《(改) 和泉・岸和田だんじり彫り物・物語-2》
10月9日 (水) 今日の和泉市の天気予報は “雨のち晴” です 。
昨日の夜に降り出した は未明には止んだようです。このところ雨が良く降り、
庭の水撒きをしなくてよいので助かります と言ってもピーマンはもう終りみたい。
昨年は1本で200個くらい収穫しましたが、今年は少なく50個くらいです。連作障害かな
24時間予報では、明け方に が付き、以後は マークが並んでいます。
今朝は6時の17.8℃が最低でした。昼間の最高気温は25.8℃を予想しています。今日も過ごしやすそう。
明日は終日 の予報で、最高気温は26.2℃を予想。そろそろスカッとした秋晴れが見たいなぁ
昨日の予報は “曇時々雨” でした。 予報通り、昼間は 空で、時折小雨 がパラつきました。
昨朝は6時が20.0℃、小雨模様という事で、昼間も気温は上がらず、最高気温はお昼正午の23.8℃でした。
涼しいというより肌寒い一日でした。東京の昨日は真夏日一歩手前の29.9℃でしたが、今日は17℃の予想ですって
こんなに急に涼しく(寒く)なると、身体が変になりそう
今日は 《(改) 和泉・岸和田だんじり彫り物・物語-2》 です。
まずは 「大江山頼光の木渡り」… 大江山は京都府丹後半島に有る標高832mの山です。
一条天皇に、大江山の酒呑童子退治を命ぜられた源頼光一行が、四天王の一人、
坂田金時が引き抜いた松の大木で山中の懸崖を渡る様子を彫った場面です。
平安中期、京の娘が次々と姿を消します。
これは大江山に住む鬼の仕業だと言う事で、一条天皇は、豪傑の源頼光に退治の勅命を下します。
しかし大江山には深い谷が有り、一行は立ち往生します。
そこで同行していた四天王(渡辺綱、坂田金時、碓井貞光、卜部季武)の一人が、傍の松の大木を根っこから
引っこ抜き橋を掛け、 源頼光一行は鬼退治に行く事が出来たという…。
その力自慢の男こそ “坂田金時” だったそうです。
まさかりかついで きんたろう くまにまたがり おうまのけいこ ハイシドウドウ ハイ ドウドウ…
“坂田金時”… 幼名を “金太郎” と言い、あの童謡に歌われている “金太郎” です。
私たちの年代なら誰もが知っているこの歌ですが、今の子供らは・・・ いや今の親たちも・・・
大江山の羅生門 に鬼退治に行った渡辺綱と四天王。 そこへ道に迷った若い娘が現れます。
渡辺綱が送ろうと娘を馬に乗せた途端に娘は正体を現し、鬼に変身し綱に襲い掛かります。
しかし綱もさる者、鬼の腕を振りほどきその腕を切り落としてしまいます。
「茨木童子、腕を取り返す」 鬼(茨木童子)の腕を切り落した渡辺綱でしたが、
鬼の復讐を恐れ、門を閉じて舘に籠り、綱は仁王経の読経を続けていました。
そこへ叔母が訪ねて来るが綱は鬼に怯えて会おうとしません。
叔母は 「何という薄情なことを言うのか。 お前は幼い時、夏の暑い日は扇の風で凌がせ、
厳冬の寒い夜は衾を重ねて暖めた。 あれ程 可愛がって育ててやったのに」 と情を説きます。
ついに綱は情にほだされ叔母を屋敷に招き入れます。
しかし、その叔母は鬼(茨木童子)の化けた姿だったのです。
本性を現した叔母はまんまと切り落とされた腕を奪い返した。 …と云う伝説です。
あの御婆が抱えているのは、奪い返した自分の腕です。
次は皆さんご存じの “忠臣蔵” から 「刀傷松の廊下」 です。
元禄年間(江戸時代)に、江戸城は松の廊下で吉良上野介に斬りつけたとして、
赤穂藩主の浅野内匠頭(あさのたくみのかみ)が切腹に処せられた事件。
さらには、家臣の大石内蔵助以下47人が吉良邸に討ち入りし、仇を討つ物語ですね。
彫り物は赤穂藩藩主浅野内匠頭が松の廊下で吉良上野介に切りかかる場面です。
閑話休題… “刃傷” と書いて “にんじょう” と読むのですね。
続いては 「箱根詫び證文」 です。
赤穂浪士四十七士のひとり神崎与五郎が江戸へ急ぐ途中、馬子の丑五郎と馬に乗れ、
乗らない、で口論になり、丑五郎は馬に乗らないなら詫び證文を書けと迫ります。
神崎与五郎は “大事(討ち入り)の前の小事” と我慢して、詫び証文を書きました。
その後、赤穂浪士の討ち入りが有り、そのなかに神崎がいたことを知った丑五郎は
己を恥じて出家の上、神崎を弔ったそうです。
最後は “赤穂浪士討ち入り” の時に亡くなった「清水一学」(しみずいちがく)です。
二刀流の名手として、吉良側で最も奮戦した剣客として描かれているそうです。
ひげたちが子供の頃のチャンバラごっこには、必ず “清水一学” が出て来たもんですが、
今の子供らは知らないだろうなぁ(笑。
“赤穂浪士討ち入り” 吉良の屋敷の炭小屋に隠れていた、吉良上野介を見付け出した場面ですね。
10月9日 (水) 今日の和泉市の天気予報は “雨のち晴” です 。
昨日の夜に降り出した は未明には止んだようです。このところ雨が良く降り、
庭の水撒きをしなくてよいので助かります と言ってもピーマンはもう終りみたい。
昨年は1本で200個くらい収穫しましたが、今年は少なく50個くらいです。連作障害かな
24時間予報では、明け方に が付き、以後は マークが並んでいます。
今朝は6時の17.8℃が最低でした。昼間の最高気温は25.8℃を予想しています。今日も過ごしやすそう。
明日は終日 の予報で、最高気温は26.2℃を予想。そろそろスカッとした秋晴れが見たいなぁ
昨日の予報は “曇時々雨” でした。 予報通り、昼間は 空で、時折小雨 がパラつきました。
昨朝は6時が20.0℃、小雨模様という事で、昼間も気温は上がらず、最高気温はお昼正午の23.8℃でした。
涼しいというより肌寒い一日でした。東京の昨日は真夏日一歩手前の29.9℃でしたが、今日は17℃の予想ですって
こんなに急に涼しく(寒く)なると、身体が変になりそう
今日は 《(改) 和泉・岸和田だんじり彫り物・物語-2》 です。
まずは 「大江山頼光の木渡り」… 大江山は京都府丹後半島に有る標高832mの山です。
一条天皇に、大江山の酒呑童子退治を命ぜられた源頼光一行が、四天王の一人、
坂田金時が引き抜いた松の大木で山中の懸崖を渡る様子を彫った場面です。
平安中期、京の娘が次々と姿を消します。
これは大江山に住む鬼の仕業だと言う事で、一条天皇は、豪傑の源頼光に退治の勅命を下します。
しかし大江山には深い谷が有り、一行は立ち往生します。
そこで同行していた四天王(渡辺綱、坂田金時、碓井貞光、卜部季武)の一人が、傍の松の大木を根っこから
引っこ抜き橋を掛け、 源頼光一行は鬼退治に行く事が出来たという…。
その力自慢の男こそ “坂田金時” だったそうです。
まさかりかついで きんたろう くまにまたがり おうまのけいこ ハイシドウドウ ハイ ドウドウ…
“坂田金時”… 幼名を “金太郎” と言い、あの童謡に歌われている “金太郎” です。
私たちの年代なら誰もが知っているこの歌ですが、今の子供らは・・・ いや今の親たちも・・・
大江山の羅生門 に鬼退治に行った渡辺綱と四天王。 そこへ道に迷った若い娘が現れます。
渡辺綱が送ろうと娘を馬に乗せた途端に娘は正体を現し、鬼に変身し綱に襲い掛かります。
しかし綱もさる者、鬼の腕を振りほどきその腕を切り落としてしまいます。
「茨木童子、腕を取り返す」 鬼(茨木童子)の腕を切り落した渡辺綱でしたが、
鬼の復讐を恐れ、門を閉じて舘に籠り、綱は仁王経の読経を続けていました。
そこへ叔母が訪ねて来るが綱は鬼に怯えて会おうとしません。
叔母は 「何という薄情なことを言うのか。 お前は幼い時、夏の暑い日は扇の風で凌がせ、
厳冬の寒い夜は衾を重ねて暖めた。 あれ程 可愛がって育ててやったのに」 と情を説きます。
ついに綱は情にほだされ叔母を屋敷に招き入れます。
しかし、その叔母は鬼(茨木童子)の化けた姿だったのです。
本性を現した叔母はまんまと切り落とされた腕を奪い返した。 …と云う伝説です。
あの御婆が抱えているのは、奪い返した自分の腕です。
次は皆さんご存じの “忠臣蔵” から 「刀傷松の廊下」 です。
元禄年間(江戸時代)に、江戸城は松の廊下で吉良上野介に斬りつけたとして、
赤穂藩主の浅野内匠頭(あさのたくみのかみ)が切腹に処せられた事件。
さらには、家臣の大石内蔵助以下47人が吉良邸に討ち入りし、仇を討つ物語ですね。
彫り物は赤穂藩藩主浅野内匠頭が松の廊下で吉良上野介に切りかかる場面です。
閑話休題… “刃傷” と書いて “にんじょう” と読むのですね。
続いては 「箱根詫び證文」 です。
赤穂浪士四十七士のひとり神崎与五郎が江戸へ急ぐ途中、馬子の丑五郎と馬に乗れ、
乗らない、で口論になり、丑五郎は馬に乗らないなら詫び證文を書けと迫ります。
神崎与五郎は “大事(討ち入り)の前の小事” と我慢して、詫び証文を書きました。
その後、赤穂浪士の討ち入りが有り、そのなかに神崎がいたことを知った丑五郎は
己を恥じて出家の上、神崎を弔ったそうです。
最後は “赤穂浪士討ち入り” の時に亡くなった「清水一学」(しみずいちがく)です。
二刀流の名手として、吉良側で最も奮戦した剣客として描かれているそうです。
ひげたちが子供の頃のチャンバラごっこには、必ず “清水一学” が出て来たもんですが、
今の子供らは知らないだろうなぁ(笑。
“赤穂浪士討ち入り” 吉良の屋敷の炭小屋に隠れていた、吉良上野介を見付け出した場面ですね。