今、出発の刻(たびだちのとき)

車中泊によるきままな旅
<名所旧跡を訪ねる>

誓法山 金前寺(福井県敦賀市金ケ崎町1-4)

2022年07月07日 | 神社・仏閣
訪問日 令和4年5月20日

誓法山 金前寺(こんぜんじ)
高野山真言宗の寺院
本尊:十一面観世音菩薩(袴掛観音)



「金崎宮」を訪れたのだが本堂の近い場所に「社号柱」があり間違ってしまった
途中で変だと思い気づいたのだが撮った写真は残していた



「金前寺寺歴」では歴史上の人物が次々と登場してくる
天平8年(736年)聖武天皇の勅願により泰澄が開山
弘仁2年(811年)弘法大師空海が訪れる
延元2年(1337年)金ヶ崎の戦いで金ヶ崎城が落城……






扁額には山号の「誓法山」



実はこの寺号札を見るまで「金前寺」とは知らずにいた
動揺し「金崎宮」は何処だと周囲を探したことを思い出す



本堂
金ヶ崎の戦い、織田信長による越前攻め、太平洋戦争敦賀空襲で三度も焼失
現在の本堂は平成元年(1989年)の建立
平成27年(2015年)『今昔物語集』にも由来が記されている本尊の「袴掛観音」が復元される



弘法大師像、聖観世音菩薩像、不動明王像が並ぶ



正式には「弘法大師御入定千百五十年御遠忌記念」



五重塔
私の大好きな塔だが違和感がある
相輪が無いのだ



平成17年(2005年)の建立
工事費は、平成12年~平成17年の寒修行托鉢による市民の尊い浄財積立金を充当



「水子地蔵尊」






楼鐘堂
平成11年(1999年)数多くの鐘楼堂再建寄進者の協力により再建






鐘楼堂側から本堂を眺める



芭蕉句碑(鐘塚)
元禄2年(1689年)8月14日夕、芭蕉と旧知等栽(とうさい)と敦賀に入り気比神宮に参拝



翌15日雨の中を天屋玄流らに案内されて金前寺を訪れた
延元の戦い、陣鐘の物語りを聞いて詠んだのが
「月いづこ 鐘は沈るうみのそこ」






歓喜天堂






納骨堂



建物は新しいがこの場所が日本史上でも重要な地点であることがわかった
近くには私が時々利用する敦賀港フェリーターミナルがある

撮影日 令和4年5月20日
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劔神社(福井県丹生郡越前町織田113-1)

2022年07月06日 | 神社・仏閣
訪問日 令和4年5月19日

劔神社(別名:織田明神)
越前二の宮 劔神社(つるぎじんじゃ)
織田信長の先祖が当社の神官であったことから氏神と崇めた社

北入口側鳥居
越前町織田文化歴史館大駐車場に車を駐め北入口から入る



鳥居



天満宮






天満宮といえば神牛
菅原道真は乙丑(きのとうし)生まれ、牛と梅を愛したという
神牛の頭部を撫でると智恵が付くという



庚申宮 (こうしんぐう)
劔大明神馬場庚申宮は織田七庚申の一つ



文武天皇の御代に疫病が流行、護摩祈祷をしたところ青面金剛が現れ疫病を鎮めると約束
その年が庚申の年、庚申の月庚申の日だった



三猿






参道



狛犬






旧神前院護摩堂(越前町指定文化財)
この堂宇は、劔神社の神宮寺である織田寺の護摩堂として延宝3年(1675年)に建立された
真言密教の修法により護摩祈祷が行われ、煙のために黒く煤けて当時の面影を残している



手水舎



拝殿
現在の拝殿は弘化4年(1847年)に建立



文政10年(1827年)に劔神社が伏見宮家の祈願所になった機縁による






拝殿内の様子



御神木



祓所



おみくじ・絵馬
織田信長ファンの一人だが、この絵はかっこよすぎる(笑)



おもかる石
右腕の筋肉を痛めているので持つのはやめたが、いつも重く感じる



薬師神社
祭神:少彦名大神 (すくなびこなのおおかみ)



小松建勲神社(こまつたていさおじんじゃ)
祭神:平重盛、織田信長公






奇稲田媛神社(くしなだひめじんじゃ)
祭神:奇稲田媛命(くしなだひめのみこと)



摂社 織田神社<旧氣比社>(福井県指定文化財)
祭神:保食大神 (うけもちのおおかみ)、仲哀天皇 、応神天皇






流造、桧皮葺、欅材、流造り特有の屋根の勾配が優美な江戸時代初期の建物



本殿(福井県指定文化財)
織田神社の撮影と説明文に夢中になり、本殿の撮影を忘れてしまった






戦国武将 織田一族発祥地



縁結び夫婦杉



国宝「梵鐘」の保管庫だった(越前町織田文化歴史館に寄託)



水木稲荷神社



忠魂社






猿田彦神社



越前町織田文化歴史館
越前町の歴史資料館(館内は撮影禁止)
館内に道鏡が失脚した際に神馬とともに奉納されたとの伝承がある国宝の梵鐘が展示されていた



撮影日 令和4年5月19日
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大瀧神社・岡太神社(福井県越前市大滝町23-10)

2022年07月05日 | 神社・仏閣
訪問日 令和4年5月19日

大瀧神社・岡太神社
全国で唯一“紙の神様”をおまつりする神社
大徳山という霊山の山上にある「奥の院(上宮)」と、山のふもとにある「下宮」から成り立っている
大瀧神社は「大瀧兒権現」という神仏習合の霊場で、白山信仰の本山である平泉寺の末寺として隆盛
その別当「大瀧寺」の境内に、「岡太神社」という紙の神様がまつられていたらしい



狛犬






神門と社殿



寺社巡りを中心に旅を楽しんでいるが、この社殿に最も魅力を感じている



本殿・拝殿(重要文化財)
江戸時代後期の天保14年(1843年)に再建された下宮の社殿
入母屋造りに千鳥破風に唐破風、そしてまた入母屋に唐破風が重なっていく屋根は、全国でも類を見ない



手掛けたのは曹洞宗本山永平寺の勅使門(重要文化財)を手掛けた名棟梁、大久保勘左衛門
彼は、美しさと複雑さを併せもつ唯一の社殿を考案した



祭神:大瀧神社(國常立尊・伊弉諾尊)
   岡太神社(川上御前)



本殿の側面と背面には中国の故事を題材にした丸彫りの彫刻


















土台となっている石は創建当初のものだと地元の方から聞いた









拝殿正面に、獅子、龍、鳳凰、草花の彫刻






光のマジックでデジカメ特有の面白い写真になった



実際はこのような感じ



神輿殿



奏楽殿



少し高い場所から



入母屋に唐破風が重なっていく屋根は芸術的だ(多くの人に知ってもらいたい)






観音堂(絵馬堂)
神仏習合の寺院であった大瀧兒大権現は、明治新政府が出した神仏分離令により「大瀧神社」と改められた



寺院関連の仏像などは処分されてしまうことが多かった
大瀧寺の仏像は近くの法徳寺などのお寺にあずかってもらった



木造十一面観音坐像(越前市指定文化財)



絵馬



鳥居



撮影日 令和4年5月19日
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萬松山 大安禅寺(福井県福井市田ノ谷町21–4)

2022年07月04日 | 神社・仏閣
訪問日 令和4年5月19日

萬松山 大安禅寺
臨済宗妙心寺派の寺院
福井藩第4代藩主松平光通が大愚宗築を開山として、越前松平家の永代菩提所として万治元年(1658年)に創建した
ほぼ全ての建造物が第二次世界大戦や福井地震の影響を受けることなく創建当時のまま残存している

大安禅寺令和の大修理
重要文化財に指定されている本堂・庫裏・開山堂・開基堂・鐘楼の保存修理工事中であった
ヘルメットを被って工事中の本堂を見学する



かつて姫路城近くを車で通った時に工事中でがっかりして諦めたことがあった
道の駅で、その姫路城から来たというプロのカメラマンと話す機会があり、その事を話した
この先、生きている間にこのような光景は二度と見ることはできないと言われ、彼が撮った写真を見せてもらった
その事が頭にあり、修復工事中の弘前城の写真を撮りにいったこともある
この大安禅寺の令和の大修理の現場に立てたのも幸運だと考えるようにした

本堂(重要文化財)
万治2年(1659年)建立
入母屋造、瓦葺き、六間取りの方丈形式の本堂
本尊:正十一面観音菩薩立像(伝 行基作)



建材の腐食や白アリ被害、柱の沈下など破損の進行が随所にみられ根本的な対策が必要となり
平成30年から12年間かけての大修理となった



開基堂(重要文化財)
延宝5年(1677年)建立 宝形造、瓦葺



霊屋ともいい、開基 松平光通を祀る



初めて訪れたのでわからないが、特別に堂内の拝観ができたのなら嬉しい



開山堂(重要文化財)
寛文10年(1670年)建立 宝形造、瓦葺き



開山 大愚宗築を祀る



千畳敷
係の女性から200mほど歩くと「千畳敷」があると言われ行ってみることにした
このような階段や坂道が続く



途中にあった笠原白翁墓所
170年前頃の天然痘への治療法も無い時代に、痘苗の輸入を当時の福井藩主春嶽へ強く要請
京都へ届いていた痘苗を大雪の栃ノ木峠を七日間もかけて、命がけで越え接種を繋ぎつ福井へ運んだという



千畳敷が何なのかも知らず歩いてきたが福井藩主歴代の墓所ということが案内札で分かった



「もうすこしガンバレ」の札を2・3度目にするが、もう少しだからガンバレだとこの時は思っていた
歩いてみて、弱音を吐くな、もう少しガンバレの意味だったのだと理解した(汗)






墓所入口







中央には藩祖 結城秀康墓石



高さ約4mの舗石は上野寛永寺にある徳川家よりも大きい



福井の名石「笏谷石(しゃくだにいし)」で作られた墓石が立ち並ぶ



その下には1,360枚の同石の石畳が敷き詰められて「千畳敷」と呼ばれるようになった



松平家家紋






駐車場に戻り、車を走らせるともう一つの道を見つけた



庫裏(重要文化財)
万治元年(1658年)の建立
本堂右手に建ち、正面入母屋造、背面寄棟造、瓦葺



鐘楼(重要文化財)
寛文3年(1663年)建立






参道横にある「小安観世音菩薩」



「布袋尊像」



撮影日 令和4年5月19日
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菅生石部神社(石川県加賀市大聖寺敷地)

2022年07月02日 | 神社・仏閣
訪問日 令和4年5月18日

菅生石部神社<通称:敷地天神・菅生天神>
用明天皇元年(585年) この地で疾病が流行したとき、宮中で祀られていた菅生石部神が勧請されたのが始まり

社号柱
加賀国二宮で、旧社格は国幣小社



鳥居



神門(加賀市指定文化財)
総欅造りの銅葺き2層の楼門
文政7年(1824年)に起工し、翌年9月に完成



額には「菅生石部神社」



随神像



阿吽一対の組み合わせで安置されている



手水舎



拝殿



『平家物語』巻第七に、志保山の戦いで平家の搦め手を破った木曾義仲が「能美の荘(現・能美市周辺)」を寄進したことが記されている



寺宝には足利氏の寄進状や、前田利常の夫人・天徳院(徳川2代将軍秀忠の娘)が寄進した『蒔絵角赤手箱』(重要文化財)などの文化財も多数ある



「菅生石部神社は全国の斎藤さんの氏神」
平安時代の前期、藤原叙用は、斎宮頭(神宮に奉仕していた未婚の皇女・斎宮の世話を職掌とする斎宮寮の長官)を任ぜられた
それを名誉と考えて、「斎宮の藤原」略して「斎藤」と名乗り、さらに菅生石部神社に祀られる天神を氏神として、一族の繁栄を願った
斎藤氏は美濃国の目代に任ぜられ、美濃に遷るが、その際、氏神の菅生石部神社の分霊を勧請(美濃国には菅生石部神社が17社)
また菅生石部神社の分散とともに、斎藤氏も全国に拡散して隆盛した



本殿
祭神:菅生石部神(天津日高日子穗穗出見命、豐玉毘賣命、鵜葺草葺不合命の三柱の総称)



中世には北野天満宮の社領で「天神」の通称はそこからきた
現在もその名残で境内に牛の像が残っている



神馬



神楽殿



能『敷地物狂』は菅生石部神社の境内(敷地)を舞台とする話
物語は加賀国江沼郡出身で、天慶9年(946年)年に天台宗第15代座主になった「延昌(えんしょう)」の話し



主人公は菅生殿の子息松若。松若は12歳の春、書き置きを残し比叡山に登り必死に勉強をして、偉いお坊さんになった
松若はお供を従えて、生まれ故郷の菅生へ帰ったがが家も家族もいなかった
地元の人びとに家族の消息を聞くと、母親も松若を探しに家を出て、家族が散りぢりになったという
松若は自分が家を出たのと同じ春、敷地の宮で行方知れずの家族をしのび、涙ながらに説法をする
すると親子の情を説く松若のもとに一人のみすぼらしい姿をした老婆がやってきた
松若の話にとても感動した老婆は、松若にお供え物として菰(こも)を差し出した
するとその菰から一通の書状がこぼれ落ちた
実はその書状こそが、松若が家を飛び出すさい、家に残した書き置きだった
その老婆は松若の母親だった
松若と母親は奇跡の再会を果たしたのだった



神門(境内側)を眺め駐車場に戻る




撮影日 令和4年5月18日
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小松天満宮(石川県小松市天神町1)

2022年07月01日 | 神社・仏閣
訪問日 令和4年5月18日

小松天満宮
創建は明暦3年(1657年)、加賀藩2代藩主前田利常(前田家3代目当主)が隠居城として小松城に入城
城の鬼門にあたるこの地に前田家の遠祖菅原道真の分霊を勧請したのが始まりと伝えらている

社号柱



一の鳥居
鳥居から社殿にいたる参道は北極星から北斗星をみた「逆さ北斗」型をしている



北斗型参道と冬至と七夕の日の出線についての説明



二の鳥居
正面突き当たりにある「筆塚」を左に進む(逆さ北斗型参道)



筆塚



芭蕉句碑「あかあかと日はつれなくも秋の風」



神門(重要文化財)
神門を右に曲がり進む(逆さ北斗型参道)



四脚門、切妻、銅板葺、一間一戸、木部朱塗り



「天満宮」の額



狛犬






願かけ撫牛



各地の天満宮で「牛が動かなくなった」という話しはよく聞く



参道



手水舎



手水鉢に浮かんでいるおもちゃはカラスの被害を防ぐ為のもの(楽しい)



十五重石塔(小松市指定文化財)






十三重塔まではよく見るが十五重塔は珍しい
頂上部に相輪ではなく宝珠を持つことから仏塔ではないという



小松城と天満宮についての説明
加賀藩三代藩主前田利常だ在城下3つの城(小松城・金沢城・守山城)を結ぶ線上に天満宮が立地している
白山山系の妙法山を越えて昇る冬至の日の出が神門を通り本殿に達するように造られている



ほとんどが学業成就関係の絵馬



拝殿(重要文化財)
社殿の造営には那谷寺(小松市)や妙成寺(羽咋市)、瑞龍寺(高岡市)を手懸けた加賀藩御用大工、山上善右衛門嘉広が棟梁を担当した



木造平屋建て、入母屋、銅板葺、平入、桁行7間、梁間2間、正面千鳥破風、3間軒唐破風向拝付、外壁は真壁造板張り



社殿は、前田家の祖菅原道真を祭る北野天満宮を4分の1に縮尺して建てられた



本殿(重要文化財)
祭神:菅原道真、 前田利常公、白太夫神、応神天皇



三間社入母屋造、桁行3間、梁間2間、銅板葺、外壁は真壁造板張り



能楽堂






小松天満宮には数年前にも訪れていて社殿は見えているのに道が分からず苦労したことがある
今回、訪れた事さえ忘れ、近くになって見たことのある景色だと思い出した



今回も道に迷い同じ間違いを繰り返した(笑)
駐車場に戻ると地元の老夫婦に声を掛けられた



さらに、境内の竹林を整備していた男性も加わり楽しい時間を過ごした
一人旅は会話する機会もなく、このような時間は貴重で思い出となった



撮影日 令和4年5月18日
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