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その10、夢を持つ
理事長先生は、常に夢を抱いていた様に思える。高い目標を持っていた様に思える。理事長先生の生前中に成人病棟の改築を済ませたかったと思われる。孫の成長をもっと先まで見届けたかったと思われる。先生の趣味は、スポーツと陶芸であるが、女子ソフトボールにかける夢は年々大きくなって行った様で、世界第2位の中国チームと対戦しても堂々と闘えるまでに成長した西田病院女子ソフトボールチームのことをとても嬉しく思っていた様である。灘のグランドの整備の費用も自分のお金で出し、遠征費用もポケットマネーを使われていた。花束を北京チームからもらった時の理事長先生の笑顔を(私のビデオカメラでも撮り)今でもありありと私は思い浮かべることが出来る。
今年(昭和60年)の西田病院月報の念頭所感で、院長先生は次の様に述べられている。
この50年間の病院経営には、慈恵の魂がこもっていたからこそ出来たと言えばそれまでかも知れませんが、患者さん確保の為、自ら自転車に乗って情報収集に走り回り、さまざまな角度から”愛される病院”にと努力し、我慢し、睡眠も充分に取らず、遊びもせず、只ひたすらに患者さんの為にと奉仕を忘れずに頑張ってきた永い年月が横たわっているのです。又、その他の波乱万丈の姿は、父理事長の随筆集「かなづち病院長」の二巻に余す所なく書かれています。そこには、あの戦争中の苦難の時代を経て今日に至るまでの姿が克明に綴られています。今日のこの病院の隆盛と反映の基礎を築いた神算元祖とも言うべき理事長に対して、心から感謝の念と尊敬の心を失ってはならないし、又、母宮子理事と共にその健康と尚一層の長寿を祈念するものです。
(*理事長先生も院長先生(長男)も副院長先生(次男)も、慈恵医大出身。)