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○昭和60年5月18日(土)晴。
昨日は、細気管支炎の子がひどくて、泊まり込んだが、今日は少し落ち着いている。外来、土曜というのに150人切った。南海病院の○○君、大分で開業するんだなあ。小児科医も今からどんどん多くなってくる。ちょっと前は、開業医の○○先生(14床あり)が倒れられて、県南では小児科医専門医は、自分のたった一人の時もあったのだが、今からはどうなるのかなあ?子どもも今から少なくなるだろうし。
○昭和60年5月25日(土)晴。
(小児科事務の)○○さんが、日曜に僕が退院させたとのことで、(事務の)○○さんから叱られて泣いていたとのこと。お金を払わない人がいるので、休みには、事務処理が出来ないので、休みには帰さない様にとのことになったらしい。あちらを立てればこちらが立たず、こちらを立てればあちらが立たずって感じだ。この病院、理事長はホントに立派だし、働いているドクターは、皆、立派な先生ばかり。しかし、医療業界の厳しい時代、経営も次第に難しくなって行くだろう。
○昭和60年5月28日(火)雨。
給料日だった。前年よりも6万もアップしていた。毎月ボーナスみたいでスゴイ大金だが、体はどんどん蝕まれている感じだ。誕生日で、36歳になった。この歳でこれだけの給料をもらうドクター、少ないと思う。家と土地の借金、お金が貯まったら、どんどん返して行こうと思う。(西田病院で稼いだお金は、家と土地で殆ど消えてしまった。しかし、無駄使いをすることなく、家と土地の借金を、8年半で完全に返却した。)
○昭和60年5月29日(水)晴。
小児科での恒例の卓球大会があった。西○さんが一番で、染○さんが次だった。やはり、男性群は強いなあ。染○さんから、ツツジの木をもらって、家の庭に植えた。ポームドテールで、食事会をした。ステーキだったが、あれに魚があったらもっと良かったのだが。16人で結構お金が要った(毎回、安月給でも一生懸命に働いているスタッフに、お礼の意味を込めて、お金を食事会で出させる様なことはしなかった。)
○昭和60年6月1日(土)雨。
やっと100人って感じだった。婦長も、あんまり少ないので、心配している感じだ。スタッフ、少ないと物足りなく感じている感じだ。僕もそれなりに張り切ってはいるのだが。売り上げが、4月は2000万で、この2ヶ年間では最低だったみたいだ。しかし、小児科医一人でこれだけ売り上げているからして、自分としては、まあいいと思っているのだが。前が多かっただけに、それに、沢山給料をもらっているだけに、何となく立場が弱い感じだ。今から、子どもの数も減って、小児科医がどんどん多くなって、益々少なくなって行くのかなあ。