンズを向けることができなかった
生死の境で難を逃れた方々の話も聞いてきた。そのようななか、道路地図に浄土ヶ浜の地名があった
「浄土」という文字目が止まり、行かねばという気持ちが強くなって訪れることになった
近くで上船待ちをしている人に挨拶をすると、写真を撮るならいい場所があると船尾のデッキの席を確保してくれた
小舟による観光では洞窟の近くまで案内してくれるらしい
船内放送によりそれぞれの場所の見所や歴史など、時には船を止めて説明が加えられる
その中でも記憶に残っていることがある
その一つは乗船している船が、観光を終え港に戻ろうとしたときに、3.11の大地震で津波が発生したという
船員のとっさの判断で港には戻らず、沖に向かったそうだ
とてつもないことが起こっていることは想像できたが情報がまったくない
さらに食料もないなか、ウミネコの餌づけ用のエサで飢えを凌いで3日後に港に戻ったという
会社が所有していた三艘あった観光船の二艘が破壊され、沖に逃れたこの船だけが残った
その時乗船していた船員の一人がこの船を動かしていると放送されると、船内から大きな拍手が起こった
話しは変わる。観光船ではウミネコの餌づけを行っているため、観光船の周辺を群れをなして飛んでいる
ウミネコとカモメの区別はつかないが「ジョナサン」を撮ってみた
私に席を確保してくれたご夫婦は大変親切な方でいろいろ話しをしてくれた
地元の方らしく震災のことも語ってくれた
娘さんが結婚するらしく、相手の方を連れての観光のようだが船酔いに耐えている様子がおかしかった
もう一つ記憶に残っていることが、この島にある
岸壁のいくつにも重なった層で、その年代が判断できるという
私にはさっぱり理解はできないが、とても貴重とのこと
普段、観光船にはあまり乗らないのだが、新しい出会いもあり楽しい一時を過ごすことができた
何事もなかったような穏やかな海と島
日常を取り戻しつつある
親切にしていただいたご夫婦に感謝の言葉をのべ、挨拶をして別れた
文字では表現できないが東北人の強さ、優しさをつよく感じた
撮影 平成28年5月29日
東北6県の車旅も終わりに近づいている。これまで触れてはこなかったが、震災の状況を撮り投稿することを目的とした旅でもあった
ところが、仮設住宅や黒いビニール袋の山、廃屋と化した商店や住宅にレンズを向けることができなかった
生死の境で難を逃れた方々の話も聞いてきた。そのようななか、道路地図に浄土ヶ浜の地名があった
「浄土」という文字目が止まり、行かねばという気持ちが強くなって訪れることになった
近くで上船待ちをしている人に挨拶をすると、写真を撮るならいい場所があると船尾のデッキの席を確保してくれた
小舟による観光では洞窟の近くまで案内してくれるらしい
船内放送によりそれぞれの場所の見所や歴史など、時には船を止めて説明が加えられる
その中でも記憶に残っていることがある
その一つは乗船している船が、観光を終え港に戻ろうとしたときに、3.11の大地震で津波が発生したという
船員のとっさの判断で港には戻らず、沖に向かったそうだ
とてつもないことが起こっていることは想像できたが情報がまったくない
さらに食料もないなか、ウミネコの餌づけ用のエサで飢えを凌いで3日後に港に戻ったという
会社が所有していた三艘あった観光船の二艘が破壊され、沖に逃れたこの船だけが残った
その時乗船していた船員の一人がこの船を動かしていると放送されると、船内から大きな拍手が起こった
話しは変わる。観光船ではウミネコの餌づけを行っているため、観光船の周辺を群れをなして飛んでいる
ウミネコとカモメの区別はつかないが「ジョナサン」を撮ってみた
私に席を確保してくれたご夫婦は大変親切な方でいろいろ話しをしてくれた
地元の方らしく震災のことも語ってくれた
娘さんが結婚するらしく、相手の方を連れての観光のようだが船酔いに耐えている様子がおかしかった
もう一つ記憶に残っていることが、この島にある
岸壁のいくつにも重なった層で、その年代が判断できるという
私にはさっぱり理解はできないが、とても貴重とのこと
普段、観光船にはあまり乗らないのだが、新しい出会いもあり楽しい一時を過ごすことができた
何事もなかったような穏やかな海と島
日常を取り戻しつつある
親切にしていただいたご夫婦に感謝の言葉をのべ、挨拶をして別れた
文字では表現できないが東北人の強さ、優しさをつよく感じた
撮影 平成28年5月29日