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○昭和60年7月9日(火)雨。
体がだらしい。母親が運転する車が交通事故で、前に座っていた2歳の子どもが頭蓋内出血で、大変だった。母親も、手術。ほぼ駄目だと思うが、何もしない訳にはいかない。駄目と分かっても、医師として最善を尽くさないといけない。泊まり込んだ
○昭和60年7月10日(水)晴。
(毎水曜日に)いつもの様に、(大分医大の)大学から小児科の宿直の先生が午後から来たので、病院に泊まれなかった(病室の隣の小児科部長室にいつも宿泊)。気になって0:00過ぎに来た。何かあれば連絡を自分にするとのことだったが、気になって仕方なかった。途中で医大の先生が診てもよく分からないと思う。(開業医の)○○先生も、様子を見に来た。
○昭和60年7月11日(木)晴。
今、二人挿管している。交通事故の子ども、血圧も良くなり、脈もしっかりしてきている。肺の音も良くなっている。しかし、頭の方は、サッパリ駄目だ。ベビー、内臓奇形がありそうだ、多分駄目だろうなあ、解剖するべきかなあ。泊まり込んだ。
○昭和60年7月15日(月)晴。
99人来た。ヘルパンギーナも手足口病もなくなり、髄膜炎らしきものもない。PAPと溶連菌が時々ある位だ。本当に少ないって感じだ。夕方救急車が来て、南海病院に行ってもらった(腎臓損傷で手術?)。無理をしてはいけない。長続きしないとけいない。体あっての仕事なのだ。カゼが少し良くなった感じだ。カゼを引いていると、ホントに苦しいなあ。明日は、もう少し元気になっているかなあ。
○昭和60年7月17日(水)晴。
(私の母校の)佐伯小学校でツ反があって、170人位いて、120人以上した。も一人の○○先生が遅れて来たのだ。懐かしき我が母校。何故か、鶴谷中学校や鶴城高校よりも、佐伯小学校の方に愛着心があるなあ。帰りに、(養護教員の)神田先生(父と一緒に仕事をしていたことあり)に、本と聴診器をあげたら、とても喜んでいた。脳外科の子ども、どうなるのかなあ。
○昭和60年7月19日(金)晴。
朝4:30に起こされた。帝王切開で。体重1400g、30週、生直後息をしてなく、アンビューで蘇生した。RDS(呼吸窮迫症候群)だ。泊まり込んだ。
○昭和60年7月21日(日)晴。
臼杵からクループの子が来た。頭部打撲後嘔吐の子が入院している。交通事故の子は亡くなった。RDSの子は、調子いい。MAS(胎便吸引症候群)が一人生まれた。いろんな病名の人がいるが、一人一人、トラブルにならない様に一生懸命にしていくしかない。