学校のどこかの委員会が新聞を作成して廊下に掲示していました。
アンケートで「先生にのぞむこと」を調査していて,その結果がランキングになっていました。
1位「宿題をなくしてほしい」
でした。(笑)
どの学年も,どのクラスも,共通してそうなんですね。
気持ち分かります。
宿題って,もうすでにその言葉の響きからして,子どもにつきまとう悪役のような印象になっていますよね。
でも,それでこそ宿題なのかもしれません。
宿題を課す先生,学校側としてはもちろん目的があるわけです。
・自学の力がつくように
・家でも学習する習慣をつけるために
・今日の授業の復習のために
・明日の授業の予習のために
・学習していることを家庭に示すために などなど。
それで,子どもたちが宿題にうんざりしてきた頃に,担任の先生は必死にこれらの話をします。
「いいかい,宿題っていうのはね…」
感心な子は,ここでの先生の話で「よし,がんばろう」と思って,今日も帰ってから机に向かえるのでしょうが,実際,そうはできない子も少なくないでしょう。
大人側の理想論では動けない子もいるものです。
自分なりの「宿題の必要感」が感じられず,さぼってしまったり雑にしてしまったり。
こんな子たちのためにも,一工夫してあげたいですね。
やはり,何かをさせるからには,それに向かわせる十分な目的をもたせることが第一だと思います。
そして,子どもに示すこの目的は上の「自学の力がつくように」ということではなく,(もちろんそれが本来の目的なのですが)もっと子どもの側に立って,本当に子どもが「宿題はしなきゃ!」って感じられるような目的です。
宿題をしなきゃいけなくなる目的を与える!
例えば
・毎週金曜日に漢字テストがあるから,テスト範囲の漢字を宿題で練習しましょう
・宿題で書く漢字の丁寧さで,通知表の「文字の~」の欄の成績をつけます
・心に響くすてきな日記はコピーして「4年2組日記アルバム」に入れていきます
・続けることは大事です。○日宿題を続けられたら,お休み券を一枚あげます。
といった目的です。
目に見えて表れる目的です。
子どもが「嫌いなもの一位」としている宿題にだって,自分から向かって,しかも形だけでなく気持ちを入れてしっかりとできるようにするためには,それなりのエネルギーが必要です。
そのエネルギーは,先生が与える目的から生まれてきます。
そして,子どもからすればそういった目的で宿題を続けていくことになり,それが前に挙げた本来の目的にも自然とつながっていくはずです。