「ヒガンバナ(彼岸花)」 ヒガンバナ科 ☆9月20日の誕生花☆
花言葉は… 情熱・悲しい思い出・再会・想うはあなた一人
10月3日(木) 今日の和泉市の天気予報は “雨時々曇” です 。
24時間予報では、夕方までは マークが並び、夜は マークが並んでいます。
今朝は 雨です。 最低気温は午前6時の21.0℃で、涼しいというより寒かった。
最高気温は午後1時の27.0℃を予想しています。今日もエアコン要らずで過ごせそうです。
昨日の予報は “晴のち曇” でした。 3時ごろまでは青空が広がり日差しもありましたが、
午後3時ごろからは少しずつ雲が増え、夜にはすっかり曇り空になりました。
昨日朝の気温は21.5℃、最高気温は29.7℃でした。午後は蒸し暑く、扇風機ON!
今日の花は 「ヒガンバナ(彼岸花)」 です。
「彼岸花」 の名は、秋のお彼岸ごろ開花する事に由来するそうです。
ブロ友の皆さんは、もう以前からアップされていて、ちょっと焦っていました
一昨日、いつも撮りに行く松尾川沿いの田んぼに行ってみました。
ほぼ満開でしたが、まだまだ蕾も沢山あって、今年はほんとに開花が遅かったと実感しました。
〖彼岸花の開花には土の中の温度が関係していて、地中の温度が20℃以下になると開花のスイッチが入ります。
今年は夏の高温がいつまでも残ったため、土中の温度の下がるのが遅れ、開花も遅れた〗…という事らしい。
“彼岸花は日陰から咲き始める” と言うのも一理あるようです。今年の夏は猛暑、しかも残暑が厳しいですからねぇ
この開花時期が毎年のことになると「彼岸花」の名前も「ヒガンゴバナ(彼岸後花)」に変更されるかも
以前は細い田んぼの畔道でもヒョイヒョイヒョイと歩いて行けましたが、今ではヨタヨタ
畔から足を踏み外し、稲の上に転んだら大変ですもんね。あまり花に近付いて撮れないのがもどかしい。
稲穂は大きく頭をたれ、もうそろそろ稲刈りでしょうか。 すでに刈られた田んぼも2割程度ありました。
⇩ これは例の “柿屋さん” の前方に広がる風景です ⇩
別名の 「マンジュシャカ(曼珠沙華)」 は仏教の経典によると “天上の花” という意味で、
赤い花が天から降り、お目出度い事が起きる前兆なのだそうです。
花の後で葉が伸びて来るので、花と葉を一緒に 見る事が出来ません。
まず花を咲かせるという “まず咲き” を仏教と結びつけ、「曼珠沙華」になったとも
後付けだろう なんか疑わしいですね
なんだか “先ず咲く” がら “マンサク(満作)” の名が付けられた事に似ていますね(笑。
によると… どんな植物か 〖中国の長江下流域が原産とされる球根植物です。
秋の彼岸頃に花を咲かせるので、この名前があります。日本には古い時代に中国からやってきて根付いた
史前帰化植物とされています。どの時代に、どうやって来たのかは諸説あります。
水田などの耕作地や人家周辺、寺社や墓地、河川周りなど人が生活を営む範囲に多く自生する、いわゆる人里植物です。
人里に多いのは、かつて作物として利用されており、半ば栽培状態にあったからとされています。
あまり栽培されない植物ですが、球根は夏頃から園芸店などに流通するので一定の需要はあるのでしょう。
園芸ではヒガンバナもひっくるめて、リコリスの仲間として扱うことが多いです〗
⇧ 牛滝川沿いの彼岸花 ⇧
生活サイクル 〖開花期-生育期-休眠期の3ステージに分けられ、これを毎年繰り返します。 9月頃に休眠から覚めます。
花茎を長く伸ばして、その先端に5~8輪の花を放射状に咲かせます。花色は赤で、花びらは細長くて縁がよじれて
大きく反り返ります。雄しべは長く、花の外へ大きく突き出ます。この時期には、まだ葉っぱが出ていません。
10月頃に花茎が倒れ、地際から葉っぱが出てきます。冬の間にたっぷり日射しを浴びて生長し、
球根が分かれて数が増えます。5月頃に葉っぱが枯れて、球根の状態で休眠に入ります。球根の形は球型で、
リコリンというアルカロイドを含んでおり有毒です。嘔吐、皮膚炎などの中毒症状が知られています〗
日本産の遺伝的な特長 2倍体と3倍体 〖日本に自生しているものはおもしろい特長があります。
それは、3倍体で基本的にタネを結ばないと言うことです。
原産地とされる中国にはタネを付ける2倍体とタネを付けない3倍体の個体があります。
中国原産の2倍体は3倍体よりも全体的に小さく、コヒガンバナと呼んで分類上は変種として区別する考え方もあります。
3倍体は「タネができない・できにくい」「2倍体と比較して大型になりやすい」などの傾向があります。
自然発生することもあれば、人工的に作られることもあります。タネなしスイカ は人工的な3倍体の代表例です。
日本に自生するものは個体による変異が見られず、すべて親系統が同一(遺伝的にすべて同じ個体)だとされます〗
〖中国から伝わった1株の球根から日本各地に株分けの形で広まったと考えられる〗ということは…
種子で増える事が出来ない。山の中などでこの花が咲いていれば、その地は人の手が入った土地だと云う事ですね。
韓国では 「相思華(サンチョ)」 と呼び “花は葉を思い、葉は花を思う”
という意味から名付けられた名前だそうです。
原産地は中国で、古い時代に稲作と同時に渡来したと云われています。
根には毒が有り、田んぼの周りの畦に植えて、モグラやネズミ避けに利用されたそうです。
英名は 「spider lily(蜘蛛百合)」 そんな感じですね。 分かる気がします。
過去の「和泉市・市民文化祭 子供絵画展」に出品されていた絵を紹介しています。
しばらくは「百羽の鶴」の読み聞かせを題材にした絵をご覧ください。(6年生の作品です。
読み聞かせ ⇒ 情景を絵にする… 一貫授業として小学校が取り入れているようです。
ですがどの作品も似たような描き方が気になります。
よくは知りませんが ‶こういう描き方もありますよ″ という統一した描き方の指導があるようです。
子供たちの自由な発想を妨げるとして賛否両論あるようですが、一つの画法として知っておいてもいいのかも知れないですね。
もうすでに紹介した絵を載せる事が有るかも知れません。 ご容赦を・・・
疲れ果てて落ちて行く子鶴を無事に救出。 背に子鶴を乗せています。
下の湖には月と鶴が写っています。湖は沢山描いていますが、鶴も描いた絵はこれだけだったと思います。
「百羽の鶴」 とはこんな物語です 奈良県大淀町役場HPより
〖冷たい月の光で、こうこうと明るい、夜更けのひろい空でした。
そこへ、北の方から、真っ白な羽を、ヒワヒワとならしながら、百羽のツルが、飛んできました。
百羽のツルは、みんな、同じ速さで、白い羽を、ヒワヒワと、動かしていました。
首をのばして、ゆっくりゆっくりと、飛んでいるのは、疲れているからでした。
なにせ、北の果ての、さびしいこおりの国から、昼も夜も、休みなしに、飛び続けてきたのです。
だが、ここまで来れば、行き先は、もうすぐでした。
楽しんで、待ちに待っていた、きれいな湖のほとりへ、着くことができるのです。
「下をごらん、山脈だよ。」と、先頭の大きなツルが、嬉しそうに、言いました。
みんなは、いっときに、下を見ました。黒々と、いちめんの大森林です。
雪をかむった、高い峯だけが、月の光をはねかえして、はがねのように、光っていました。
「もう、あとひといきだ。みんな、がんばれよ。」百羽のツルは、目を、キロキロと光らせながら、
疲れた羽に、力を込めて、しびれるほど冷たい、夜の空気をたたきました。
それで、飛び方は、今までよりも、少しだけ、速くなりました。もう、あとが、しれているからです。
残りの力を、出しきって、ちょっとでも早く、湖へ着きたいのでした。
するとその時、一番後ろから飛んでいた、小さな子どものツルが、下へ下へと、おち始めました。
子どものツルは、みんなに、内緒にしていましたが、病気だったのです。ここまでついてくるのも、やっとでした。
みんなが、少しばかり速く飛び始めたので、子どものツルは、ついていこうとして、死にもの狂いで、飛びました。
それが、いけなかったのです。
あっという間に、羽が、動かなくなってしまい、吸い込まれるように、下へおち始めました。
だが、子どものツルは、みんなに、助けを求めようとは、思いませんでした。
もうすぐだと、喜んでいる、みんなの喜びを、壊したくなかったからです。
黙って、グイグイとおちながら、小さなツルは、やがて、気を失ってしまいました。
子どものツルのおちるのをみつけて、そのすぐ前を飛んでいたツルが、鋭く鳴きました。
すると、たちまち、大変なことが起こりました。
前を飛んでいた、九十九羽のツルが、いっときに、さっと、下へ下へとおち始めたのです。
子どものツルよりも、もっと速く、月の光をつらぬいて飛ぶ、銀色の矢のように速く、おちました。
そして、おちていく子どものツルを、追い抜くと、黒々と続く、大森林のま上あたりで、
九十九羽のツルは、さっと羽を組んで、一枚の白い網となったのでした。
すばらしい九十九羽のツルの曲芸は、見事に、網の上に、子どものツルを受け止めると、そのまま空へ、舞い上がりました。
気を失った、子どものツルを、長い足でかかえた先頭のツルは、何事もなかったかのように、みんなに、言いました。
「さあ、もとのように並んで、飛んでいこう。もうすぐだ。がんばれよ。」
こうこうと明るい、夜更けの空を百羽のツルは、真っ白な羽をそろえて、
ヒワヒワと、空の彼方へ、次第に小さく消えていきました。
花言葉は… 情熱・悲しい思い出・再会・想うはあなた一人
10月3日(木) 今日の和泉市の天気予報は “雨時々曇” です 。
24時間予報では、夕方までは マークが並び、夜は マークが並んでいます。
今朝は 雨です。 最低気温は午前6時の21.0℃で、涼しいというより寒かった。
最高気温は午後1時の27.0℃を予想しています。今日もエアコン要らずで過ごせそうです。
昨日の予報は “晴のち曇” でした。 3時ごろまでは青空が広がり日差しもありましたが、
午後3時ごろからは少しずつ雲が増え、夜にはすっかり曇り空になりました。
昨日朝の気温は21.5℃、最高気温は29.7℃でした。午後は蒸し暑く、扇風機ON!
今日の花は 「ヒガンバナ(彼岸花)」 です。
「彼岸花」 の名は、秋のお彼岸ごろ開花する事に由来するそうです。
ブロ友の皆さんは、もう以前からアップされていて、ちょっと焦っていました
一昨日、いつも撮りに行く松尾川沿いの田んぼに行ってみました。
ほぼ満開でしたが、まだまだ蕾も沢山あって、今年はほんとに開花が遅かったと実感しました。
〖彼岸花の開花には土の中の温度が関係していて、地中の温度が20℃以下になると開花のスイッチが入ります。
今年は夏の高温がいつまでも残ったため、土中の温度の下がるのが遅れ、開花も遅れた〗…という事らしい。
“彼岸花は日陰から咲き始める” と言うのも一理あるようです。今年の夏は猛暑、しかも残暑が厳しいですからねぇ
この開花時期が毎年のことになると「彼岸花」の名前も「ヒガンゴバナ(彼岸後花)」に変更されるかも
以前は細い田んぼの畔道でもヒョイヒョイヒョイと歩いて行けましたが、今ではヨタヨタ
畔から足を踏み外し、稲の上に転んだら大変ですもんね。あまり花に近付いて撮れないのがもどかしい。
稲穂は大きく頭をたれ、もうそろそろ稲刈りでしょうか。 すでに刈られた田んぼも2割程度ありました。
⇩ これは例の “柿屋さん” の前方に広がる風景です ⇩
別名の 「マンジュシャカ(曼珠沙華)」 は仏教の経典によると “天上の花” という意味で、
赤い花が天から降り、お目出度い事が起きる前兆なのだそうです。
花の後で葉が伸びて来るので、花と葉を一緒に 見る事が出来ません。
まず花を咲かせるという “まず咲き” を仏教と結びつけ、「曼珠沙華」になったとも
後付けだろう なんか疑わしいですね
なんだか “先ず咲く” がら “マンサク(満作)” の名が付けられた事に似ていますね(笑。
によると… どんな植物か 〖中国の長江下流域が原産とされる球根植物です。
秋の彼岸頃に花を咲かせるので、この名前があります。日本には古い時代に中国からやってきて根付いた
史前帰化植物とされています。どの時代に、どうやって来たのかは諸説あります。
水田などの耕作地や人家周辺、寺社や墓地、河川周りなど人が生活を営む範囲に多く自生する、いわゆる人里植物です。
人里に多いのは、かつて作物として利用されており、半ば栽培状態にあったからとされています。
あまり栽培されない植物ですが、球根は夏頃から園芸店などに流通するので一定の需要はあるのでしょう。
園芸ではヒガンバナもひっくるめて、リコリスの仲間として扱うことが多いです〗
⇧ 牛滝川沿いの彼岸花 ⇧
生活サイクル 〖開花期-生育期-休眠期の3ステージに分けられ、これを毎年繰り返します。 9月頃に休眠から覚めます。
花茎を長く伸ばして、その先端に5~8輪の花を放射状に咲かせます。花色は赤で、花びらは細長くて縁がよじれて
大きく反り返ります。雄しべは長く、花の外へ大きく突き出ます。この時期には、まだ葉っぱが出ていません。
10月頃に花茎が倒れ、地際から葉っぱが出てきます。冬の間にたっぷり日射しを浴びて生長し、
球根が分かれて数が増えます。5月頃に葉っぱが枯れて、球根の状態で休眠に入ります。球根の形は球型で、
リコリンというアルカロイドを含んでおり有毒です。嘔吐、皮膚炎などの中毒症状が知られています〗
日本産の遺伝的な特長 2倍体と3倍体 〖日本に自生しているものはおもしろい特長があります。
それは、3倍体で基本的にタネを結ばないと言うことです。
原産地とされる中国にはタネを付ける2倍体とタネを付けない3倍体の個体があります。
中国原産の2倍体は3倍体よりも全体的に小さく、コヒガンバナと呼んで分類上は変種として区別する考え方もあります。
3倍体は「タネができない・できにくい」「2倍体と比較して大型になりやすい」などの傾向があります。
自然発生することもあれば、人工的に作られることもあります。タネなしスイカ は人工的な3倍体の代表例です。
日本に自生するものは個体による変異が見られず、すべて親系統が同一(遺伝的にすべて同じ個体)だとされます〗
〖中国から伝わった1株の球根から日本各地に株分けの形で広まったと考えられる〗ということは…
種子で増える事が出来ない。山の中などでこの花が咲いていれば、その地は人の手が入った土地だと云う事ですね。
韓国では 「相思華(サンチョ)」 と呼び “花は葉を思い、葉は花を思う”
という意味から名付けられた名前だそうです。
原産地は中国で、古い時代に稲作と同時に渡来したと云われています。
根には毒が有り、田んぼの周りの畦に植えて、モグラやネズミ避けに利用されたそうです。
英名は 「spider lily(蜘蛛百合)」 そんな感じですね。 分かる気がします。
過去の「和泉市・市民文化祭 子供絵画展」に出品されていた絵を紹介しています。
しばらくは「百羽の鶴」の読み聞かせを題材にした絵をご覧ください。(6年生の作品です。
読み聞かせ ⇒ 情景を絵にする… 一貫授業として小学校が取り入れているようです。
ですがどの作品も似たような描き方が気になります。
よくは知りませんが ‶こういう描き方もありますよ″ という統一した描き方の指導があるようです。
子供たちの自由な発想を妨げるとして賛否両論あるようですが、一つの画法として知っておいてもいいのかも知れないですね。
もうすでに紹介した絵を載せる事が有るかも知れません。 ご容赦を・・・
疲れ果てて落ちて行く子鶴を無事に救出。 背に子鶴を乗せています。
下の湖には月と鶴が写っています。湖は沢山描いていますが、鶴も描いた絵はこれだけだったと思います。
「百羽の鶴」 とはこんな物語です 奈良県大淀町役場HPより
〖冷たい月の光で、こうこうと明るい、夜更けのひろい空でした。
そこへ、北の方から、真っ白な羽を、ヒワヒワとならしながら、百羽のツルが、飛んできました。
百羽のツルは、みんな、同じ速さで、白い羽を、ヒワヒワと、動かしていました。
首をのばして、ゆっくりゆっくりと、飛んでいるのは、疲れているからでした。
なにせ、北の果ての、さびしいこおりの国から、昼も夜も、休みなしに、飛び続けてきたのです。
だが、ここまで来れば、行き先は、もうすぐでした。
楽しんで、待ちに待っていた、きれいな湖のほとりへ、着くことができるのです。
「下をごらん、山脈だよ。」と、先頭の大きなツルが、嬉しそうに、言いました。
みんなは、いっときに、下を見ました。黒々と、いちめんの大森林です。
雪をかむった、高い峯だけが、月の光をはねかえして、はがねのように、光っていました。
「もう、あとひといきだ。みんな、がんばれよ。」百羽のツルは、目を、キロキロと光らせながら、
疲れた羽に、力を込めて、しびれるほど冷たい、夜の空気をたたきました。
それで、飛び方は、今までよりも、少しだけ、速くなりました。もう、あとが、しれているからです。
残りの力を、出しきって、ちょっとでも早く、湖へ着きたいのでした。
するとその時、一番後ろから飛んでいた、小さな子どものツルが、下へ下へと、おち始めました。
子どものツルは、みんなに、内緒にしていましたが、病気だったのです。ここまでついてくるのも、やっとでした。
みんなが、少しばかり速く飛び始めたので、子どものツルは、ついていこうとして、死にもの狂いで、飛びました。
それが、いけなかったのです。
あっという間に、羽が、動かなくなってしまい、吸い込まれるように、下へおち始めました。
だが、子どものツルは、みんなに、助けを求めようとは、思いませんでした。
もうすぐだと、喜んでいる、みんなの喜びを、壊したくなかったからです。
黙って、グイグイとおちながら、小さなツルは、やがて、気を失ってしまいました。
子どものツルのおちるのをみつけて、そのすぐ前を飛んでいたツルが、鋭く鳴きました。
すると、たちまち、大変なことが起こりました。
前を飛んでいた、九十九羽のツルが、いっときに、さっと、下へ下へとおち始めたのです。
子どものツルよりも、もっと速く、月の光をつらぬいて飛ぶ、銀色の矢のように速く、おちました。
そして、おちていく子どものツルを、追い抜くと、黒々と続く、大森林のま上あたりで、
九十九羽のツルは、さっと羽を組んで、一枚の白い網となったのでした。
すばらしい九十九羽のツルの曲芸は、見事に、網の上に、子どものツルを受け止めると、そのまま空へ、舞い上がりました。
気を失った、子どものツルを、長い足でかかえた先頭のツルは、何事もなかったかのように、みんなに、言いました。
「さあ、もとのように並んで、飛んでいこう。もうすぐだ。がんばれよ。」
こうこうと明るい、夜更けの空を百羽のツルは、真っ白な羽をそろえて、
ヒワヒワと、空の彼方へ、次第に小さく消えていきました。