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私の診療に対する誠意が患者さんにわかってもらえた為か、ある冬には1日に200人以上が何日も続く時があり、私が青白い顔で泊まり込んで朝から晩までクタクタになって働いている時、理事長先生が私の父に、「息子さんを医者にさせたことを後悔していませんか。体を一番心配している。体を壊さない様にほどよく診る様に言って下さい。」と言われ、その時私の父は、「いや、仕事がこれだけ子どもに与えられることに感謝しています。」と言った(私の家と西田家とは、普段から懇意にしていて、母が作った料理を時々理事長先生から食べてもらっていた。柩の中にも、母の作ったパンを入れてもらった。)。
私がここに就職した当時、理事長先生はまだまだ元気で、時間外の帝王切開の時にしばしば手術場で顔を合わせていた。しかし、年毎に歳と心臓病が気力を陵駕出来ない状態となり、80歳になってからは殆ど手術場で顔を合わせることがなくなってしまった。理事長先生が毎朝早くから、受付の隣にある狭い室で、うす暗い蛍光灯の電気の下で統計を執っておられたが、心臓の調子が良くない時にはその姿は見えず、その時には私のみならず多くの職員が寂しい思いをしていた。
(続く)