ひげ爺さんのお散歩日記-3

日々新た、今日は今日、明日は明日の風が吹く

《(改) 和泉・岸和田だんじり彫り物・物語-5》              

2024-10-12 08:17:32 | 日記
      《(改) 和泉・岸和田だんじり彫り物・物語-5》  




  10月12日 (土) 今日の和泉市の天気予報は “晴” です 。 
 24時間予報では、今日も昨日と同様、朝から晩まで のマークが並び、 マークは1つもありません。
 今朝(6時)もすでに明るい日差しが降り注いでいます。朝の気温は昨日より更に下がり、6時の15.7℃でした。
 最高気温は26.8℃を予想しています。風も1~2mと穏やか、今日も爽やかな秋晴れになりそうです。
 明日(日)も和泉市の予報は “晴” で、マークはありません。最高気温は28.1℃の予想です。少しずつ高くなってる

  昨日は9時ごろに  家を出て、蜻蛉池公園を歩いてきました。まぁ最高のお天気でした
 昨日ブロック注射を打っているので、体調は良好。 身体の痛みはなく、サッサと歩けます。いくら歩いても汗は出ません。
 いつもは鳥が沢山いる池ですが、昨日は1羽も見かけませんでした。もう南に旅立ったのでしょうか。静かな池でした。
  
 もう少ししたら、今度は北から渡り鳥がやって来て賑わうのでしょうが、今はガラ~ンとしていました。
 「バラ」はもういくらか咲いていると思ったのですが、まだほとんど咲いていませんでした。 
 夏が暑かったからなぁ・・・ 剪定が遅れたのかも知れないですね。    約2時間 7000歩 3.5㎞
 
 昼前に帰宅すると、妻が「あんた、今日買い物に行こう言うとったじゃないね」「あん?」
 「あっ! そうじゃった」 いつもは土曜日に買い物に行くのですが、この土日は「だんじり祭り」です。
 スーパーの前の道もだんじりが走り、交通規制されます。 そしてスーパーの駐車場も一部連絡場所として使われます。
 という事で、数日前から、次の買い物は金曜日にしようと決めていたのです。 
 「なんで、朝出かける時に言うてくれんのや」というと、「うちも忘れとったんよ、あんたが出た後思い出したんよ」
 なんだかなァ、夫婦そろって・・・ だいぶ進んできた?   午後2時から買い物に行って来ました

 昨日の予報は “晴” でした。  天気予報通り、朝から晩まで でした。
 湿度が低く(40%近辺)空気が澄んで、遠くの景色も鮮やか。 空の青さも一層濃く見えました
 朝の気温は15.5℃。最高気温は25.2℃でした。長短のTシャツで歩きましたが、汗も出ず、爽やかな散歩でした。


第5戦の先発は山本由伸、重要な一戦でダルビッシュと日本人投手の対決が実現
 今日の第5戦、楽しみですねぇ。 まぁひげは大谷を応援しているので、ドジャースに勝って欲しいんだけど・・・
 日本人対決という事で、誰もキズ付いてほしくないですねぇ。ダルビッシュもこの前が良すぎたからなぁ。
 そう上手くはいかんだろうし、山本由伸は前回打ち込まれているし・・・どうなんでしょうね。
 出来れば6~7回まで両投手が好投し、 0-0 でダルビッシュが降板後に大谷が決勝の一発を放つ! これが理想
 ホント、ペナントレースは予選会で、ここからがホントの勝負ですね。ここで敗けたんでは地区優勝の意味がない。
頑張れダルビッシュ! 頑張れ山本由伸! 頑張れ大谷笑平! ⇦ 誤変換ではありません。翔平の笑顔が見たい。



今日は 《(改) 和泉・岸和田だんじり彫り物・物語-5》 です。 


岸和田市(山の手)の “だんじり祭り” では、最終日に近隣の町々が “だんじり(山車)” を曳いて
久米田寺に集結します。 その数13台、幟を立て飾り付けられた “だんじり” の集結は壮観の一言です。


他の町ではこの事を “宮入り” と呼びますが、ここでは “行基参り(ぎょうきまいり)” といいます。
久米田寺には約1300年前、水不足に苦しむ農民の為に溜め池(久米田池)の造成を指揮した
行基(ぎょうき)を祀った行基堂が有ります。 
久米田池の恩恵を受ける近隣の町々が “行基参り” として感謝の気持ちで 
“だんじり” を曳き、行基堂前に集結するのです。 


久米田池は冬には水が抜かれて、池の底が見えてきます。 水草が茂るのを防いでいるのでしょう。
案外浅いんですね。写真の奥に「久米田寺」の遠景が写っています。


久米田池は貯水量157万t、周囲約2,650mの大阪府内最大の面積を持つため池です。
地域の民のための溜め池ですが、渡り鳥たちの楽園にもなっています。

岸和田のむかし話… 
岸和田市の広報に掲載されている久米田池築造に関する民話です。 
工事にかり出された若い人夫と、付近の家からお茶汲みのお世話をした娘の悲恋物語です。

 久米田池開発工事は14年の歳月を経て、今日ようやく終わりを迎えた。
「終わった…  でも」 と、乙売(おとめ)はつぶやいた。 
「伊那麻呂(いなまろ)は、もういない… もう2度とは会えぬ…」 
それから後は、激しいおえつになった。 久米田池の堤である。
久米田池築造は僧行基を中心に、山直郷・八木郷・掃守郷… 他の里人たちが汗と脂に、
時には血にさえまみれて立ち働いた、難行苦行の大工事だった。  伊那麻呂は年若い労役夫の一人である。 
役夫たちのまかない仕度や、湯茶の接待に骨身を惜しまぬ乙売の姿を見たその日から、
伊那麻呂は、その胸をときめかし、乙売もまた日に焼けた男々しい彼の裸形に目をやって、 その頬を染めた。 

 だが… 彼女は裕福な生い立ちの里長(さとおさ)の娘。
なのに比べて伊那の家は貧しく、この恋ははかばかしゅうは進まず、ともに燃え、人目をさけて愛しみ合う仲のままに日は過ぎた。 
水田300町歩を潤そうとする壮大な構想のもとに拓かれたこの池は、掘さくよりむしろ
堤を築いて水を堰きとめる閉塞工事が主体だった。 
労役夫たちは、雨の日も風の日も蟻のように群れて巨木を運び、石を曳き、土を盛りつづけた。
「痛ましや… 去年の秋」 乙売は、おえつしながら血にまみれた愛しい男の面ざしを思い浮かべた。 
蝉の音の姦しい昼さがりの事だった。 突如巨木の1本が崩れ落ち、数人の役夫が圧しひしがれて死んだのだ。
伊那麻呂も腹を打たれてもだえ苦しみ、駆けつけた彼女の目の前で、「乙売… 乙売… 」
臨終の際まで、ひたすらその名を呼び続けた。

 「永の年月苦労をかけた。乙売よ、そなたに何ぞ褒美をとらそう」
行基はその温顔を綻ばせたが、乙売の目は険しかった。 
工事のはじめ13歳だった彼女は、未婚のまますでに27歳の齢を算えている。 
こわばった口をようやく開いて、渇いた声を出した。
「離れともなや、この池と…  別れともなや伊那麻呂と…」 乙売の顔は蒼白となり、
熱い息を吐いたかと見る間に、たちまち蛇身となって池の中へ身を躍らせた。 
落慶法要で老若男女の群集する天平10年(738年)戊寅初秋、夕刻の事だった。 
その後乙売は久米田池の守護神となり、乙御前と尊称された。
和泉の大宮・兵主神社の境内に今なお蛇淵が現存し、久米田池の主が歳時を選んで
忍び来るという伝承だけが、ひそやかに語り継がれている』


今日は《(改) 和泉・岸和田だんじり彫り物・物語-5》 です。 
今日も走る美術工芸品とも云われている “だんじり” に彫られた彫刻から・・・ 「竹の節」 を紹介します。


「竹の節」 とはだんじりの裏面の両角の部分、上の写真の “獅子” が掘られた部分です。

 まず最初の彫り物は… 「風神・雷神」 です。




 


 3枚目は… 「仁王像」 です。

余談ですが、あれはどこだったか、小学校の頃に行ったお寺(三滝寺だったか?)に
天邪鬼を踏みつけている仁王像が有りました。 このときの先生の話が忘れられません
それは… 仁王に踏みつけられた天邪鬼が思わず “プッ” とオナラをしたのだそうです。
天邪鬼は仁王を見上げて 「におうか?」 と言ったという話です

 4・5枚目は… 「東方を守護する持国天」 と

持國天は、四天王の一尊として、東方を護る守護神とされる。 仏堂内では本尊の向かって右手前に安置するのが原則である。
その姿には様々な表現があるが、日本では一般に革製の甲冑を身に纏った中国唐代の武将の姿で表現される。
持国天のご利益は? 絶大なご利益で、凶運を強運に変え、 どん底の人生から這い上がり大開運させる強力な護符です。
凶運消除や強運招来の功徳で、いかなる災や困難な状況からも救い出し、 人生を大逆転させるパワーを秘めています。
〖主なご利益〗凶運消除 ・強運招来 ・開運厄除け ・国家安泰〗


  「西方を守護する広目天」 です。

〖西方にあって仏法を守護する。 悪人を罰して仏心を起こさせることをつかさどる。
広目天の持物は筆と経巻です。四天王メンバーの中でも文化系の素質を持ち合わせます。
広目天は元々、特殊な力を持った目を持つ者という意味で、何でも見通すことができる浄天眼で仏教世界を見渡します。
悪いことをしていると広目天に見つかり、悪行が書き留められるかもしれません。
ただし、必ずしも筆を持つわけではなく、右手に剣先が3つに分かれた剣、左手に羂索(けんさく)というロープを持つこともあります。
剣は悪霊や煩悩を打ち砕き、ロープは人々を包み救うための道具です〗


 6枚目は… 「千尋の谷に落とす獅子」 でしょうか。


 これは… 箕土路(みどろ)町のだんじりに彫られた「みどろ童」ですが、“みどろ童” を検索しても出て来ません。



箕土路(みどろ)町の童(わらべ)なので 「みどろ童」 なのでしょうか。
“金太郎” が鯉を掴んでいるような彫り物ですね。それにしても凄い迫力ですね

 この彫り物は… 「降り龍」 です。



大きな写真だと、どこが龍の顔だか分かりにくいですね。 トリミングしてみました。
降り龍は、昇り龍に比べて運気が下がるような気がしてしまいがちですが、降り龍は、天から舞い降り地上の守り神であるとされ、
上がる下がるのくだりではなく、降臨のくだる意味だそうです。
運気が下がるどころか運気が上がることを意味した姿なのだそうです。

 最後は… 「弁財天」 です。

日本には古来より八百万の神々がいるといわれていますが、その中でも七福神は人々から厚く信仰されています。
その七福神で紅一点の「弁財天」(べんざいてん)は、仏教の守護神といわれています。
本来は才能をもたらす「弁才天」でしたが、のちに財をもたらす福神として信仰される宇賀神(うがじん)と
習合しゅうごうすることで、財福の神ともなった「弁才天」は「弁財天」と表記されるようになり、
江戸時代ごろにはこの書き方が広く定着したようです。貧困を救い財物を与える神です。
コメント (2)
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